<十九> 第二艦隊出撃命令下る
『大和』の長官室で、一人の男がやるせない思いを押し殺していた。
伊藤整一海軍中将。連合艦隊が壊滅した日本海軍に残された最後の艦隊である第二艦隊の司令長官を務める優れた人材だった。連合艦隊が健在だった頃は参謀長として尊敬たる山本五十六連合艦隊司令長官の下で働き、軍令部次長と経て、日本最後の艦隊、『大和』率いる第二艦隊司令長官に至っている。
尚、伊藤の第二艦隊の編成は次のとおりである。
第二艦隊
司令長官:伊藤整一
(戦艦四《護衛戦艦一》、空母四、巡洋艦一、駆逐艦十)
そして第二艦隊以外の編成は――――
第六艦隊・司令長官:美和茂義(潜水艦五十二隻)
第一航空艦隊・司令長官:大西瀧治郎(八十五機)
第三航空艦隊・司令長官:寺岡謹平(五百七十機)
第五航空艦隊・司令長官宇垣纏(五百二十機)
第十航空艦隊・司令長官前田稔(練習機二千機、その他百六十機)―――
伊藤は溜息を吐いた。それは落胆したような溜息。
このとおり、日本海軍にはもうこれくらいの兵力しか残されていない。国内では『本土決戦』『一億玉砕』が叫ばれているが、これではまともに戦い合えるわけがなかった。
本土決戦し、本当に一億人が玉砕することになる…と考えを巡らせたとき、伊藤ははっとなって頭を振った。
「どうした。浮かない顔をして」
聞きなれた稟とした声に、伊藤は視線を上げた。
目の前には、道着を身に締めた長身の長いポニーテールを縛った女性、大和が立っていた。
「司令長官がそんなでは艦隊全体の士気にも影響が出る」
大和はフッと口もとをクールに微笑ませ、長官椅子に座る伊藤のところに歩み寄った。
「…そうだな。すまなかった」
「…いや。私も大勢の部下たちを束ねる司令長官の身だ。気持ちはわかる」
「そういえばそうだったな」
「私は艦魂の司令長官だ。第二艦隊旗艦『大和』の艦魂、大和だぞ。忘れてしまっては困る」
「すまんな」
二人は小さく笑った。はたから見れば仲の良い友人同士に見えるが、大和の姿は一般の普通人には見えない。
何故なら彼女は艦魂であり、そして伊藤は艦魂が見える人間だからだ。
伊藤と大和の関係は、今に始まったことではない。昭和十九年(1944年)十二月に第二艦隊司令長官に着任し、『大和』に訪れたときから大和と出会い、今に至る。
お互いが同じ役職であることや、似た思いがあるところから、意気投合することが多く、それによって仲も深まっている。だが恋に落ちることはない。恋や愛情といったそういう感情ではなく、ただお互いを戦友、又は親友という親近感を持って接しているのだ。
「…伊藤殿」
伊藤は司令長官宛の仕事書類から視線を上げた。
「私は、いつ出撃できるのか」
「………」
三月十九日の空襲の際、『大和』は敵機の空襲から退避するため呉軍港から出航し、敵機と交戦しながらも徳山沖に移動した。残してきた彼女たちを、大和は司令長官として、大和個人として、心配で眠れぬ夜が続くほどだった。しかし最近呉軍港に帰ってきて落ち着いている。だが大和は攻撃を仕掛けてきた敵に自ら戦いに赴きたい気持ちだった。
伊藤は大和の表情を見た。いつものクールな顔立ちが悔しさか悲しみにすこし歪んでいて、下唇を噛んでいる。思いつめたような表情だったが、伊藤は正直に答えた。
「…現段階では難しい。敵は頻繁に日本本土を飛び回っている。途中で空襲に合う可能性も高い」
「…私はあいつらの司令長官だというのに一人だけ逃げたことに情けなくて仕方ない思いなんだ。早くあいつらのために、お詫びとして私一人だけでも往きたい思いなのだ」
「お前の気持ちは十分にわかる。だが、お前は日本に託された最後の希望だ。国の、我々の国宝なのだ。国宝をみすみす危険な目に合わせるわけにはいかない」
