庇う
その想いに気づいたのはいつだったのだろう。
最初でないのはわかっている。とっかかりは単なる興味だった。
駆け抜けてきた彼をとっさにかくまったのは欲目があったからだ。
ぼろ着をまとうそいつの手に黒い財布がしっかと握られているのを確認したわたしは、彼を手招きして背後の狭い路地に押しこんだ。
このときは逃亡者の少年を庇いきろうなんて考えていなかった。もし後を追って来る連中の方がお金を持っているのならば、そちらに売り渡していくらかお礼をもらうほうがよいではないか。
逃げてきた相手はわたしの手招きに応じてこちらにその身を委ねた。売り渡すか庇うかの判断もこちらに委ねたとみるのが至当だ。ぼろ着の少年がそんな路地裏の常識を知らないわけもあるまい。
表通りを歩く紳士婦人は、子供が損得勘定をしてはいけないと言うだろう。まっすぐ生きなさいって。それは正しい意見だ。あいつらはいつも正しい。不正や損得で生きている人間より、正しさの中で飢え死ぬ人間を評価する。評価するだけで、手を差し伸べはしないのだけれども。
二人組の男がわたしの前に立つ。最初から威丈高な男たち。いくらか言葉を交わして、かくまったのがスリで男たちは警官だとわかった。警官はこちらを見下しているから、わたしみたいなのを相手になにをしゃべっても問題ないとたかをくくっている。
「仕事が上手くいけば買いに来るからさ、どうか教えてくれないかい」
と若い男の警官が言う。色目を使う若い男には気味の悪さしか覚えない。ここで下手に出ていれば、あとで立ち寄ったときにそれを理由に値切れると考えているのだろう。高くもない花を買うのに値切ろうとする心根の賤しさには吐き気がする。嫌悪感を隠そうともしないもう一人の年配のほうがまだましなぐらいだ。
警察にスリを突き出しても褒美はもらえない。どちらにつくかは決まった。
失敗もした。年配の警官が、商品見本の花を踏みにじってしまったのだ。からかいすぎてしまったようだ。自分が安全圏にいると勘違いしたこちらの失錯だ。
花は商品見本だといっても、表向きに花売りの体を保つためには欠かせない大事な商売道具。仕入れるのには安くないお金がかかってしまうから、長く使って費用を抑えないといけない。見本を損なったとなればわたしの責任だ。パパに叩かれるのはいやだけれど、わが身から出た錆だ……。
路地裏から出てきたスリは、最初わたしが警官と共謀していやしないかと怪しんでいるようだった。子供は態度に本音がにじむからすぐにわかる。きっと年配警官もわたしに同じ考えをいだいていただろう。
「一度かくまった相手を突き出したりなんかしたら、こっちまで具合の悪い扱いを受けてしまうじゃない」
嘘ではない。
けれど本当でもない。ここに正しさなんてものはない。疑念を晴らすために虚飾を重ねる。
「だけどさ、そもそもなんで俺を隠してくれたんだ」
秤にかけて、あなたのお礼を期待することにしたから。もちろんそんなこと口にしない。態度にだって出すもんか。
「そもそも、なんて言うならさ、そもそもあなたはなんで追われていたの」
鎌をかけて話題を逸らす。表情はお客さん向けの笑顔。こんな路地裏で花を売る自分を美人だとは思っていないけれど、この笑顔を向ければたいがいの相手は気を悪くしない。髪を手入れする十分なお金も、肌をきめ細かく見せるための化粧品も、身を包む高価な衣服も持っていないわたしだから、ここ一番で頼れるものは自分の表情だけだった。たとえそれが好きなものではないとしても。
演技をしているつもりになってはいけない。表情を作っているなんて考えてもいけない。自分の感情をも偽って、本当の表情を浮かべられるようにならなくては。そうしないと私は生きていけない。でも、感情を偽れても、その奥でいつも泣いている気がしていた。わたしはいつからかそこからも目を背けていたけれど。
だけどそれは目の前の少年とは関係ない話だ。
このときはまだ――