微チート
アッシュさんは何が言いたいんだろうか。
ここまで走り続けた理由なんて、分かり切ってるじゃないか。
「奴隷なんかにされたくないからだよ」
「それは望が走った理由だろう。俺が聞きたいのはそこじゃなくて、『全力で』ここまで走り続け『られた』理由だよ。なぁ望、俺たちが何分間走り続けてたのか教えてやろうか。大体30分だ」
そんなに走っていたのか。言われて初めて、かなりの距離を走った実感が湧いてくる。
よくここまで体力がって……え?
思考が「そこ」に行きついた瞬間、つい先ほどまで全く感じていなかった疲労感が俺を襲った。
両足がガクガクと震えて、全身からは汗が滝のように出てくる。
酸素を求めて呼吸も荒くなり、まるで体力が尽きるまで全力疾走したかのような状態になってしまう。
立っているのも辛くなったため、俺は転ぶようにして地面にお尻をつけた。
急にこうなったのも意味が分からないが、一番おかしいのは確かにアッシュさんの言う通り、全力でここまで走り続けられたことだ。
「思い至ったか。ペース配分も考えてないような全力疾走を30分なんて、魔法を使ったとしても人間には出来ないぞ。というか俺にも無理だ」
「なん、で?」
「お前は夢の存在だと言ったろう、望。良かったじゃないか、その体自体が望の欲していたチートだ」
俺の体がチート?
どういうことなんだ。
「望は夢だから、基本的に適用されるルールは望の認識になるんだ。さっき走っていたとき、疲れやペース配分について考えてなかったんじゃないか? 他のことに必死で思い至らなかった。だから疲れなかった。今は疲れについて考えが及んだから、『あれだけ走ったんだから疲れているに決まっている』という認識が働いて、今までの分一気に疲れた。俺の推測も含むから完全に合っているとは言わんが、そういうことだろう」
つまり頭空っぽで動き続ける分には、全く疲れないってことか。
び、微妙過ぎる……。
「複雑そうな顔してるな。他にもありそうだが、詳しく話すのは止めておく。確証もないし、多分望は知らない方がいいことも多いからな」
知らない方がいいことも多いって、怖いんだけど。
ただまあ、今はアッシュさんの解説で現状が理解できたから、良しとするか。詳しく聞くだけの気力がないのも大きい。
この疲れはやばい。指一本動かすことすら重労働に感じてしまう。生まれてから今までで一二を争う疲労感だろう。
正直寝落ちしたいくらいだ。地面が冷たくて気持ちいい。顔が汚れるとか気にしてられる状態じゃない。
そんなことを考えていると、俺の体が急に持ち上げられた。
「おぉ?」
「運んでやるから、そのままだらけてろ」
「ありがとう」
アッシュさんが俺の胴を片脇に抱える。片手で人の体重全部支えるとか、さすがアッシュさん。パネェっす。
気分は完全に荷物である。
アッシュさんはかなり余裕があるのか、俺がいてもいなくても差がないとでも言うかのように、軽々と走り出した。
さっきのアッシュちゃんよりも明らかに速い。しかも、まだまだ余裕がありそうな感じだ。
俺の顔は進行方向の逆を向いているけど、進行方向を向いていたらジェットコースターの気分が味わえたのではないだろうか。
もっとも、絶叫マシンは苦手だから、後ろ向きでいいんだけど。木々がどんどん離れていくのが見えるだけだから、それほど怖くはない。
最初からこの移動方法だったら、楽に逃げ切れたかなぁ……。
いや、ダメか。姿を変えるのが絶対見られるから、アッシュちゃんが人じゃないってばれるな。
となると、やっぱりさっきは走るしかなかったか。楽させてくれないな。
変わり映えしない景色が視界に流れることしばらく。
ふと「俺は疲れてない」って思えたなら、疲労感がなくなるんじゃないかと思って、運ばれながら試すことにした。
俺は疲れてない。俺は疲れてない。俺は疲れてない。俺は疲れてない。
頭の中で念仏でも唱えるようにひたすら繰り返す。
しかし、思考に逆らうかのように全身からだるさと疲労感が訴えかけてくる。
俺は疲れてない。俺は疲れてない。俺は疲れてない。俺は疲れてない。
あぁこのだるさ、何とかならないものか。
いや、俺は疲れてないんだ。だるくなんかない。疲れてない――。
5分程度は粘ったが、結局思考は感覚に押し負けた。
疲れてるのに疲れてないと思い込むなんて、早々に出来ないらしい。
疲れを取るのは自然回復に任せることにした。もっともこの自然回復も、俺が無意識でも「体を休めれば疲れが取れる」という考えを持っているから発生するらしい。
俺が最悪「これだけ疲れたら休んでも回復できない」とか思い込んでしまうと、自然回復すらなくなるんだろうな。
何とも扱いづらいチートだ。微妙なチート。略して微チートとでも呼ぶか。
これが思考に左右されないなら、地味だけどかなり優秀だったのに。
まぁ無意識でも効果があるってことは、マイナス効果にはなり辛いのが救いか。狙ったところでプラスにし辛いのが難点だが、それは練習していこうと思う。
