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<十二> 初めての空母、葛城との出会い

 軍事的に重要な地位を占める軍港としての機能を持つ呉は、数々の艦がその静寂なる港湾内の海面に静かに錨を下ろしていた。

 波打つ音と潮の香りを運ぶ心地よい潮風が吹き渡る。兵舎の庭に生える桜の木が潮風に揺られ丸い蕾がその慎ましさ故の可憐さをかもし出していた。

 揺らす潮風もどこか暖かくなり、三月ということもあって春の移り変わりを感じさせた。

 「もうすっかり春ですね…」

 神龍が丸い窓から穏やかな風景の外を見詰めて微笑ませて言った。春の到来を喜んでいるかのような表情だった。

 三笠の自室。今日は艦の兵員たちが上陸できる日だったので、艦のほとんどの兵員たちは今は艦にはいない。三笠はこうして艦に留まっているが「三笠二曹は上陸なさらないんですか?」と神龍が訊くと「ああ、上がるよ」と三笠が答えると神龍は心底残念そうに顔を俯かせてシュンとなって慌てた三笠が「風呂に入りに行くだけだからっ!」と付け足して神龍はほっとしたように胸を撫で下ろし、三笠は一週間も入ってなかった身体の垢を落とすために銭湯へ行き、半日で艦に戻ってきたのだ。実は羽を伸ばそうとどこかで一泊したり山城とでも映画を観にいこうかと思っていたが、寂しがる神龍のためを思い、風呂だけにした。神龍自身は知らないが、三笠のお人良しの結果である。神龍は残念そうになっても三笠の上陸を止めようとはしなくて三笠自身が決めたことなのだから。

 そして昼に上陸して銭湯で垢を落とし、ほこほこと湯気を頭から立ち上らせながら艦内へと戻って自室に行ってみれば、たった半日でも寂しさに耐えられなくて三笠の自室でずっと待っていた神龍を見つけたというわけだった。

 窓の外を見詰める腰下まで伸びた長い黒髪の背に、三笠は頷いた。

 「そうだな。 最近暖かくなってきた」

 「おかでは桜は咲いているのでしょうか?」

 「いや、さっき桜の木を見たけどまだ蕾だった。 満開になるのはもうちょっと経ってからか四月に入る頃だろう」

 「いいですね…桜見てみたいです…」

 神龍は再び窓の外を遠い目で見詰める。三笠は神龍の言葉に気づいて訊ねる。

 「神龍は桜を見たことがないのか?」

 「あまりないですね…。 港の側にある桜の木は見たことあるんですけど、内地の咲き誇る桜というのは見たことがありません」

 神龍はどこか寂しげに言った。確かに戦艦などといった軍艦はふねであるのだから海以外の世界は存在しない。内陸で咲き誇る桜を見たことがないのは当然のことだった。

 桜の木の枝でも折って持ってきてくれば良かったかな…とちょっと後悔して今度は持ってきてやろう…と内心決意をこめて頷いていると神龍が窓から三笠の机の前に移動していた。

 「三笠二曹、この写真の二人は誰ですか?」

 三笠が濡れた頭を拭いていたタオルを持ち、机の前に立つ神龍が手に持つ写真立てに納まる写真を見つけてああ、と頷く。

 写真には二人の少女と女性が写っていた。おかっぱの林檎のように丸いほっぺの満面な笑顔を振りまく小さい少女と、三つ網の清楚可憐で美少女といえる女性。

 答えようと口を開きかけた三笠だったが神龍の突きつけるようなジトッとした視線に硬直した。なんだか先日の孤立空間内の惨劇を思い出す…。

 「こんな小さな女の子と……――――っ」

 この小さな少女はまだいい。これは論外である。(何が?とは問わない)それより気になるのは、少女と一緒に写る、このどこか伊勢に似たような清楚な容姿に可愛い顔つきであって絶景の美少女といえるほどの女性である。どういう関係なのか物凄く気になっていた。

 「このかたは一体……どちらさまですか…?」

 いつの間にか写真に写る二人に対してでなく、美少女といえる女性に限定しての問いかけになっていた。神龍がズイッと三笠の眼前まで攻め入り、写真を見せ付ける。その冷めたような表情は孤立空間内の惨劇を思い出させ身体が勝手に震え上がる。しかし三笠はその女性とは神龍が思い込んでいるようなものでは決してないという絶対的自信を持って口を開いた。

