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<十八> 姉と妹との再会

 三ツ子島で主砲砲撃訓練を終えた『神龍』は日が沈む前に呉軍港へと帰港した。

 葛城と別れる間際、葛城は最期まで三笠の腕の裾を摘んで寂しそうな表情をしていたが、仕方なく、三笠は葛城とまた会いに来ると約束して、葛城は自艦に戻った。

 葛城が自艦に戻り、呉軍港へと取り舵を回したとき、まだ怒っているように頬を膨らませる神龍は三笠と共に上甲板にいた。

 「機嫌直せよ、神龍…」

 「三笠二曹ったら…葛城さんとどういう関係なんですか?」

 神龍がジロリと三笠を睨む。

 「別に…『葛城』にいるときに色々と本当にお世話になっただけだよ」

 「どういうお世話になったんでしょうねぇ」

 「何だよその目は…」

 「ふんっ」

 神龍はそっぽを向き、三笠は溜息を吐いた。

 神龍は一度機嫌を損ねると中々厄介で頑固者だ。機嫌を直すのは苦労する。

 三笠は神龍の機嫌を直そうと頭の中を模索するが浮かばなかった。神龍はツーンとそっぽを向いたままだ。と、三笠は神龍を見たとき、あるものが目に入った。

 スカートである。上に着る軍服と合ったような黒くて赤い曲線が入った短いスカート。短くて太くて白い肌が気恥ずかしいが、正直可愛かった。

 「(まだ着てたんだな…)」

 あんな恥ずかしいことがあったというのに、神龍はまだそのスカートを履いていた。

 頬を膨らませてそっぽを向く神龍のスカート姿は、見ていて可愛いものがある。と、三笠は自分の思考に気付いて顔を赤くした。

 神龍が三笠のほうを横目で一瞥して、三笠の顔が赤くなっていることに気付いた。

 「どうしたんですか?」

 「いや…」

 「?」

 三笠は「なんでもない」という言葉を呑みこんだ。もっと別の言葉があると思ったからだ。これを言うのは自分的にも恥ずかしいが、神龍の為に言うのも悪くない。神龍の機嫌も良くなるか、それとも更に損ねるか…賭けだった。三笠は意を決して口を開いた。

 「…まだ、履いてたんだな。そのスカート…」

 「はい…。悪いですか?」

 最初は恥ずかしそうにしていたが、すぐにジロリと睨んできた。やはり更に機嫌を損ねることになるのか。だが三笠は続けた。

 「いや。全然…。なんというかさ…」

 神龍は三笠が言おうとしている言葉に気付いて、顔を赤くする。三笠も触ると熱いほどに顔を赤くした。

 「似合ってるな―――」

 「………」

 数秒の沈黙の後、神龍の赤い顔がカァァッと熱を帯びたように見えた。

 彼に言われたかったことを、言ってくれたことに神龍は心が嬉しさでいっぱいになった。同時に気恥ずかしさもある。それは目の前に居る三笠も同じだった。

 「…さっきは悪かったな。その…」

 「…本当ですよ。女の子の大切なところを見て…」

 「だから悪かったって」

 「…もういいですよ」

 「え?」

 三笠はきょとんとなった。そんな三笠の表情に神龍は可笑しくて笑みをこぼした。

 「許します」

 「そ、そうか」

 三笠はほっと胸を撫で下ろした。似合ってるなんて言って、神龍が「なに言ってるんですか!」とか言って怒るかな、と心配したが素直に喜んでくれた。機嫌も直ったようだ。三笠の安堵する表情に、神龍は微笑んだ。

 「それに…三笠二曹に似合ってるって言ってもらえて嬉しいです」

 「神龍…」

 「ありがとうございます、三笠二曹」

 頬に朱色を灯しながら神龍はにっこりと微笑んだ。すっかり機嫌を直して、というかそれ以上に上機嫌になっている神龍の笑顔を見て、三笠は安堵と共に神龍の頭を撫でた。

 「ふぁっ?な、なんですか…?」

 「いや、何も」

 「じゃあこの手はなんですか…」

 「ほっとけ」

 神龍は「むぅ…」と唸り、膨らませた頬を朱色に染めていたが、大人しく三笠の撫でられていた。

 


