妹の友人達
学校から帰宅した伊藤智志の目に最初に留まったのは女性物の靴だった。
家族の分を除けばちょうど四人分。
母親の友人かと思いきや、どう見ても高校二年生である智志と同世代の女子が履きそうなものばかりだった。
珍しいこともあるのだな、と智志は自分の靴を脱ぎながら思った。
おそらく妹の友人なのだろうが、一度に四人も遊びに来たという記憶が智志には無い。
音を立てずに気を使いながら階段を上ると、妹の部屋からは確かに女子連中の話し声が聞こえてきた。
会話の内容はわからなかったが、ずいぶんと楽しそうだった。
階段に一番近いほうが妹の部屋で、智志の部屋はその奥にある。
知らぬ間に社交的になっていたんだなと、妹の成長を喜びつつ智志は自分の部屋に入った。
万が一にも覗かれることはないはずだが、手早く制服から部屋着のジャージに着替えると椅子に腰を下ろした。
イヤホンを耳につけ、スマホで適当に選んだ曲を聴きながら机の上に問題集を広げた。
妹の奏は思春期真っ只中の中学三年生。
壁越しに聞き耳を立てていた、といった類の誤解をされないための自衛手段だ。
同級生たちの話を聞く限り兄弟仲が悪いとは思っていないのだが、妹がこれだけ多くの友人を家に招くなんてこと自体、そうそうある事でもないのだから何が起こるか分からない。
妹だって兄妹に知られたくない一面だってあるのだ。いや、あったりするのかも知れない。
中学卒業までピアノ教室に通っていた智志とは異なり、奏は「絵」で自分の才能を開花させた。
それがきっかけで中学の一学年上の先輩である岩崎弥生に誘われ、二人でアマチュアゲーム制作を始めた。
市販のロールプレイングゲーム制作ソフトを使い、半年ほどの時間をかけて作った作品があろうことかコンテストで大賞を獲ってしまったのである。
うら若き才能ある乙女二人は世間の注目を浴び……とは言っても地元の新聞に小さく取り上げられたり、ネット上でちょっとした話題になった程度なのだが、ささやかな有名人の仲間入りをすることになった。
受賞してしばらく妹達は気忙しい日々を過ごしていたが、今は依然と変わらぬ日常に戻りつつあるようだ。
表立って知られていないことだが、実は智志もゲーム制作のメンバーだったりする。
妹達の依頼でメインテーマ曲のほかに数曲を作り提供していたのだ。
著作権の面で余計な心配のない、自分達のイメージにあった曲が必要だった妹達は、時々自作の曲を作っていた智志に白羽の矢を立てたという具合だ。
あくまでお手伝いなのだからと、智志はメンバーの一員ではないと断言したのだが、ゲームのエンドクレジットには偽名で智志の名前が加えられていた。
「うぉう!」
帰宅してから三十分後、智志は叫び声をあげた。
急に後ろから肩を叩かれたからである。
振り返ると妹の奏が立っていた。
「ごめんなさい!驚かせるつもりなかったけど、ノックしても気づかなかったから」
困惑した表情を見せる妹に、智志は怒るような素振りを見せない。
「ああ、ちょっと音のボリューム上げすぎてたかもな。……で?」
「今いいかな?」
「いいけど、あれ?友達来てたんじゃないの?」
「うん。……実はそのことでお願いがあるんだけど」
妹の友達と自分に何の接点があるのだろう?
そんな疑問が智志に浮かんだ。
「買い物か?いいよちょうど俺も飲み物とか欲しかったし、遅くなりそうなら夕飯のことも考えないとな」
「それとは違うんだけど」
普段見たことのない妹の様子に智志は心配になった。
「……みんな連れてきてもいいかな?」
「えっ?」
何がどうしてそうなる?
妹の口から出た言葉の意味が分からない。
兄だから友達に挨拶をしてほしいという事なのだろうか?
いやいやそんな人前で気取るような真似事なんて出来るはずもないし、したこともない。
ごく一般的なサラリーマン家庭育ちでは、そのような躾をされた覚えもない。
自慢の兄を友達に紹介する。
ますますもってそれはない。
智志の友達の言葉を借りれば、腹違いの妹なんじゃないのかとか、智志にだけ劣勢遺伝子が根こそぎ集中した、主に顔、が本人も悔しくはあるが認めるざるを得ない事実であることは確かだ。
百五十センチにも満たない身長と、前髪を切り揃えた腰まである黒のロングヘア。透き通るような白い肌にくっきり二重の大きな瞳となれば、年齢的にもあと五年は一人歩きさせられないような妹なのだ。
自慢するのは智志の側であって、逆の立場になることはないはずだ。
「じゃあちょっと呼んでくる」
そんな兄の刹那の逡巡を理解してくれることもなく、妹は智志の部屋を出た。
「あっ」と伸ばした智志の右手が宙に止まる。
やっべぇぇぇぇぇぇ!
カッと目を見開いた智志は自分の部屋をえぐるように確認する。
ベッドの上に放り投げていたままの制服を掛布団の下にねじ込み、床に数冊置きっぱなしだった本や雑誌を棚に音速で収める。
ついでに未成年女子には刺激的すぎるものがないかベッドの下を素早くチェック。
ゴミ箱の中にティッシュがないことを確認したのちに、読書感想文を書くためだけに買って置きながら、あとがきを丸写しして以来読んでいない小難しい本を手にしようとして却下、電子ピアノの上に放置しっぱなしだった書きかけの楽譜に変更する。
この間わずか十五秒。
ふうと息を整えて、締めの冷静を装う。
そして部屋のドアがわずかばかり開いていたことに気づいて驚愕した。