 「…その人は」

 「………」

 神龍がじっと答えを待ち続ける。ジトッとした冷たい視線が痛い。

 三笠は神龍が手に持って見せ付ける写真の二人を見て、懐かしい感情を思い出して口元を和らげた。

 「………俺の、…姉貴だ」

 「………」

 三笠の切れ切れに紡がれた言葉に、神龍は数秒ジトッとした視線を保っていたがやがて冷めた表情も温度を取り戻していって、ぽかんと目を見開いた。

 「…三笠二曹の、お姉さん…?」

 元に戻った神龍を確認してほっと安堵する三笠は頷いた。

 「ああ。 そしてその小さい女の子は俺の妹だ。玖音くおんっていうんだ。で、姉貴のほうは皐月さつき姉さん…」

 「………」

 神龍はまだ口を紡ぐんでジトッとした目をしていたが、やがて写真に視線を移した。

 「…そうですか。 三笠二曹のお姉さんと妹さんですか」

 三笠はほっと安堵して胸を撫で下ろした。とりあえず誤解は解けたようなので緊張も解けて三笠はさらに言い続ける。

 「ああ。母親はいなかったから、皐月姉ェ……じゃなくて姉貴は家の母親役みたいなものだったな。飯は俺が作ってたけどな…。でも今は家族ばらばらだ。親父もいないし、玖音は広島に疎開してるし…姉貴は看護婦の見習いとして横浜に住んでるし…」

 「へぇ、三笠二曹のお姉さんは看護婦のかたですか」

 「まだ見習いみたいだけどな。 横浜の海軍病院に勤めてる」

 「お姉さんもお国にご奉公してらっしゃるのですね! さすが三笠二曹のお姉さんです」

 「…でも、ずっと会ってないな。手紙は出してるんだがな…二人には」

 「そうですか…。 すみません、三笠二曹…。変に質問を攻めて…」

 「いや、気にするな。別に構わないよ」

 「…はい」

 すこし落ち込んだようにシュンとなる神龍の肩を優しく叩いて微笑む。三笠の微笑んだ笑顔を見た神龍も柔らかく微笑んだ。そんな神龍を見て三笠もまた胸を撫で下ろすように安堵した。



 翌日、烹炊所でいつものように汗水を浮かばせて大きな肉を切り刻んでいる三笠のもとに、主計科長、野々原璽介ののはらじかい主計少将がやって来た。

 「三笠二曹。ちょっといいか?」

 三笠は作業の手を止めて、直立不動となった。

 「はっ」

 「ちょっと話があるんだが」

 「はい。なんでしょうか」

 「うむ。 実は貴様に『葛城かつらぎ』の所に行ってきてほしいのだ」

 「『葛城』とは…空母『葛城』ですか」

 「そうだ。実はあそこの烹炊所は人手が足りないらしくてな。その上に班長が病気で寝込んでしまって…。それで短期間だが『神龍』烹炊所から『葛城』烹炊所にその任を移してほしい。頼めないかな」

 「はぁ…。まぁ…別に構いませんけど」

 「よし。では早速今から『葛城』のほうに行ってほしい。既に艇は用意してある」

 「はっ?!今からですか?しかし…」

 三笠は切りかけの肉を一瞥すると、野々原主計科長は心配するなと言わんばかりに笑った。

 「ここは他の奴がやる。なに、『神龍』の烹炊班は余りあるほどいるんだ。一人抜けたからって支障はない。ただ貴様の美味い飯が当分食えなくなるのは残念だがな」

 「いえ…そんなこと…。では三笠二曹、行って参ります」

 三笠は敬礼し、烹炊所を出た。しかし行き先は彼女のもとだった。


 