 「三笠二曹」

 三笠の自室に、ドアのノックが鳴った後に川原が入室してきた。

 「なんだ。川原」

 川原は敬礼してから、手に持っていた一枚の封筒を差し出した。

 三笠は封筒を一瞥してから、川原を見る。

 「三笠二曹宛ての手紙です」

 「俺宛…?」

 三笠は手紙が入った封筒を受け取ると、川原は一礼してから部屋を去った。川原が扉を閉じたのを確認すると、封筒から一枚の手紙を抜き出した。

 「手紙なんて久しぶりだな…」

 手紙を広げる。広げられた紙面には、見覚えのある懐かしい字が走っていた。

 「………」

 三笠は一瞬驚いた顔になったが、その表情が微笑みに変わった。

 そして三笠は立ち上がり、手紙を机の上に置いて、部屋を出た。



 「………」

 神龍はお気に入りの主砲の上で、埠頭に向かって鼻歌を鳴らしていた。

 足を投げ出してぷらぷらしている。時折、頭をそっと手で触れる。

 そして下はスカートを履いていた。風に吹かれて裾がぱたぱたと揺れる。

 「えへへ…」

 神龍は朱色に染めた頬に両手をやって、ふるふると首を横に振っていた。

 神龍の心は幸せで満ち溢れ、嬉しさでいっぱいだった。彼に言われたことを何度も思い出し、気恥ずかしくも嬉しさのほうが大きくて、微笑んでしまう。

 「神龍」

 「―――ッ!」

 ドキッ!と心臓が突き破るくらいにビックリした神龍は、あたふたと慌てて背後を振り返った。慌てる神龍に目を丸くする三笠を見て、神龍は立ち上がった。

 「な、なんですか…ッ」

 「いや…どうした?」

 「私はなんでもありませんッ」

 「そう?ならいいが…」

 今度は恥ずかしさで顔を真っ赤にする神龍に、三笠は頬を指で掻いてから、口を開いた。

 「神龍。実はな…」

 「なんですか?」

 「…そのだな。俺、ちょっとここを離れるからさ」

 「――――え?」

 神龍は一瞬頭の思考が停止したように感じた。ゆっくりと目の前にいる三笠の瞳を見詰めた。

 「いや、ちょっとと言っても一泊だけだ。突然上陸することになった。それを伝えにきたんだ」

 「…上陸、ですか?」

 「ああ。用が出来てさ…。だから―――」

 「…嫌です」

 「え?」

 顔を俯いた神龍から、ぽつりと言葉が漏れた。

 「―――嫌ですッ!」

 「え、って、神龍?―――どわッ!?」

 突然、三笠の胸に神龍が飛び込んだ。三笠はあまりの勢いで尻餅をついて、何事かと思ったが、神龍は三笠の胸に顔を埋めていた。

 「―――し、神龍…?」

 「わ、私…また、置いてけぼりですか…また、いなくなるんですか…ッ。もう、寂しい思いは十分です……三笠二曹がまた私のもとからいなくなると……」

 「神龍…」

 顔を自分の胸に埋めて表情が見えない彼女の頭を、ぽん、と優しく手を置く。

 「ごめんな…。でも、また、すぐに戻ってくるからさ。明日になったら早く帰ってくるよ。だからさ…。それに、神龍を置いていくわけじゃないから。神龍は寂しくない。たくさんの仲間がいるだろ…?」

 「寂しいです…ッ。あの時…私は三笠二曹がいないと駄目なんだって気付かされたんです…あの空襲のときだって…最初に…傍に三笠二曹がいなくて…とても不安で恐かったんです…だから…私には…」

 三笠は微笑を含ませた溜息を吐いた。神龍の頭に乗せた手を、わしゃわしゃと撫でてやる。

 「安心しろ、俺は必ず戻ってくるからさ。もう、神龍に寂しい思いはさせないから…」

 「三笠二曹…」

 「一泊だけ、だ。だから俺が帰ってくるまで、待っていてくれ」

 「………」

 三笠の胸に顔を埋めて、三笠に抱きついていた神龍は数秒、沈黙だったが、ゆっくりと顔を離し、三笠の身体から離れた。

 その顔は、すこしふて腐れているような顔だった。

 ぷーっと頬を膨らませて、頬が朱色に染まっている。

 「…我慢します」

 「いい子いい子。なでなでしてやろう」

 「子供扱いしないでくださいッ!」

 また頭を撫でてやると今度は顔を赤くして怒っていたが、撫でられることに抵抗はしなかった。怒っていても撫でられるままになっている目の前の彼女が愛おしく感じた。自然と笑みがこぼれる。

 「三笠二曹が帰ってきたら、いなかった分は取り返してもらいます…」

 「わかったよ。帰ってきたら傍にいられなかった分も返上するために一緒に寝てやってもいい」

 神龍がまた、「なにいってるんですかッ!」と顔を赤くして怒るかと待っていたが、反応は予想外のものだった。

 「そ、そうですね…。それが妥当かと思います…ッ」

 …あれ?