大和はギリッと歯軋りを立てた。
「私は超弩級不沈戦艦だぞッ?!戦わねば存在価値もないッ!逃げてばかりいては、先に立派に死んでいった仲間や今生きている仲間に申訳が立たないッ!」
普段はクールで冷静の大和も、ヒートアップする。
「戦況が激しさを増しているというのに日本が作り出した世界一の戦艦であることにも関わらずさっぱり戦闘に出陣しない私が、影で何を言われているかわかるかッ? ―――浮き砲台だッ!私が国宝というなら、宝の持ち腐れとも言うのではないのかッ!?」
「…大和。私はね―――」
伊藤は書類の束を置き、肘を立てて手を口の前で組んだ。
「―――ならば浮き砲台で良いと思っている」
「な――ッ?!」
「出撃しようにも無資源国である日本にはもう燃料は残されていない。燃料がなければ戦艦は動かない。事実上の浮き砲台だ。…だが、浮き砲台でも良いではないか」
「…何を言っている、伊藤殿。…こんなことは言いたくないが、あなたは人間。私は戦うために生まれた戦艦だ。出陣し、敵に向かって己の主砲を解き放つのが戦艦の存在価値なのだ。そんな…浮き砲台など、特に私にとっては屈辱だ…」
「既に浮き砲台になっている戦艦や艦艇も少なくない。何もお前だけではない」
「だから私はほかとは違うのだッ!私は彼女たちの旗艦であり、祖国に託された戦艦だ…。私が行かねば、見せる顔もないではないか…」
大和はぎゅっと拳を握り締め、下唇を噛む。その顔が伏せ、伊藤はただ無力感を覚えるだけだった。
来たる航空機の時代を無視し、大艦巨砲主義を重んじた日本が、造船技術の粋を結集させて生み出した世界一の戦艦『大和』。しかし彼女が生まれた時代はもう彼女が活躍する場など与えられない酷なものとなっている。彼女が今、その巨砲を持って出撃したとしても、彼女に襲い掛かるのは無数の航空機。巨砲の一撃は効かない。世界一の戦艦として生まれた彼女故の苦悩。苦痛。伊藤は目の前の彼女が切なく思えた。
これは、大艦巨砲主義を重んじた日本が与えた彼女の苦しみ…。
「…安心しろ、大和」
伊藤の温かいような優しい言葉に、大和は伏せた顔をゆっくりと伊藤に視線を向けた。
今は『天一号作戦』の発令中だ。『大和』もいつ出撃が下されるかわからないのだ。
「既に私が艦長をはじめとした各長にいつでも出撃できるように整備と準備を命令してある。必ず、出撃する日が来ると思う」
それを聞いて、大和はまた下唇を噛んで、頭を下げた。
『大和』の出撃は、伊藤自身は望まない思いだが、おそらく確実だ。伊藤はそれを考えて既に森下参謀長にいつでも出撃できるように「出航の準備を怠りなく」と伝え、それを受けて、『大和』艦長の有賀幸作大佐をはじめとする、各艦長は機関と兵器の点検整備、食料、燃料の搭載を終えていた。
大和は伊藤の心遣いを察して、頭が上がらなかった。
「…すまない。伊藤殿、私の我侭で…」
「お前はもっと我侭を言ってもいいんだよ」
大和はすこし驚いた風に目を見開いて伊藤を見た。
「今まで彼女たちを束ね、彼女たちに弱味を見せないように日々強く生きてきたのだろう?だからお前は自分の我侭を今まで出せなかった。だから、お前はもっと我侭を言っていいんだよ」
伊藤は優しく微笑んで言った。大和は奮える心を抑え、拳を握ると、踵を揃えて見事な敬礼をした。
「お心遣い感謝致します、伊藤殿。 …しかし私はこれ以上貴公に我侭を言うわけにはいかない。そのお気持ちだけで嬉しいです。―――失礼します」
大和は踵を返し、伊藤から背を向けて遠ざかると、そのまま光に包まれて消えていった。
光と共にいなくなった大和を見届けた伊藤は、背を椅子に預けた。
「(彼女だけでも、生きてほしいものだが…)」
伊藤は目を閉じて、そんなことを思っていた。
