抜け出せたら
早駆けに花売りの意味を知られたくない。
だけどわたしのことは知ってほしい。
撞着する懊悩がわたしにある着想をもたらした。
早駆けがくれた五円を元手に、なにか別の方法で生計を立てて行けないだろうか、と。
原資にして商売をするのもいいし、衣服や用具を買って勤め口を得やすい最低限の身だしなみを整えるのもいい。
まじめに検討してみる価値はある。
どの商売を選ぶかは特に慎重に判断しなければならない。花売りの一日の稼ぎを上回らなければ、とてもパパを説得できないだろう。
翌日から折を見ては色々な仕事を調査して歩いた。調査といっても店や売り子、路傍で従事する人を相手に、お給料を聞いて回るぐらいだ。ただ聞くだけでは無視されてしまう。しかし花売りとして割り引いて身を差し出せば、たいがいの男は教えてくれた。苦渋の決断……。
花売りの間には自然と生じたなんとはなしの棲み分けがあるので、他の地域でこうして流し歩くのは望ましくない。ましてや割り引きでよその陣地で仕事をするなど、花売りの道にもとっている。少ない額でお客さんを取る身には、客一人といえども死活問題だからだ。
その問題を押してまで他の仕事を知ろうとするほどに必死だった。ここ数日の稼ぎが特に少なかったので、調査だけしていられないという事情もあった。
棲み分けといえば、このあたりは誠道会という組織の縄張りだという。
パパはこちらに移ってきてから、どこかにお金を納めている様子はない。花の仕入れ先は別の街に住んでいる知り合いだ。パパは前にいたところと変わりなく、誰の許可も得ず後ろ盾もなしにやっている。相手の目をくぐりぬけて上手くやっていると思っているのかもしれないけれど、実際には細々やっているのを見逃されているだけなのだろう。
もしかするとまた追い出されるかもしれない。そうなれば早駆けと会えなくなる公算が高い。
そうした危惧も鞍替えのための調査を後押ししていた。
調査の結果、転職に望みをかけるのはあまり賢明ではないという、厳しい事実が得られた。
たとえば工場労働。現代の既製品全盛の時代には欠かせない働き手。月雇いは日割り二円六〇銭。日雇いだと二円になるものの、女子供を雇った例はないと手配師。
煙突掃除なら女子供でもなれる。一日一円二〇銭から一円五〇銭程度。これに掃除した煙突の本数に応じた出来高が加わる。はしこい子なら稼げるぜ。掃除の監督はそう請け合った。だけど実際に働く少年少女たちに聞いてみたところ、出来高のほぼ全額は監督が監督代としてはねていくのだとか。
記者の使い走り。これは当番の雑報記者に路地裏であった事件を耳打ちしたり、世間を騒がせている事件について人々からそれとなく聞いたりする仕事。タネ取りというそうだ。情報が記事に結び付けば一件につき二〇銭程度の報酬が出る。紙面での扱いによっては増額もある。ただしこれはまず記者に探してもらうか、他の人に紹介してもらわないといけない。それに本職を持つ人――それこそ工場労働者や煙突掃除――が副業的にやるものだという。
商売に関して言えば、行商人がもっとも手っ取り早く始められるという。旬のものを扱うのならば仕入れの原資も安くすむ。ただし同業者は無数にひしめいている。地歩を固めるには長く続けられる下地と確実な稼ぎが求められる。その点では花売りと大差はない。子供の行商人は軽く見られるというから、パパにも手伝ってもらわないといけない。
他にもバタ屋クズ屋石炭拾い紙拾いなどの回収業、どぶ浚いやごみ箱掃除や道路掃除などの清掃業、ネズミやカラス、野良の犬猫を捕まえる捕り屋、――挙げきれないほど多くの仕事がある。
帝都では人が関わっていない場所は存在しないのではないだろうか。機械の普及が人の仕事を減らしていくといわれているそうだが、そんな心配はまだしなくてもいいようだ。
先にいくらか並べたのは、聞きこんだ中で割がよいと感じた仕事だ。
