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<二十> 出撃前夜の大騒ぎ

 前回、登場人物紹介で新たに登場した艦魂たちのプロフィールを書いていなかったので、ここに補足します。


 朝霜あさしも

 大日本帝国海軍夕雲型駆逐艦十四番艦『朝霜』艦魂

 外見年齢 16歳

 身長 157cm

 体重 40k

 日本海軍に数多い陽炎型駆逐艦の改良型(書類上は陽炎型と同じ「甲型」に類別される)。これまでにマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦と、日本海軍が賭けた激戦に参加し、経験してきている。大勢いた姉妹も殆どを失っている。お嬢様口調で第二十一駆逐隊の旗艦として偉そうではあるが、悪い子ではない。根は優しく、他人に隠すように強気を見せ付けているだけ。大勢の姉妹を失った想いを胸に秘めて、仇を取ろうと決意している。猫のような眼に、大きなツインテールが特徴的。いつも初霜にきついツッコミをされ、霞はいいからかい相手になっている(その度に初霜に痛い目にあわされているが)。



 初霜はつしも

 大日本帝国海軍初春型駆逐艦四番艦『初霜』艦魂

 外見年齢 17歳

 身長 161cm

 体重 43k

 開戦時からの歴戦を経験し、数々の護衛を従事してきた駆逐艦の艦魂の一人。大和のようなクールさと凛々しさを持ち、いつも竹刀を持ち歩いている。朝霜の誤った行いを見つければ即座に竹刀の一撃を容赦なく浴びせる。三人の中では一番年上だが、旗艦を朝霜に譲り、自分自身は大人しく身を引いている。いつも三人と共にいるが、朝霜と霞のことをそれぞれに違う意味で放っておけない存在となっている。いつも何かしら仕出かす朝霜から眼を放せず、いつもおろおろしている霞のことも放っておけない。二人の姉のような存在になっている。実は戦艦の日向と伊勢とは仲が良い。



 かすみ

 大日本帝国海軍朝潮型駆逐艦九番艦『霞』艦魂

 外見年齢 17歳

 身長 155cm

 体重 39k

 開戦時は、ハワイ攻撃機動部隊の護衛としてハワイ作戦(真珠湾攻撃)に参加。それからも機動部隊の一員としてラバウルやミッドウェーなどの激戦地の作戦を従事してきた。所属していた第十八駆逐隊は解隊し、呉鎮守府予備艦となるが、その後も第五艦隊第一水雷戦隊などの部隊に移り、輸送や護衛に従事し、主要の作戦にも参加したが、最終的に今に至る。艦自体は歴戦を潜り抜けてきた戦士だが、その艦魂はいつもおろおろしていて落ち着けない。いつも初霜が見ていないと危なっかしい。霞はそんな初霜や、朝霜が大好きな可愛らしくて真面目な少女である。



 旗艦『大和』護衛戦艦『神龍』、第二艦隊は三月二十八日に呉を出航する予定が立てられた。

 そして出航前日。

 『大和』第二会議室では、呉の艦魂たちが集って出撃前夜の宴会が盛大に行われていた。

 久方ぶりの出撃。囮作戦とはいえ、しかも世界最大最強の戦艦『大和』と期待の希望『神龍』が率いる第二艦隊が出撃するのだ。もしかしたらもう呉に帰って会える日もしばらく後になるかもしれないし、もしくは二度と会えなくなるかもしれない。そういう思いが宴会を更に盛り上げていた。

 会議室の机にはズラリと『大和ホテル』と呼ばれるほどの豪華な食事が並んでいる。ちなみにこのご馳走は全て三笠が神龍たちに頼まれて作ったものだった。一人でこんなに豪勢なご馳走を作れるなんて、やはり三笠は料理の才能がある、と艦魂たちは再び感服することになった。

 そしてそのご馳走の前で艦魂たちが談笑し、騒ぎ、酒やラムネを飲み、わいわいとやっていた。その光景は久しぶりの賑やかなものだった。

 「遂に明日、出撃かぁ…」

 ふわふわな髪を流した雪風がラムネを一口飲み込んで、遠い目になる。

 その隣で矢矧が雪風とは違って、お酒を口に流し込んだ。

 「…囮になるための出撃だけど、それでも私は有意義だと思う。せめて特攻隊が己の覚悟した通りの死に繋がることを願う…。敵艦に突撃する前に撃ち落されるより、我々が囮になってすこしでも成功の確率を高められれば…私は喜んで囮となる」

 「そうですね…」

 雪風はふと暗い表情になる。

 爆弾を積んだまま敵艦に突撃し、自らの命を投げ出す特攻隊。追い詰められた日本の最後の戦術だった。内地でも『一億玉砕』が叫ばれ、既に自らが死ぬことを決定的事項として敵と戦わねばならない。いつ、自分たちの戦いの意義が…死ぬことへと変わったのか。戦争は死ぬのが当たり前だが、しかし戦争というのは、特に日本がしている戦争は自国が生き抜くために仕掛けたものではなかったのか。生きるために戦う意味が、いつしか死ぬために戦う意味へと変わってしまっている。