三月二十五日、この日から『大和』は四日間にわたる全乗組員の交替上陸を実施し、少年兵には家族を呼んで会うように伝えられた。これも出航準備の一環だ。
その時、伊藤のもとに連合艦隊司令部から電報が届いた。
伊藤は電報を読んで、微かに眉を寄せて、呟いた。
「…馬鹿な。冗談ではないぞ」
「どうしました?」
森下参謀長が伊藤に訊ねた。
「『大和』に囮になれと言うのだ。こんな無策があると思うか」
司令部からの電報の命令内容は、『大和』が囮役になるという作戦だった。
『大和』は佐世保基地に入れ。
豊後水道から太平洋に出て、九州南部を回り、佐世保基地に入る。米機動部隊の囮になり、その間に特攻隊が沖縄に飛ぶ。という内容だった。
伊藤は乗り切らない思いだったが、命令となれば従う以外にはいかない。直ちに伊藤は第二艦隊に命令を発した。
「出撃命令?」
集められた艦魂たちの中、大和の口から聞いた艦魂ナンバー2の神龍がオウム返しに言葉を放つ。その言葉に、周りの艦魂たちは念願の出撃命令に歓喜を沸き立つ者、複雑な表情をする者、ほかにもそれぞれだった。
「そうだ。第二艦隊司令長官伊藤整一中将からの命令だ。これから『大和』率いる第二艦隊及び第二水雷戦隊は『次期作戦』のために呉を出航、佐世保へと向かう」
「『次期作戦』とはなんだ?」
腕に包帯を巻いた榛名(空襲で負傷)が風に首のスカーフを揺らして訊ねた。
「…詳しいことは伊藤殿しか知らん」
「…大和長官も司令長官ではないのか?」
「だが第二艦隊の本当の司令長官は伊藤殿だ。私も知らない情報は全て伊藤殿が知っている」
榛名はまだ不満そうな顔をしていたがそれ以上の追求はしなかった。
「まぁ、今回は第二艦隊と第二水雷戦隊だけらしいから、私たちに出番はないんでしょ?」
ツインテールをはねた日向が両手を腰に当てて訊ね、大和が頷く。
「うむ。今回の作戦は第二艦隊と第二水雷戦隊。戦艦は私と…神龍だな。後は矢矧。それと雪風などの駆逐艦たち」
「…だがそれだけの兵力で大丈夫なのか?」
さすがにこれは訊かざるをえなかった。
「第二艦隊及び第二水雷戦隊のみ。これが連合艦隊司令部、そして伊藤殿の命令の中身だ」
初めて出撃することになった神龍をはじめ、矢矧は普段どおりの眼鏡の奥にも無表情であり、雪風も緊張しながらも顔を引き締めていた。雪風の妹の磯風や浜風、そして最近出渠したばかりの冬月や涼月、朝霜たちの緊張や引き締まった顔ぶれもあった。
「では今作戦の概要を説明する」
大和の口から紡がれる言葉に、全員が、特に出撃する者たちが耳を済ませる。
「我々は呉を出航し、豊後水道を渡って九州南部を回り、佐世保基地へと向かう。その間、敵機動部隊に目を付けられるかもしれないが、それが今作戦の狙いだ」
「移動する私たちに襲い掛かる敵機動部隊をおびき出して殲滅するのですか?」
神龍が訊ね、大和が淡々と答える。
「正確には、囮だ」
「ッ!?」
全員は大和の言葉に理解できず、硬直する。大和は続ける。
「我々が佐世保基地に回航し、米機動部隊の囮になる。その間、特攻隊が沖縄に向かって飛び立つ」
「囮になれ、だとッ?!」
作戦の参加しない、榛名が怒号を上げて大股で大和に迫る。
「日本の残された最後の艦隊である第二艦隊と第二水雷戦隊が、飛行機の特攻の為に囮になれとッ?!ふざけているのかッ!!」
大和が長官であるというのも構わず榛名は大和の鼻先にまで詰め寄る。駆逐艦の艦魂たちが止めに入ろうとするが、あっけなく榛名に突き飛ばされてしまう。
「貴様らは日本の最後の艦隊だぞッ?それをみすみす囮になれなど、言語道断ッ!貴様らの使い道はそんなものではないだろうッ!」
「…これは司令部からの命令だ、榛名」