 神龍は目は絶対にこちらを向かないが、頬を桃色に染めて視線を逸らしている。

 おまけに神龍は更に口を開いた。

 「じゃあ三笠二曹が『葛城』に行っていた数日分も返上させてもらいます」

 「…え」

 「だから、帰ってきたら覚悟してくださいね」

 神龍はにっこりと微笑み、ズイッと立てた人差し指を三笠の鼻先に向けた。三笠は押されるように、了承するしかなかった。

 「…わかったよ」

 三笠の言葉を聞いて、神龍は更に輝くような笑顔を振りまいた。

 その笑顔を見て、三笠はほっと胸を撫で下ろすも、これは安心して行ってもいいのかと疑問に思えざるをえなかった。


 

 その後、係留作業を終えた『神龍』から早速三笠がおかに上陸していった。立ち去る三笠の背を、神龍は上甲板から見詰めていたが、光に包まれて艦内のある部屋に瞬間移動した。

 神龍は、三笠の自室に降り立った。

 

 下士官の軍服を身に纏った三笠は、荷物を片手に持って呉市の中を歩いていた。

 先日の空襲の傷跡が見られるところもあったが、日常を過ごす人々の活気は衰えるところを見せずに力強く生きていた。

 通りがかりの中学生くらいの少女たちにぺこりと頭を下げられ、三笠も優しい笑顔で返礼して応えた。女学生たちは三笠の笑顔に頬を赤く染めていたが、女学生たちはさっさとその場を離れた。女学生たちは三笠の背後で何やら話してから、工場へと立ち去っていった。三笠は立ち去る女学生たちの背を一瞥した。

 おそらく軍需工場に働く女学生たちだろう。今は戦争が悪化して日本は輸送船を連合国軍にことごとく沈められ、物資不足に悩まされている。国民から鉄を集め、生活に必要なものを奪い、それを兵器に変えてしまう。しかもその兵器に変える仕事をしているのが、女子供や中学生たちなのだ。

 先日の空襲も軍需工場や工廠施設を攻撃され、犠牲になった人も少なくないだろう。そしてその犠牲になった人々の中には、そこで働いていた女子供や彼女たちのような中学生も含まれているだろう。

 三笠は重くなる心を振り払い、日常を強く生きようとする人々を見て、護ろうと誓った。



 神龍は三笠の自室に降り立つと、部屋を見渡した。

 大して広くない部屋。むしろ狭い。机とベッドだけという殺風景の部屋で、神龍は三笠のベッドに歩み寄り、膝を付いてベッドに顔を埋めた。

 「はぁ…」

 彼の匂いがする。あの姉妹騒動のとき、彼に寝かせつけられたベッド。ここで眠り、目覚め、彼の優しさと温もりに触れた、大切な思い出が詰まっている。

 ふと、神龍は立ち上がり、机の上に置かれた手紙を見つけた。中身を見ようかどうしようかと考えを巡らせて0.1秒、躊躇なく中身を開いた。

 手紙の中身に目を通したとき、神龍はむっとした。字から見て、女性が書いたものだと一目でわかる。書き方も丁寧で、書いた人はよっぽど性格が良い女性だと見て取れる。

 そして下の文に書いてあった差出人の名前を見て、目をぱちくりさせる。

 「…三笠、皐月…?」

 神龍はしばし、その名前をじっと見詰めていた。



 三笠は路面電車とバスを使って、呉市から広島市にやって来た。

 広島市は呉市に比べてもっと都会的で、人も溢れている。しかも日本の主要都市の一つでありながら敵の空襲はないため、都会に溢れる人々の日常は平和だった。久々に見た大勢の人の中を、バスから降りた三笠は一度「ふぅ…」と溜息を吐いて雑踏の中を歩いた。

