<九> 陽炎型三姉妹。雪と磯と浜の少女たち
近代国家として歩み始め、日清・日露戦争を経て、列強国家として名を轟かせ、極東に浮かぶ小さな島国でありながら植民地支配の王である欧米諸国を畏怖させた国家があった。名を、大日本帝国という。
四方八方から海に囲まれた島国日本は海洋国家であり、国防の為に海軍力は必然だった。
絶対的に強力な海軍兵力を持つ為に奮闘する日本に、歴史的な好機が訪れた。日露戦争の勝敗を決定付けた日本海海戦に完全勝利した日本は、帝政ロシアのバルチック艦隊を壊滅させ、日本の海軍力の強さを世界(主に欧米諸国)に畏怖させることができた。
止まることのない建艦競争が始まり、日本は海軍力の増強を続け、世界的の経済悪化が起こった際に世界各国で設けた規制や条約を課せられて日本の海軍増強に抑止力が掛かっても、日本はその技術力を開花させて海軍の強化を行い、数々の世界に通用する強力な艦艇を生み出してきた。
やがて日本は米英に続く世界を轟かせる海軍大国三位の海軍国家に上り詰め、第二次世界大戦が勃発し、自慢の海軍力を生かす、大東亜戦争(太平洋戦争)が開戦し、日本の海軍兵力が太平洋の海へと投入されていった。
多くの艦艇が太平洋に散っていった。
中央太平洋……南太平洋……北太平洋……ソロモン……太平洋の激動の中をその身を投げ入れて奮闘した、そして海の底に沈んでいった艦たち。
そんな中で、一隻の艦が、誰がいつ死んでもおかしくない戦場を、勇敢に戦い生き抜いてきた栄光の艦が存在していた。
『奇跡の艦』『栄光の艦』と呼ばれる存在―――名を、『雪風』という。
全長百十八メートル、排水量は僅か二千トンという小柄な身体ではあるが、幾度の戦闘を乗り越えてきた栄光が強く秘められている、駆逐艦『雪風』を観賞した三笠は雪風と共に『神龍』の艦首部分の甲板にいた。
生ぬるい風が、肌を撫で、雪風のふわふわとした柔らかそうな長髪が靡く。
「最近暖かくなってきましたね…」
「そうだな…」
まだ三月の初めだが、最近は肌を撫でる風も生ぬるかった。つい前までは肌をくすぐる冷たい風だったのに、今では優しく肌を撫でている。冬の時期は本当に辛かったが、海というのは、この時期の移り変わりの瞬間が、一番良かった。
夏ももちろん海は涼しくて良いが、やはり太陽の直射日光が厳しい。
やはりこの、冬から春に変わる時期が、好きだった。
「ところで、雪風」
「はい?」
三笠は隣で風に髪を靡かせる雪風に訊ねる。雪風は三笠のほうに振り向いて、小首を傾げてふわふわした髪が揺れる。
「気になってたんだが…」
「はい、なんでしょう」
可愛らしい顔で雪風が三笠の言葉を待つ。三笠はちょっと頬を朱色に染めて困ったような顔になる。そして頬を指で掻きながら気になっていたことを訊く決意をする。
「その…」
三笠は雪風の身体を下から上までを見通す。
「なんでお前は巫女服なんだ?」
雪風がきょとんとなる。
前話に記載されてから何故?と気になる気配を感じさせていたが、雪風は紅白の巫女服を着ている。実は詳細に記載してなかったが初めて出会ったときからこの服装だ。というか普段着である。艦魂はそれぞれの服を着ていて、神龍や矢矧・榛名は軍人らしい締まった軍服。伊勢は清楚可憐さを漂わせる和風の着物。そして雪風は巫女服。この中で雪風が一番特異な服装だが、他の艦魂もそれぞれの姿をしている。何を着ようが、自由なのだ。
紅白の巫女服は童顔の雪風には似合いすぎるほど可愛かった。
そんな雪風が、人差し指を顎に当ててう〜んと可愛らしく唸っている。
そしてにぱっ☆と笑って答える。
「特に意味はありません☆」
その瞬間、三笠がこける。