大和の言葉に榛名はまったく受け入れられない。首に巻いた日の丸が描かれたスカーフが激しく揺れる。
大和は長官ではあるが、生まれてまだ三年ほどだ。対して榛名は長く日本にいた古参の戦艦。生まれたときからある大和の天性といえる威厳さに負けないベテランの威厳と勢いが榛名にあった。
「何が司令部だッ!馬鹿にも程があるぞ!もし、貴様らが、特に大和長官や神龍がそんな囮などという役を任せられて死地に赴いたらどうする気だッ!」
榛名は本気で、今回の作戦の反対意識をここに暴露した。いくら念願の出撃命令が下されたといえ、出撃しない身であっても、本当に戦況と艦隊を思っての言葉だった。そして、榛名という個人としての、神龍に対する想いでもある。
真の戦地に赴くための出撃なら快く見送るが、ただの囮となれば、納得するわけにはいかない。
「…榛名。私だって今回の作戦は無策だと思っている」
「ならば…ッ」
「だが命令なんだから仕方ない。従う以外にない。それに我々が行きたくないと言ってもそんな願いが叶うわけがないだろう」
大和は至って冷静に述べた。榛名は口を紡ぎ、じっと大和を見詰めて黙った。
「それに…自分の命を捧げて国を護る特攻隊の為だ。彼らの為ならば、私は囮になっても良い。 ――――いつまでも浮き砲台になるよりはマシだッ!」
最後の語尾を、強く言い放った大和に、周りの艦魂たちは驚いた様子を見せたが、榛名や神龍たちは黙って大和を見続けていた。
「…私は、喜んで出撃する。それが、与えられた作戦ならな」
大和はそれだけを言い残し、ポニーテールを翻して踵を返した。
そして光と共に消え、榛名と神龍たちはそのまま残された。
「いよいよ出撃かぁ…」
神龍がお気に入りの主砲の上に座って溜息を吐く。烹炊所から戻ってきた三笠は首にタオルを巻いた状態で神龍の傍にいた。
「佐世保か…。確かにそこまで回航するとなると敵には警戒したほうがいいな。正に囮だな」
「三笠二曹はどう思います?」
「何が」
「囮になるということです…。榛名姉さんは不満そうでしたが…」
「出撃するのは第二艦隊と第二水雷戦隊だろ?何であいつが不満なんだ」
「…姉さんは、優しいかたです。姉さんなりに、私たちのことを心配してくれてるんです…」
特に正確には神龍のことを心配している、ということは三笠はすぐに思いついたが言わなかった。
「でもさ…もしかしたら無事に佐世保に着いたとして、また出撃することになるかもな」
「え? どうしてですか…?」
「だってさ、佐世保基地って沖縄への寄港地には絶好じゃないか。今回も特攻隊が沖縄に飛ぶ間の囮として行くわけだし、だから特攻隊の次は俺たちかもしれない。もしかしたらありえるだろ」
「た、確かにそうですね…」
神龍は驚いて納得するようにふんふんと頷いた。
「(あれ…?)」
そして大和が言っていた『次期作戦』という単語を思い出す。
もしかして――――
「あれ、あれは…」
神龍は考えを巡らせた途中、何かを見つけて立ち上がった。そして主砲の上からふわりと舞い降りる。三笠は後を追うように主砲を降りる。
日章旗がはためく『神龍』の艦首、上甲板部分に、十名未満の少女たちが並んでいた。
「矢矧。なにしてるんですか?」
二列横隊で並んだ少女たちの前に立つ矢矧に声をかける神龍。
「我々第二水雷戦隊を召集して、出撃前の予行をしていたところです」
「予行?」
「神龍参謀長に敬礼ッ!」
横隊の一番端にいた雪風が叫び、並んだ少女たちは一斉に踵を揃えて敬礼する。ザッ!という音が聞こえるほどの見事な敬礼に神龍は一瞬威圧されそうになり、返礼する。
「楽にしていいですよ」
突然のことに驚いた神龍は雪風を一瞥する。雪風は神龍に悪戯っぽい微笑みを向けていた。
「あ、冬月。もう身体は大丈夫なんですか?」
