孤独を感じた日
高校受験をした時に感じたものとは比べ物にならないほどの疲労に智志は襲われていた。
女子達が帰った後もしばらく智志はベッドの上に座っていた。
長いこと正座していたために足が痺れていたということもあるが、ほんの数分前の出来事が未だに信じられずにいた。
スマホを使いネットでガールズミッションを検索してみると、確かにイベントは存在していた。
未完成アイドル達の競演!
前代未聞のネットワークアイドルバトル!
イベント開催・ネットライブ配信日決定!
参加アイドルの紹介は近日!
公式ページにはそう記されていた。
どれくらい前から企画がスタートしていたのだろうか?
ツイッターやフェイスブックのフォロワー数がとんでもないことになっていた。
もう後戻りは出来ない。
ピアノを習っていた時に、智志は何度か発表会やコンテストに出たことがあったが、それと似た緊張感をじわじわと思い出していた。
練習を繰り返し自信がついたと思っていても、いざ舞台に立った時に感じる独特の圧迫感と孤独感。
大学受験のためにピアノ教室をやめてからは、そういった気分を味わうことはなかったが、時折物足りなさを感じてしまうことがあった。
高揚感に包まれた感覚。
日常とは全く別の世界に踏み入ったような錯覚。
そういったものとは無縁になってしまったことを考えてしまう寂しさ。
「お兄ちゃん、ご飯だって」
玄関先で友人達を見送った奏が呼びに来た。
「奏はどう思う?」
ふと智志はそんなことを妹に聞いた。
「やってみなきゃわからない、かな」
確かにそうだ。
別に大舞台に出るわけでもないし、大役を任されるのとは訳が違う。
ネットを介して他の人々とゲーム世界で遊ぶ、ただそれだけなのだ。
「でもいい思い出になると思うよ」
「思い出?」
「うん、だってこんな経験なんてお金出して出来ることじゃないし、私はアイドルにはちょっと憧れてたからその気分を味わえるからね」
無責任な発言とは思えない。
誰だってヒーローやヒロイン、アイドルやタレントに憧れることもあるのだ。
「顔だって知られることないし、それにだよ、最新鋭のゲームデバイスで仮想世界を満喫できるんだよ。イベントがどんなだかは分からないけど、きっと楽しいと思う」
妹らしい、と智志は思った。
確かに抽選もなしに新しいゲームを体験できるなんて、普通に考えればなかなかないことだ。
ゲーム好きなら興奮しすぎて鼻血を出してしまうに違いない。
「このことを親父たちは知ってるのか?」
「うん」
やっぱりな、知らなかったのは自分だけかとは思っていたが、それにしても……
「事務所の契約って、いつしたんだ?」
「半年くらい前かな?」
「えっ?そんな前に?」
「お兄ちゃんも事務所の社長さんにあってるはずだよ。ほら、長いポニーテールに眼鏡をかけたキャリアウーマンの見本みたいな人が家に来たことあるよね」
そう言えばそんな人を見た覚えが智志にはあった。
学校から帰宅して、珍しく親父が会社から早く帰ってきてるんだな~とか思って、居間でそんな人と話してたな。てっきり保険の説明にでも来てたのかと思っていた。
「お兄ちゃんの事も知ってるよ。作曲出来ることとかも」
面と向かって話をしたことはないが、用があって居間を覗いたときに、ずいぶんと鋭い視線を向けられたことは記憶していた。大人の女性は怖い、と初めて思った人だった。
「父さん、なんで教えてくれないんだよ」
ダイニングテーブルに座るなり、智志は真向かいに座る父親に聞いた。
妹や母親に気遣うことはあっても、父親は同性という事もあり話しやすかった。
「考えてもみろ、マイナーとはいえ女子アイドルに囲まれるんだぞ?男冥利に尽きるってもんだろ?」
はい、父に聞いた俺がバカでした。
会社では類まれなる手腕を発揮しているという噂の父親だったが、智志からみれば威厳のかけらなど電子顕微鏡でも見つけられないほどの人だった。
「そういや彼女達にあったそうだが……どうだった?気に入った娘はいたか?出来れば弥生さんにして欲しいとは思うが、こればかりはお前が決めることだしな」
「事務所の話だよ!……まあ可愛い人達だなとは思ったけど」
「みんなタイプが違うから選ぶのが難しいと思うよ」
なぜか奏も会話に加わる。
「ちょっと待った。何気に俺の話がスルーされてるんですけど」
「さすがに智志はアイドルの器じゃないんだから、くれぐれも勘違いはするなよ?お前の使命はチームを優勝に導くことだ。人気がある無しとかはどうでもいい」
「お父さんデバイスの事なんだけど、持ってきてくれた?」
「ああ、ちゃんと会社から預かってきた。事務所の方にも今日届いたはずだから、メンバーと連絡を取ってみればいい。使い方はわかるよな?」
「うん大体。やったねお兄ちゃん、すぐにでもゲームが出来るよ」
父と娘の仲が異常なまでに良すぎるのが伊藤家のならわしだった。
「あの~、俺これでも大学進学希望者なんですけど、勉強に影響がないかとか普通の親のように心配してくれないんですか?」
「成績はいいらしいじゃないか、学校の担任に言われたぞ、もう少し目標上げても大丈夫だってな」
「そうするには勉強量が必要になるんですけど」
「お前は母さんの子だ、出来は間違いなくいいはずだ」
悪い遺伝子は全部親父からもらったんじゃねーか!と言いたくなるのを智志は堪えた。
「顔はこれといって普通だし、身長もまあそこそこあるし、成績も平均よりそれなりに上だしピアノも弾けるしね」
妹よ、無理してほめている感が見え見えだぞ。
「あの子達また来るの?」
お茶を啜っていた母親が奏に聞いた。
「うん、楽しかったからまた遊びに来るって」
「それは楽しみね。今度は前もって教えてね、お菓子とか全然用意できなかったし、何より岩崎さんの娘さんもだから、ちゃんとしておかないとね」
「ありがとう、たぶん次は来週の土曜あたりだと思うよ」
は?何それ、俺全く知らないんですけど、そもそも家族の一員として見てもらえてないんじゃない?
智志だけが妙な孤独感に襲われていた。