「意味は…ないのか……」
「はい。強いて言えば、趣味です」
「誰の趣味だよ…」
「もちろん私のですよ☆」
雪風は邪心のない無垢な笑顔を振りまく。三笠は溜息を吐く。
「はぁ…。まぁ確かに巫女さんは……うん、いいけどさ……」
三笠は最後の部分をぼそりと呟き、顔を逸らしたが、聞き逃さなかった雪風が目をキラーンと輝かせた。
「二曹さん!」
「おわっ!?」
ガシッ!と雪風が三笠の両肩を掴む。三笠より頭一つ分ほど小さいため、雪風は顔を上げた。顔を上げた雪風の瞳は爛々と輝いていた。三笠は触れてはいけなかった所を触れたことを悟った。
「いいですか二曹さん。巫女さんは日本の由緒正しい文化の一つであり大和撫子を表す美しく神聖な着物なのです。巫女は又の名を神子とも言い、主として大和(日本)の神に仕える女性のこと。古語では巫と呼称されていました。『古事記』・『日本書紀』に記される日本神話では、天岩戸の前で舞ったとされる天鈿女命の故事にその原型が見られています。又、『魏志倭人伝』によると、卑弥呼は鬼道で衆を惑わしていたという(卑彌呼 事鬼道 能惑衆)記述があり、この鬼道や惑の正確な意味・内容については不明ではあるものの、古代に呪術的な儀式が女性の手によって行われた事が伺えます。平安時代には神祇官に御巫や天鈿女命の子孫とされた『貞観儀式』の官職が置かれ、神楽を舞っていたといわれています。平安時代末期の藤原明衡の著である『新猿楽記』には、巫女に必要な4要素として『占い・神遊・寄絃・口寄』が挙げられており、彼が実際に目撃したという巫女の神楽はまさしく神と舞い遊ぶ仙人のようだったと伝えられています。中世・近世では巫女に対する事件や出来事があって色々と大変なことがありました。しかし明治維新を迎え、さらに巫女に試練が訪れました。復古的な神道観による神社制度の組織化があった一方、文明開化による旧来の習俗文化を否定する動きの影響もありました。しかし現在に至るまで、巫女はそんな試練を乗り越えていきました!つい昔には、昭和15年(1940年)11月に『皇紀二千六百年奉祝会』に合わせて全国の神社で行われた奉祝臨時祭にて一斉に舞われた『浦安の舞』が製作され、全国で開かれた講習会と当日の奉奏の徹底は神社における神楽舞の普及に大きく貢献したといわれています。臨時奉祝祭の後も『浦安の舞』は継続して祭儀の折に舞われるようになり、維新以降整備されてきた神社祭祀制度に於いて公式に巫女が奉仕する機会が作られました。巫女はこれにて完全に復活したのです。このように古代から伝わる歴史も素晴らしく関心を膨らませてくれます。なんといっても巫女服がもう可愛くてたまりません。この絶妙な紅と白の色具合。清楚にして雅な姿勢、正に日本人の鏡と言える振る舞い、完璧ですっ!英語で言うとぱぁふぇくとですっ!ぐっじょぶですっ!この日本で史上最強の神秘的存在であるのが、巫女さんなのですっ!!」
「なげぇええぇぇよっ!!どんだけ行数使ってるんだよぉぉっ!!」
雪風の興奮したような声によって紡がれた長々とした説明に、三笠は限界を超えて三次元的な発言はどうかと思うが、怒号の声を張り上げた。雪風はまだまだ喋り足らないといった感じで、うるうるとした上目遣いで三笠を見詰める。
「う〜…もっと二曹さんに巫女さんの素晴らしさを教えたかったのに〜…」
「もう十分だ。わかったから…」
「本当ですか?」
「ああ、本当だ」
雪風は疑うような目で三笠を見詰めていたが、やがてにっこりと笑顔になって納得したように頷いた。三笠は苦笑し、これ以上喋らせたら行数の無駄遣い+あられもない誤解を生じさせるという危険警報を鳴らしていた。