 青空の下、雑踏の中を歩く三笠は、広島市の象徴といえる、広島県産業奨励館を目指した。

 地上三階、地下一階の煉瓦レンガ造りの構造の中央に、地上五階建て・高さ二十五メートルのドーム部がある建造物が、広島県産業奨励館である。広島市の中で最も大きくて目立つ建物として広島市の象徴ともいえるだろう。しかし今は産業奨励館としての業務を停止し、内務省中国四国土木事務所・広島県地方木材株式会社・日本木材広島支社など、行政機関・統制組合の事務所として使用されている。かつては美術館や全国菓子飴大品評会の会場としても使用されたことで有名だったが、今やその面影はないものの、建造物として観賞するには立派なものには変わりなかった。

 「ここだよな…」

 三笠は眼前に立つ巨大な建物を見て感嘆の声をあげた。三笠はここに来るのは初めてなのだ。

 開いた扉をくぐり、中に入ると目の前には大きな階段がある。

 階段に立つ二人の人物を見て、三笠は温かい感情が奥底から湧き出るのを感じつつ、笑みをこぼした。

 「久しぶり」

 歩み寄る三笠より先に、その人物の一人から声を掛けられた。

 「久しぶり、皐月姉ェ。玖音」

 三笠を待っていたのは、二人の女性と少女。

 一人は、長い黒髪を綺麗に流した知的で優雅な女性、三笠の姉である三笠皐月みかささつき。正に清楚可憐・容姿端麗という言葉に相応しい美人だった。

 そしてもう一人は、彼女の腰に辺りほどの小さいポニーテールを縛った少女、三笠玖音みかさくおん。昔から変わらないであろう我侭で無愛想な妹だ。

 「遅い、馬鹿兄貴」

 ポニーテールを揺らしてキッと睨む妹に、三笠はけっと吐き捨てる。

 「相変わらずチビだな、妹よ」 

 「相変わらず馬鹿面してるな、馬鹿兄貴」

 「いい加減その呼び方やめろ。せめてお兄ちゃんと呼べと何度も…」

 「嫌」

 「それにしても、菊也。大きくなったわね…」

 「皐月姉ェもずっと綺麗になったね」

 「あら」

 皐月は片手を頬に当ててクスクスと微笑んだ。

 「恥ずかしいことを言っていることに気付け、馬鹿兄貴」

 「正直に言ったまでだ。あと、馬鹿だけは取る妥協を試みてくれ」

 「ありがとうね、菊也。菊也も随分と男前になったわね」

 「そんなことないよ」

 二人の姉弟は笑った。

 その後、三人は近くにある喫茶店へと入った。

 昔はボレロも流れていたが、今は日本・ドイツの音楽しか流さなくなっているという喫茶店。イタリアが降伏したためにイタリアの音楽は流されていない。そして今も流れてる音楽はドイツの音楽だった。

