<十七> 乙女の挑戦と戦い
米軍の大空襲を受けた日本だったが、米軍側は三五〇機の艦載機を駆使して軍港及び飛行場を攻撃したにも関わらず、大した戦果は上げられずに終わった。対して迎え撃った日本側は本土に最も接近した米航空母艦『フランクリン』『ワスプ』を大破させ、久しぶりの大戦果をあげることが出来た。
戦艦『大和』は米軍機の交戦を交えたものの、無事に徳山沖へと回航した。この空襲以後、『大和』を監視していた米軍は、『大和』を見失うことになった。
そして見失った『大和』の反面、米軍は新たに確認された未知なる戦艦に関して奔走した。ソ連を通じて日本国内に潜伏するスパイの情報収集も確たる戦果を上げられなかった。その戦艦は『大和』並の極秘兵器であると推測された。
空襲の傷跡が目立つ呉軍港だったが、日本残存艦艇は健在だった。
あれだけの盲爆を受けても沈んだ艦は一隻も出ず、日本の最後の希望艦隊は最悪の事態を防ぐことが出来た。
しかし日本側の戦死者も航空隊を含めて大きかった。それでも連合国軍の沖縄上陸作戦を阻止することは出来なかった。
三月二十三日、M・A・ミッチャー中将の指揮する高速空母機動部隊は、遂に沖縄・南大東島の二島に来襲した。那覇も空襲を受け、沖縄にある日本軍の全ての飛行場が千機以上の爆撃機によって破壊された。沖縄上陸の前触れであった。翌二十四日には英機動部隊を含めた大艦隊が沖縄を包囲、砲撃部隊が到着して沖縄本島は艦砲射撃を受け、慶艮間列島は米軍の上陸するところとなり、今や米軍の沖縄上陸の企図は動かせないものとなった。
三月二十六日連合艦隊司令長官・豊田副武大将は『天一号作戦発動』を全軍に下命した。
沖縄に米英連合国軍による空襲と艦砲射撃の進攻が始まると、日本本土も「本土決戦」「一億玉砕」が叫ばれるようになった。
呉大空襲から数日後。
『大和』がいない呉軍港で、『大和』の次席戦艦のような威厳を見せる『神龍』は静かに錨を上げて、出航した。
『神龍』は軍港から離れるように三ツ子島近海まで航海を進めると、やがて停まった。と、思ったら、けたましい警報が艦内に鳴り響いた。そして伝声管を伝って声が響いた。
「総員艦内退去! 総員艦内退去!」
兵員たちがドタドタと靴音を鳴らしながら艦内へと駆け込んだ。やがて外の甲板には兵員は誰一人居なく、一瞬の静寂が支配した。
その静寂の中から、ゴゴゴ…という唸りが聞こえ始めた。『神龍』の50口径主砲が仰角を右舷側斜め四十五度に合わせたのである。
艦橋からは草津を始めとした艦長たちが仰角を合わせた主砲の砲身を見詰めた。
総員艦内退去完了が報告され、続いて砲塔班からの砲撃準備完了が伝声管を伝って報告されると、見詰めてきた吉野を見た草津はゆっくりと頷いた。
「主砲…」
緊張が包み込んだ。
「撃ち方始めッ!」
次の瞬間、軍港の静寂を滅茶苦茶にするような海をも揺らす轟音を響かせ、砲口から火の矢が黒煙と共に噴火した。
ズドドドドォォォォォンッッ!!!