「じゃ、これで私が巫女服を着ている理由がわかりましたね」
「ああ、痛いほどにわかったよ…」
雪風は両手を広げてその格好を強調させるように振舞う。くるくると舞い、ふわふわした髪が揺れる。幼い顔に満面な笑顔が眩しくて、見ていて微笑ましかった。
二人は完全に、今が戦争中であり先日も日本本土の三つの都市に大空襲があったことや自分たちが軍人であるということを忘れ、その瞬間を思い切り楽しんでいた。
いつまでも、その楽しい時を過ごしていた。
二人だけのそんな時間が、いつまでも続くと思われた。
しかし、それは一瞬で崩された。
「お姉ちゃーんっ!」
幼い女の子(雪風よりもっと幼い)の声が穏やかな風に乗って聞こえたかと思うと、日章旗がはためく艦首のほうから小さな女の子が真っ直ぐに走りこんできた。そして駆け抜けてくる女の子は跳躍すると、勢いと何気ない殺意を持った飛び蹴りが呆然と立っていた三笠の脇腹に食い込み、三笠の身体は『く』の字になって折れ曲がり、木の葉のように吹っ飛んだ。三笠を蹴り飛ばし、着地した少女は得意気な顔になって地に伏せる三笠を見向きもせず、呆気に取られている雪風の胸に飛び込んだ。
「雪風お姉ちゃんっ!」
「は、浜風っ?!」
雪風の触れると意外にある胸の中に顔を埋めて幸せそうな表情をする少女は外見が10歳くらいの女の子で、その笑顔からも外見の歳相応に窺える無垢そのものだった。先ほどの三笠に飛び蹴りした光景は置いておいて…。
「雪風お姉ちゃん、会いたかったよぉ」
「あなた毎日会ってるでしょっ…。ていうかさっきの会議でも顔を見たでしょ?」
「それでも会いたかったんだよぉ」
姉に甘える妹という微笑ましい光景のはずなのだが、それを許さない者がいた。
「このクソガキッ!なにしやがるっ!!」
地に伏していた三笠がガバッ!と起き上がり、怒りの炎を燃やした目で睨みつけ、大股で雪風に抱きつく自分を蹴り飛ばした少女に迫る。少女は目を細くして三笠を見た。
「お姉ちゃん、こいつだれ?」
「ついさっきてめぇに蹴り飛ばされた被害者だよ…」
「黙れ」
「こいつ…っ!」
「三笠二曹さんですよ」
「三笠二曹?変な名前」
「二曹は階級だっ!!」
三笠は抗議するが、雪風はぷっと馬鹿にするように一瞬笑みを浮かべ、無視した。
「てめっ…なんだ今の『ぷっ』て…」
「二等兵曹……ぷぷっ」
「ぶっころぉぉぉぉすっっ!!!」
「お姉ちゃん、こいつに変なことされなかった?」
「するかぁぁ――――っ!!」
雪風の代わりに答える三笠に少女はようやく三笠のほうをジトッとした目で見詰めた。
「お前に聞いてない。ちょっと黙ってて」
「このガキ…」
三笠は無言で少女の長く伸びて揺れるツインテールの頭にゲンコツをお見舞いした。殴られた衝動に少女の頭のツインテールが上下に激しく揺れ、後頭部を手で抑えて悶絶し、瞳を涙で潤ませてキッと鋭く三笠を睨んだ。
「なにするのよぉっ!」
「うるせぇっ! 先に奇襲をかけたのはそっちだろっ!大体誰だお前っ!」
三笠は憤りをこめた声で叫ぶと、少女はニヤリとイタズラっぽい笑みを浮かべて全然ない平坦な胸を張って答えに口を開いた。
「浜風! 雪風お姉ちゃんの可愛い妹だよっ」
「雪風の妹っ!?」
三笠は驚愕に目を見開いて雪風と浜風と名乗った少女を交互に見た。雪風はちっともお姉さんに見えないような可愛らしい童顔を微笑ませて「はい」と頷いた。
陽炎型駆逐艦十三番艦『浜風』艦魂―――浜風。