 三笠から事情を聞いた神龍は、呆然と立ち尽くしていた。

 「…ごめん、神龍」

 「………」

 「だから短期間だけど、しばらくはここにはいられない」

 「………」

 「神龍…?」

 神龍は呆然と三笠を直視し続ける。突き刺さる視線に耐える三笠はその視線を受け止め続ける。

 「…そうですか」

 俯く神龍に、三笠はもう一度「ごめん」と謝る。神龍は顔を上げて無理したような笑顔で首を振った。

 「いえ、命令なんだから仕方ありませんよ。 三笠二曹、頑張ってきてください」

 「…神龍。本当に、ごめんな…」

 「三笠二曹が謝ることなんてありませんよ。さ、行ってください」

 神龍は笑顔で振舞ってくれているが、その笑顔は無理しているように見えているのはすぐにわかった。神龍の心情を察して、三笠は心が痛むのを感じながらも頷いた。

 「…ああ、行ってくる」

 三笠が神龍の自室を出る。遠ざかっていく彼の背中が扉が閉められることによって見えなくなり、笑顔で手を振っていた神龍はその瞬間、がっくりと肩を落とした。

 「はぁ…」

 溜めていた溜息を吐いて、懸命に振りまいていた笑顔もどこへやらすっかり落ち込んだ表情になっていた。とぼとぼと歩いてベッドに倒れてうな垂れる。埋まった顔からはまた何度も溜息が零れる。

 「三笠二曹…」

 いつしか溜息は、彼への呟きに変わっていた。


 

 「お待ちしておりました、三笠二曹」

 吊るされた内火艇には既に若い水兵が待っていた。水兵はやって来た三笠に敬礼し、三笠を迎える。

 「よろしく頼むよ」

 「お任せください」

 三笠を乗せた内火艇はゆっくりと降ろされ、海面に着水した。そしてエンジン音を轟かせ、やがて『神龍』の艦尾から出航した。穏やかな水面に白い波を引きながら巨大な艦体から離れていく。いつしか振り返ればあんな巨大だった『神龍』の艦体が全て見渡せるほどに遠ざかっていた。

 残していた彼女を思い、心の中でもう一度謝って、三笠は前へと向き直った。

 三笠を載せた内火艇は港湾内に錨を下ろしている艦艇を横目に通り過ぎて灯台を抜けて呉港から瀬戸内海へと出る。港湾を出れば海という世界は大きく違う。港湾内と本当の海とでは差がある。港湾内は天候が荒いときを除けば至って穏やかであるが、外に出れば波が高くなる。港湾を出た内火艇は早速瀬戸内海の荒波に揺らされることになった。

 「『葛城』はどこに停泊しているんだ?」

 涼しい風を正面から浴びながら三笠が訊ねる。

 「三ッ子島です」

 三ッ子島とは、呉沖にある小さな島である。実は三ッ子島には沈没艦船の乗組員を収容する設備があった。秘密保持が主目的であったが、怪我人を治療する病院の施設もあった。戦後無人島になる島だが当時は軍が所有していた。三笠は知らないが、戦艦『陸奥』爆発沈没事故のときの生き残った『陸奥』乗組員たちも機密保持のために隔離されていた。憲兵と警察が総動員されて、事件を知った周囲の島々の人々に厳重な緘口令が布かれていた。よって、あの島には『陸奥』の生存者である乗組員たちが居るなんて、三笠は知らない。

 やがて前方の先に島がぽつんと見えた。しかしそれは島ではなかった。島のように見えたそれは航空母艦の甲板を広げた艦体。そして航空母艦が見えた後は三ッ子島も確認できた。

 「あれが…『葛城』か」

 初めて見た空母に三笠は感嘆の声をあげた。近づくにつれてその巨体さに圧巻された。『大和』や『神龍』を見てきたのでさほど驚くことでもないのだが、初めて見た空母としても衝撃を受けた。空母もこんなに大きいものだと今知った。