 人気は少ない。三人は適当に席に腰を下ろした。

 「なににする?」

 「俺、珈琲コーヒー

 「玖音は?」

 皐月の隣で不機嫌な顔(に見えるがこれがいつものこと)でむすっとなっている玖音は首を横に振った。

 「いらない」

 「せっかく喫茶店に来たんだから…」

 「お子様だからまだ珈琲も飲めないもんなぁ」

 玖音はピクリと眉を吊り上げ、目の前でニヤニヤと笑っている兄を見た。

 「…珈琲」

 「…苦いわよ?まだ玖音には早いわよ」

 「そうだぞ、やめとけ」

 「馬鹿兄貴に馬鹿にされて黙ってられない。珈琲」

 「砂糖水でいいんじゃない?」

 「珈琲!」

 どん、と机を叩き、シンと静まる。皐月は小さく溜息を吐いて、仕方なく三人分の珈琲を頼んだ。

 「でもさ、いきなりここに来てどうしたんだ?数年ぶりだし…」

 「どうしたんだですって?菊也が心配だったからよ…」

 注文した珈琲が届き、三人に配られる。玖音はジッと珈琲を見詰めていたが、その横で皐月が清楚に珈琲を口に運びながら言葉を紡いだ。

 「菊也がいる呉の軍港が、敵の空襲にあったって聞いたから…横浜から飛んできたのよ」

 「そ、そうだったの…」

 皐月は珈琲をゆっくりと丁寧に置いて、「ええ」と頷いた。

 「だから貴方に手紙を出して、こうして会おうとしたのよ。でも無事で良かったわ」

 「…ああ。心配かけてごめん」

 「いいのよ。菊也が無事だったからね」

 「言っておくが、私は全然心配なんかしてない。勘違いするなよ」

 「玖音が広島に疎開してたから会いやすくて良かったわ。まぁ…玖音に会いに行ってから玖音はなんだか落ち着かない様子だったけどね…」

 「な、何を言っているお姉ちゃんッ!わ、私は別に…ッ!」

 兄に対しては馬鹿兄貴と呼び、姉に対してはお姉ちゃんと呼んで、顔を真っ赤にして慌てる我が妹を三笠は微笑ましく見詰めていた。

 「ありがとな、玖音。心配かけてごめん」

 「ふ、ふんっ!馬鹿兄貴の心配などしておらぬわッ!」

 顔を真っ赤に染めてそっぽを向く妹。三笠と皐月は笑い、「何を笑っているッ!」と怒った玖音が勢いで置いてあった自分の珈琲を一気に飲み干し、舌に合わなかった苦さに蒸せて、皐月が慌ててハンカチを手に持ち、三笠はまた笑い、その三人の唯一の肉親たちの席は、とても明るく賑やかだった。

 皐月がハンカチで玖音の口もとを拭い、三笠はそれを見て温かい感情に浸っていた。

 自分を心配してくれた二人の姉と妹。二人の温かい優しさは今も変わらない。姉は母親のようにいつも自分を心配してくれて、妹は素直でないものの本当はとても優しいということが凄く伝わる。二人はあの写真の頃とは随分と外見は変わっていても、中身は昔と全然変わっていなかった。まぁ…あの神龍に見られた二人の写真は海軍兵学校に進む前の、よっぽど古い写真だから、二人が成長して随分と変わっているのは当然だった。だから、三笠はあることを思い出してお願いすることにした。

 「皐月姉ェ。良かったらこの後写真屋に行って、二人の写真撮らせてもらえない?」

 「いいわよ」

 皐月は珈琲を清楚にすすりながら、応えた。

 「俺が今持っている二人の写真、結構古いからさ…。今の二人の写真が欲しいんだ」

 「私たちの写真を使ってどうするつもりだ、変態兄貴」

 「何をワケのわからんことを言っている、妹よ」

 「写真くらい、お安い御用よ」

 「ありがとう、皐月姉ェ」

 「仕方ないから私も許可しよう」

 「ありがとな〜。玖音ちゃんはいい子でちゅね〜。なでなでしてやろう」

 「子供扱いするなッ!」

 思い出した神龍と同じ反応をする妹に、三笠は笑みを零さずにはいられなかった。三笠の零れた笑みに、玖音はますます眉を吊り上げて怒り、机の下から椅子に座る三笠の膝に蹴り上げた。

 