 「そんな暗い顔するんじゃないわよ」

 「…日向参謀」

 長いツインテールをぴょこんと生やした日向が、こつんと雪風のふわふわした髪型の後頭部を小突く。

 「せっかくの宴会なんだから、もっと明るくしなさい。ようやく出撃できるんだから喜びなさい。私なんてまだここに残るんだから…」

 「す、すみません…」

 雪風は気付いたようにシュンとなる。

 「もっと暗くなってどうするのよ」

 日向はぽん、と雪風の両肩に手を置いた。

 「私は留守番だけど、私たちの代わりに頑張っていきなさいよ。死んだりしたら承知しないんだから」

 「―――はいっ!」

 日向はにっこりと笑顔になり、雪風も日向の笑顔を見て輝くような笑顔を見せた。

 「片手に肉持ってて説得力ないけどな」

 日向の背後でご馳走を頬張る二ノ宮の呟いた言葉に、日向の笑顔はピシリと硬直し、ひび割れた。

 「―――るっさいわね!この馬鹿二ノ宮ッ!雰囲気ブチ壊すんじゃないわよっ!」

 日向は片手に持っていた食べかけの鶏肉を振り回し、生えたツインテールが怒りを表すように上下に激しく揺れる。

 「げっ!聞こえてたのか、地獄耳っ!」

 「わざとかっていうぐらいバッチリ聞こえてたわ!いい度胸じゃない、そこに直りなさい!」

 「馬鹿っ!やめ…ッ!」

 鶏肉を片手に武器にしながら追い回す日向と悲鳴を上げながら逃げ回る二ノ宮に、周りの艦魂たちの笑い声が包む。雪風もその光景に微笑んでいたが、その騒動はすぐに終わった。

 「はい、そこまで」

 清楚な感じの通った声が二人の動きを止めた。

 「姉さん…」

 清楚可憐・大和撫子の字がとても似合うような、綺麗な和服を身に纏った女性、伊勢が日向の襟首を掴み上げる。逃げ回っていた二ノ宮がその光景を見てほっと胸を撫で下ろしていた。

