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その意味は

 思い返せば、興味が愚連隊から愚連隊のあいつへと移ったのが芽生えの兆候だったのだろう。

 話し相手に、なんて誘ったときにはまだ理屈があったと思っていた。だけどそれは後付けの理屈だ。本当は衝動しかなかった。

 ただただ彼のことを知りたかったのだ、わたしは。

 彼に不思議な安心感をいだいていた。それは彼がわたしを本当にただの花売りだと思っているところからきていた。

 普通の花売りと愚連隊の下っ端。

 不穏な色と肉の気配がどこにもない関係。

 物心がついて初めてそんな状態に置かれていた。

 彼と出会うまでは、たえず色と肉の好奇にさらされていたといってもいい。お客さんはそれを前提としているし、パパがわたしを見る目にもどこかにそれが滲んでいた。前にいた路地裏の花売りたちも、互いを監視しあうようにそれらを誇示していた。

 そんなわたしが、ただの話し相手ともいうべき知己を得られてどれほど気が休まったか。

 だけど恐ろしくもあった。早駆けが花売りの意味を知れば――


 午前中のお客さんは一人だけだった。

 こちらに用ありげに近寄って来たのが何人かいたけれど、その人たちはなにも求めず行ってしまった。あの人たちはわたしの顔のまだ新しい(あざ)を見てひるみ、別の子を買おうと考えたのだろう。

 わたしは声をかけられるか花を買われるまで、にこにこして待っているだけだ。こちらからは呼びかけない。お客さんにも好みがあるからだ。これまでもわたしを見て買って行かない人は大勢いた。押し売って悪目立ちするのも避けないといけない。


 家から持ってくる湯たんぽがすっかり冷えたらお昼。

 お昼は昨夜の残りの草と干し芋ひときれ。それとお客さんに分けてもらった日持ちする塩辛い堅パン。それらを湯たんぽの冷えた水で飲みくだしながら《時計塔》の鐘の()を聞く。

 湯たんぽといい食事といい、わたしたちの生活は〈蒸気都市〉なんてうそぶく帝都とはなにひとつ結びつかない。だけど帝都の象徴である《時計塔》の鐘だけは誰にでも平等だ。


 午後はどうしよう。一人だけでは稼ぎにならないけれど、痣ができている時の客入りはいつもこんなものだ。だけどそれだとまたパパに怒られるかもしれない。

 来るとも買うとも定まっていないお客さんを待っていると、「よう」とぶっきらぼうに呼びかけられた。

 わたしをただの花売りとして見てくれる話し相手の登場だ。

「来てくれたんだね、早駆け」

「今日は草売りか?」

 と代替品を見つめながら言う。この子は花を仕入れる大変さを知らないのだ。

 花は見本にすぎない。買わずに去ったお客さんも、まさか草を並べているから買わなかったというわけではないだろう。なんとなれば花などなくてもこの身ひとつで事足りる。

 花を売っているのはお(まわ)り対策だ。身一つの立ちん坊でいると彼らは、「こんな昼間から子供がなにをしているか」と(ただ)してくる。そんな相手にはただ花を売っているのだと答えればよい。巡邏(じゅんら)させられるような立場の人はほとんど見逃してくれる。運がいいとお客さんになってくれる。

 だけど時々あくどいのがいる。日頃の公僕生活で溜まっているもののはけ口を求めているのだろう。そんなやつの相手をさせられたあげく、難癖をつけられて感化院に入れられた子もいるという話だ。

 もちろん早駆けにそんなこと伝えはしない。

「すぐに花が手に入らないからそれの代わり」

「なら、ちょうどよかったかもしれない」

 早駆けが進み出て、後ろ手を回して花束を掲げる。

 目の前にぱっと現れたのは黄と赤。

「どうして……?」わたしなんかに花を……。

 色彩の乏しい路地裏に突如として現れた鮮やかさに、わたしは軽い目まいを覚えて言葉を詰まらせる。

 わたしのかすかなつぶやきを、相手は、どうしてそれを買ってきたの、と取ったらしく、花を買う際の苦労を話しだす。

 彼は自分が求めた花の名さえ知らなかった。むろんそれが森林公園で見られることも。そのことに触れると早駆けはがっかりしてしまった。一円もしたのだから貴重な花に違いないと思っていたのだろう。花の名を知らないのだから、当然その扱いの難しさも知らないのだ。種を()いて水をやっておけば咲くと考えているのだろう。いや、勝手に生えてくるとさえ思っているのかもしれない。