目標物だった一隻の無人漁船が粉々になった亡骸も許されないままに光の中に消失し、輪を作るように海面が大きく膨らむと、一瞬で広範囲に破裂した。
長い間の閃光が目を眩ませたが、遅れて内蔵を揺さぶるような轟音が響いてきた。
閃光が消え、遅れて響いてきた轟音も消えると、艦内は歓声で沸き起こり、艦橋も拍手喝采となった。
「おめでとうございます、艦長」
吉野が口もとを微笑ませながら拍手した。
「これの初めてが先日の実戦からだったが、こうして万全な準備の上で訓練をした際、やはり成功を収めて良かったと思っているよ」
草津も嬉しそうな優しい微笑を、沸き起こる拍手喝采に応えていた。
先日の呉大空襲で、実験段階もなかった新型砲弾の力を発揮して以来、今日はこうして訓練として初めて行われた。
新型砲弾は後世に、貧者の核兵器と呼ばれるほどになる新型兵器だった。三式弾をも凌ぐ新型砲弾の正体は気化爆弾。日本海軍の開発研究チームが開発した『神龍』用の新型兵器だった。この敵を一挙に消滅せしめてしまう砲弾を使えば、『神龍』も無敵であると誰もが信じて疑わなかった。この『神龍』の実力を見た者は、大艦巨砲主義復活も夢ではないと思う者も少なくなかった。
訓練が終わった後、兵員たちは朝食を済ませた。三笠は兵員たちの朝食を作り終えると、烹炊所を出て廊下を歩いていた。
「三笠二曹」
背後から声を掛けられ振り返ると、そこには『神龍』艦長の草津重次郎大佐が立っていた。
草津を見て、驚いた顔になって、三笠は直立不動となった。
「はっ。なんでしょうか」
突然この艦のトップである艦長に声を掛けられ、三笠は緊張していた。
「君は、艦魂が見えるみたいだね…」
草津の予想外の言葉に、三笠は目を見開いて驚いた表情になった。
「彼女から聞いているよ」
草津は微笑んで言った。彼女とは、きっと神龍のことだろうと三笠はわかった。
「…はい。自分は、艦魂が見えます」
「やはりな。実を言うと私もかつては艦魂と親しい仲を持っていたこともあり、神龍とも交流を築いている」
「艦長も、艦魂がわかる人間だとは驚きでした…」
「無理もない。艦魂がわかる人間は一握りほどだ。一隻の艦に二人もいる確立は極めて低いらしいからな」
「はぁ…」
自分が『神龍』を離れている間に、神龍と草津は既に互いに接していたことに三笠は多少の驚きを感じた。目の前に立つ艦長は、かつて真珠湾からの歴戦の戦士であり、ミッドウェー海戦で負傷した際に前線から離れ、練習艦の教官を経て再び『神龍』の艦長として戻ってきたことは知っていた。その艦長が、『神龍』の中で自分以外の艦魂がわかる人間だったなんて、三笠は同じ艦魂がわかる人間と出会えたことに嬉しさも感じていた。
「…それで、彼女の容態はどうだ?」
草津はすこし思いつめた表情で三笠を見詰めた。三笠は微笑んで答えた。
「大丈夫です。包帯も取れかかっています。あともうすこしで完治すると思います」
「やはり艦魂の治癒能力は驚異的だな。大怪我をしても早く治る」
「まぁ、人じゃないですからね」
二人は笑う。その光景は階級も見えないただの友人同士のように見えた。
「彼女に伝えておいてくれないか」
三笠は草津の顔を見ると、草津の表情は強く真剣になっていた。
「あの時、敵の攻撃を許してしまい、君を傷つけてしまってすまなかったと、伝えてくれ」
「艦長…」
「私は艦長として、自分の任せられた艦を護ることが出来ず、傷つけてしまった」
「あれは仕方ありません。艦は係留していて回避運動も取れる筈がありませんでしたから…」
「しかし私は自分の艦を傷つけてしまい、結果的に彼女に辛い思いをさせてしまったことに変わりはない。どうか伝えてくれ」
「………」
「三笠二曹」
草津は三笠の肩をぽんと叩く。三笠が見た草津の表情は、優しく微笑んでいた。
「私は、艦長として本体の艦を護る。そして君は、彼女を護ってやりなさい。彼女自身を護ることが出来るのは、君だけだと私は信じている」
「艦長…」
「では、私はまだ忙しい。呼び止めて悪かったな。行って良いぞ」
「…はっ。艦長、失礼致します」
「うむ。彼女に宜しくな」
「はい」
三笠は踵を正してぺこりと頭を下げてから背を向けて立ち去った。草津は立ち去る三笠の背を見詰めてから、振り返って廊下の向こうへと歩いていった。
『神龍』はアンカーブイを下ろし、その巨体を海のど真ん中に浮かばせていた。波がせめぎあい、鉄の巨体はびくとも動かない。まるで一つの島のようだった。
海の真ん中に吹き渡る潮風に長い黒髪を揺らしながら、腹部に包帯を巻いた神龍が主砲の上で体育座りして、蒼い空を見上げていた。
ぼーっと蒼い空を見上げる神龍に、背後から三笠が忍び寄った。
抜き足忍び足で忍び寄る三笠に、神龍は気付いていない。
やがて空を見上げる彼女の長い黒髪の目の前まで近寄った。さらさらとした綺麗に流れる黒髪が潮風に吹かれて揺れる。良い香りが鼻をついた。
三笠がニヤリと笑みを浮かべ、深く息を吸った。
「どっかああぁぁぁぁぁんっ!!」
「きゃあぁぁああぁぁっ?!」
神龍がビクリと身体全体を震わせて一瞬宙を浮いてから、前へと滑り込むように倒れた。
驚愕の表情で目を見開いた神龍がこちらに振り返る。
「み、三笠二曹ッ?!」
「〜〜〜〜〜ッ」
三笠はぷるぷると口を手で抑えて笑いを堪えていた。
神龍は顔を真っ赤にして姿勢を突っ伏したまま叫んだ。
「な、なにをするんですかぁぁっ!」
「ははは。いや、新三式弾は凄いなと思って、再現してみた」
「いきなり大声を出さないでくださいッ!」
「悪い悪い……お前がなんかぼーっとしてるから……ッ!?」
「?」
今度は何故か三笠が顔を赤くして、やがて顔を逸らした。神龍は首を傾げた。
三笠はあるものを見て、やり過ぎたと自覚した。
目の前で倒れた神龍は、上半身を突っ伏すようにして、下半身は突き出すように三笠のほうに向けていた。つまりお尻をこちらに向けているのだが、なんというか…。何故、よりによってそんなものを…!