わたし一人の経験に基づくが、花売りと比べてみる。
客が選んだ花の数――つまり行為の内容――によるけれど一人取ってだいたい八〇銭が相場だ。多い日は五人ほど取れるが、月に均せば一日あたり二三人ぐらいだ。つまり一日一円六〇銭から二円四〇銭ほど。
そう、いくぶん客数に左右されるものの、花売りは他と比べて概して稼ぎがよいほうなのだ。
路地裏育ちの身がこれより多い稼ぎを、五円を元手にして得ようとするには――世の中で成功者や創業家と呼ばれる人がそうであるように――誰も手を出していない商売に目をつけるか、とびきりの良案を思いついて売りこまなければならない。
ひと山当てられないかと賭け事に手を出すのは他人の思惑に身を託すようなもの、パパと同じになってしまう。
そのパパを説得するには、最低でも一日三円は稼げる方法を提案しなければならない。
聞きこんだ範囲で三円を手にできる商売はなかった。もっとも望みがありそうなのは行商人だけど、これだってパパと二人で力を尽くしてやっていかないと厳しい。そしてパパが賛同してくれる見こみは薄い。稼ぎを一方的に持ち出してすり減らしてしまう人が、どうして一緒に汗水を流してくれよう。
稼ぎが減る仕事をするなんていう話があるか。花売りを辞めるな。
そう言う姿が目に浮かぶ。もしもパパに貯めるという発想があれば、できることはいくらでもあるのに。
わたしの行く末はパパが握っている。
ずっと前から知ってはいた。だけど早駆けと知り合ってからというもの、パパの存在がますます加重されたようだった。重さが枷となりわたしをとどめおこうとする。
『自分がここに立っているのかどうかもわからない。ううん、本当に立っているのかどうかもわからない。もしかしたら押しこめられて這っているのかもしれない。今をしか生きられないし、生きていけない』
早駆けへの共感をこめた言葉が跳ね返ってくる。
いや、共感しているだけではだめ。ここを抜ける道筋を見つけたい。『前を見ても、真っ暗』じゃない生き方を、せめて明るい前を見られるようになりたい。
わたしは狭い路地裏を抜け出したくなっていた。
調査は何日かに分けた。
わたしがよそへ行っている間に早駆けが来ていたかどうかを確認する方法はない。いつもの場所にいつもの木の台を置いてあるから(台はわたしの持ち物じゃないけれど)、伝言代わりに印を残そうと思えば残せた。だけどわたしはそうした方法を採らなかった。
そこが自分でもよくわからないところだけど、いつでも連絡に頼ってしまう状態になるのを避けたのだと思う。わたしがのめりこんでしまうのを恐れるあまりの自制だろう。連絡に頼るのは、彼がこちらをどう思っているのかが明瞭になったときからでいい。
共感を望むし一緒にいたいとも考えている。一方でずるずると引っ張りあうようなのはいやだった。大事なのは適切な歩み寄りだ。
数日に一度の割合で早駆けがやって来る。来る時刻もほぼ決まっていたので、その前後の時間にお客さんを取るのは避けていた。どちらかというと、早駆けと会う合間にお客さんを取っているようなものだった。
「愚連隊の人って月給取りとほとんど同じみたいに思えてくる」
話を聞く限りにおいて、戎という組織は班ごとの歩合制が取られているようだ。班員が全員成功すれば取り分は多く、失敗が多ければ少なく。はめられている枷は競争と連帯。
「よく知ってるな」
「お客さんにそういうのが多いから……、あの人たちはよく不満をこぼしていくの」
怒りのはけ口を求め、安い料金で色々なものを吐き出していく。彼らは花売りに当たるのに抵抗を覚えない。花売りは平社員よりもさらに低い位置にいる存在なのだから。だけどその花売りだって月給取りと同じで、保護者や元締めからもっと稼げと怒鳴られる環境にいる。そんな想像もできない摩耗した人たち。