 「邪魔しないで姉さんっ!」

 「本当に仲が良いわねぇ…」

 「なっ!なな、そ、そんなことないじゃないッ!」

 「仲が良いのは良いけど、こんな所まで騒いだりしないの」

 顔を赤くした日向がにゃああと猫の如し伊勢に襟首を掴まれながらじたばたと騒いでいるが、伊勢は日向の襟首を掴んだまま溜息を吐いていた。

 「わかった?」

 襟首を掴まれるままに涙目で伊勢のほうに振り向く日向に、「めっ」と注意する伊勢。

 「…はい」

 日向はしょんぼりと了承した。

 「二ノ宮さんも良いですね?」

 遠くから成り行きを傍観していた二ノ宮が慌てて頷いた。

 「…はいっ。すみません…」

 「よろしい」

 にっこりと美人の微笑みを見せた伊勢に、周りの艦魂たちは「ほぅ…」と癒される。

 ついでに日向と二ノ宮も目を線にして癒されている。

 「何を馬鹿面している」

 「いてっ!」

 癒され顔になっていた二ノ宮の後頭部を榛名が殴る。

 「いったいなぁ!グーで殴ることないだろぉっ?!」

 後頭部に手を当てて涙目で振り返る二ノ宮に、榛名は「ふんっ」と鼻息を鳴らす。

 「宴会だからといって騒ぐのもいい加減にしろ。貴様ら、我が『榛名』でもそうやって騒いでおいて、長官の『大和』でも迷惑をかけるつもりか?」

 「…自分が出撃できないのがそんなに腹正しいの?―――あべしっ!!」

 突然榛名の神速の蹴りに二ノ宮は数メートル吹っ飛んで壁に叩きつけられる。

 「ほぅ…覚悟はできているか、少尉…」

 「…お、おまっ……げほっ」

 床に突っ伏して顔を青ざめる二ノ宮の前に、榛名の足が踏みしめる。

 見上げると、日本刀の真剣を抜いた榛名が立っていた。

 キラーンと目が不気味に輝くのを見て、ぞっとなる。

 「ひぃぃぃっ?!」

 「覚悟ぉッ!!」

 「あなたもいい加減にしなさい」

 ぺしん、と伊勢が榛名の後頭部を閉じた扇子で叩く。

 「…伊勢。邪魔するな。これは私と少尉の問題だ」

 「あなた、さっき日向と二ノ宮さんの騒ぎは咎めたくせに、自分まで同じことやってどうするのよ」

 「…くっ」

 痛いところを突かれたというように一歩引く榛名。

 「私たちは一緒に行けないけど、快く見送ってあげましょうよ」

 「…私はそのつもりだ」

 「だったら、今日は楽しみましょうよ。ね?」

 伊勢が微笑んで言い、榛名はすこし頬を赤らめて「ふんっ」とそっぽを向いた。

 「あそこも相変わらずだな…」

 三笠がラムネのビンを持って呟いた。その隣で神龍が微笑んでいる。

 「でも最後にこうしていつもの元気が見られて私は嬉しいですけどね」

 「………」

 神龍の横顔を三笠はじっと見詰める。神龍は三笠の視線に気付く。

 「なんですか?」

 「いや…」

 三笠は再び榛名たちのところに視線を戻す。

 「寂しくないか?」

 「え?」

 三笠の言葉に、神龍はきょとんとなる。

 「…今まで一緒にいた、姉の榛名や伊勢たちと別れて、寂しくなったりしないか?」

 「…そうですね」

 神龍の瞳はやはりどこか寂しそうに揺れていたが、しかし目を閉じると、次に開いた瞳は寂しさを吹っ切ったような意思がこもっていた。

 「でも、大和さんや矢矧、雪風たち、それに…三笠二曹もいます。確かに榛名姉さんや伊勢さんたちと別れるのも辛いですが……私は、寂しくはありません」

 「…そう、だな」

 三笠は神龍を一瞥する。神龍はただ目の前の光景をしっかりと目に焼き付けるように微笑ましく見詰めていただけだった。

 「だけど―――」

 「はい」

 神龍が三笠のほうに振り向く。

 神龍の引き込まれるような黒い瞳を見詰め、三笠は首を横に振った。

 「いや、なんでもない」

 「…はい」

 二人は再び視線を前に戻す。

 こんなことを聞くのは無粋ってものだ。

 三笠はそう思い、口を開くのをやめた。

 「磯風。そんなところでまた本読んで…」

 雪風が部屋の隅で椅子に座って本を読んでいる磯風に、溜息を吐く。

 「………」

 磯風は姉のほうに一切顔を上げることもなく、黙々と本の頁を捲って読んでいる。凄い集中力だった。

 「――こら!磯風ッ!」

 遂に耐えられなくなった雪風が磯風から本を取り上げる。磯風は本を持っていた手の姿勢のまま、沈黙していた。

 そして数秒してやっと本を姉に取り上げられたことに気付いて、ゆっくりと雪風のほうに顔を上げる。

 そこには、滅多に怒らない姉が本気で怒っている様子が見られた。

 「明日は皆さんとお別れするというのにあなたは何でここまで本を読んでいるのっ!ちゃんと参加しなさいっ!」

 「………」

 磯風の無表情な中にある無機質な琥珀色の瞳がじっと怒りを露にする雪風を映す。

 「何かこたえなさいよッ!」

 普段は温厚な雪風の怒鳴り声に、宴会の賑やかさがぴたりと止まる。

 なにやらピリピリした雰囲気が漂っていた。見るに耐えられなくなった三笠が神龍のもとから離れた。

 「あ…っ。三笠二曹…ッ」

 雪風のもとに駆け寄った三笠が声をかける。

 「雪風」

 ふわふわした髪の間から振り返った雪風の鋭い瞳があった。本当に怒っていることが一目でわかった。

 「何ですか、二曹さん」

 「そこまで怒ることはないだろ?」

 雪風の突き刺さるような視線は、余計なお世話だ、という風に迷惑そうな思いが宿っていた。

 「…二曹さんには関係ありませんので、口出ししないでください。これは姉妹の問題です」

 「さっきの榛名たちに続いてお前たちまでこんな雰囲気になってどうする。みんな、何でこうなるんだ…」

 「あ…ッ!」

 三笠がひょい、と雪風から本を取り上げる。それは磯風が読んでいた本だった。

 「ふーん……小説でも哲学書でもないな…俳句?…いや、短歌か」

 三笠がぺらぺらと本の頁を捲る。その傍で雪風が抗議する。

 「二曹さん…!困ります…ッ」

 「磯風はどんな短歌が好きなんだ?」

 三笠は雪風を無視して、顔を見上げた磯風に訊ねた。

 「………」

 磯風は三笠をじっと見詰めた後、微かに口を動かした。

 「…瓶にさす藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり」

 「…なんか聞いたことあるな。学校で習った気がする…」

 「…正岡子規」

 「あー。正岡子規か、なるほど。好きなのか?」

 磯風はコクリと頷く。

 「…瓶にさす藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり。これは、…私の解釈だけど……これは、病床でつくられた歌…。枕元の花瓶にさした藤の花を、届きそうで届かないものとして、治したいのに治らない自分の病状と重ね合わせたと思われる…。正岡子規は昔から不治の病を抱えていた。自分は精一杯手を伸ばしているのに、ほんの数ミリしか離れていないのに触れられない…。こんなに近いのに、触れられない…それは遠い距離を感じ、絶望感を味わされる。叶わない運命なのかと自分の病気と重ね合わせて考えてしまう…」

 磯風が淡々と語り始める。

 「え、えーと…」

 「…簡単に、わかりやすく言えば、こういう解釈もできると思う。正岡子規自身の命が短く、残された時間が少ない。自分の望むこと、やりたいことをやり遂げたいけど、そこまでに届かない…という想いが、かけられているのかもしれない。だけど…こうして後世の者がこうして解釈しても、本当の意味は作った本人しかわからない。いや、本人ですらわからないのかもしれない…。短歌の解釈というものは、人それぞれ…」

 「そっか。でも、それが磯風の感じた想いなんだろ?」

 「…そう」

 「なら、きっとそんな感じなんだろ。いつか俺にも貸してくれよ。読んでみたいな」

 三笠は短歌集の本を手に持ち、ニッと笑う。磯風は三笠の笑顔を見詰めた後、微かに口もとを微笑ませた。

 「…うん」

 さっきまで怒っていた雪風もぽかんと二人を見詰め、遠くから傍観する艦魂たちも呆気に取られていた。いつも本ばかり読んで他人と接しない磯風が初めて本の話を口にして、しかも微かだが笑顔を見せた。こんなことは滅多になかったため、神龍たちも驚くばかりだった。

