<一> 艦魂
遂に本編スタートです。黒鉄大和先生のありがたい応援も受けて、いざ出陣!
これから艦魂というジャンルを読む側だった私が初めて書いていきたいと思いますのでどうか宜しくお願いします!
幸福が次の幸福を約束しないように、
不幸もまた次の不幸を約束するわけではない
全ては、廻り合わせ
確実に来る幸福 その待つ時間の中にこそ幸福を感じるように
人はその何かを、待つ¨という行為の中に意味を見出す
ずっと続いた逢えない日々より明日君に逢うまでのこの瞬間が長く感じる
sovereignty of fear natumegumi.
●
日本は苦境に立たされていた。
中国侵攻と仏印進駐をきっかけに米英各国から経済制裁を受けた日本は生命線を経たれ、この状況を打開すべく昭和16(1941)年12月8日に真珠湾攻撃・12月10日にマレー沖海戦を行い、これらを開戦として、大東亜戦争が勃発した。
開戦から三年。昭和20年に入った頃には、戦局は日本にとって最悪で、次第に追い詰められていった。
戦艦『大和』を始め、世界最大最強の戦艦を保有した大日本帝国海軍であったが、その栄光は尽きかけていった。大艦巨砲主義の時代が終焉を迎え、航空機と航空母艦が主役の時代となっていた。
しかし日本だけは大艦巨砲主義の傾向を変えなかった。数多の戦艦などの艦艇を失おうと、日本は巨砲を諦め切れなかった。
そんな日本において、大艦巨砲主義の復活を期待された新たな戦艦が誕生した。
護衛戦艦『神龍』。建造された横須賀からの回航を終え、日本最大の軍港・呉にその身を置いていた。
―――艦種は、戦艦であってもそれは似て非なるもの。
それが『神龍』。
名前が空母のようだが、それもその筈、計画当初は空母になる予定であった。建造の途中で計画変更となり、急遽戦艦型の艦艇に作り直された。空母が主役の時代だというのにわざわざ前主役だった戦艦に変えるという方針に戸惑いや懸念を抱く者もいたが、大艦巨砲主義復活の新世代戦艦の建造という実態によって決行された。
その巨体を見渡せば、どこからどう見ても立派な戦艦である。大和型には劣るが、長門型には匹敵するかのような圧倒感が感じられた。
基準排水量:55.300t・満載排水量:63.820t。全長は258.3m・全幅:37.85m・喫水:10.58m・速力:27.30ktという長門型を上回る。
主砲の50口径41cm砲三連装4基が、帝国海軍戦艦最大の主砲が、青空から照りつける太陽の光に反射していた。
近くに停泊する『大和』と見比べても、『神龍』は『大和』に負けないような鉄の巨体であった。
そんな『神龍』の艦内、兵員たちの腹を満たす食事が作られる、蒸し暑い烹炊所には、大勢の烹炊員が忙しく動いていた。
その中にいる一人の兵士が、忙しい環境の中でも手際良く作業をこなしていた。両手を器用に動かしながら、料理を作っている彼はまだ少年とも呼べそうな若い男だった。
「二曹、お持ちしました」
「そこに置いといてくれ」
彼より更に若い、年少兵と呼ばれる水兵が、重量感がある大きな薄桃色の肉を持ってきた。目つきを変えた彼は、手早く大柄の肉を手に取り、目の前に置くと、手に持った包丁の刃を肉に切り込んだ。
彼は、三笠菊也二等兵曹。第三分隊主計科烹炊班の一班長を務める下士官だった。
三班の班長を務める彼の役目は、士官との間で主計科の兵を統率し、乗員の食事を賄う事である。
下士官の中でも、彼はかなり若い方だった。
顔は、少年といえるし青年ともいえる――というのは、彼が本来の仕事に従事している時の真剣な顔は、大人びて見える。しかし普段の彼は、少し幼い、あるいは元から女々しい顔立ちをしているので少年にも見える。年齢は19歳だが、実年齢より若く見られる事の方が多かった。
主計科の二等兵曹として帝国海軍の護衛戦艦『神龍』に乗艦し、烹炊班の班長を担っている。