陽炎型姉妹の八女雪風の妹の一人である、十三女の浜風は、雪風より小さく幼い。仮称第29号艦として浦賀船渠で昭和14年(1939年)十一月二十日起工、昭和15年(1940年)十一月二十五日進水、昭和16年(1941年)六月三十日に竣工した。呉鎮守府籍。大東亜戦争開戦時、姉妹である浦風、磯風、浜風、谷風の四艦は第17駆逐隊を編成し真珠湾攻撃に参加。その後も僚艦と共に空母機動部隊護衛のためラバウル攻略、ダーウィン空襲、ジャワ島攻略、セイロン沖海戦、ミッドウェー海戦の各作戦に従事してきた。それからも、昭和17年(1942年)八月に米軍がガダルカナル島に上陸すると陸軍一木支隊をトラックからガ島へ輸送、ソロモン方面へ進出した。ガ島輸送に三回従事した。十月月南太平洋海戦に参加。十一月一旦佐世保へ帰港し佐世保工廠で修理。修理後再びソロモン方面へ進出しラバウル、ラエへの輸送作戦に参加した。
そして続くガ島作戦に参加を続け、ソロモン海の進出を止めなかった。昭和19年(1944年)三月にサイパン、タラカンへの船団護衛のために出撃。六月のマリアナ沖海戦に参加。七月リンガ泊地に再度進出。十月、栗田艦隊に所属しレイテ沖海戦に参加したが、『武蔵』の沈没により乗員約八百名を救助し途中からマニラへ引き返した。十一月に第一艦隊を護衛して呉へ向かうも途中で『金剛』が沈没した。更に『長門』を護衛して横須賀港へ入港、二十八日横須賀を出港、『信濃』を護衛して呉に向かうが途中で『信濃』が戦没、生存者の救助に当たった。
ちなみに『信濃』というのは、大和型三番艦の、しかし計画の変更で戦艦になることはなく空母になった艦艇である。
このように開戦当初から太平洋の海を駆け巡り、大勢の命を救助し、『武蔵』、『金剛』、『信濃』の沈没に立ち会い、さすが数多の戦場を生き抜いてきた『栄光の艦』である『雪風』の妹だということが窺える。
しかし実際、艦魂である浜風を見ると、浜風はそんな姉よりもっと幼い。歳は10歳くらいの少女に見えて、三笠に殴られた頭を雪風に撫でられて、長く伸びたツインテールが嬉しそうにぴょこぴょこと揺れている。浜風の表情も無邪気な女の子のように満面な笑顔を輝かせていた。こんな少女がこれまでに数多の戦場を経験してきたなんて微塵も思えないほどだった。
「あれ…じゃあ磯風も?」
「うん、いるよ。磯風お姉ちゃーんっ!」
「………」
「おわっ!?」
三笠の横に突然見慣れない少女が立っていた。驚きの声をあげた三笠に少女は一瞥するが、持っていた本に目を戻した。
「いたなら声くらいかけなさいよ。 二曹さん、紹介します。私のもう一人の妹、磯風です」
「磯風…」
三笠の横に突如神出鬼没に現れた少女は、雪風の妹、磯風だった。
陽炎型駆逐艦十二番間『磯風』艦魂―――磯風。
仮称第28号艦として佐世保海軍工廠で昭和13年(1938年)十一月二十五日起工、昭和14年(1939年)六月十九日進水、昭和15年(1940年)十一月三十日に竣工、呉鎮守府籍。真珠湾攻撃の際に浜風たちと共に行動し、以後の展開も、ガ島撤退作戦に参加したり等、浜風と同じである。マリアナ沖海戦にも参加し、大鳳の護衛に従事し、大鳳の乗員救出を行った。レイテ沖海戦にも参加経験あり。山城・扶桑・長門・信濃の護衛にも参加したことがある。
陽炎型姉妹の十二女であり、八女の雪風の妹であり十三女の浜風の姉である。無口無表情のままに手に広げる本の頁をじっと見ている。下士官の軍服を身に纏い、ピンとした姿勢を保っていて、綺麗な曲線を描いていた。
「よ、よろしく」
「………」
三笠が手を差し伸べる。磯風はチラリと三笠のほうを見詰め、ジッと三笠の瞳を鉛のような無感情な視線で射抜いた。つかの間の沈黙が続いたが、やがて磯風は小首を傾げて、微かに頷いたような動きを見せた。艶やかな髪がさらりと揺れ、また本に視線を戻した。
「えっと…」
戸惑う三笠に、微笑んだ雪風が声をかける。