 「はいはい、みんな盛り上がりましょう」

 パンパン、と伊勢が手を叩き、やがて賑やかさが戻った。

 今まで黙って見ていた大和もフッと口もとを緩ませ、酒を口もとに運んだ。

 「二等兵曹」

 首に巻いた日の丸の赤が強調されたスカーフを揺らし、榛名が三笠に歩み寄る。声をかけられた三笠がビクリと肩を震わせる。

 「な、なんだ?榛名…」

 「………」

 恐い顔で大股で迫り来る榛名に、三笠は後ずさりしたい気分だったが足が動かなかった。なんとも情けない自分だと痛感する。あの騒動以来、そして今でも榛名は神龍と親しくしている自分に対して敵意を向けている。三笠はそんな榛名が苦手だった。

 「貴様に用がある」

 「…なんだ?」

 「今日の夜、宴会が終わった後、『大和』上甲板に来い」

 「…え?」

 榛名はそれだけを言い残し、踵を返した。スカーフの尾を翻し、賑やかな宴会の中へと戻っていった。



 その夜、宴会が終わった後、艦魂たちがそれぞれの自艦に戻る中、三笠は一人で『大和』の上甲板に向かっていた。神龍が心配して付いて来ようとしたが、三笠は神龍に待つように言って、神龍は三笠の帰りを待つことにした。

 『大和』の広大な上甲板、46cm主砲の砲身が艦首に向かって伸びている。日章旗がはためく艦首部分に、月明かりに照らされて首にスカーフを靡かせた人影を見つけた。

 「榛名」

 三笠が駆け寄り、人影がゆっくりと三笠を見た。

 「用って、なんだ?」

 三笠はすこし緊張した声で訊ねた。苦手な榛名と二人だけというこの場面は初めてである。

 榛名は黙ったままで、踵を返して完全に三笠のほうに身体を振り返ると、じっと睨むような鋭い視線で三笠を射抜いた。三笠はその視線が痛く刺さっているように思えた。

 「前も…」

 黙っていた榛名が微かに口を開いた。

 「前もこういう場所で、貴様と二人で、正面に向かい合っていたな」

 「ああ…」

 三笠はあの決闘のことかと思い出した。

 「(まさかあの時のお返しさせられる…?)」

 三笠はそう考えてびくびくしていた。情けないなぁと自分でも自覚する。

 「あの時、私は貴様に負けた」

 「そ、そうだな…」

 三笠の心臓が高鳴る。悪い意味で。額から汗が滲む。

 「どうした、二等兵曹。顔色が悪いぞ?」

 「な、なんでもないぞっ!」

 三笠は必死に顔を横に振るが、榛名は見透かすような瞳で見詰めた後、フッと口もとを緩ませた。

 その榛名の初めて見た表情に、三笠は呆気に取られた。

 「別に貴様に何もしない。そう臆するな」

 「あ、ああ。すまん…」

 あっさりと認めて謝ってしまう。

 榛名は三笠から視線を放して、夜空と水平線が溶け込んだ狭間を遠い目で見詰める。

 「あの時は、私の完敗だった…。私も武人だ。負ければ潔くそれを受け止める。そして武人らしく、貴様にリベンジもしたかったが……やめておこう。神龍を護ると誓った貴様に怪我などさせてはかなわん」

 「榛名…」

 「私は神龍の姉として、実の姉妹でなくても、本当の妹のように私は神龍を愛していた。こんなこと、貴様以外には言っていない」

 榛名が神龍を本当に大切に想っていることは、三笠は知っているし、神龍自身や大和たちも、みんな知っているだろう。それはわかっている。三笠は黙って頷いた。

 「私は神龍を命に代えても護ると誓った。…もう、大切な姉妹を失いたくないからな…」

 榛名の瞳が一瞬揺れたような気がした。

 「だが、私は神龍と共に行けない。傍にいてやれない。だから―――」

 三笠は次に来る言葉を、知った。

 「―――貴様が、神龍を護れ」

 「………」

 「神龍の傍にいて、護ってくれ。私は傍にいてやれない。だから貴様が神龍を護るんだ。貴様しかいない」

 榛名は夜空と水平線が溶け込んで区別が付かない曖昧な狭間を見詰めた後、一度眼を閉じた後、三笠のほうを見据えた。その黒い瞳は三笠に対して強い光の中に映して、三笠はこの榛名の視線と表情を向けられたことを、初めで最後だと感じた。

 「…もしかしたら、あの決闘のとき、私が負けた時点で…神龍を護る役目は貴様に移されたのかもしれんな」

 榛名はすこし寂しそうに、すこしほくそ笑むように、三笠に言った。

 「約束できるか、三笠二等兵曹」

 一度顔を伏せた後に見せた榛名の表情は、決意を託すような強い表情で、微笑んでいた。

 その微笑みが、いつもの凛々しい榛名の様子からは全然違って、女の子のように見えて三笠はドキリとする。

 榛名はずっと三笠の返事を待っている。

 三笠は、ただ一つの、必至の返事を口にした。

 「ああ。約束する」

 「…よし」

 榛名は微笑みながら頷き、三笠もニッと笑った。

 三笠の笑顔を見て、「ふ…ふんっ」と微かに白い頬に朱色を滲ませ、鼻息を鳴らした。

 「貴様の笑顔を見ると、頼りなく思えてくるな…」

 「な、なんだよそれは…」

 「貴様の笑顔は純情なのだ」

 「は?それはどういう…」

 「まぁ、さておき」

 榛名は三笠に手を差し出した。三笠は差し出された手を一目見た後、榛名の微笑む表情を見据えた。

 「神龍を、よろしく頼む」

 「…ああっ」

 榛名の差し出された白い手を、三笠は強く手を握り返した。

 二人はしっかりと手を握り合い、その手が月明かりに青白く照らされ、二人の決意が込められた。


 