三笠は幼い頃に母親を亡くしている。海軍に入隊する前は、姉と共に家事を分担していた。その頃から、料理を作るのは得意だった。三笠が作る料理は『神龍』に来て早々、兵たちに美味いと評判で、一部からは『大和ホテル』にも負けないと言われている程であった。
『大和ホテル』とは、戦艦『大和』の名物だ。『大和』のコックが腕をふるった料理は絶品の豪華さと美味さで、『大和』を訪れ、ご馳走になった者が口を揃えて『大和ホテル』と揶揄するようになった。
そして三笠の手によって作られた料理の品々は、司令長官たちが食べるような本当に豪華なものではなく、至って普通の料理のはずなのだが、その絶品の美味さや、醸し出す豪華さオーラによって、一部の兵が『神龍ホテル』を呼ぶくらいだった。
三笠はピンク色の大きな肉の塊を包丁の刃を上手に使い、一分の狂いもなく切り刻んでいった。それを傍で見ていた水兵が感嘆の声を漏らす。
「さすが三笠二曹。 こんなに硬そうな肉なのにきれいに切れています」
「よく見ておけ。 まずは無闇にただ切ろうとしても駄目だ。ただ力任せに切ろうとすれば肉は食い込んだままで切り込めない。肉を切り込むには力だけじゃない。角度もそうだが、大事なのは肉の通る線を見極めること」
「肉の通る線を見極めるとは?」
「よく見ておけ」
水兵が注視する中、三笠は一寸の迷いもなく、丁寧に肉を切り刻んでいく。
包丁をまるで身体の一部のように使いながら、三笠は言葉を続けた。
「いいか? 肉と言うものは綺麗な切れ味じゃないと美味しくない。そして肉は人間の最大の栄養源だ。肉を食えば元気になる」
「はい」
「艦は重油で動くが人間は肉や米を食って動く。そして戦う。腹が減っては戦はできぬ、だ」
三笠は最後の分割を終えて、切り刻んだ肉を鍋に入れ始めた。水兵はその場で作業を見続けることしかできなかった。
艦内勤務において辛いのは特に機関科、そして主計科である。涼しい艦橋、露天機銃、高角砲台、ハタ甲板、張りのある号令、華やかな戦闘訓練の光景は、烹炊員は拝みたくとも見られない。舷窓を閉めた熱気と臭気の迫る厨房。重い米袋を、野菜籠を背負い、総員起こしの頃には、下甲板の糧食小出庫から担ぎ上げてくる労苦。彼らには彼らなりの訓練と生活風景があった。
『神龍』でもそれは同様だ。艦が糧食を搭載する。艦の上部の方では重機の音が唸る。
「ゆるめー、引けー、止めー!」
引いたりゆるめたりしている両舷直は生易しかった。ガラガラと滑車が軋みながら、袋が降ろされてくる最下甲板の米麦倉庫作業場は、息もつけない蒸し暑さだった。区切られた倉庫内での積付作業は、身動き一つ自由にならない。
主に主計科は食料関連の仕事が主だが、主計科兵だって戦闘には参加する。例えばもし敵機が襲ってきたら、主計長以下主計科兵たちは弾丸が飛び交い爆弾が落ちてくる甲板に出て、戦闘に参加せねばならない。まったく、本当に大忙しな兵科だった。ちなみに『神龍』の実戦経験は未だ皆無であった。
三笠が『神龍』に乗艦した時、主計科長から聞いた言葉がある。
「主計兵はあらゆる兵科の中で、最も精神的に優れ、意思の強固な者でなければ勤まらない」
まったくその通りだった。三笠は三班の班長に任命されたが、実戦になれば三笠自身も外に出て戦わねばならない。それは他の全員も同じであるが、下働きする兵たちより兵を従わなければいけない身は更に大変だった。
いつも通り、主計科兵たちの一日三食の戦いは終わった。兵達が綺麗に平らげた山のような数の皿を洗っている最中、ふと、水兵の川原がこんなことを言い出した。
「そういえば三笠二曹、知っていますか?」
「何が?」
洗った皿を川原に手渡しながら、三笠は聞き返す。
口が開いても、手の動きは少しも遅くなっていないのがさすがである。
「幽霊の話です」
「幽霊?」
「はい。 夜な夜なこの烹炊所に出るって噂ですよ」
「そりゃおもしろいな。どんな幽霊なんだ?」
三笠は幽霊などといった非科学的なものには興味がない性質だったが、軍に入るとそういう話はよく聞くので、川原がわざわざ振ってきた事もあって少し興味が沸いていた。