 ―――空母『葛城』。ミッドウェー海戦にて四空母を一挙に失った日本海軍は、それまで一隻の建造計画しか立てていなかった改飛龍型航空母艦、雲龍型航空母艦として十六隻も建造する計画を立案した。そして雲龍型三番艦として昭和十九年十月十五日に竣工したのが『葛城』である。しかし『葛城』が竣工されたとき、既にマリアナ沖海戦によって機動部隊が壊滅状態に陥り、そしてレイテ沖海戦の時期であったため、戦線に出ることも間に合わず、そして連合艦隊が事実上壊滅し、戦局に赴くこともなかった。現在ではこうして三ッ子島に係留して空襲を避けるためのカモフラージュを施している。飛行甲板には緑黒系の縞状迷彩、側面には商船誤認を期待する青系のシルエットの迷彩である。しかし島の側に係留されていたため、そのような迷彩は役に立たず、特別な対空偽装を行っていた。すなわち、島との間に偽装網をかけ、飛行甲板には家屋や道路を設けるなど島の一部に見せかける方法である。

 ちなみに同島の東部には同じ雲龍型航空母艦の二番艦である『天城あまぎ』が停泊している。(『葛城』が停泊しているのは島の北部)

 『葛城』に近づき、そして接舷した内火艇から三笠が『葛城』に降り立った。

 「空母なんて初めてだな…」

 あたりを見上げつつ、言葉を漏らす。舵を握っていた水兵は三笠に敬礼する。

 「では三笠二曹、また今度お迎えに参ります。二曹のご飯が食べられないのは真に残念でなりませんが、どうぞお気をつけください」

 「はは、ありがとな。じゃあまたな」

 三笠は迎えに来た『葛城』の下士官に案内され、『葛城』の階段を昇って甲板を経由して艦内へと入っていった。



 『葛城』の烹炊所で三笠は熱烈に歓迎され、早速その腕を見せ付けるように料理を振舞った。三笠が料理した飯は食べた兵員たちに大変好評で、その日の『葛城』の昼飯は兵員たちにとって今までに一番美味しい飯になっていた。

 『神龍』と変わらない蒸し暑い烹炊所を出た三笠は涼しさを求めて『葛城』の甲板に出た。島のほうから吹き渡る涼しい風が心地よい。甲板からの光景は反対側に小さな島を見渡せ、そして遠くにある内地、呉を見ることができた。呉に視線を向けたとき、置いてきた神龍のことを思ってすこし心が落ち込む。

 その瞬間、三笠は微かな音を聞いた。

 パシャン、という小さな水しぶきのような音だ。

 兵員たちは自分以外誰一人居ない、しかも緑黒系の迷彩に施された甲板はなんとも奇妙な光景でもあった。音がしたほうを見ようとすれば、視線を落とすことになった。

 蒼い海面に、視線を落とす。

 そしてなにかが浮かんできた。何かの浮流物かと思ったが、それは違った。三笠は2.0の視力を疑った。

 なんと、海面に浮かんでいたのは少女だった。

 白い波の尾を引いて泳いでいた。ここからでは遠くてよく見えないが少なくとも少女が『葛城』の傍を泳いでいることだけはわかった。少女の姿は海中に潜って姿を消すと、今度は浮かび上がるのではなくて一瞬だけ飛び上がって、また海面に着水した。

 その人魚のような可憐な泳ぎに三笠は一時見惚れ、はっと気付いたときには、海面から少女の姿はなかった。

 また潜ったのだろうかと捜してみようとしたが、突然、三笠のすぐ傍で眩しい光が生まれて三笠は咄嗟に目を庇った。

 そして治まった光に目を見開く三笠だったが、再び目を庇うことになった。

 そこには、先ほど海面で泳いでいた少女が目の前に立っていた。

 しかも、全裸で。

 凝脂のように艶やかで若い肌は、海水の水滴を散らした。均整の取れた肢体に、滑らかな白い丸い柔肌。まるで太陽のように光り輝いているように見えた。

 少女はふぅ、と吐息をついて長い黒髪の水滴を弾くと、三笠の存在に気付いた。そして数秒の沈黙の後、少女は自分の存在が目の前にいる男に見えていることに気付いて微かに口を動かした。

 「―――ッ!」

 三笠が待て、と言う前に遥かに、三笠はその身を神速の速さで捕縛された。



 世界は逆さまになっていた。

 何故なら、自分自身が逆さまに吊らされているからだった。

 艦橋のマストに逆さまに吊らされた三笠は色々な意味で恐怖した。凄まじい高さによる恐怖もあり、涼しかった風が今は痛いほどに肌寒く感じる。そして目の前で包丁を研いでいる少女の背に対しても恐怖を感じていた。本能が身の危険を知らせていた。