 三笠は待っていた神龍のもとに戻った。

 「三笠二曹、榛名姉さんはなんて…?」

 「いや、特になんでもないよ」

 心配そうに上目遣いで見詰めてきた神龍の頭に、ぽんと三笠が優しく手を置いた。

 「心配するな、神龍。俺がいるから」

 三笠の優しさが含んだ言葉に、神龍は察したように一度顔を伏せたが、微笑んだ顔を上げた。

 「…はいっ」

 神龍の微笑みを見て、三笠も頷いた。

 「では…」

 神龍は自分の頭の上に乗った三笠の手をそっと触れた。三笠の手は神龍の手の中に包まれ、握られた。

 「行きましょうか」

 温かくて小さな両手に包み込まれ、真珠のような煌く笑顔に、三笠はドキリとする。

 「そ、そうだな…」

 赤くなった頬を隠すために顔を背ける三笠の手を包む神龍は、二人は光の中に消えていった。

 


 光の中から降り立った神龍と三笠を待っていたのは、大和と矢矧だった。

 「あれ…?大和までなんで『神龍』に…」

 「なんだ少年。何だか私がいてはいけないような物言いだな」

 「お待ちしておりました、参謀長。三笠二曹」

 「さぁ、三笠二曹。行きましょう」

 神龍に腕を抱かれて引かれる三笠は意味がわからなかった。

 「行くって…どこに?」

 「いいから付いてきてください」

 やけに神龍がいつも以上にニコニコしていることに、三笠は疑問に思ったが、大人しく神龍たちに引かれるままに付いていくことにした。

 そしてやって来たのは、神龍の自室だった。

 そして部屋に入ると、そこには第二艦隊の艦魂たちと榛名や伊勢たちが揃っていた。

 「あ、来ましたか」

 「こんばんは〜…と言ってもさっき会ったばかりですねぇ」

 雪風と涼月が迎える。その二人の背後で、大して広くも狭くも無い部屋に艦魂たちがわいわいとやっている。中には榛名や伊勢、利根たちもいた。呉の艦魂たちが宴会から再び集結している。

 「三笠お兄ちゃーんっ!」

 冬月が三笠の胸に飛び込んだ。三笠は冬月を受け止め、冬月は三笠の胸に幸せそうな笑顔で頬ずりしている。そんな光景を、約二名が忌々しげに見詰めていた。

 「三笠二曹……」

 「なんだ神龍、そのゴミ以下を見詰めるような目は…」

 「ふ、冬月…私というお姉ちゃんがいながらお兄ちゃんだなんて……ブツブツ…」

 涼月が冬月の背後で「の」の字を床に書いてへこんでいる。そんな涼月を雪風が慰めていた。

 「あら、三笠様もご一緒ですの?これは楽しい夜になりそうですわ」

 「…何をする気だ。朝霜…」

 「ふわあっ?!」

 朝霜がお嬢様のような口ぶりで笑い、初霜が竹刀を握りながら呟き、霞が何故か顔を赤くしておろおろとしている。

 「神龍、これは一体…?」

 状況が把握できない三笠に、神龍が口を開く。

 「明日呉を出航する第二艦隊の艦魂たちと呉に残る艦魂たち全員で、一緒に最後の夜を過ごすんです。すなわち…お泊まり会ですっ!」

 「お泊まり会…?」

 三笠は呆気に取られていると、大和が「うむ」と応えて三笠の傍に歩み寄った。

 「最後の夜を皆で過ごそうということでな。宴会の後、神龍が提案したものだ。部屋は広くも無いが…まぁこの通りギリギリ全員寝れる。…本当に皆で過ごすには最後の夜になると思うしな」