「夜な夜な烹炊所に忍び込んで、置いてあった食事や食べ残しをつまみ食いする幽霊ですよ」
「ぶっ!」
三笠は可笑しさの余りに吹いてしまった。やはり可笑しい話だったようで、川原も笑っていた。
「そりゃあ本当におもしろい幽霊さんだな」
「ええ。でも本当にあったみたいですよ? ためしに残った飯を一晩置いていった兵がいたんですが、朝、見てみると、飯が誰かに食べられていたみたいです」
「誰かが夜中に起きて食べたんじゃないのか」
「消灯時間に起きて、ここまで食べに行く馬鹿はいないでしょう」
「確かに」
消灯時間に起きて出歩くなど、規則違反である。軍隊というものは規則にはかなり厳しい。規則を破れば、再びその海軍精神を痛い程に注入されてしまうだろう。
「実際に見たって奴もいるくらいです」
「ほぉ」
「しかも女の霊だったそうですよ?」
「女、か……。 懐かしい単語だな」
軍隊に入ってから、女性と関わる機会はほとんどなかった。家族にも母親はいないし、姉妹はいるが滅多に会っていない。小学校に通っていた頃も、親しい程の女友達はいなかった。今いる軍隊は野郎だけの世界だ。三笠は休暇の際に夜の街へ行って遊ぶような事もしない男だった。
「よし、なら会って見るか」
「は?」
泡に包まれた皿を洗いながら、川原はぽかんとした顔で三笠を見た。三笠は不敵な笑みを浮かべた。
「ふふふ……女とは随分と長い間、縁もゆかりもなかったからな」
「三笠二曹、いくら女に飢えてるからって幽霊に手を出す気ですか?」
川原の言葉に、三笠は笑った。
「冗談だよ。 だけど、もし幽霊じゃなくてどこぞの馬鹿な兵だったら、見つけて取っちめないとな。どちらにせよ、一班長として確かめるしかない」
「まさか本当に……?」
三笠はニヤリと笑った。
「飯を置いて、ここで潜んで幽霊の正体を掴んでやる」
三笠の顔には、不気味な笑みがあった。川原はただ皿を洗いながら苦笑いするしかなかった。
――という事で、三笠は身を潜めていた。
まずキッチンの上に、残飯を置いた。その残飯はただの残飯じゃない。暗闇でもどこか神々しい程に、きらきらと輝いて見えるのは気のせいか。簡単な加工を加えられた残飯は、確かに怪しい輝きを放っていた。それを口にした者がどんな様相を晒すのか、三笠の目には浮かんで見える。
とりあえず年少兵が恐れる鬼の下士官から借りてきた(正確には物色)海軍伝統の木刀を手に、部屋の端からじっと見張っていた。
「……本当に現れるのかねぇ」
この暗闇ならわざわざ隠れなくても、そんなに目立たない所に座っていても、入ってきた者は気付きはしないだろう。
暗闇の中、三笠は大きな欠伸を披露してみせた。
「ふあ……、眠い……」
忙しい毎日。眠くなるのは生理的現象ではあるがその上に250キロ爆弾並みの疲労である。いつ爆発してもおかしくないくらいだ。主計科兵は毎日が実戦である。
やがて、そんな危険な疲労爆弾を抱えた三笠は、遂に睡魔に敵わずに眠ろうとした。こっくりこっくりと舟を漕ぎ、瞼を閉じていく。
意識が一瞬途絶えた三笠は、微かな気配に、鍛えられた敏感な反射神経が反応した。
「――!」
目を開けると、ほとんど見えないような暗闇の中で、確かに動く気配があった。目を細めてみると、輪郭が浮かんだ。もぞもぞと動いている。明らかに人だった。本当に幽霊かと言う疑いはあったが、そんな思考回路は睡魔に支配されていてどうでも良かった。とにかく正体を暴くために捕まえるという発想しかなかった。
暗闇に動く人影は、ゆっくりとした足取りで残飯に向かう。三笠が調理した残飯に気付いたのか、その人影から感嘆の吐息が微かにに漏れた様子を、三笠は見逃さなかった。
三笠は思った。幽霊ではない、と。そして、背後から忍び寄り、人影の肩に手をかけた。
「おい、何者だ」
「!!」
びくっと驚いた気配を見せた人影は次に慌てた様子を見せた。三笠は気付いた。逃げる気だな!