 「あのー、お嬢さん…?」

 「………」

 シャー、シャーと包丁の研ぐ音だけが返ってくる。三笠は縛られたロープによって逆さまに吊るされて揺すられ、泣きたい気分だった。

 「俺はこれからどうなっちゃうのかなーみたいな…?」

 おそるおそる聞いてみるが、やはり返ってくるのは、シャー、シャーという包丁の研ぐ音だけ。これが本当に返事だと思うと叫びたい気分にもなる。信じたくないが。

 「いや…さっきのは不可抗力で……悪かったって…」

 「…あなたは、誰」

 包丁を研ぐのをやめた少女が背を向けたまま訊ねてきた。

 「…今日『葛城』に乗艦した三笠菊也二等兵曹……烹炊所の主計兵だ…」

 「そう、あなたが…」

 研いだ包丁を持ち、刃がキラリと不気味に煌いた。三笠は顔を青くして震え上がった。

 「…あんたは?」

 わかっていると思うが、一応訊いてみた。返答に二秒時間を費やした少女は小さく返した。

 「雲龍型航空母艦三番艦――――」

 言いながら少女は振り返り、そして包丁を投げた。

 そして投げ出された包丁が一直線に三笠を吊るすロープを切り落とし、三笠が落下する寸前、言葉を紡いだ。

 「『葛城』艦魂―――葛城」

 葛城と名乗った少女の言葉が届いたかどうかはわからないが、三笠は声にならない声をあげながら、艦橋のマストから甲板上へと落下した。

 


 三笠が少女の名前を聞き届けた矢先に迷彩に施されてジャングルと化した甲板上に特攻していた頃、神龍はいつものお気に入りの場所である主砲の上に体育座りして、三笠が去った方向を見詰めていた。

 「はぁ…」

 神龍が何度目かわからない溜息を吐く。

 「どうされたんですか? 神龍参謀長」

 背後から現れた下士官の軍服を纏ったショートボブの眉が太い少女、利根型重巡洋艦一番艦『利根とね』艦魂―――利根は控えめな目で言った。

 レイテ沖海戦後に舞鶴から呉に回航し、今は海軍兵学校の練習艦として呉に停泊する『利根』艦魂の利根。純粋で心優しく、困っている人や落ち込んでいる人を見つければ放っとけおけないという優しい心の持ち主だった。

 神龍は落ち込んだ視線を上げた。

 「利根…。 久しぶりですね…」

 「ちょうどこの近くでアンカーを下ろす実習をしていまして。今、最近入ってきたばかりの子たちがアンカーの下ろし作業をしている最中です」

 ふと視線を巡らすと、確かに『神龍』の近くで一隻の練習艦である巡洋艦が停止して甲板で動く兵員たちの姿があった。

 「なんだか元気ありませんね。 どうかしましたか?」

 利根が本当に心配そうに神龍の暗い表情を覗き込む。部下の優しさを知って、しかし明かさない。

 「なんでもありませんよ…」

 「例の三笠二曹とかいう人間のことですか?」

 「ッ!?」

 いきなり核心を突かれた神龍は驚愕して目を見開いた。利根はそんな神龍の表情を見て図星だと確信する。

 「その人間がなにか?」

 利根はさらに問いただし、神龍は困惑する。それにしても何故みんな彼のことを知っていてそして言ってくるのだろうか。そういえば知らない艦魂はいないって矢矧が言っていたような…。