 最後に大和はふと遠い目をしたが、すぐに活気に満ちた瞳に戻った。その瞳は三笠が恐れる瞳に変わっていた。

 「というわけで今宵はこんなにも可愛い者たちと過ごせるわけだ。はぁはぁ…」

 「久しぶりの『女の子だろうが男の子だろうが愛でるモード』きたぁぁぁっ!?」

 見渡すと、艦魂の少女たちばかりである。神龍や大和、榛名たちなどの戦艦をはじめとして巡洋艦、駆逐艦、潜水艦までもがいた。

 そしてその中である少女たちを見つけ、三笠は驚きに目を見張った。

 「か、葛城ッ?!」

 「…菊也」

 「あ、三笠君だ。久しぶりーっ!」

 「三笠様、こんばんは」

 空母三人組、葛城・天城・龍鳳までがいた。その後ろには湾内にいる別の空母の艦魂もいた。

 戦艦や駆逐艦たちなどがいる中で空母である彼女たちまでいるなんて、驚きだった。特に戦艦と空母は戦闘以外は接しない不仲関係だと聞いていたのに…。

 「何故ここに?」

 「…神龍参謀長に誘われた」

 「神龍が?」

 三笠が神龍に振り返ると、神龍が顔を赤くして顔を背けた。

 「く、空母の艦魂たちだけ仲間はずれというのはさすがに酷いですからね…」

 顔を赤くして目を合わせない神龍に、三笠は神龍の優しさを感じ取って、微笑んだ。

 「…ありがとな、神龍」

 「な、なんで三笠二曹がお礼を言うんですか…っ」

 「…感謝する。ありがとうございます」

 葛城がぺこりと頭を下げ、続いて天城と龍鳳たちが一礼する。神龍はようやくお礼を捧げる空母の艦魂たちを見据えた。

 「どういたしまして…」

 神龍は気恥ずかしさに顔を赤くしながらも、小さく口を開いた。

 最後の夜。今正に呉にいる全艦魂たちがここにいる。これが、全員と過ごせる最後の夜だ。空母の艦魂たちも気ままに他の艦魂たちとも談笑している。大艦巨砲主義と航空主義の対立で不仲という艦魂たちは、今は共に最後の夜を過ごしていた。

 そんな光景を見ていると、突然葛城が三笠に抱きついてきた。

 「っと…?か、葛城…?」

 「………」

 三笠を背後から抱き締める葛城に、神龍はすぐに怒りを露にして飛び込んだ。

 「こらーっ!なにしてるんですかぁぁっ!!」

 葛城は三笠との背の高さに大した差がないため、葛城が三笠に抱きついている光景は三笠自身も抵抗があった。しかも背中に柔らかいものが当たっている気がして、三笠はますます動揺する。

 「わーい!私もーっ!」

 「ふ、冬月?!」

 涼月が止める間もなく、今度は冬月が三笠に飛び込んだ。三笠の腰にしっかりと抱きついてくる。神龍は三笠の腕を抱き締めた。

 「三笠二曹から離れてくださいいぃぃっ!」

 「いてててっ!!し、神龍引っ張るな…ッ!」

 グイ〜ッと腕を引かれる三笠。神龍が三笠の腕を胸の中で抱き締めて必死に引っ張ろうと試みているが、葛城と冬月は中々離れない。しかも神龍に引かれる腕に何かまたもや葛城に劣るが柔らかいものが触れているような…と、思おうとしても痛さで感じる暇もなかった。

 「いい加減に―――」

 タッタッタッ…という走ってくる音が聞こえ、迫り来る事態に気付いた葛城と冬月は三笠から離れた。その直後、助走を付けて飛び込んできた浜風に蹴りを入れられた。

 「しろぉぉぉっっ!!」

 「ぐはっ?!」

 「きゃっ!」

 ツインテールを元気良くはねた浜風に蹴り飛ばされた三笠はそのまま引っ張る神龍と共に倒れこんだ。

 三笠の腕を引っ張っていた神龍が三笠の下に倒れることになり、その上に倒れてきた三笠が神龍の上に覆いかぶさるようになる。

 「…ッ!」

 「あ…」

 寸前のところで三笠まで神龍の上に倒れることはなかったが、仰向けに倒れた神龍に三笠が押し倒したような格好になっている。三笠は吐息が漏れたところを見下げると、そこには頬を紅潮させた神龍の顔があった。神龍の桃色の唇が微かに甘い吐息を漏らした。

 長い黒髪がみだらに広がり、右手が神龍の右胸部分を触っていた。

 二人は紅潮し、硬直した。三笠の右手が触れる神龍の柔らかい右胸から、高鳴る鼓動が感じ取れる。

 「(これが…神龍の、鼓動…)」

 三笠が触れる右手を通じて、神龍の鼓動が直に三笠に伝わり、そして同じく触れられる神龍も三笠の右手から三笠の鼓動を感じていた。

 「(三笠二曹の…鼓動……)」

 ドクンッ―――ドクンッ―――ドクンッ―――

 二人の高鳴る鼓動が同一する寸前―――

 「君はなにをそんなうらやま――ハレンチなところを触っているのかね」

 「皆が見ているというのに、大胆…」

 「そ、そうですね〜。これはすごいです〜…」

 大和、矢矧、雪風の声に我に返り、二人はようやくこの光景が大衆の視線に注がれていることに気付いた。

 そして殺気立っている視線を突き刺す者、約数名。

 「す、すまん…ッ!」

 三笠は倒れた神龍の上に押し倒したような姿勢でいること、自分の手が神龍の胸に触れていることに、慌てて神龍のもとから離れる。

 神龍もゆっくりと起き上がるがまだぽ〜っとしたような瞳で、頬がまだ紅潮していた。

 「どうだ?」

 まだ顔に赤みを残す三笠に大和が肩を抱いて問いかける。

 「な、なにが…」

 「神龍を押し倒したことと、彼女の胸を触った感想だよ」

 「な、なに言ってるんだっ!お、俺は別に…ッ。ていうか俺が押し倒したわけじゃ……ッ?!」

 三笠は殺気立つ視線、特に刺殺できそうなほどの殺意を込めた視線を放出し続けている者にゆっくりと振り返った。

 そこには殺気立ったオーラを漂わせる榛名がいた。

 三笠は滝のような汗を噴きだしたが、榛名の隣にいた伊勢が榛名を宥めようとしていた。そしてその隣で日向が溜息を吐いていた。

 葛城や冬月などの艦魂たちもジトッとしたような視線で見詰めていたが、あれこれと騒いでいるうちに、大和が締めくくった。

 「さて、もう寝るとしよう」

 「えー。枕投げはー?」

 「こら、冬月!修学旅行じゃないのよ…!」

 「すまんな。だが体調は万全にして明日は出航せねばならない。寝不足で体調不良になれば本体の艦に障害が生じるからな…やむをえん。さて、電気を消すぞ。皆、それぞれの布団に寝ろ」