「逃がすか!」
「―――ッ?!」
どたんばたん!と音を立てて、三笠が抵抗する人影を抑え込む。人影を下敷きにして、三笠が馬乗りになった。
「さぁ観念しろ! さて、どこの奴かな? 規則違反で厳罰だぞ」
「すすす、すみませんすみません! どうかお仕置きだけは許してぇぇっ!!」
………………ん?
随分と、女々しい声だな。少なくとも男の声とは思えない。確かにまだ高い声を出す年少兵もいるが、もっと女みたいな声だった。
その時、三笠の目が暗闇に慣れてきた。倒れた人影の周囲には、取り押さえた時に散らばった食器が見えた。そして自分の下敷きになっている方を見下ろすと、異様に長い黒髪が広がっていた。
「な……ッ!?」
三笠は絶句した。
目がほとんど暗闇に慣れると、目の前の光景が明確に見えてきた。
三笠が馬乗りになって下敷きにした人影は、まさしく女だった。
長い黒髪が広がり、吸い込まれるような黒い瞳が三笠の顔を映している。頬を赤くして、ふるふると震えていた。何故か海軍の士官が着るような紺色の軍服を着ているが、身体は異様に細かった。
しばし、呆然とした。どれだけの時間が経ったかはわからないが、短い時間だったかもしれないし長い時間だったのかもしれない。
それ程までに呆然としていた三笠を我に返したのは、下敷きにされた彼女からの声だった。
「あの、そろそろどけてくれますか……?」
「あっ! す、すまんっ!」
とりあえず謝った。というか自分は何故謝っているのだろうか?それより何故こんな女がこんなところにいるのか!?
様々な疑問などがふつふつと三笠の頭の中に沸いてくる。
三笠が慌てて離れると、解放された彼女はふぅと吐息を吐いて、ゆっくりと起き上がった。頬はまだほんのりと赤かった。
三笠はまた呆然と目の前にいる彼女の顔を見詰めていた。やがて彼女は恥ずかしがるような仕草で顔を逸らした。
「あの……そんなに見詰めないでください……」
「あんた、誰だ……?」
「やっぱり、私が見えるんですね……」
彼女が逸らした目を戻した。三笠は頷いた。彼女はそれを見ると胸に手を当てた。
「そうなんだ……、私が見えた人間がいたなんて。 こんなこと初めて……」
「あのさ、誰なんだよ。 あんたが幽霊か?」
「私ですか?」
彼女はうーんと顎下に人差し指をあてて天井の方を見、考える仕草をした。
「幽霊というか、精霊というか……まぁ近いものですけど」
「何なんだよ」
「艦魂ってご存知ですか?」
「艦魂……?」
三笠は海軍に入ってから聞いた話の中から、とある伝説を思い出した。
艦魂。―――それは、艦に宿る魂。
魂が宿るのは、なにも人間をはじめとした生き物だけはない。魂は草木や物にまで宿る。八百万の神が住まう日本において、そのような話は珍しいものではない。
そして艦魂も又同じである。文字通り、艦の魂だ。
艦船に宿る魂は、船魂もしくは艦魂と呼ばれる。見える人間は一握りの人間に限られている。主に霊感が強い人間が見えると言われているが、明白な原因はわからない。艦魂に出会いたいと話す兵達を見た事があるが、三笠自身は単なる伝説や噂話として大した興味を持たなかった。三笠は幽霊や伝説といったそういうものにはあまり興味を示さない性質なのだった。
しかし、そんな伝説を目前にすると示さないわけにもいかない。
――いや、待て。まだそうと決め付けるな。
そんな馬鹿な話があってたまるか。
「艦魂って、あの艦に宿っている魂のことか」
「そうです。 私は、この護衛戦艦『神龍』の艦魂―――艦魂の具現化した姿、それが私。神龍です!」
彼女はにっこりと笑って言った。その笑顔は邪心もない可愛らしい笑顔である事は、三笠もわかっていた。見てる方がどきりとしてしまうほどだ。
神龍と名乗る彼女をよく見てみる。まだ少女と言っても良い姿だった。外見年齢は、およそ15歳くらいだろうか。
「あんたが、この『神龍』の艦魂だって?」
「はい!そうです」
「………………」