 喫茶店を出た三笠たちは、近くにある写真屋へと入った。そして最初、皐月と玖音が並んだ二人の写真を撮ってから、皐月が口を開いた。

 「菊也も入りなさいな」

 カメラのシャッターを切っていた写真屋のおじさんの隣で見ていた三笠はきょとんとなった。

 「…俺も?」

 「ええ。きょうだい三人の写真はなかったでしょ?いい機会よ」

 三笠が戸惑っていると、皐月の傍にいた玖音が鋭い口調で言った。

 「お姉ちゃんが入れと言っているんだ。早くしろ、馬鹿兄貴」

 「…わーったよ」

 三笠は二人の中に入り、三人の血の分けたきょうだいは並んだ。三笠が椅子に座る皐月の隣に立ち、三笠の腰ほどの高さの玖音が二人の間に立つ(皐月寄りだが)。

 三人がカメラ目線になり、準備を終えると、カメラのフラッシュと共にシャッターが切られた。

 三人のきょうだい写真が、鮮明に現像された。



 三笠は窓越しで虫の音を聞きながら、月明かりに照らされた写真を見詰めていた。

 「玖音は寝た?」

 白い寝巻きに着替えた皐月が、静かに部屋に入ってきた。綺麗な黒髪は濡れてきらきらと輝いていた。一風呂を済ませてきたような姿だった。

 「寝たよ」

 「そう」

 皐月は布団の中で子猫のように円くなって眠っている玖音の傍に腰を下ろして、ずれていた布団をそっと上にかぶせた。玖音の寝顔を見てくすくすと微笑んでいる。

 「疲れたのね…。菊也に会えたから嬉しかったのよ…」

 三笠は玖音の可愛い寝顔を一瞥し、ははっと笑った。

 「前に会ったときよりは随分と成長してるのに、やっぱりまだ子供だな…」

 「それは菊也も同じよ。菊也も随分と大きくなったけど、まだまだ子供に見えるわ」

 「俺はもう19だよ?皐月姉ェ」

 「まだ子供よ、二人とも。私から見ればね」

 皐月は優しく玖音の解いた長い髪を撫でる。

 「どう?元気にやってる?」

 「見ての通りだよ」

 「でしょうね。ふふ」

 数年ぶりに見た姉の姿は、随分と変わっていた。ずっと大人っぽくなっていて、正直綺麗だ。しかし優しくて温和な性格は全然昔のままだ。そして玖音も随分と外見は成長しているが中身と寝顔はちっとも変わっていない。三笠はそう考えて可笑しくなり、くくっと喉を鳴らした。

 「どうしたの?菊也」

 「いや…。皐月姉ェも玖音も、変わってないと思ってさ」

 「それは貴方も同じよ、菊也」

 「そうかな」

 「そうよ」

 皐月はゆっくりと顔を上げて窓越しに座る三笠のほうを見詰めた。

 そしてにっこりと、優しい笑顔が、月明かりに照らされた。

 「こうしてきょうだい三人と過ごす夜は、久しぶりね」

 「…そう、だね。七年ぶりかな」

 「もうそんなになるのねぇ」

 「その間に俺は帝国海軍軍人として恥じないよう心掛けてるんだ。俺も立派な帝国海軍軍人さ」

 「あら、泳げない貴方が?」

 「それは過去のことだ。俺は泳げるようになったよ、皐月姉ェ」

 皐月はそれを聞いて驚くように手を開いた口に当てて、目を見開いた。

 「あら…菊也、泳げるようになったの…?」

 「ああ。ちょっと、友人に教えてもらってさ…」

 三笠は夜空を仰ぎ、星空を見ながら一人の少女のことを思い浮かべていた。

 「そう。良いご友人ね…私も挨拶したいわ」

 「それは無理だよ」

 「くす、そうね。女の私が軍艦なんかに乗れるわけないもの」

 まぁ、それもあるけど別の理由があるんだけどな。と、内心呟いておく。

 「…変わってないと思ったけど、変わってるのね」

 「え?」

 「菊也が乗ってる軍艦で何かあった?」

 ふと神龍のことを思い出し、どきり、と緊張する。

 「別に…」

 皐月は見透かすようにじ〜っと悪戯っぽく見詰めていたが、三笠が緊張する顔を見てくすくすと笑った。

 「そういえば菊也ってどんな軍艦に乗ってるのかしら」

 「…教えられない。軍事機密だよ、皐月姉ェ」

 皐月はまたくすくすと微笑む。 

 「ごめんなさいね…。普通は秘密よねぇ。もしかして戦艦かしら?」

 「………」

 三笠は戸惑いつつも黙り、皐月は三笠の表情を見てくすりと微笑んだだけで深い追求はしなかった。

 「そう…。あの菊也がねぇ…菊也も頑張ってるのね」

 「皐月姉ェこそ、横浜のほうはどうなのさ。看護婦」

 「私も頑張ってるわよ? …それに、海軍病院だからね。時々戦地から立派に戦って大怪我した兵隊さんの看病もすることがあるから…結構辛いものよ」

 「………」

 自分は軍人で、戦艦に乗っているが、出撃が無ければ実戦で戦うことはない。戦うことになれば大勢の仲間が死ぬ姿を見て、苦しいときが訪れるだろう。そして自分も死ぬかもしれない。だが姉は、違うところで自分と同じ、あるいは自分より先に大勢の死を目前にして辛い思いをしている。姉も、死に立会い、頑張っているのだ。

 「大変だね…」

 「でも、みんな頑張ってる。それに戦地で戦ってらっしゃる兵隊さんと比べたら全然よ。それに、菊也も頑張ってるでしょ…。玖音も、不便な疎開生活を耐えて頑張ってる。みんながみんな、頑張ってるんだから…」