「お、お前……なんで…スカートなんか履いてるんだよっ…!」
「ふぇ?」
神龍は視線をゆっくりと動かして、三笠の方に突き出すように向けているスカートのお尻を見た。スカートがはだけ、丸くて柔らかそうなお尻が、白いパンティを履いたお尻が丸見えだった。
神龍は一瞬硬直したが、みるみる顔を真っ赤に染めていった。
「――――ッ!」
「し、神龍…?」
「三笠二曹の馬鹿ぁぁぁぁぁッッ!!」
「ちょ、やめッ―――?!」
主砲の上で、まるで砲弾を放ったような凄まじい衝撃と轟音と共に、一人の少年の悲鳴が木霊した。
「…本当に悪かったよ、神龍」
「三笠二曹、最低です。もう許しません」
「勘弁してくれよ…」
真っ赤に腫れ上がった顔を擦りながら三笠は涙声で言った。
神龍はチラリと三笠を一瞥してからまたぷいっと顔を逸らした。その頬は朱色に染まっていた。
「私、もうお嫁にいけません…」
「俺もこの顔じゃお婿にいけねぇ…」
「私のほうが重傷ですッ!精神的にッ!」
「だから悪かったって…。だってさ、ぼーっとしてたからつい…」
「三笠二曹は他人がぼーっとしてたら悪戯するんですか。やっぱりサディストですね」
「そんな言葉を使うな」
「誰が使わせてるんですか」
神龍は「ふんっ」とそっぽを向いた。三笠は溜息を吐いた。
それより三笠はさっきから気になっている部分を訊いてみることにした。
「あのさ…。何でお前、スカートなんか履いてるんだ…?しかも下着…まで西洋風だし…」
「ばっちり観察してるんですね…」
神龍がジトッとした瞳で三笠を見詰めていた。その頬はぽっと朱色に灯っていて可愛らしくもあったが、三笠は苦笑するしかなかった。
「いいじゃないですか別に。可愛くオシャレしてみたくなっただけです」
「いや、だけどさ…」
「私は軍人である前に一人の女の子ですよ?」
それはそうだ。戦う運命にある兵器の戦艦の艦魂である彼女は、見た目も中身も少女である。
「女の子は……オシャレしてみたくなる時もあるんですよ」
「そ、そうか…」
三笠には姉と妹もいるが、それ以外に女性と接したことなどないのでそういうのはよくわからなかった。だからとりあえず納得することにした。
いや…。やっぱり何で神龍は突然そんなことをし出したのか、やっぱり気になっていた。
三笠はそっぽを向いて朱色に染めた頬を膨らませる神龍を見詰めた。
「…そうだ。神龍」
「何ですか?」
「さっき艦長に声を掛けられたんだけど、艦長も艦魂がわかる人らしいな」
「!」
神龍は三笠の方を驚いた表情で見詰めたが、すぐに普通の表情に戻った。
「知ってたんですね」
「ああ。艦長から聞いたしな」
「そうですか…」
「それでな。艦長から伝えておいてくれって頼まれた。『君を傷つけてしまってすまなかった』ってさ」
「…!」
神龍はふと、自分の腹部に巻かれている包帯を見詰め、撫でた。既に傷は完治になりつつあり、あとすこしで包帯も外せるようになっていた。
先日の空襲で、敵機の雷撃を受けた傷。しかし本体の損傷も修理し、艦魂である自分の身体も治りつつあった。初めての実戦に、初めての負傷。神龍はあの時、様々な初の経験を実感したのだ。それは恐怖も含まれている。
「艦長が謝ることは何もないのに…」
「…艦長は艦長で責任を感じているみたいだった。お前は艦長である私が護るって言ってたぞ」
「そ、そうですか。そう言っていただくと嬉しくもありますね…」
「………」