三笠の内心を読み取ったのか、神龍と名乗った彼女は少し不安そうな顔になって、おずおずと尋ねてきた。
「あの……、もしかして信じてませんか……?」
そりゃそうだろう。いきなり「私は艦魂です!」なんて言われても簡単には信じられない。艦内に女が居るのは確かにおかしいが、それだけでは彼女が人間ではないという証拠にはならない。
「だったら証明してみせます!」
「は?」
突然、神龍(仮)は、両手を広げると、堂々と宣言して見せた。突然、神龍(仮)の両手から光が生まれた。その眩しさに、三笠は思わず手を上げた。光は徐々に大きくなり、暗闇だった烹炊所全体を照らした。
そして散らばっていた食器が、小刻みに震えだすと、次の瞬間には宙に浮いて元の場所に戻っていった。その光景を、三笠はただ立ち尽くして見ることしかできなかった。
「どうですか!?」
「………………」
「あの、もしもし……?」
三笠ははっと気付いて、神龍(仮)の顔を見た。神龍(仮)は不安そうな顔のまま、上目遣いで三笠を見ていた。
「信じてもらえましたか?」
「確かに、今のは人間の力じゃないな……」
目の前で起こった光景は、正に超常現象の何物でもなかった。
「ですよねっ?やっと信じてもらえたー! 艦魂は、自分の艦内だったら何でもできちゃうんですよ! だって自分の身体ですから」
三笠は信じざるを得なかった。
「そうか。 あんたが、この『神龍』の艦魂か。はぁ……」
「なんで溜息なんですか」
神龍はむっとした表情で三笠の顔を見た。睨んだ、とは言えない。何故なら全然恐くないし、むしろ可愛いくらいだった。三笠はその顔を見た途端に、妹の事を思い出した。
「それじゃあ……」
三笠は、手を差し伸べた。
「俺は三笠菊也二曹。 主計科の第三分隊班長だ」
差し出された三笠の手を見た神龍は、ぱぁっと輝くように笑顔になって、強く手を握ってきた。
「よろしくお願いします! 三笠さん!」
「いや、『さん』はよしてくれ。『二曹』でいい」
「で、では……三笠二曹、よろしくお願いします!」
「ああ、よろしく」
神龍は満面な笑顔で、三笠は微笑な顔で、その下には彼と彼女の手がしっかりと強く握り合っていた。
「ところで、早速だが神龍」
「はい、なんでしょう」
「食器の配置が全然ばらばらだぞ」
「はぅわっ?!」
散らばっていた食器は神龍の力で確かに綺麗に並べられていたが、その配置は全然合っていなかった。指摘された神龍が慌てて食器を再び浮遊させる。その光景をまた見ることになった三笠は感嘆の声を上げた。
涙目になった神龍が、慌てて三笠に訊ねる。
「三笠二曹! これとこれはどこで、あれはどちらになりますか!?」
「仕方のない奴だな……」
三笠は溜息を吐いて、頭を掻いた。それから、三笠は食器を元の場所に戻すように神龍を誘導したのだった。
「はふぅ、終わりましたぁ」
神龍は食器が並ぶ机にだらんと身体を預けた。食器は三笠の誘導のおかげで、綺麗に元の配置へ並べられていた。
「しかし割れなくて本当に良かったよ」
咄嗟の事で失態を犯してしまったが、幸運な事に傷ついた物は一つもなかった。
「三笠二曹が突然飛び掛ってくるからですよ?」
神龍が唇を尖らして言う。それを聞いた三笠はにやりと笑って、置いてあった残飯を一瞥した。
「あれ、食っていいぞ」
「え! 本当ですか?」
「ああ。どうせ余り物だしな」
「それは勿体ないです! では、ありがたくいただきますね!」
疲れもどこへやらという勢いで神龍が残飯の前に滑り込む。あまりの素早さに三笠は苦笑するしかなかった。目をきらきらさせた神龍は、残飯―――違う意味できらきらと異様に赤く輝く握り飯を手に持った。
「いただきまぁす♪」
神龍の開いた口に、握り飯が運ばれる。その瞬間を見逃さないと言わんばかりに、三笠が前のめりになって凝視した。
「ぱくっ」
声に出して言うな、というツッコミも今は遠慮する。何故なら見物最優先だからだ!と、三笠が拳を握り締める。
「………………」