下士官軍服を纏った少女たちの中から、一人の小柄の少女を見つける。名指しされた小柄な少女はにっこりと微笑んで「はいっ」と答えた。
「心配無用です。わざわざありがとうございます、参謀長」
彼女は、秋月型駆逐艦八番艦『冬月』艦魂―――冬月。秋月姉妹の中で唯一生き残っている内の一人。同じ水雷戦隊に所属する姉妹は、涼月だけ。生まれてまだ一年も経っていないため、外見も浜風のように幼い。小学生のように小柄で幼く、大きなビー玉のようなもので縛ったツインテールを揺らしている。姉の涼月とは仲が良く、浜風とも親友の仲だった。
姉の涼月と同じ、それぞれ潜水艦の攻撃によって艦首を失い、そのままずっと呉に入渠していた。そしてようやく最近になって出渠できたのだ。
そしてこの出撃の機会を特に喜んでいた一人なのかもしれない。それは姉の涼月も同じことが言えるかもしれない。冬月は姉の涼月と共に敵の攻撃を受けて修理するばかりでレイテ沖海戦などの主要の戦闘に参加できず、果てに作戦や用務さえ与えられなくなった。姉妹たちを失い、彼女たちの第四十一駆逐隊が第二水雷戦隊に編入されても、作戦に参加することはなかったのだ。
「涼月、しっかりと妹を見ているのですよ」
神龍は冬月の隣にいた涼月にも声をかけた。
「はい。姉として妹をしっかりと護ろうと思います」
おとしやかな少女は、冬月の姉。同じ第二水雷戦隊・第四十一駆逐隊に所属する秋月型駆逐艦三番艦『涼月』の艦魂―――涼月である。その名のとおり、爽やかで澄み切ったような秋の月のような少女だった。
この二人の姉妹はとても仲が良かった。いつも朝から夜まで、起きてから寝るまで一緒にいるという。
「寝てから起きるまでもお姉ちゃんと一緒だけどねー」
「あら、まだ姉と寝てらっしゃるの?まだまだお子様ねぇ」
「だってお姉ちゃんと寝たいんだもん」
ぷんぷんと頬を膨らませる冬月に、ふふんっとからかうように鼻息を鳴らす、お嬢様口調の少女は、第二水雷戦隊・第二十一駆逐隊旗艦『朝霜』艦魂―――朝霜だった。
猫のような吊り上げた目に、大きくて長いツインテールの髪型。陽炎型駆逐艦の改良型である夕雲型駆逐艦である。旗艦としてでもあるのか、それ以前でも、すこし偉そうでお嬢様口調なのが特徴だった。だが悪い子ではない。
「ちょっと朝霜。あまり妹をいじめないでくれる?」
「ほほほ」
涼月は頬を膨らませる冬月を抱き、朝霜は手を口の前に当てて笑っている。
「ごめんなさい、ちょっとからかいたくなっちゃって」
「もうっ。朝霜なんて嫌いだーっ」
冬月がぷんぷんと怒るように言って、朝霜がまた「ほほほ」と笑う。
「あら、嫌われちゃった。どうしましょう、初霜さん、霞さん」
同じ第二十一駆逐隊に所属する二人の少女、初霜と霞に訊ねる。
初春型駆逐艦四番艦『初霜』艦魂―――初霜は知るかという風に無視を決め込んでいる。その表情は大和のようにクールだが長髪の頭に大きな白いリボンが可愛らしい。
これはいつものことなので、無視する初霜から、必ずもう一人の少女、朝潮型駆逐艦九番艦『霞』艦魂―――霞が、おろおろとなりながらも答える。
「え…えっと、嫌われることをするのはいけないと思います、朝霜さん」
背が小さく、外見は小学生に見えるが、実は初霜と同じように朝霜よりはずっと年上の艦魂なのだ。しかし特に何も興味を抱かない初霜と、おろおろする霞のおかげで、年下なのに旗艦まで務め上げる朝霜がいつも胸を張っているのだ。彼女曰く「失礼ですけどお二人はすこし個性的ですから、私が旗艦を務めるほうが正解ですわ〜」と高らかに宣言したことがある(朝霜も十分個性的だが)。
「ごもっともなご意見ありがとうですわ。ほほほ」
「そこ、静かに」