その時、神龍が頬に朱色を灯しながら嬉しそうに微笑んだのを、三笠は見逃さなかった。
三笠は言い表せない変な感情を持って、振り払うように頭を横に振った。
「ど、どうしました…?三笠二曹…」
「神龍」
三笠がぐっと神龍の両肩を掴んで、神龍の心臓がドキリと高鳴った。目の前にいる彼の顔を見上げ、互いの視線を絡めて見詰め合った。
三笠は神龍の両肩から手を離し、目を閉じてから、また目を開いて言い始めた。
「本体の『神龍』は、艦長が護ってくれる。そして…」
三笠は草津の言葉を思い出した。それは草津に言われなくてもとっくの昔から抱き続けていた三笠の思いだった。
「神龍は、俺が護るからな」
「!」
神龍は驚いたように目を見開いた。その頬が赤くなった。
神龍は顔を俯けさせる。三笠はずっと俯いた神龍を見詰めていたが、やがて神龍はゆっくりと顔を上げて、優しく微笑んだ。
「ありがとうございます、三笠二曹。私も、護衛戦艦として必死に皆を護り抜くために頑張ります。もちろん、三笠二曹も私がお護りします」
神龍の言葉に、三笠は溜息混じりで微笑んだ。
「だからお前は俺が護るって言ってるのに、何でお前まで俺を護るんだよ…」
「護りたいから、ですよ」
神龍は垂れた前髪を手で流し、優しい微笑を輝かせた。
「護衛戦艦として、私は護る使命を持っていて、そして私自身の願いは、皆を護りたいんです。三笠二曹も、大和さんや姉さんたちも、日本も、日本にいる大勢の人々も護りたいですから」
神龍の優しい太陽のように輝く笑顔に、三笠は驚いた顔になったが、微笑を含めて溜息を吐いた。そして神龍の頭に手を回して撫でると、ぐいっと自分の胸に引き寄せた。
驚いた顔の神龍が三笠の胸の中に埋まり、三笠は神龍の頭をぽんぽんと優しく叩いた。
「俺が、神龍を護る…。約束する」
「…はい。三笠二曹」
神龍は三笠の背に手を回して抱きしめはしない。三笠も神龍を抱きしめない。ただ、神龍が三笠の胸に頭をこつんと乗せている。だが、それだけで、お互いの温もりが、優しさが、想いが伝わってくる。二人はいつまでもそうしていたのだった。
その後、三笠は腕を組んで考えるように歩いていた。
「………」
その表情は、不安や戸惑い、様々な感情が垣間見えるような複雑なものだった。
三笠はずっと引っかかり続けている部分について悩んでいた。
先ほどの、神龍の格好である。
体育座りしていて、上はいつもどおりの軍服で気付かなかったが、下半身は短いスカートで、しかも上に着る軍服と合ったようなデザインを施していた。そしてスカートの中に隠されていた下着は、西洋や欧米風の白いパンティーだった。今思い出しただけでも恥ずかしさに顔を赤くしてしまう。時代的に、この昭和の時代に生きる三笠にとっては刺激が強すぎるものだった。まだ二十歳にも満たない未成年の少年だ。そういうのは純粋であるが故に苦手なのだ。
「全く…何を考えているんだか…」
ブツブツと呟き、そしてピタリと停まる。
何故か脳内には艦長の言葉を聞いて嬉しそうに頬を朱色に染める神龍の笑顔が映った。そして神龍の今日の変(?)な格好を交互に思い出す。
三笠はハッとなり、振り払うようにぶんぶんと頭を振り回した。
「(何を考えているんだ、俺は…。ていうか何故俺がこうして悶々しなくちゃいけないんだ…)」
三笠は唸り、頭を抱える。自分でも何故ここまで悩んでいるかわからない。だが悩んでしまうッ!そして物凄く気になるッ!