「磯風はあまり喋らない子なんです。今の仕草は挨拶のつもりですので、お気になさらないでください」
「そうなんだ…」
「磯風お姉ちゃんはお前なんかより読書のほうが興味あるんだよー」
「お前は黙ってろっ」
何故浜風はこんなにも自分に当たるのか…と思いながらも、三笠は読書に従事する磯風を見詰めた。無口無表情の読書少女。それが三笠の磯風に対する第一人称だった。そして、この姉妹を見ていると、本当に姉妹なのか疑わしくなるほど、似ていない。可愛らしい温和でお茶目な雪風、元気活発で幼すぎるやんちゃな浜風、無口無表情の読書少女の磯風。なんとも全然似ていない性格の姉妹である。
そして知る。陽炎型駆逐艦は十人以上もいた大姉妹だったが、開戦から三年半。陽炎型姉妹の大勢が今は海の底で永遠に眠っている。今日本にいる陽炎型姉妹は、雪風・磯風・浜風の三人のみだった。
「磯風お姉ちゃん、なに読んでるのー?」
「………」
「こらこら、浜風。磯風の読書の邪魔しちゃ駄目ですよ」
小さい浜風が背を伸ばして磯風の本を覗き込もうとして、磯風は無言を貫いて読書に専念している。無視されて頬を膨らませる浜風を雪風が宥めている。
そんな三人の光景が、微笑ましかった。
これまでに大勢の姉妹を失い、こうして三人だけになっても、この姉妹はこんなにも強く生きている。この三姉妹が、三笠にはとても強い少女たちに見えた。
「二曹さん、どうしました?」
「…いや、なんでもない」
「いやらしい目で見てるんじゃないわよ」
「見るかっ!」
浜風がビクリと肩を震わせてササッと雪風の後ろに隠れる。どうやら最初の殴打が相当効いているようだ。雪風の背から覗かせる浜風に三笠は溜息を吐き、そして磯風の視線に気付いた。
「………」
「…なに?」
「…名前」
「え?」
磯風がボソリと呟くように言った。三笠はぽかんとなり、雪風と浜風は驚愕の表情を表せていた。
「磯風が初対面の人に声をかけるなんて…」
雪風がなにか呟いていたが、三笠は磯風の言葉にああ、と頷いた。
「そういえば磯風には自己紹介してなかったな。 俺はここの『神龍』の主計科烹炊班に所属する三笠菊也二等兵曹。よろしく」
「…あなたが」
「ん?」
磯風が数ミリ口を動かし、ぼそぼそと呟くように言葉を紡ぐが、しっかりと三笠の耳に届いていた。
「…神龍参謀長の恋人」
「―――はっ?!」
三笠は驚きに目を見開き、困惑する。磯風は相変わらずの無表情でジッと三笠を見詰める。雪風は苦笑し、浜風が顔を真っ赤にして頭のツインテールを上下に激しく揺らしていた。
「いやいや、そんな関係じゃないけど…」
「…そうなの?」
磯風は無表情だがきょとんという雰囲気だけで表す。
「ああ、神龍とは全然そんな関係じゃないぞ。ただの知り合いだ」
「…そう」
「そうだ」
磯風は一瞬視線を逸らし、そしてまた視線を三笠に戻した。三笠は苦笑を浮かばせるが、その表情を崩すことを、磯風がクールに述べた。
「…では、神龍参謀長に訊いてみよう」
「………は?」
磯風が三笠から、三笠の背後へと視線を変える。三笠は同時に背後から恐ろしい気配と殺意を感じて、硬直した。
雪風と浜風も三笠の背後のほうへと目を移している。二人の表情も顔を青くしていた。
「………」
振り向けば待っているのは死。
本能が察知した。
危険警報が鳴り響く。
振りむきたくない。しかし現実を受け止めなければならない気がした。首が勝手に動き、おそるおそる背後を振り返る。
…と、そこには三笠の背後をチクチクと刺していた恐ろしい殺意のオーラを背に靡かせた神龍が立っていた。にっこりと、これ以上ないというくらいの笑顔があった。