お客さんに当たり散らされても、花売りは黙って受け入れる。自然の草木には空気を浄化する機能があるというが、帝都で生の花を売るわたしたちは、彼らが溜めこんだどす黒い怒気や悋気を、穏やかなものへ還元する機能を持たされているのかもしれない。帝都に持ち込まれた草木は、都会の汚い空気を浴びてすぐに萎びてしまう。ならば人の黒い感情を聞いているわたしたちの行く末も……。
「あ、俺のも愚痴に聞こえたちまったか……」
「気にしないで。早駆けの話はわたしが聞きたくて求めているのだから」
知らなかったことを聞くにつけ、帝都の異相が見えてくる。
ただぼんやりと住んでいるだけでは絶対に知らなかったようなことが、自分のすぐ隣で起こっている。そうした隣がいくらも隣り合いつづけて、この帝都を形作っている。同じ街にも違う世界があって、そう考えると、世界など国を出なくてもどこにでもあるのかもしれない。
早駆けは自分の話にとりたてて大きなもの――世を賑わす探偵や怪人の事件や、手に汗握る愚連隊の活躍――がないので、わたしが不満を抱いていると思っているようだけど。
あなたに興味があるのだから、その口から出るものがつまらないなんてことはない。取りとめもない話こそありがたいのだ。
「愚連隊なんていうから、もっと飲んで騒いで好き勝手に生きてるのかと思ってた」
ぐれる、という言葉の由来になっているぐらいだからそう思っていたのだ。
外部からの想像と内部での現実のずれなんて、きっとなんにでもある。そのずれを少しでも解消して、現実に寄っていきたいと思ってしまうのが、わたしの性根だ。彼に出会った当初に覚えた興味の源泉でもある。
早駆けが過ごすとりとめのない日常を耳にして、ずれを埋めていく。彼をより深く知っていく。埋まったずれの分だけ近づいていく。その接近がただただ嬉しい。
「上手いことやってる連中はそうやって過ごせるよ」
「上手くいかないと、やっぱり厳しいみたいだね?」
「これは失敗と関係ないぞ」
「本当に?」
「か、関係ねぇってば。こんなの唾でもつけときゃすぐに治らぁ」
早駆けの額には青い打ち身ができていた。前に会ったときにはなかったものだ。荒っぽい愚連隊だから、怪我とは切っても切れない関係なのだろう。容易に想像がつく。彼は自らの口で、その傷ができたことには触れなかった。話したくない事実が含まれているのだろう。わたしの痣が、パパにぶたれてできたものだと口にしなかったように。
だけど話を聞いて距離を縮めていくほどに、うっすらと現実が見えてくるものだ。おぼろげに浮かぶ実相は厳しくて、辛い。
外部からの想像と内部での現実。わたしたちはその均衡を話しながら探り合う。
想像に傾けば嘘を重ねて失墜してしまう。現実に傾けば酷薄な事実に身を突き刺されて身動きが取れなくなってしまう。どちらも恐ろしくて、二人とも、隠しきれない厳しくて辛い部分に努めて触れないようにしている。
わたしを見つめる早駆けの造作は整っている。打ち身がそれを台無しにした形跡もない。磨けば光るとは彼を指すのだろう。いまのわたしが知っている彼の事実。
「早駆けは綺麗な顔をしているのに、こんな傷をつけて――」
「な、な……」
「唾でもつけときゃ、すぐに治るんでしょ」
わたしがしたのは、まさに唾をつける行いだった。
じんわりと温かいのは、わたしの唾液か彼の温もりか。
早駆けの頬にかざした手は振り払われない。
わたしは安堵した。彼がわたしを憎からず思っていると、高い確度で得えられたからだ。これも探りの一種だった。
早駆けがなにか言いたそうな目をしている。いま聞き出せばきっと語ってくれるに違いない。だけどわたしは黙ったまま彼の打ち身に触れつづけていた。
やがて早駆けも黙って目を閉じる。身の内に生じた嵐をやり過ごすために身を伏せたようだった。なまじ考えすぎてしまうために、こういうときに風に乗るのを臆してしまうのだ、わたしも彼も。花ならば、風に乗って未来に託すというのに。
温かかった手のひらが、風に突き刺されて急速に冷えていく。