自分が『神龍』を離れている間に、神龍と艦長は出会い、そして二人の間に何か…?それが今日の神龍の変(?)な格好に関係しているのだろうか。
「………」
三笠は声を噛み殺しながら、帽子を取って頭を掻き毟った。
神龍は体育座りの姿勢で手を膝の下に組んで、スカートの中のさっき見られたところを隠すようにして、頬を朱色に染めた顔を膝に埋めていた。
「三笠二曹ったら…」
神龍はさっきの醜態を思い出して、また頬を赤く染めた。
初めてスカートというものを履いて、しかもよりによって我慢して履いたすこし大人っぽい下着を見られてしまった…。思い出すととても恥ずかしさがこみ上げてきた。
「何も知らないで…」
神龍は、三笠がいなかった間のある日を、思い出した。
三笠が『葛城』に一時配属になって、数日間の間。ある日、神龍は三笠がいないあまりの寂しさの為に『矢矧』に訪れていた。
「うううぅぅ〜〜〜っ」
神龍は涙を浮かばせながらぐったりと力が抜けたように突っ伏していた。そんな神龍を、困った雰囲気で見詰める矢矧と雪風がいた。
「矢矧…」
「はい」
「酒、酒ない?」
「兵員たちの酒がありますが…」
「持ってきて。飲ませて」
「いえ…失敬するのは……」
「なによぉ…私の命令が聞けないっていうの?」
「参謀長、落ち着いてください…」
矢矧は神龍を宥めようとするが、神龍は溜息を吐いて再びうな垂れた。矢矧と雪風は困ったように顔を見合わせる。
お酒はなくとも、既に数本の飲み干されたラムネのビンが周りに散らばっていて、神龍は「ちぇっ」と舌打ちしながら艦魂の能力を使って新たなラムネを発現させて、それをまたぐいっと豪快に飲み下した。
「ぷはぁっ…。 何よ何よ…三笠二曹……何で別の艦になんか行っちゃったのよぉ〜っ」
神龍がラムネを飲み下すと、何故か酔っ払っているように顔が赤い。しかも「ヒック」とヒャックリまでしてくれている。
「…で、参謀長。何か御用でしょうか…」
矢矧が気になっていたことを訊ねると、神龍はラムネを手に持ちながらキッと睨んだ。
「酷い矢矧〜。三笠二曹がいなくて暇だから来てるのよぉ〜。大和さんや姉さんのところに行くのは何だかあれだし…特に姉さんのところなんかに行ったらまた…。それであんたのところに来たのぉ〜…。ちなみに暇だからで、寂しいというわけではないですよ〜」
明らかに寂しいからわざわざやって来てヤケ飲みしてるんだろうなぁと矢矧と雪風は思う。
「もぉ〜っ!三笠二曹の馬鹿馬鹿馬鹿〜」
雪風は苦笑しながら、口を開いた。
「参謀長、二曹さんをあまり悪く言うのは…」
「何よ雪風〜。なに?三笠二曹が好きだから肩持つわけ…?」
「えっ…!」
雪風の童顔がぼん、と顔を真っ赤に染めて、大きな瞳が泳いでいた。
その雪風の表情を見たとき、神龍はピクリと眉を吊り上げた。
「そ、そんな…ッ。そんなことありませんよ、参謀長…」
「………」
神龍はジトッとした瞳で雪風を見詰めていたが、「ふんっ」と鼻を鳴らしてまたラムネを飲み下した。
「あれかなー…。私に魅力がないから三笠二曹は……」
「そんなことありませんよ参謀長ッ!参謀長は素敵なかたです…!」
「でも三笠二曹は私から離れて別に艦に……。それは私が…うううぅ」
三笠はただ命令で行っただけなのに、神龍は寂しさのあまり色々とごちゃ混ぜて何やら勘違いしているようだ。うん、混乱してますね。
「参謀長ぉ〜…だから落ち着いてくださいって〜」
「…今の参謀長に何を言っても無駄」
無表情を貫く矢矧がボソリと呟く。
「じゃあどうしろって言うんですか?」
「…参謀長の混乱した状態では正しいことを言っても無駄。よって、参謀長に合った会話をしなければいけない」
「えぇ〜?」
「参謀長、どうぞ」
「どうぞって…」
「むにゃ〜?」
お酒を飲んでいるわけではないのに、完全にデキ上がっているように顔を真っ赤に染めておまけにヒャックリまでしている。
「だから私に魅力がないから三笠二曹は私を置いて行っちゃったのかなぁ〜みたいな…どうしたらいいと思います?矢矧…」
「ふむ」
矢矧は斜め上に視線を向けてちょっと考えてから、口を小さく開いた。
「…では、女の子らしくしてみたらいかがでしょう」
「…女の子らしく?」