 「な、なんでもありませんっ!」

 「本当ですか?」

 「うっ…」

 じ〜っと浴びかせる利根の視線に耐え切れなくなった神龍は、やむをえなく白状した。

 「…まぁ、そうです…」

 「やっぱり…。 あの人間が参謀長になにかしたのですかっ!?」

 「違います違います! 三笠二曹はなにもしていませんっ!」

 なにやら誤解をして怒りを露にした利根を神龍が焦って制した。

 「実は… 三笠二曹、今日から『神龍』を離れたんです…」

 「配属ですか?」

 「一時的にですけど…」

 「ならいいじゃないですか。すこし我慢して待てば、帰ってきますよ」

 「そうなんですけど…」

 「…で、どこに行かれたんですか?」

 「………」

 神龍は口を紡ぎ、困惑した。チラリと利根を一瞥すると、利根は太い眉を吊り上げてじっと待っていた。神龍は口をモゴモゴさせながらも、しっかりとその言葉を言った。

 「…『葛城』のところです」

 「か、『葛城』っ?!」

 それを聞いた利根はさらに太い眉を吊り上げて目を見開き、驚愕した。そんな驚く利根の前で神龍が暗い表情で顔を俯かせてコクリと頷いた。



 緑黒色のジャングルのように迷彩が施された飛行甲板上に特攻寸前のところで、三笠は葛城に掴まれて停止し、甲板への衝突は免れた。三笠はゆっくりと甲板上に降ろされた。

 「死ぬかと思った…」

 三笠は甲板で座り込み、げっそりとした表情でうな垂れた。顔を上げた三笠の目の前に、葛城と名乗った少女が立っていた。

 「…大丈夫?」

 「その持っている包丁を捨ててくれたらとりあえず身の安全は安心できる」

 未だに片手に持っていた研いで切れ味が良さそうにぴっかぴかに光る包丁を指差す。葛城は持っていた包丁を見詰めてから、「わかった」と言うと、手にあった包丁は光とともに一瞬で消えた。どうやら艦魂の能力で具現化した物だったようで、今消したみたいだった。

 三笠は胸を撫で下ろし、立ち上がった。

 目の前に立つ葛城はじっと三笠を見詰めている。三笠が座っていたので葛城は目を見下ろしていたが、三笠が立ち上がると葛城は視線を上げた。

 三笠と葛城の背の高さは頭一つ分の差だった。葛城は目の前に立つ三笠を見上げ、三笠も葛城を見下ろす。

 「とりあえずさっきのは本当に悪かった。許してくれっ」

 三笠は目を瞑って祈るように手を合わせて謝罪の言葉を述べた。葛城はしばらく三笠の引き締めた表情を見詰め、口元を緩んだ。

 「もういい」

 許しを聞いた三笠は安堵の吐息をついて、「ありがとう」と返した。

 「改めて紹介させてくれ。 俺は三笠菊也二等兵曹。『神龍』の主計科烹炊班なんだけど、今日から短期間の間、『葛城』の烹炊所でお世話になる。よろしくな、葛城」

 葛城はコクリと頷いた。

 異様に長すぎる黒髪は今にも地に着きそうなほどで、顔は凛々しくも笑えば少女らしい可愛さも見える。士官用第一種軍衣を着込んでいて、凛々しい彼女にとってはとても似合っていた。

 「本当にさっきは悪かったな…すぐ忘れるからさ…。でも、いつもあんな風に泳いでるのか?」

 「そう」

 葛城がコクリと頷くと、三笠は優しい微笑みを見せた。

 「泳ぐのが好きなんだな」

 その三笠の優しい微笑みを見た葛城は咄嗟に顔を逸らし、頬をぽっと朱色に染めた。

 「………」

 「どうした?」

 「なんでもない…」

 三笠が首を傾げていると、後ろから案内してくれた下士官が三笠を呼びながら走ってきた。

 「三笠二曹、部屋をご案内させていただきます」

 「わかった。 んじゃな、葛城。また後で」

 「…了解」

 三笠は葛城に手を振り、下士官と共に艦内へと戻っていった。三笠の姿が見えなくなるまで、葛城は小さく手を振り続けていた。



 下士官に案内された部屋に荷物を置いた三笠は、ベッドにその身体を倒した。うつ伏せでベッドに伏せる。

 「あー…疲れた……」

 『神龍』から『葛城』に移動し、早速昼飯を作られ、そしてさっきの『葛城』艦魂である葛城との出会い。まだお昼だというのに、もう身体が疲れを感じていた。

 「まぁ…新しい艦に行けばそこにいる艦魂に出会うのは当然だよなー…」

 疲れは感じるものの、しかし嬉しくもある。新たな艦魂に出会えることは、それは偶然ではない運命のようなもので、喜ばしいことなのだ。人と人との出会いというのは、全てが偶然ではなく決められた運命と言って良い。全ては決まっていること。そして新たな出会いというのは出会った人と人を繋げ、未来へと導かれる。人は出会い、交わい、繋がっていく。