 福寿草と山茶花(さんざか)はこの季節に花が咲く。花の状態は瑞々しく、この汚れきった街中――それも路地裏――にあって可憐さがより際立つ。人の目につくにはもっともよい時期だ。

「店先の花をこんなふうに保つのはとても難しい。それにわたしたちが森林公園で摘んだ花をここまで持ってこようとしても、絶対に途中でしおれてしまう。大通りの煤煙は花にとっても辛いものだから」

 早駆けは自分が手にしているものの価値がわかっていないのだ。

 花を異性に贈る行為の意味も、きっと。

 咲いて枯れてしまういっときの花。路地裏に住んでいればつい忘れてしまうが、流れない水はなく、枯れない花はなく、巡らない季節はない。その雄大さ長大さに伍する人間はいない。そんな人間が自然の表象である花の、もっとも美しく咲いている頃合いをはからって他人に贈るという行為には、特別な意味が備わってくる。旬の一番よいものをあなたに。

「どんな花でも嬉しい。早駆けがわざわざ買って来てくれたんだから。ありがとう」

 気付けば笑っていた。人に好かれる笑顔を浮かべようと習い性になっていたが、そのときばかりは自然に笑顔が引きだされていた。彼が花を贈る意味を知らないのだとしても、わざわざわたしのために選んでくれたという事実が嬉しかった。

 自然に笑えたのはいったいいつ以来だろう。人に見られることを意識しない表情をどれぐらい浮かべていたのか、早駆けがわたしを見てぼうっとしていた。

「早駆け……?」

「ま、花のことは詳しくないけどよ、昨日は俺のせいで商品を台無しにしちまったからな。だから代わりに大事な商品を仕入れて来てやったんだよ」

 花売りの意味はおろか花を贈る意味さえ知らない彼が、どうしてわたしに花を買ってきたのか。それはわからない。だけど代わりに買ってきた、というのがあきらかな照れ隠しなのはわかった。

「そうなんだ」と応じるわたしの顔が自然と曇ったのもわかる。なんだ、期待して損した。そんなふうにうそぶいて自分を偽り笑いたかったのに、それができなかった。

「と、ともかくだ、俺はあんたと別れたあとも大変だったんだぜ」

 早駆けの真意はどこにあるのだろう。わかるけれど解らない。それがもどかしい。彼と話していれば、おのずと解ってくるようになるのだろうか。

「今日はもう閉めるから、あっちでお話をきかせて」

 今日はもう早駆け以外に会いたくなかった。


 このときにはもう、彼への興味は別のものに変わっていたのだろう。

 これよりあと、早駆けと話すときのわたしは花売りではなくなっていた。

 違う。

 早駆けと話している間、わたしは自分が花売りであることを忘れたかったのだ。

 ……忘れさせてほしかった。


 早駆けはわたしと別れてからのあれこれを話してくれた。あまりなじみがない隊長のこと。勇ましい女副長のこと。暴力的な幹部のこと。こすっからい隊員のこと。もちろん全てを洗いざらいにというわけではないだろうが。

 一方で早駆け自身の話がほとんどないのが少し不満だった。

「あいつは稼ぎを無駄に使って、前を見てねぇんだよ……」

「早駆けは前向き?」

 彼が自分のことを口にしやすいようにと水を向ける。彼が愚連隊の中でどう考えてどう動いているのか。そちらのほうが気になるのだ。

「俺は……、どうだろうな」

 言葉を詰まらせる早駆けが抱えているものはわたしには見えない。けれど、それがとても重苦しいものだというのが垣間見(かいまみ)えた。暗いものに(くく)りつけられているのだ。