神龍はピクリと反応して顔を上げた。矢矧は頷く。
「榛名姉さんならともかく、私は全然女の子らしいですよ」
榛名が訊いたらどうなるのだろう、と矢矧の隣で雪風が想像して震え上がっていたが、矢矧は淡々と言い述べる。
「いえ。参謀長、自分の姿をよくご確認ください」
「………」
神龍はじっと自分の身体を見下ろす。
「おわかりですか?」
「む、胸ですかッ? この部分が女の子らしくないと?!こう見えても私の胸は脱げばあるほうというタイプで…ッ!」
「違います。あとついでに何言っちゃってるんですか…」
矢矧はこれでも冷静に応え、雪風は頬を赤く染めて苦笑していた。
「服装です。参謀長は何を着ていらっしゃいますか?」
「えっ?もちろん軍服ですけど…」
「それです。そこが普通の女子と違うところです」
確かに普通の女の子が軍服を着ているわけがない。言われてみればその姿は女の子らしいとはいえない。
「矢矧だってそうじゃないですか」
「そうです。我々艦魂は通常は軍服です。まぁ、例外を除けば…」
矢矧と神龍は巫女服の雪風を見詰め、雪風は頬を朱色に染めてあははと笑う。
「しかしまだ雪風のほうが女の子らしい可愛い服装です。まずは見た目から正すという言葉もあります。いかがでしょうか」
「な、なるほど…」
神龍は納得するように、うんうんと頷く。
「では早速着てみましょう」
「そうですね」
神龍は両手を広げ、目を閉じる。女の子らしい服装を想像する。そして神龍の身体が眩い光に包まれた。
光に包まれた神龍は、やがて光が治まって神龍の姿が露になると、その服装は着ていた軍服とは全く違っていた。
神龍は、雪風と同じ紅白の巫女服を着ていた。
「どうですか?」
神龍は長い袖を摘んで広げ、両手を広げてくるくると舞う。長い黒髪がさらさらと流れ、輝いていた。
「可愛いです!とても似合ってますよ、参謀長」
雪風が満面な笑顔で言うと、神龍はテレたように微笑む。
「えへへ…」
「しかしそれでは雪風とキャラが被ります」
「ガーンッ!」
神龍はがっくりとうな垂れた。雪風は慌てて矢矧に積める。
「矢矧さん…ッ!」
「参謀長の為なら正直に申したほうがいい。参謀長、次です」
なんだか神龍本人より熱心になっているのは気のせいだろうか、と雪風は矢矧の無表情から察する。
「わ、わかりました…」
神龍はまだ少々落ち込んだような表情で立ち上がり、ぐっと両方の拳を握り締めた。
そしてまた神龍が光に包まれ、姿を変えた。
「どうですか!」
神龍は清楚なメイド服姿をしていた。
「可愛いですが、家政婦さんはちょっと…」
「では…」
また神龍が眩い光を放ち、包まれた。
そして次に見せた神龍の姿は、太股の艶やかな白い肌を見せ付けるチャイナドレス姿だった。
「うーん…とても似合ってますが…」
今度は雪風が唸りだした。
「ちょっと二曹さんには刺激が強すぎるのでは…」
見える太股の白い肌を一瞥しながら雪風が言う。もはや単なるコスプレショーになっているのは気のせいだろうかと雪風は疑問に思う。神龍はまた、光に包まれながら姿を変えた。
「だったらこれです!」
「水兵の格好ですか?――――って、ぶほぁッ!!」
「や、矢矧さんッ?!」
神龍の格好は、上にセーラー服(矢矧は水兵服だと思った)、下はブルマ、おまけにニーソックスを履いた姿だった。これはなんというか危ない気がする。
「さ、参謀長ッ?!それはあまりにも……ていうかさっきより刺激が強すぎですッ!しかも時代錯誤的な姿ですよッ!?」
「あらゆる可愛い服を模索して融合させたらこんなことになっちゃいました…」
神龍も自分の姿を見下ろして、顔を真っ赤に染めた。さすがにヤバイと自覚したのだろう。
矢矧は鼻血をどくどくと噴出させながら悶えていた。
「矢矧さん、しっかりしてくださいッ!」
矢矧の意外な姿に二人は驚く。雪風が必死に倒れて鼻血を出す矢矧の両肩を掴んで揺さぶった。矢矧は我に返り、よろよろと立ち上がった。
「し、失礼しました…。無様なところをお見せして…」
「いえ。大丈夫ですか…?」
「………」
矢矧が鼻血を噴いた格好をした神龍が矢矧の目の前に心配そうに詰め寄った。それを見て矢矧がまた、鼻血を大量出血させながら昏倒した。