「三笠二曹、神龍ただいま戻りました」
恐ろしいオーラが背から靡きながら神龍は笑顔を貫いたまま、そう言った。三笠は冷や汗を流し始め、「お、おかえり…」と震える声で返した。
「皆さんでなんのお話ですか〜?」
だんだんと背から靡くオーラがどす黒くなっているように見えた。
三笠はだんだんと顔を青くする。
「い、いや…特になにも……」
「なにか私の名前が出てきましたが〜?」
「………」
雪風は後ずさり、雪風の背後に身を隠す浜風も今にも泣きそうな表情で震え上がっていた。
磯風は全く動じない感じで、顔を青くして硬直する三笠の傍からゆっくりと離れた。
いつしか、向かい合う三笠と神龍だけが、神龍の恐ろしいオーラから発生した孤立空間内に閉じ込められていた。
「こ、孤立空間…!!」
三笠は自分が外界と断絶された孤立空間に閉じ込められたことを悟った。
「そういえばちょっと聞こえたんですけど〜」
神龍が一歩一歩、歩み寄ってくる。
三笠は足が地に根を張ったように動けなかった。
「三笠二曹は〜私を〜」
「………」
神龍が、笑顔で、それはもう笑顔で、三笠に詰め寄った。
「ただの知り合いだと思ってたんですね〜」
「…神龍、あのだな…」
「ん〜?なんですか〜」
「…いや……その…」
「な・ん・で・す・か〜?」
神龍の恐ろしい笑顔が眼前と鼻先にあった。三笠は震え上がり、神龍の恐ろしい笑顔が迫る。
既に三姉妹がこの場からいなくなって三笠と神龍の二人だけになっている孤立空間内で、三笠はとりあえず必至の選択肢を選んだ。
「ごめんなさいっ!!」
日本人の謝罪方法、土下座である。
「三笠二曹〜」
「は、はい…」
顔を上げた三笠はビクリと震えた。見下ろす神龍の目が、笑っていなかった。
「あははははははは…」
「は、ははは…」
神龍は笑い(目は笑ってないが)、三笠も笑った。涙を緑に浮かばせながら。
外界と断絶した二人だけの恐ろしい陰気な孤立空間内で、二人の不気味な笑い声が轟いた後、三笠の悲鳴が響き渡った。
<九> 陽炎型三姉妹。雪と磯と浜の少女たち 【登場人物】
磯風
大日本帝国海軍陽炎型十二番艦『磯風』艦魂
外見年齢 17歳
身長 163cm
体重 46K
陽炎型駆逐艦十二番艦『磯風』の艦魂。雪風の妹の一人。無口無表情でいつも本を読んでいる読書少女。読んでいる本は不明。たまに他人には見せられない本を読んでいるという噂があるが詳細は不明。いつも本を読んでばかりだが、大勢の姉妹を失い、姉妹の仇を討つ決意を胸に秘めて日々苦しい思いで過ごしている。唯一の姉妹である雪風と浜風ともあまり話さないほど無口であり、姉妹以外の他人には全く話さない。しかし三笠と何故か自分から声をかけるという場面を見せて雪風と浜風を驚かせる。姉の雪風と同じように数多の戦場を生き抜いてきた。普段は砲塔の上か防空指揮所に読書する場所を決めていつもそこにいる。日本文学だけでなく、外国文学も好んで読んでいるほどの読書家である。
浜風
大日本帝国海軍陽炎型十三番艦『浜風』艦魂
外見年齢 10歳
身長 150cm
体重 39k
陽炎型駆逐艦十三番艦『浜風』の艦魂。陽炎型姉妹の唯一の姉妹の一人であり、雪風と磯風の妹である。活発でやんちゃな少女。ぴょこぴょこと揺れる長いツインテールが特徴的。感情次第でツインテールが揺れるとか揺れないとか。姉の雪風と仲良くしてる三笠を目撃してから三笠を敵視している。初登場の際に三笠を飛び蹴りで蹴り飛ばしている。姉の雪風・磯風と同様に数多の戦場を駆け抜けてきた。艦魂である彼女を見てもそんな風には見えないが、実はその身の内には彼女なりの苦しい思いや悩みを秘めている。雪風のことが大好きな甘えたがりの妹。