 神龍に出会ったことだって、喜ばしい運命なのである。そして神龍と交わって未来を繋げ、数々の艦魂たちと出会っていく。そしてまた繋がっていく。それは無限に広がっていく。そして今日は葛城と出会い、また繋がることになる。

 ―――コンコン。

 ノックの音が聞こえ、ベッドに伏せていた身体を起こし、「どうぞ」と返す。扉がゆっくりと開き、現れたのは一人の軍服を着た少女だった。

 ひょっこりと顔を出して部屋を覗き込むようにしてから、身体が部屋に入る。そんな仕草に可愛いと思いながら可笑しくて微笑する三笠。葛城は扉を閉めてから、振り返って敬礼した。

 「葛城、参りました…」

 「呼んではいないけど、いらっしゃい」

 「………」

 三笠の言葉に葛城はふっと顔を俯かせ、暗い表情になった。気付いた三笠は慌てて修正する。

 「あっ!ごめん…! 言い方が悪かった…。いらっしゃい、葛城」

 葛城はコクリと頷き、三笠のもとに近寄る。三笠のもとに寄ると葛城はベッドに座り込み、隣に三笠が座るよう手で促す。一度断ったが、葛城は手で促し続けるので仕方なく葛城の隣に三笠がベッドに腰を下ろした。

 二人は並んでベッドに座り、最初に口を開いたのはベッドに長すぎる黒髪を広げた葛城だった。

 「…どう呼んだらいい?」

 「え?」

 「名前…」

 「え…いや、別にどう呼んでも構わないけど…」

 「…じゃあ」

 「うん?」

 「菊也…」

 ベッドに仰向けに倒れる三笠。隣に座る葛城がじっと三笠を見詰め、何故か仰向けになった三笠の身体の上に自分の身体を乗せる。

 「って、なにやってるんだ! 降りろっ!」

 「ベッドに仰向けに寝込んだら馬乗りになるのが…」

 「言うなっ! ていうか、まず降りろっ!」

 葛城は残念そうな表情で仰向けになる三笠の上から身体を避けて三笠を解放する。三笠は身体を起き上がらせ、溜息を吐いた。

 「ていうかさ…下の名前で呼ぶの…?」

 「そう。駄目?」

 葛城の上目遣いで見詰めてくるうるうるとした純粋な大きな瞳が三笠の困惑した顔を映す。三笠はその光線のような威力に耐え切れずに顔を横に逸らしつつ答える。

 「駄目じゃないけどさ…」

 「では、そう呼ぶ」

 「わかったわかった…」

 「菊也」

 「………はい」

 下の名前を呼ばれるなんて随分と久しぶりだった。しかも姉以外に呼ばれるなんて初めてである。姉からは下の名前で呼ばれているが、他人に呼ばれるのは生まれて初めてであるため、恥ずかしさがこみ上げてくる。