「きゃあああ?!矢矧さん?矢矧さ―――んッ!」
出血性ショック死でもしそうなほど、矢矧は普段のクールな姿を完璧に崩して鼻血を噴出してぴくぴくと悶えていた。矢矧のキャラが正に今崩壊していた。
「す、すみません…」
神龍が元の軍服姿に戻ってようやく矢矧も復活していた。頬を朱色に染めて、ずれた眼鏡をくいっと直していた。
「矢矧さんって、もしかして可愛いものに目がないとか?」
雪風の言葉に、矢矧は雪風のほうに目を大きく見開いた。
「そ、それは…ッ」
矢矧が顔を真っ赤に染めて、顔を逸らす。雪風はそんな矢矧を見てクスリと微笑んだ。
「とにかく今までのは女の子らしくとはちょっと違うような気がします」
雪風が神龍にそう言うと、神龍は困ったように頭を悩ませた。
「じゃあどうすればいいんでしょうか…」
「難しく考えることではありませんよ、参謀長。そうだ、スカートを履いてみたらいかがですか?」
「スカートですか?」
神龍が顔を上げると、そこにはにっこりと優しい笑顔を振りまく雪風が頷いていた。
「はいっ。あまり姿を変えなくても私はよろしいかと思います。だってそれが参謀長のいつもの格好ですし…。ですから、その軍服に合ったようなデザインを考えて発現すればいいんですよ」
「なるほど…。やってみます」
神龍はムムムと考えて、眉間に皺が寄せるほどに目を瞑り、必死に脳内で設計図を立てた。そしてイメージを掴み取り、同時に身体が光に包まれた。
そして光が収束した後、姿を見せた神龍に、二人は感嘆の声をあげた。
神龍の姿は、上はいつもの黒い軍服だが、下はその軍服にうまく合わせたような黒くて短いスカートだった。ヒラヒラな部分に赤い曲線が描かれ、それがふわりと揺れた。
「おおっ…」
「とっても可愛いです、参謀長!」
「そ、そうですか?ありがとうございます…」
「これなら二曹さんも可愛いって言ってくれますよッ!」
「え…?三笠二曹が…?」
「はいっ!」
雪風が満面な笑顔でニコニコと笑って頷いた。矢矧も頬に朱色を染めながら感嘆の声をあげていた。
「…そっか。えへへ…」
神龍は照れるように頭を掻き、笑った。頬に朱色を染めながら。
彼はこの姿を見て可愛いと言ってくれるのだろうか。それを想像すると自然と笑みがこぼれた。神龍は早く、この姿を彼に見せたいと思った。
「それで今日は、この姿を着てみたのに…」
神龍はスカートの裾を掴み上げ、離した。はぁ…という溜息がつく。
「そういえば三笠二曹、可愛いって言ってくれなかったな…」
あんなことがあって言う暇がなかったのかもしれないが、神龍は落ち込んだ思いでまた、深く溜息を吐いた。そしてトボトボと廊下を歩いていた。
腰下まで伸びる長い黒髪が、悲しそうに揺れていた。
三笠は風を浴びるために上甲板にいた。
柵に手を乗せて、海の方に身体を寄せて、波がせめぎ合う蒼い海を見詰める。
三笠はぼーっとして、先ほどの神龍の姿を思っていた。
「………」
一言で言うと、可愛かったな、と思う。
しかし神龍には言えなかった。自分のせいで怒ってしまったから、言うに言えなかったのだ。実際に言うとなると自分まで恥ずかしいが…。
スカートを履いた姿の神龍は、どこか、いつもより可愛かった。とても似合っていたと思う。と、考えていた三笠はハッと我に返り、頭を横に振った。
その背後を、近づく影があった。
「………」
「はぁ…」
「どーん」
「どわぁっ?!」
軽く背を押されて、三笠はひどく驚いた様子で前に詰め寄りそうになった。危うく海に落ちるところだった。
三笠は背後を振り返り、また驚いた顔になった。
「か、葛城…?」
そこには、甲板に付きそうなほどの長い黒髪を流した背が高い少女、葛城が立っていた。
「…どうしたの、菊也。ぼーっとして…」
「い、いや…なんでもない…」
三笠はすこし頬を朱色に染めながら顔を逸らした。葛城がジッと三笠を見詰めていたが、三笠は慌てて口を開いた。
「そ、そういえば葛城。無事だったんだな。良かった…」
葛城は無言でコクリと頷いた。
葛城は腕から背にかけて包帯を巻いているが、軍服を着ているので見えない。
「傷は大丈夫か?」
葛城はまたコクリと頷いた。
「良かった」
「………」