矢矧が冬月と朝霜の間を仲裁する。
「あら、そちらのかたは?」
朝霜がいつの間にか神龍の傍に立っていた三笠のことを、矢矧に訊ねた。
「…神龍参謀長の恋人」
ざわっ、と一同がざわめき、矢矧に顔を真っ赤に染めた神龍が詰め寄った。
「ななな、何を言っているんですか矢矧はッ!」
この前にも言ったような言葉に返事をしたら酷い目に合わされた経験がある三笠は今回は何も言わなかった。またなにか口を滑らせて神龍に酷い目に合わされたら敵わない。
「…冗談」
「もうっ」
神龍はチラッと三笠を一瞥したが、三笠は特に反応を示さなかった。
「私のところの主計科烹炊班班長を務める三笠二曹です」
「あ、三笠です。よろしく…」
「宜しくお願いしま〜す」という少女たちの明るい声があがるが、何故か三笠に対してとても輝くようなニコニコとした笑顔を放射していた。三笠は何故彼女たちがこんなにも自分に笑顔ビームを発しているのかわからなかったが、とりあえず笑顔で返してみた(苦笑だったが)。
「あら。中々の殿方じゃありませんの。私、朝霜といいます。以後お見知りおきを」
「え、あ、ああ…」
突然自分の傍まで詰め寄ってきた朝霜に、三笠は後ずさった。なんだかこういう娘は苦手だと感じた。
「良かったらこの後私と紅茶でもいかが?もちろん私が自艦にご案内しますわ」
なんだかいきなりお茶に誘われた。
「ちょ、ちょっと!なに言ってるんですか朝霜!」
即座に神龍が抵抗する。
「あら、神龍様」
「そんなの私が許しませんよっ!」
「どうしてですか?三笠様は神龍様の恋人ではないのでしょう?ならば神龍様が止めることもないのでは?」
「私は参謀長ですよ!参謀長命令ですっ!」
神龍の必死さに、朝霜はくすくすと微笑んだ。
「ならば三笠様の意思を尊重させましょう。三笠様、私とお茶ぐらい、よろしいでしょう?」
「…え?あ、まぁお茶くらい…」
「三笠二曹ッ!」
神龍が凄い形相で三笠を睨みつける。
三笠はそれを見て口が動かなくなった。
そして朝霜がくすくすと笑っている。
「さぁ、お選びください。三笠様。私と…―――きゃっ?!」
バシンッ!!という音が響くと、朝霜がその場で頭を抑えて悶絶した。その朝霜の背後には竹刀を持ったクールな表情をした初霜が立っていた。
「…参謀長殿を苛めるな。調子に乗りすぎだ、朝霜…」
「つい面白くて悪乗りしてしまいましたわ…」
「反省していろ…」
朝霜はじんじんと痛む頭を抑え、まだ悶絶している。その後ろで初霜が踵を返し、竹刀をヒュンと一振りすると、腰に納めた。その傍でやはり霞が二人を交互に見ておろおろしているだけだった。
「…第二水雷戦隊旗艦として謝罪します。申し訳ありません、参謀長…」
矢矧がペコリと神龍に頭を下げ、神龍は慌てて首を横に振って矢矧の頭を上げさせる。だが、その間に今度は冬月が三笠の腕に抱き付いた。
「ふ、冬月ッ?なにしているの?」
驚いて目を見開いた涼月が三笠の腕に抱きついてニコニコと無垢な笑顔を放出する冬月に訊ねる。
「えへへ、なんだかかっこよくて、お兄ちゃんみたい。三笠お兄ちゃんって呼んでいい?」
「―――!! オーケーだ」
三笠、一秒で了承。
「このシスコンがぁぁぁっ!そんな趣味があったとは失望しました三笠二曹ぉぉっ!」
突然、神龍の中でプチンと何かが切れて、爆発した。
「どわっ!?いや、だって俺、妹持ちの兄なのに一度もお兄ちゃんって呼ばれたことなかったから… ていうかなんで泣いてるんだっ?!」
「うるさぁぁいっ!えぇぇぇんっっ!!」
涙目で襲い掛かる神龍の魔の手から必死に逃れる三笠。その三笠の腕には幼い笑顔の冬月が嬉しそうに絡まっていた。そしてそんな三笠の背後から浜風がドロップキックをかます。磯風はただ一人本を開いて読んでいる。