 「菊也」

 「………はい」

 「菊也」

 「…………はい」

 「菊也」

 「……………」

 「菊也」

 「――――――」

 「菊也菊也菊也菊也……(延々)」

 「――――ッ!」

 三笠は再びベッドに倒れこむ。そしてまた同じように葛城が馬乗りになってくる。

 「だから乗るなぁぁぁぁっ!!」

 三笠ががばっ!と起き上がり、馬乗りになっていた葛城が咄嗟に避けた。

 「あまり連呼しないでくれ…。 家族以外に下の名前で呼ばれたことないからまだ慣れていないんだ」

 「わかった」

 本当にわかってくれたのだろうか。また葛城がぽつりと三笠の下の名前を呟いたのが聞こえたような聞こえなかったような。

 「じゃあ、私が最初にあなたの名前を呼んだってことになる?」

 「…まぁ、そうなるな」

 葛城が嬉しそうにぽっと頬を朱色に染めて微笑んだ。何故嬉しそうにしているのか三笠にはわからずに首を傾げていた。

 「よろしく、菊也」

 「ああ、よろしく。葛城」

 葛城が微笑み、三笠も微笑む。こうして見ると葛城は凛々しくもあるが少女らしい可愛さもあった。純粋な笑顔が可愛らしい女の子そのものだった。

 「『神龍』から、来たんだっけ…」

 「ああ」

 「…そう。 では、今頃彼女は怒っているだろうな…」

 「いや、どうだろうな。離れるときは凄い残念そうな顔をしていたけど、怒ってはいなかった。何で怒るんだ?」

 三笠の問いに葛城は戸惑いの表情を見せたが、やがて普段どおりの凛々しさに戻り、首を振った。

 「なんでもない…」

 「?」

 このときの葛城の不意に見せた表情。そして浮かぶ疑問。これが後に彼女たちのそれぞれの立場から生まれる事情を知り、ややこしくなることを、このときはまだ三笠は思うはずもなかった。

 

 <十二> 初めての空母、葛城との出会い 【登場人物紹介】



 葛城かつらぎ

 大日本帝国海軍雲龍型航空母艦三番艦『葛城』艦魂

 外見年齢 13〜14歳

 身長 164cm

 体重 43k

 雲龍型航空母艦三番艦『葛城』の艦魂。二番艦である『天城』という姉を持つ。空母を失った日本海軍が建造した空母の一つ。日本海軍が造った航空母艦としては最後に完成した空母だった。艦魂である彼女は顔つきが凛々しく背もすこし高いほうではあるが、歳相応の幼さや可愛さを持っている。泳ぐのが好きで、よく本体である艦の周りで泳いでいることがある。自分が見える人間がいなかったので気にせずに泳いでいた故に三笠に見られてしまった。しかし心が広い持ち主ですぐに許してくれる。今まで自分が見える人間がいなかったので三笠は自分にとって初めて出会った人間。その点は神龍と同じである。初めて人間と出会った上にあまり他人と接したことがないのでどう交わっていいかわからず、とりあえず三笠を「菊也」と下の名前で呼んでいる。姉の天城のことを「姉者」と呼んで天城を困らせている。戦闘以外では接しない戦艦と空母の関係の犠牲者でもある。しかし本人は戦艦と空母の関係改善を切に望んでいる。

 


 利根とね

 大日本帝国海軍重巡洋艦利根型一番艦『利根』艦魂

 外見年齢 18歳

 身長 160cm

 体重 40k

 利根型一番艦『利根』の艦魂。重巡洋艦であるにもかかわらず河川名が付けられた理由は最上型重巡洋艦(当初は軽巡洋艦であり、改装後も書類上は二等巡洋艦)五番艦として計画されたためである。 後に再設計により重巡洋艦(書類上は二等巡洋艦)となるが艦名はそのまま使用された。日本海軍が建造した最後の重巡洋艦となる。三菱重工業長崎造船所にて建造され、竣工後は僚艦筑摩と共に第八戦隊を編成し第二艦隊に所属していたが、偵察能力を買われ第一航空艦隊に編入された。搭載する偵察機は、空母の攻撃隊に先立って目的地を偵察する役割があった。真珠湾攻撃から始まって南太平洋で活躍し、妹の筑摩が戦没してしまったレイテ沖海戦後は舞鶴から呉に回航して海軍兵学校の練習艦となって現在に至る。純粋で困っている人や落ち込んでる人を助けてあげたいという心優しい艦魂。いつも実習で乗り込んでくる海軍兵学校の生徒たちを優しく見守っている。



 野々原璽介ののはらじかい

 大日本帝国海軍護衛戦艦『神龍』主計科長・主計少将

 年齢 48歳

 身長 172cm

 体重 66k

 護衛戦艦『神龍』主計科の主計科長。「主計兵はあらゆる兵科の中で、最も精神的に優れ、意思の強固な者でなければ勤まらない」というのが信条。以前は『榛名』の主計科に所属していたが、『神龍』に配属された。東北の岩手県出身で、妻と六人の子供を残している。烹炊所の兵員たちの間でも父親のような存在となっている。




今度の火曜日から金曜日まで期末テストです。あともうすこしの辛抱ですので、頑張っていきたいと思います。テストが終わればまた好きなだけ書いたり、そして他の方々の作品も喜んで読むこともできます。

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