三笠は優しく微笑んだ。それを見た葛城はぽっと頬に朱色を灯した。
「どうした?」
「…なんでもない」
頬を朱色に染めた葛城は顔を逸らし、三笠はまた微笑んだ。
『神龍』が砲撃訓練の為に三ツ子島近海まで来ている。そして三ツ子島沖に停泊する『葛城』から葛城が『神龍』にやって来れたのだ。
「天城たちは?」
「姉者は……私と同じ、損傷を受けたが相変わらず馬鹿元気。心配ない」
「そ、そうか…」
三笠は苦笑し、葛城は無言でコクリと頷く。
そんな二人の場に、一人の少女が乱入した。
「三笠二曹ッ!」
その大声に、三笠は驚いた顔で目を見開き、葛城が無表情に背後を振り向く。
向こうから軍服にスカートを履いた少女、神龍が大股で歩み寄ってきた。そして三笠のところまで行くと、ズイッと三笠に押しかけた。
「三笠二曹!なにをしているんですかッ!」
「え?いや、俺は何も…ただ葛城と話してるだけで…」
「このかたが葛城さん?」
神龍はじーっと見詰めてきていた少女に視線を変えた。
戦艦と空母の関係は戦闘以外では接しない不仲であるため、生まれて一年しか経っていない神龍にとって、空母の艦魂と出会うのは初めてだった。
葛城は同じ初対面の神龍を見詰め、ぺこりと頭を下げた。
「初めまして。雲龍型航空母艦三番艦『葛城』艦魂の葛城です」
神龍はムッとした。何故なら、可愛いと思ったからだ。彼女は背がすこしだけ高いが、その顔は美人といえるほどの可愛らしい顔立ちをしていて、長い黒髪がとてもさらさらしていて綺麗だった。自分と同じ軍服を着ているが、雰囲気が違う。外見の雰囲気から、自分より一つ年下くらいに見えるが、その微かに見える幼い雰囲気が可愛らしさを引き出していた。
神龍はジトッとした瞳で三笠に振り返った。
「な、何だよ…」
三笠を無視して、葛城に振り向いた。そして神龍もにっこりと微笑んで(作り笑顔だが)挨拶した。
「初めまして。この護衛戦艦『神龍』艦魂、神龍です。宜しくお願いしますね」
「…こちらこそ、宜しく」
二人の瞳に紅蓮の炎が燃え上がり、二人の視線が火花を散らすようにぶつかっていた。その光景を見る三笠は一筋の汗を流した。
「さ、行きましょう三笠二曹」
神龍はぐいっと三笠の腕を掴み、連行しようとするが、カクンッと停まった。
三笠は腕に、触れられるようなふんわりとした小さな力を感じた。
見ると、三笠の腕を、指で裾を摘む葛城の姿があった。行ってほしくないのか、葛城の表情はどこか悲しげで、裾を摘む指は、今にも消えそうなほど弱い力だった。だが、それでも三笠を止めるには十分だった。
「何ですか、葛城さん。まだ何かご用ですか」
葛城はコクリと頷いた。
「三笠二曹に何の用ですか」
「神龍、何でそんな冷たく言うんだよ…」
「三笠二曹は黙っててください」
神龍がキッと睨むと、三笠は溜息を吐いて黙ることにした。
「…いてほしいから」
葛城の呟くような言葉に、神龍はピクリと眉を動かした。
「私が、菊也といたいから…」
葛城の言葉を訊いて、神龍からピシリというヒビが入ったような音が聞こえるみたいだった。三笠はしまったとばかりにサーッと顔を青くする。
「キク、ヤ…? 三笠二曹の名前……」
神龍はジッと三笠を睨んだが、三笠は視線を空に泳がせていた。
神龍は再び葛城に向き直り、意を込めて叫ぶように言った。
「わ、私だって三笠二曹といたいんですッ!離しなさいッ!」
「…嫌」
三笠を挟んで、神龍と葛城の、二人の少女のお互いに譲れない戦いが始まった。三笠は仲裁しようと割り込もうとしても、二人に侵入を阻まれ、どうすることも出来なかった。
ただ三笠は、二人の少女の戦いが終わるまで、どうしようと情けなく悩んでいたのだった。
今回は空襲が終わってからの訪れたつかの間の平和です。ていうか変態ショーが展開されましたが、お気になさらずに。
そういえば今日は、7月29日は戦艦『長門』の命日です。『長門』は太平洋戦争を生き抜き、ビキニ環礁の核実験で標的艦とされて四日後に沈んだ日本の戦艦です。私の作品では『長門』は出てきませんが…。
次回は新キャラが登場する予定です。沖縄特攻まであと一週間ほど。そろそろ本番に近くなっていますが、その間に神龍たちにつかの間の最後の平和を。