 「………」

 三笠は無言で、頷いておく。

 みんなが、みんな頑張っている。

 今日すれ違い様に見た、女学生たちの姿。彼女たちも国のために学業を捨ててまで働いている。先日の空襲で友人を亡くした人もいるかもしれない。街に溢れる人々も、懸命に日常を生きている。姉も、ここから遠いところで人命を助けるために頑張っている。こんな小さい妹まで必至に耐え抜いている。そして、その人たちのために戦っている自分たち軍人。この国と人たちを護るために海で戦う艦魂たち。本当に、全てが、生きるために、そして自分たちもそれらを護りたいために。

 夜空を仰ぐ。この無数に輝く星空は、一体どれだけの頑張りが無数に輝いているのだろう。言ってしまえばこの国だけではない。世界中の人々が、この過酷な時代を必死に生き抜こうとしている。

 いつか、こんな過酷な時代の中を頑張って生きなくても、平和な時代で安心して生きていられる日が、来るのだろうか…。

 「菊也」

 夜空を仰いでいた三笠は皐月の声に視線を戻した。

 見れば既に皐月は布団に身体を埋めていた。

 「そろそろ寝ましょう」

 「…ああ」

 三笠は窓越しから立ち上がり、敷いてある自分の布団に移動した。

 三笠の布団は、玖音が眠る布団の隣だ。そして玖音のもう片方の隣には皐月の布団が敷いてある。玖音が三笠と皐月に挟まれた感じの順だった。

 「おやすみなさい」

 「おやすみ」

 眠る妹越しに聞こえた姉の言葉に返事し、三笠は電気を消して布団に潜った。

 静寂の中、三笠は神龍のことを思い出した。

 「(また神龍を置いてきちゃったな…。あいつ、俺がいないと凄く寂しがるからな…困ったもんだ…)」

 小さく溜息を吐き、でも、と思う。

 「(すこしでも変わったといえば……神龍のおかげだな…)」

 帰ったらこき使われるかもしれない。

 「(置いてけぼりにした罰が待っているらしいからな。先が思い遣られる…)」

 と、突然、後ろからぎゅっと誰かが抱き着いてきた。

 「(…またか)」

 振り返ると予想通りに、隣の布団から寝転がってきた玖音の寝顔があった。すーすーという静かな寝息が聞こえ、ぎゅっと三笠の背から手を回して抱きついている。玖音の隣に寝るといつもこっちに移動してきて抱きついてくるのは、昔から変わってないようだった。三笠は溜息を吐いて正面に顔を戻した。…と、その時。

 むにゅっ。

 今度は顔が柔らかいものに埋まった。甘い匂いが鼻をつく。何事かと思い、暗闇に慣れた目が見ると、眼前には白い寝巻きからすこしはだけて見える柔らかくて大きな白い肌があった。

 「ちょ…皐月姉ェ?!」

 「大声出したら玖音起きるわよ?」

 横になった三笠の背後から抱き締める玖音の反面、三笠の正面にいたのは姉の皐月だった。玖音越しの布団にいたはずなのに何故三笠の隣にいるのか。

 「いつの間に…」

 暗闇とはいえ、全く気配を感じなかった。恐るべし姉である。

 皐月のくすくすという笑いが耳越しに聞こえる。

 「玖音が寝ぼけて菊也に抱きついてるから…私も抱きつきたくなっちゃって」

 「それでわざわざ自分の布団からこっちに来たの?」

 「いいじゃない、きょうだいなんだし。それに…こんなの久しぶりなんだから…」

 「………」

 長年離れ離れになっていたきょうだい。この一夜が過ぎればもう二度とあるかどうかわからない。またしばらく会えないだろうし、二度とないことも有り得る。

 三笠は姉妹に挟まれる形の中で、仕方ないという思いで溜息を吐いた。

 「…わかったよ、皐月姉ェ」

 「ふふ。いい子♪」

 何故か甘い声で囁く姉に、三笠はまた溜息を吐いた。実のきょうだいなんだからそんな甘い声で囁かれても何もない。どういうつもりなのか知らないが、放っておくことにした。

 背後から玖音に抱き締められ、正面から皐月に抱かれるままに、三笠はなんだこの構図…と思いながらも、しばらく会えなかった実の姉と妹の温もりを肌を通して感じていた。

 やがて皐月の静かな寝息も聞こえ始めた。

 「(こんなところ見られたら、神龍にまた怒られるだろうな…)」

 そう考えながら、苦笑した三笠は、温かい温もりに優しく挟まれる中で、意識が遠くのを感じた。

 三人のきょうだいは、仲良く寄り添うように、眠りについた。

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