 そしていまのでわかった。彼はわたしと同じ型だ。

 沈思しがちな自分と、その周囲の環境とのずれに苦しんでいる。

 路地裏で生きていくのには要らないことにまでついつい頭を使ってしまう。自らの行動や生活を納得させるに足る理屈や道義を欲している一方で、この環境で生き延びていくためには考えても意味などない、身をやつして生きていくしかないという現実に引きずられている。思考と行動の差異を感じるたびに無力感にさいなまれている。勢い衝動的に前へ向けても動けない性格なので突破もかなわない。

 ずるずるといまの中に閉じこめられている。閉じ込められたという感覚が鮮明な苦しみを生む。水槽の魚は水槽の存在に気付いてはいけないし、鉢植えの植物は自らが根差している土が無辺の大地ではないと気付いてはいけない。帝都に住んでいるわたしたちも同じだ。

「前を見ても、真っ暗。自分が帝都(ここ)に立っているのかどうかもわからない。ううん、本当に立っているのかどうかもわからない。もしかしたら押しこめられて()っているのかもしれない」

 華やかさはもちろん、花が咲く自然からもほど遠い生活。足を伸ばせばつっかえてしまう。そんな路地裏がわたしたちの一生。自然の中で生きいないわたしたちって、なんなんだろう。

「今をしか生きられないし、生きていけない。こんな帝都では」

 暗い話になってしまった。

 わたしは話題を変えようとして、

「早駆けは無駄遣いしてない?」

 と意地の悪い聞き方をしてみる。

「え? してないしてない」台の上に置かれた花を見つめて言う。「それのこと言ってんなら、無駄遣いじゃなかったと思ってるよ」

 早駆けの視線に応じ花束を手に取る。控えめな微香が鼻先をよぎった。

「本当に無駄遣いじゃなかったと思ってる?」

「疑り深いな」

「代わりに商品を仕入れたなんて言うからさ、花代を無理に使わせちゃったんじゃないかなと思って」

 照れ隠しなのはわかっていた。けれど、やっぱり真意がわからないのがもどかしくって、しつこく聞いてみる。

「ええと、あれはほら、その、あれで……」

 彼もきっと、どうして行動したのかわかっていないのだ。それが普通だと思う。自身の行為をすべて自身で解明できる人なんていないと思う。けどそれが息苦しさを感じさせることもある。

「ともかく、だ。無駄遣いだなんて思ってねぇから」

「ありがとう。早駆けが無理に買ったわけじゃないのなら、やっぱり嬉しいよ」

 強引に言いきる態度にいまは甘んじておく。彼のそれがわたしと同じものであって欲しいし、彼にも自身で気づいてほしいと願う。だけど少しは意識的になってもらいたくて、わたしは彼に顔を寄せてその間に花を差し挟んだ。香りがひときわ強くなる。

「な、なんだよ……?」

「早駆けがせっかく選んでくれたんだから、一緒に楽しも?」

 煤煙の中で生きる身には少しきついぐらいの芳香だけれど、次第に鼻が慣れていく。頭の上からつま先まで香りで満たされるにつれ、穏やかな心地になってくる。早駆けと同じ香りを共有している。その事実がさらに心を安らがせてくれた。彼も同じ思いでいれくれるといいな。

 そっと様子をうかがおうとして、花ごしにばっちり視線が行き会う。

 彼がわたしの(あざ)を見ているのかがすぐにわかって(おもて)を伏せる。

 今朝に店舗の窓の反射で見たときには、それほど醜い(あと)にはなっていないと感じたのだけれども……。どこかで鏡を見ないと正確なところはわからない。だけどどんな痕でも、早駆けにじっと見られたいとは思わない。