「大分落ち着いたか」
こちらの状態が落ち着いた頃を見計らって、アッシュさんが声をかけてきた。
まだ疲れは抜けきってないけど、歩くくらいなら出来るかな。
「うん。そろそろ歩けるから、降ろしてくれないかな」
「おう」
アッシュさんは立ち止まると、俺を地面に下した。
かなりの距離を稼いだのか、遠方には木々の切れ目が見えている。森はあそこで終わりなんだろう。
さっきまでのペースとは打って変わって、ゆっくりと足を進める。
「森を抜けたらトラモントまではすぐなのかな?」
「このペースなら、森を抜けてから1時間くらいだ。途中で走り続けた甲斐あって、昼過ぎくらいには着きそうだな」
「なるほど。トラモントについたら気を付けることとかある? 特殊な風習がある、とか」
「俺からすれば特にそういうもんはないが……望から見ると特殊なことはあるのかもしれんな。大雑把に説明するから、気になることがあったら都度聞いてくれ」
「うん。頼んだ」
アッシュさんが太い人差し指をピンと立てた。
「まず、あそこは学術都市とも呼ばれている。知識をかなり大事にしているところで、識字率はほぼ100%だったはずだ。図書館や学校は世界最大規模のものがあるな」
続けて、中指を立てる。
「次に国民の気質としては、興味のあることには全力を尽くすが、興味のないことは徹底して避けようとするやつが多い。
あぁ、そのせいでトラモントでは普通に奴隷がいる。奴隷に労働をさせて金を稼がせて、自分は好きな研究をしている、とかはざらだ」
ほほう。普通に奴隷がいるのか。
アングラな存在だと思ってたけど、そうでもないのかな。
一般的に認められているなら俺も欲しいな。可愛い女の子を奴隷にして……うへへ。
「奴隷についてもっと詳しく!」
「奴隷なぁ。大体は研究や開発に金かけ過ぎたりして、借金背負ったやつがなるな。後はさっきみたいに盗賊とかが捕まえたのが、裏ルートで流れるくらいか。
奴隷と主人は契約魔法を使って契約を結ぶんだが、そこらへんは厳重に法律で縛られてて、一方的に奴隷がボロボロにされるような契約にはならない。
例えば食事はちゃんと出す必要があるし、理不尽な暴力を振るうとかもダメだな。どっちかってと雇用契約とかに近いかもな。超薄給にはなるけど、奴隷に給料も出す必要があるし。
あぁ、勿論奴隷の方が下なのは間違いないぞ。契約の範囲内なら命令には従う必要があるからな。
で、奴隷は自分が売られたときの値段の1.5倍を稼いで主人に渡すことで、奴隷身分からは解放される。
奴隷の値段は大体10万~100万ヘルトくらいが殆どだろうな」
ヘルトって……この流れで言うってことは、多分通貨単位かな。昨日聞いたような気がするし。
「それは高いの?」
「一般人の平均収入が、一ヶ月で大体2、3万ヘルトってところだな。まぁ研究や開発で大当たりした奴はその10倍以上普通に稼ぐけど、一般人はかなり無理しないと厳しい値段だろう」
「なるほど」
10円=1ヘルト、くらいだろうか。いろんな店の値段を確認しないと細かくは分からないけど、ひとまずはそのくらいの認識でいよう。
そうなると、奴隷が100万から1000万。人一人の値段として考えれば安いのかもしれないが、大金には違いない。頑張って金を貯めないと。
「奴隷についてはこんなもんだ。それと――ああ、最後のこれこそ知っておいた方がいいことだったな」
アッシュさんの薬指が立てられる。
「あそこは無知には厳しいが、それと同時に、知識を得ようとするやつには比較的寛容だ。
もし俺がいない場所での望が知らないことがあったら、素直に尋ねろ。それがどんなに常識的なことでも、ちゃんと教えてくれる場合が多い。逆に知ったかぶりをすると、高確率で恥をかかされるぞ」
「うん。分かった」
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥って感じか。恥をかかされるって意味ではなかったと思うけど、まぁある意味で近いだろ。
しかし、常識的なことでも教えて貰えるのは助かるな。
アッシュちゃんが教えてくれた(と思われる範囲の)常識は、トラモントにいる内に得ておこう。
アッシュちゃんに聞きなおすのは、出来ればしたくないんだよな。
本当に困ったら聞くつもりはあるが、あの時聞いてなかった理由を話せば、多分どっちも微妙な気分になるだろうし。
「トラモントについての大雑把な説明はこんなもんだな。何か聞きたいことあるか?」
「ありがとう。トラモントについてで聞きたいことは、今はちょっと思いつかないかな。気になることが出来たら、またその時に聞くよ」
「おう」
トラモントか。早く着かないかな。
そして出来ることなら、女の子の奴隷を手に入れて……フフフフフ。楽しみだ。
ようやくチート入手です。
チートらしいチートからは少しずれてますが。