そしてガクリと膝を付いた涼月が「私というお姉ちゃんがいながら……お兄ちゃんなんて…」とブツブツと黒いオーラを出しながら呟き、朝霜がそれらの光景を可笑しそうに笑い、初霜が再び朝霜の頭に竹刀の一撃を喰らわせ、霞がまたまたおろおろとする。
そんな光景を、矢矧と雪風が肩を並べて微笑ましく見詰めていたのだった。
<十九> 第二艦隊出撃命令下る 【登場人物紹介】
伊藤整一
大日本帝国海軍第二艦隊司令長官・海軍中将
年齢 五十五歳
大日本帝国海軍に残された『大和』率いる第二艦隊の司令長官。史実に実在する人物。艦魂が見え、大和とも友人のように仲が良い。福岡県出身。少年時代は海で遊んだり父の畑仕事を手伝ったり、学業はエリートの成績を収めてきた、自分のしたいことをする少年時代を過ごし、海軍兵学校もエリートの成績で卒業している。駐米武官としてアメリカに滞在していた経験があり、当時のアメリカと日本との国力差を理解していた。米内光政、山本五十六、井上成美、下村正助等のいわゆる『海軍左派』とも仲が良く、共に日米開戦に最後まで反対していた。アメリカと日本の国力の差を十分に理解している少ない一人。駐米武官としてアメリカに滞在していた時に出会ったレイモンド・スプルーアンスと深い親交を結んでいる。日米戦を反対してきたが、いざ開戦となってから軍人として国のために戦うことを選ぶ。残された日本海軍の兵力に無力感を感じ、早く戦争が終わってくれればと切に願っている。そして大和たち艦魂に無謀な出撃をさせたくないとも思っている。
涼月
大日本帝国海軍秋月型駆逐艦三番艦『涼月』艦魂
外見年齢 16歳
身長 158cm
体重 43k
秋月型駆逐艦三番艦『涼月』の艦魂。艦名は「爽やかで澄み切ったような秋の月」という意味といわれている。日本海軍が対空戦闘専用に建造した駆逐艦の一隻である。妹の冬月は冬月型と呼ばれて区別されているが、『冬月』は改良型として『涼月』の姉妹艦として誕生。実の姉妹である。完成後物資輸送護衛などの任務に就き、戦艦『武蔵』の護衛を経る。ウェーク島からの輸送任務中に、敵潜水艦の雷撃を受け艦橋より先と艦尾を失い、艦体の半分近くを失ったにも関わらず、沈没は免れ僚艦に曳航されて呉まで辿り着いたり、短時間で修復されたものの、一〇月一六日にはまたしても雷撃を受け再び艦首を失い、レイテ海戦に参加出来なくなった(結果的にこの事が、彼女の命を長くしたものとも言えるが)。このように幾度も艦首や艦尾を吹き飛ばされるほどの大損害を受けてドッグに長期に渡って修理に傷を癒したり、更に連合艦隊最後の決戦にも、妹の『冬月』と共に敵潜水艦に艦首を吹き飛ばされたりと、それでも彼女は姉妹艦と共に強く生き続けた。
妹の冬月を大切にする妹想いの姉。冬月のことが大好きで、冬月が他人のほうに行くと、深い嫉妬を覚える。最近傷を癒して復帰したばかりの冬月を自分の命に賭けても護ろうと誓っている。同じ駆逐隊に所属する冬月とは堅い絆で結ばれている。
冬月
大日本帝国海軍秋月型駆逐艦八番艦『冬月』艦魂
外見年齢 14歳
身長 151cm
体重 38k
秋月型駆逐艦八番艦『冬月』の艦魂。『冬月』以降、冬月型と呼ばれるが、秋月型姉妹の一隻で、実の姉妹。艦名は「冬の月」。竣工後は輸送任務に従事、『大淀』を護衛中に被雷により損傷し、連合艦隊最後の決戦であるレイテ沖海戦には参加できなかった。姉の『涼月』と同じ今まで大損害を受けてきたことがある。
まだ外見相応の幼さを持ち(外見以下?)、姉の涼月が大好き。しかし三笠のことも気に入り、三笠のことを「三笠お兄ちゃん」と呼ぶ(その事に涼月はショックを受ける)。
姉に護られ、そして自分も姉を護ろうと、強い想いを秘めて出撃に勤しもうとする。