「大した傷じゃないから気にしないで」

「気にするなって言われても……」

「見苦しいよね」

 こんな痣は大したものではない。そう言いたくて、わたしは心も表情もごまかしてにこりと笑う。自然な表情のままだと、きっと苦しみが浮かび上がってしまう。

「見苦しいとかじゃないよ。ただ――」早駆けは顔を寄せていなければ聞き取れないぐらいのくぐもり声で、「痛くはないんだな?」と。

 本当は痛いかどうかではなく、なんでこんな傷がついているのかを聞きたいのだろう。

「いまはまだ、言えないよ」

「いまは、って……」

「もっと仲良くなったら。それまで早駆けが会いに来てくれるのなら、だけど」

 会いに来て、とまでは言えなかった。彼がわたしをどう思っているのかが、まだはっきりしなかったから。

「会いに行くよ、話したくなるまで」

 そんな彼の返事が嬉しくて、再び自然に笑えていた。

 同じような存在の彼にわたしは共感したがっている。共感を求める根底になにがあるのか。なぜわたしの興味が変転したのか。もう気付いてしまっていた。

「いまはまだ、お互いに知らないところが多いだけ」

 いまは全てを話せないけれど、遠くない日に分かり合えるようになりたい。そして通じ合いたい。わたしはそう願っている。


 しかし通じ合うことへの恐れもある。

 早駆けが花売りの意味を知れば、わたしを見る目はお客さんと同じものになってしまうのでは……。

 わたしにはそれがなによりも恐ろしい。

 彼のことをもっと知りたい。解りたい。そう願う一方で、わたしは恐れのために自分のことをあまり話したくはなかった。

 このときからわたしは少し変わったようだ。誰かをいらいらさせるような言動を慎み、はけ口を求めなくなった。なにか吐き出した拍子に痛みを受けて、彼に見せたくない(もの)を増やしたくはなかったから。


 そっと家の中をうかがう。パパは出かけているようだ。

 すぐに駆け()って、家の隅に置いてある籠をずらして床板を露出させる。木の板は動かせるようになっていて、下にちょっとした隙間がある。家の壁となる板塀の下の土を掘って作ったわたしだけの秘密の場所。ここにはパパに見られたくないものを隠している。

 わたしはおはじきと櫛を取りだして空き場所を作り、その手前に小さな花束を入れた。すぐに板を戻して籠を重ねて、元通りにする。

 入りきらなかったおはじきはどこか別の場所に置いておこう。ちなみに五円は常に懐に隠し持っている。近いうちに服か靴底か服の裏に縫いこむつもりだ。そのための針も確保してある。

 家を出ようとするとパパが帰ってきた。手には新しく仕入れてきた花を持っている。わたしは反射的に手を後ろにやった。

「お、お帰りなさい」

「なにを隠した」

 目ざといパパが返答を待たず腕をぐっとつかむ。

「なんだこのおはじきは、いくらした?」

「知らない、拾ったやつだから……」

「俺が帰ってきてなんで隠した?」

「か、隠してない」

「拾ったのを俺に黙ってたのか?」

「お金にならないものだから」

 腕をひねられる。痛いのはいやだ。おはじきがこぼれ落ちていた。

「金にならねえだと? おめぇはいつから質屋になった。本物に聞かなきゃわからんだろうがよ! それに俺に黙ってたってのが気に入らねえ!」

「ごめんなさい……」

「お前は俺の言うことを聞いてりゃいいんだ」

 パパはどっかと腰を下ろしておはじきを懐にしまう。本当にお金になると思っているのだろうか。口にしかけてすぐつぐむ。傷を増やしたくはない。だけど、

「で、今日の稼ぎは?」

 このあとはまたいつもの通りに怒られてしまった。だけど顔の痣がパパを思いとどまらせたのか、二日続けて手ひどくは叩かれなかった。痛いのはいやだ。

「新しい花を買ってきてやったんだ。明日からはまた稼げよ。だいたい俺が花なんか手に入れるのにどれだけ頭を下げたと思ってんだ――」

 パパは自分がどれだけの苦労を重ねたかを語る。つい早駆けの話と比較してしまう。パパは自慢ばかりだ。熱が入っているので、適当に聞いていてもいいのが救いだ。じっと聞いていればそのうちひと段落する。そうなればまた商売にならないパパの相手。

 ありがとうパパ。少しでも遅く帰って来てくれて。

 花を見られなかったことにほっとして、わたしは身を任せる。自分を偽りながら。

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