神龍の顔が、サーッと青くなっていくのがわかった。三笠はくくっと笑った。
次の瞬間――
「からぁぁぁあああああぁぁぁっっ!!!!」
神龍は口から火を吐く如き勢いで叫び、そして地に伏せて悶絶していた。そんな神龍のそばに、腹を抱えて笑う三笠が歩み寄った。
「ははは! いやいや、悪い悪い」
「ひゃ、ひゃんでふか、こへぇ!?(な、なんですか、これ!?)」
腫れたような舌を出した神龍が、必死に三笠に問いかける。
「俺特性の激辛握り飯よ。握り飯は兵隊のおなじみの飯だ。兵隊は握り飯を食って戦場に出る。そんな握り飯を辛口にしたことで、さらに兵隊の士気を高めさせる」
「こへへひひがはかまふかぁぁぁ!!(これで士気が高まるかぁぁぁ!!)」
神龍が手を振ると、どこからか置かれていた鍋が三笠の頭を殴りつけた。「ぐはっ!」とその場に倒れた三笠は、頭を抑えて悶絶した。
「な、なにしやがるっ! 鍋が飛んできたぞ!?」
「みははひほうははふひほほ!?(三笠二曹が悪いんですよ!?)」
「もはや何を言っているのかわかんねえよ!」
「ひゃへのへいでふかっ!(誰のせいですかっ!)」
激怒する神龍だが、余りの辛さに最早それ以上怒る余力など残っていなかった。
「ひ、ひふ……(み、水……)」
自分だって頭のコブを冷やす水が欲しいよと思った三笠だったが、予想以上に苦しむ神龍を見て、さすがにやり過ぎたかと思い始める。三笠は立ち上がると、コップに水を注いだ。そして水に満たされたコップを神龍に手渡す。神龍は勢い良く喉を鳴らして水を飲み干した。
「――ぷはぁっ! 死ぬかと思いました!」
「思ったより苦しんでくれたな」
「私、辛いものは大の苦手なんですよ!? 酷いです、三笠二曹……」
「悪かったって。 ……そうだ、お詫びにこれやるよ」
「なんですか?これ」
神龍は警戒するような姿勢で、疑心暗鬼の目を三笠に向けた。しかし三笠が差し出した手に握ってあるのは、コップだった。
「水?」
見た目はただの水だった。しかし三笠はちっちっちっと指を動かした。
「ただの水じゃない。まぁ飲んでみろや」
「………………」
かなり疑うような目だった。前科があるので仕方がないが。
「仕方のないな。じゃあ見てろ」
三笠は持っていたコップを自分の口元に付けた。中の液体が三笠の口の中へ滑り落ちていったが、三笠の顔には何の反応も見られなかった。
「どうだ?」
無害である事を示すと、三笠は再びコップを差し出した。
「毒はないようですね……」
「んなもん入れないって」
差し出されたコップを見て、神龍は更に用心深く中の液体を凝視した。しかしどう見ても水だった。
受け取ろうと手を上げた時、あることに気付き、思わず出かけた手を引っ込める。
「どうした?」
「――――ッ」
神龍の頬は徐々に朱色に変わっていった。柔らかそうな桃色の唇が微かに動く。
「……ッ」
「?」
神龍は三笠の差し出されるコップを、正確には――――三笠の口を付けた部分を、見た。これはもしかして、と神龍は考えた。
神龍はちらりと三笠を見るが、三笠の方は気付いていないようだった。気にしているのが自分だけと言うのが、少し腹が立ったが、こんな風に意識をする自分がおかしいかもしれない。ついさっき出会ったばかりの彼に、こんな意識をする方が変なのではないか。
神龍は首を振った。三笠は首を傾げたが、神龍はやっと手を触れてくれた。
「の、飲んでみましょう」
「そうこなくちゃ」
何故かまだすこし頬が朱色である神龍は、おずおずとコップを受け取った。そのコップをジッと見る。何故かすこしだけ心臓が高鳴っている。三笠は神龍を見詰めていた。
「えいっ!」
神龍は勢い良くコップを口に付け、中の液体を流し込んだ。その時、三笠が拳を握り締めた事を神龍は知らない。神龍は、突然喉に入ってきた熱いものに、驚くしかなかった。
「ッッ?!!」
ぼっと顔を熱くなった。吐き出そうと思ったが全部飲んでしまった。それでも咳き込む。
「げほげほっ! なんですかこれぇ?!」