 「はいっ!」という掛け声に、ささっと全員が素早く布団の中に潜り込んでしまった。さすが軍人といった結束力か?

 そして大和が手を一振りすると、電気が消えた。

 三笠も布団の中に潜り込み、眠ろうと努めたが、眠れなかった。

 「(あんなことがあって寝られるかっ!)」

 さっきのことを思い出すと心臓がまた高鳴り始める。三笠は布団に顔を埋めるが、鼓動は収まらなかった。それは神龍も同じだった。

 三笠から離れるように、神龍が自分のいつも使っているベッドに眠っていた。神龍のベッドには、神龍だけでなく榛名と雪風が寄り添うようにしていたが、神龍一人だけが眠れていなかった。

 高鳴る鼓動を必死に抑え、目を懸命に閉じている三笠の耳元に微かな声が囁いた。

 「…眠れないのか?」

 「…え?大和…?」

 「その通りだ」

 暗闇だったのもあるが、気配は全く感じなかった。三笠の背後には既に大和が寄り添うように横になっていた。まるで、姉の皐月のことを思い出していた。

 「(皐月姉ェといい、大和といい、何で俺の周りにはこんな何者なんだこいつ?!みたいな人がいるんだ…)」

 「さっきので眠れないのかな…?少年も純情だなぁ…」

 その言葉を今日は二度も聞いた。

 「や、大和…自分の布団に戻ってくれ…」

 「ん?何故だ?」

 「(なんか当たってるんだよちくしょー!)」

 三笠の背中に、さっきの葛城や神龍とは格段と違う、遥かに凌ぐ巨大な柔らかさが押し付けられていた。

 「(絶対わざとだっ!わざとだよこの女っ!)」

 「あぁ…耳まで赤くなってる少年……可愛いなぁ…」

 「(ただでさえ暗闇なのに何故にそこまでわかるんだぁっ!)」

 三笠は大和の魔の手から離れようと必死に抵抗するが、大和に捕まって離れられない。しかしこんな部屋に大勢の艦魂たちが寄り添うように眠っている中ですこしでも身体をバタつかせてしまえば当然、近くに寝ている誰かを起こしてしまう。そして起きてしまったのが、最悪の火種だった。

 「えー?なにー?もしかして夜這いですかー?夜のお遊びですかー?私もやるーッ!」

 目を覚ました天城がガバッと起きだした。

 「そりゃッ!」

 そして何故かいきなり枕を投げてきた。しかしその枕は三笠がいるところとは全然見当違いな場所に飛び、暗闇の中、枕が命中した音と同時に「きゃッ?!」という声が聞こえた。

 「わーい!私も枕投げするーっ!」

 今度は冬月が元気活発に起き上がり、すかさず枕を投げた。その枕が「なにごとですの〜?」と上半身を起き上がらせた朝霜の顔面にクリーンヒットする。

 あっという間に、闇の中で枕という弾丸が飛び交う戦場に化していた。

 「大人しく寝かせて―――ぶぎゃッ?!」

 「誰かッ!閃光弾を打ち上げてッ!」

 「きゃー?!雪風が泡吹いて昏倒したーっ!衛生兵ー!衛生兵ーッ!!」

 「きゃー?!冬月が止めに入った涼月の顔面に強烈な枕を炸裂させたー!」

 「きゃー?!意外と榛名参謀が本気で枕投げてるーッ!顔恐ッ!暗闇でもわかるよッ!」

 「きゃー?!あ…大和さ……ッ…どさくさに紛れてそこは…らめぇぇ…ッ!」

 叫び声と怒声が入れ混じる中、枕投げの銃撃戦が展開された。暗闇の中で壮絶なる戦闘が続く中、パチンと点いた電気によって、部屋は明るくなり、同時に神龍の怒声が響き渡った。

 「いい加減にしてくださいッ!」

 神龍の怒声によって、艦魂たちの動きがピタリと止まった。

 艦魂たちの視線が一点に集中された神龍の瞳は、真剣に怒っていた。

 「もう…ッ!寝てる人もいるのに何をこんなに騒いでるんですか。明日は出撃ですよ?体調を万全にしないといけないのに…最後の夜だから皆さんで騒ぎたいお気持ちはわかりますが、もうこんな時間です。さすがに、いい加減にしてください!」

 神龍の葛藤に、騒いでいた艦魂たちはシンと静まって、申し訳ない雰囲気で各々の布団へと戻っていった。神龍の姿が、いつもとは違う本当の彼女たちを束ねる一人の参謀長という威厳があった。まぁ、そんな彼女たちを唯一束ねる司令長官である大和が事の発端だが…。

