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Good Job☆Nice Worker

喫煙人形

作者: 木野晴香

夜が来た。菜津美はジーンズと灰色のトレーナーの姿で自転車に乗って出かけた。

晴れた濃紺の夜空には半月が輝いている。交差点でLの字を書いて青信号を走り 抜ける菜津美の肩には、大きく膨れ上がった黒いナイロンバッグが担がれている。

しかし走る自転車の勢いで後ろへ振られたりしてるところを見ると、どうやら重 いものではなさそうだ。

どちらかというと軽い、かさかさとした物体。

5分ほど走り菜津美は会社裏の公園の前に自転車を止めた。その公園の入り口は いきなり8段くらいの登り階段になっていて、上がりきったところの6畳くらい の広場には藤棚がしつらえられ、はじっこにベンチが置いてある。藤棚の真下に は直径1m以上もありそうな大きな石が置かれていて、何の由来の物かの立て札 もないのだが、このあたりは40年以上前に水害に遭い、川の上流から人の丈以 上もある大きな岩石がゴロゴロと流され運ばれてきたと、菜津美は以前区報のコ ラムで読んだことがある。

石は苔むすこともなくただそこに静かに座っている。風情も感慨もそこからは発 していない、ただそこにあるだけに徹している。誰かが落書きでもしていれば、 また違った景色になったのだろうが、そういういたずらからも見向きもされない、 ただ、そこにあるだけなのである。

菜津美は石の横を足早に通り過ぎ、その先の下り階段をからからと足を回転させ るようにして軽やかに下りていった。公園の入り口は歩道よりも高く作られてい るのに、その後ろはきつい下りの傾斜地で、マンションの3階分も下にさびたブ ランコとベンチがひっそりと誰かを待っている。公園は宮の森のように大木に囲まれた空間で、周囲にある菜津美の会社や11階建てのマンションが、まるでそ の場所を恐れて避けて建てられたかのようにもみえる。


階段を降りきってブランコの前を右に曲がり、菜津美は会社の裏口を目指した。

地面に積もった枯葉が湿った匂いを放っている。街灯は何箇所かに立てられてい るのだが、木々の枝葉にさえぎられて十分に地面を照らしてはいない。誰かがひ ょこっと出てきたら、菜津美はきっと心臓をつかまれたように驚いて立ち止まる に違いない。だが、この公園はあまりに人気がなさすぎて、変質者さえ入って来ないらしい。ここで獲物を待ち伏せしても、出てくるのはタヌキかこうもりくら いだろう。 公園と会社の建物の間には柵がなかった。会社の建物はもともと公舎だった空き ビルを借りている。だからその建物は公園の端に建っている形になっているのだ った。

会社の裏口にたどり着くと、菜津美はひとつのベンチの前で立ち止まり、ベンチ を眺め、そしてそこで初めて周囲を見渡した。樹木のさやさやいう音と、会社の 表の国道を走る車の音が聞こえた。


菜津美は肩のバッグを下ろし、ジッパーを勢いよく開けた。中には真っ黒でくし ゃっとした大きな紙らしきものが丸められて入っている。菜津美はそれをつかみ 出し両手を高く上げてその紙を広げた。それは縦長のいびつな形に切り抜かれて いて、細い部分や広い部分がある。菜津美は片膝をベンチの角にかけ、その紙を ベンチに交差するように広げた。



それは、真っ黒の影法師であった。菜津美は少し離れて影法師の座り具合を確か め、うなずくと両面テープを取り出し、固定した。夜の光に照らされた影法師が ベンチに張り付いた。影法師は左腕をベンチの背もたれにかけ、右腕の肘を折り 何かつまんでいるような手つきをしている。菜津美はゴソゴソとバッグのポケットを探り、たばこの吸殻を取り出すと、その右手の指に貼り付けた。

ベンチの上で影法師はたばこを吸っている。両足をがっと広げ、えらそうにたば こを吸っている。そしてその胸には四角い光沢のあるシートが貼り付けられてい る。なんとも奇妙なオブジェだった。

菜津美は一仕事終えた区切りに空を見上げた。木の枝の隙間から晴れた夜空が見 えた。

風は穏やかで空気が冷たかった。





次の朝、裏庭でカッターシャツ姿の男たちがベンチを囲んで首をかしげたり苦笑 いしたりしていた。ベンチには座らず立ったまま、チラチラと影法師を見ながら 話をしている。影法師の胸には白く濁った胸部レントゲン写真が貼り付けられて いる。

窓のこちら側からは声は聞こえず、影法師の病んだ胸を覗き込んだり、興味なさ げにそっぽを向いてたばこを吸い込む男たちの動作だけが無声映画のように四角 いサッシの中にはめ込まれていた。

始業後まもなく影法師ははぎ取られ、ただのゴミになった。裏庭へのドアはいつ ものように喫煙者が出入りし、そのたびに室内に煙が流れ込んだ。

赤ボールペンを手に書類のチェックをしていた菜津美は、だるそうに顔をあげ、 眠気を覚ますために腕をうんと伸ばして深呼吸をした。



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