「日本酒だよ」
三笠が悪気のない表情で、さらりと言った。
「に、ににに日本酒ぅぅぅ?!」
「日本酒は一気に効くっていうけど、どうやら本当らしいな。俺は平気なんだが……」
日本酒を飲まされた神龍が、その身体をぷるぷると震わせいる事に気付いた三笠が慌てて手を上げる。
「待てっ! 早まるな!」
「またしても……またしても、またしてもあなたって人は……」
三笠の本能が警告音を鳴らせる。神龍の長い黒髪が揺れて、まるで蛇のようにも見える。
「酒というのは友好の証だ! 酒を飲み交わすことによって親睦を深めるのであってだな……!」
「お酒は飲めませんっ!」
「マジか! それは悪かっ――」
日本酒のせいか、いや日本酒のせいなのは確かだろう。顔を真っ赤にした神龍が、まるで怒り狂った龍のように咆哮した。
「三笠二曹はどれだけ私をいじめれば気が済むんですかーっ!」
「そんなつもりは……! すまん!本当に悪かった!」
目の前で怒っている神龍は顔が赤い。それがまた怒りでさらに真っ赤になってるものだから、まるでトマトのようだった。
「……ぷっ」
「あっ! 笑った!!」
「あっ。 悪い、つい……」
「誠意がないですっ!」
「ごがっ?!」
またしても、今度は数々の土鍋が頭上から降ってきた。三笠の頭が土鍋に埋もれる。
「いてて……。本当に悪かったよ、神龍……うわっ」
ドサ、と神龍が自分のほうに身体を預けてきた。神龍の身体を支えてやると、神龍の寝息が耳元に聞こえた。
「寝たのか」
ゆっくりと神龍の身体を抱える。すぅすぅと寝息を立てる神龍の寝顔は、頬が朱色にぽっと染まっていて、中々色っぽい……じゃなくて可愛い。長い黒髪はサラサラしていてまるで川のように綺麗だった。
「艦魂も寝るんだな……」
まるで子供のように寝息を立てている神龍に、三笠は笑ってしまった。
神龍の寝息を聞いて、三笠も己の眠気に気付いた。ここで強烈な睡魔が三笠を襲った。
「やばい。俺も、眠……」
よろよろと、神龍を抱えたまま、三笠は壁の方に寄りかかった。そして壁際に神龍を預けさせると、自分もその隣に壁に背中を預けて座り込んだ。
「………なんだか、今日は疲れたな」
視界がぼやけ、意識が遠のいた。遠ざかる意識の中で、出会ったばかりの少女の姿が浮かんだ。
三笠も眠りに落ちた。二人の寝息が静かな烹炊所にあった。神龍の頭が、三笠の肩にこつん、と乗る。
二人は寄り添って、朝まで眠っていた。
これが、艦魂である彼女と、人間である彼の、出会いだった。
<一> 艦魂 【登場人物紹介】
三笠菊也
大日本帝国海軍天龍型護衛戦艦二番艦『神龍』二等兵曹
年齢 19歳
身長 175cm
体重 57k
主計科兵として初めて『神龍』に乗艦した。艦魂である神龍が見えた初めての人間。
第三分隊主計科烹炊班班長。料理の腕は達者で、多くの兵たちに愛されている。神龍曰く、神龍の事をいじめるのが好きらしい。仕事中は大人らしい面を見せるが、普段は少年のような幼い顔つきをしている。
神龍
大日本帝国海軍天龍型護衛戦艦二番艦『神龍』艦魂
外見年齢 15歳
身長 156cm
体重 秘密
大日本帝国海軍が大艦巨砲主義復活を願って新たに生み出した新生代の戦艦――護衛戦艦『神龍』の艦魂。自分自身が見える人間として出会った人間は三笠が初めて。髪型は長い黒髪。服装は士官の軍服。争いごとは好まない性格だが、キレると恐い。優しい性格もしていてすこし天然系。生まれたばかりだからか、すこし幼い仕草も見せる。同港に停泊している戦艦『榛名』の艦魂を本当の姉のように慕っている。
川原至
大日本帝国海軍天龍型護衛戦艦二番艦『神龍』特別年少兵・主計科烹炊班
年齢 16歳
身長 173cm
体重 55k
埼玉県出身の海軍特別年少兵。料理の経験は学校の実習経験のみ。父も海軍軍人だったがレイテ沖で戦死。二人の兄は中国に出征している。実家に残る母と妹に給料を送金している。純粋で心優しい少年。三笠の下でよく働いている。