 「私もちと度が過ぎたな。すまなかった。では、大人しく明日に備えて寝るとするか」

 そう言って大和は自分の布団へと潜り込んだ。三笠はほっと安堵した。

 その時、電気を消す直前、三笠は神龍がいないことに気付いた。

 「あれ…?」

 さっきまで彼女たちを静めた神龍はいつの間にかいなくなっていた。三笠は神龍を捜そうと部屋を出る。

 「どこに行くのだ?…厠か?」

 「ちょっとな」

 三笠はそれだけを大和に言い残して、電気を消して再び暗闇になった部屋を出た。そして廊下を駆けた。

 艦内の廊下を駆ける三笠は、こんなところを宿直に見つかったら大変だろうな、と思いながら慎重に神龍のもとへと向かっていった。

 神龍がいるところは、見当が付いていた。

 外に出れば、夜闇が世界を支配している。空は星空。そして海は真っ黒。水平線なんて真っ黒の海と夜空に溶け込んで狭間が全然見えない。神龍はそんな光景を、長い黒髪を涼しい夜風に靡かせながら、主砲の上から見詰めていた。

 「やっぱりここにいたか」

 「…三笠二曹」

 慣れた手つきで主砲をよじ登った三笠が、神龍のもとに駆け寄る。

 「どうしたんだ。眠らないのか?」

 「誰かさんのせいで眠れないんですよ」

 「あ…。その…すまん」

 二人は互いに頬に赤みを染めさせ、視線を合わせなかった。それぞれの夜の光景を見据えていた。

 「本当ですよ。女の子を下敷きにして、おまけに変なところ触って…私、お嫁に行けないです」

 「悪かったって…」

 「ま、もういいですけどね」

 「そうか、良かった…」

 「三笠二曹、星空が綺麗ですね」

 「ああ。そうだな」

 神龍が星空を仰ぎ、三笠も仰いだ。そこにはきらきらと満天に輝く星が点々とあった。その星たちを従うように、青白い月光を放つ月が、偉大に見える。

 「あそこも、昔は星空だったんですけどね…」

 「あそこ?」

 神龍の振り返った視線を追って、三笠も背後に振り返る。その向こうは陸地で、呉の港と町があった。しかし敵の空襲に備えた灯火厳守のせいか、呉に停泊する軍艦同様、町の光も殆ど弱い。昔までは、戦争が始まるまでは、町も人々の日常が照らす光に満ちて、まるで空と同じ星空が広がっていたのに。

 「いつか…あの町に光を取り戻してあげたいです」

 「そうだな」

 「そのために、私は、私たちは往くんですよね」

 「ああ、そうだ」

 神龍はまるで星のように輝くような光に満ちた笑顔になった。三笠はその笑顔を見て、この輝くような希望に満ちた光も、彼女の光も、護ってあげたいと思った。自分の決意と、榛名に言われたことを思い出し、三笠は心の内で力強く誓って頷いていた。

 「…もし、囮として出撃して、途中で本当に敵機動部隊に襲われたら…私は、戦いますよ」

 こんな女の子が、少女が戦うという言葉を使うことに、三笠は重く感じられた。

 その重みをすこしでも、彼女に掛かっているであろう重みを軽くしてあげようと、三笠は口を開いた。

 「俺も戦う。普段は烹炊して飯作ってるだけだが…実戦は補給兵として弾薬を運ぶんだ」

 「いつもご飯を作ってくれる三笠二曹や烹炊班の方たちも、やっぱり実戦になれば戦うんですか…?」

 心配と不安、悲しみに揺らした瞳で神龍が訊ね、三笠は頷いて応える。

 「ああ。主計科兵は一日三度の飯がいつも本来の実戦だが、戦闘の実戦となると、主計科兵も駆り出される。主に補給班と協力して、補給兵となって弾薬を機銃座に運ぶのが仕事だな」

 それは、機銃兵と同じくらいに危ないことだ。弾薬を飛び交う弾丸の中をくぐって運び、それを繰り返す。恐ろしいことだった。

 「だから主計科兵はどの科より大変なのさ。それでも、俺はこれでも帝国海軍軍人だ。戦うのは当然だ」

 「…三笠二曹、もし実戦になっても死なないでください」

 「わかっている。だけど、それを言うのはまだ早い気がする」

 「どうしてですか?」

 「…いや、なんとなくだ。それと…」

 「はい?」

 「俺は、お前に死ぬなとは言わない。俺が、お前を死なせない」

 三笠の強い決意を込めた言葉が紡がれ、神龍はドキリとなった。三笠の微笑む顔が神龍のほうに向いて、神龍は顔を紅潮させた。そしてまた、さっきと同じ心臓の鼓動が、高鳴った。

 「…ありがとうございます、三笠二曹」

 二人が見詰める夜闇の中、神龍は紅潮した頬を隠さず、桃色の唇を微かに動かして、小さい言葉が紡がれたが、その言葉はしっかりと隣に立つ三笠の耳に届いていた。

次回は呉を出航、佐世保基地へと向かいます。

そして遂に沖縄特攻作戦、菊水作戦が間近に迫っていますので、どうぞ宜しくお願いします。

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