お片付け
宿屋の主人も他の部屋の住人もぐっすりと夢の中にいるのか、それなりに物音を立てたはずだが幸いにして誰も来なかった。
というか宿屋の主人に見られていたら割とピンチなので、助かったと言うべきかもしれない。
月明かりが床の氷を反射してきらきら光っている様は、素直に美しいと表現できる。
ただその美しさは部屋の惨状によってもたらされているのだ。ばれる前に復旧しないとまずい。
天井といった手の届かない場所とかはアッシュが戻ってきたら頼むしかないな。
とはいえ、窓の一部にツタが這っているのはまずい。外から見られたら何かがあったのがバレバレだ。
同様に、外から窓越しに見れば視界に入るだろう部分も危険だ。これらは最優先だな。
後は、扉を少し開けて見える範囲も優先度は高いか。
誰かが訪ねてくる可能性は少ないけど、それでもゼロじゃないからな。
ちょっと扉を開けて話すくらいはあるかもしれない。
他の箇所は後回しにしても何とかなると思う。
アッシュが戻ってきたら魔法でなんとかできないか確認しないと。
一人で全部やるのは無理だし。
優先度の高い位置にある氷は、砕いてしまうくらいしかないよな。
破片とかは見えづらい場所にまとめておこう。氷が融けても大丈夫なように、部屋に元々置いてある大きめのたらいを使えばいい。
容量にちょっと不安は残るが、何とかなると信じる。
「ええと……あった」
荷物を漁って取り出したのは、レム鉱石を採取する際に使用した小型ハンマー。
当時の名残かちょっとだけ土汚れが付着しているものの、大して使っていないために壊れているわけがなく、氷のツタを壊すくらいはできそうだ。
ついでに夜ということも考慮に入れて、小さい布を二枚ほど取り出しておく。
一枚は小型ハンマーの叩く部分に巻き付け、もう一枚は左手に持った。
お試しということで、近くにあった小さめな氷のツタに狙いを定める。
氷のツタに左手の布を押し付け、布目がけて小型ハンマーを振り下ろす。
コツン、という音とともにツタに罅が入った。
音の大きさはそれなりといったところか。さすがに布二枚程度では大きな防音効果は望めないのだろう。
だが、それでもないよりはマシなはずだ。残りは部屋自体の防音性能に期待するしかない。
氷に罅を入れられる程度の威力もあるようだし、これでいこう。
最初は窓だな。
恐らく、ここは最初にして最大の難所だ。
当たり前だが、窓に張り付いている氷を窓に向かって叩くわけにはいかない。
窓が割れて悲惨なことになってしまう。
ハンマーを振るなら窓に沿って動かすのが鉄則となるだろう。
しかし、窓には窓枠があるし、氷のツタにも厚みがある。
加えて窓周辺はツタの密度も比較的低くなっているが、それでもツタは多い。
それらが邪魔になるせいで、思いっきり振るという動作はどう足掻いてもできそうになかった。
小さく動かして、慎重に少しずつ壊していくしかなさそうだな。
一番スペースが空いてそうな場所にハンマーを突っ込み、下にある氷のツタに左手の布を当てて、小さくハンマーを振り下ろす。
先ほどよりも小さい音が響き、ハンマーはすぐさま下にあった氷のツタにぶつかった。
結果は――なんとか効果あり、といったところか?
最初のお試しに比べると目に見えて小さいが、それでも少しは罅が入っていた。
地道な作業になるが、繰り返していればその内折ることができそうである。
良かった良かった。
氷のツタを排除していけば、少しずつハンマーを動かせる範囲が増えるから、その分効率が上がるはずだ。
頑張ろう。
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コツン、コツンという音が部屋に響き渡る。
時間は全く分からないが、結構な時間この作業をしていたように思える。
その甲斐あってか、窓に張り付いていたツタはなんとか除去することができた。
途中で数回窓にハンマーを当ててしまったときはヒヤヒヤしたが、慎重にやっていたために威力が低く、窓に傷をつけずに済んだから良かったよ。
「ふぅ」
軽く息を吐いて、場所を移動する。
次は窓から見える範囲だ。
その量は窓にあった分の比ではないが、多少雑にやっても大丈夫だというのがいい。
とりあえず適当なのに布を当てて、小型ハンマーを振り上げ――。
「ただいま。ごめんね望。結構時間かかっちゃった」
振り下ろす直前にアッシュの声が真後ろから聞こえた。
振り返れば、光の輪っかのようなもので捕獲されているシャーロットと、それを脇に抱えているアッシュが立っている。
「おかえり。目的は達成できた?」
「とりあえずボコるって目的は達成したから、戻って来たの。巻き込まれた望も話は聞きたいだろうと思ってね」
シャーロットの見た目は変化がないが、恐らく文字通りにボコったのだろう。姿を変えればボコられた痕とかも消せるだろうし。
実際、アッシュはさっきよりもかなりすっきりとした表情を浮かべていた。
「アッシュの愛が重い。姿を変えるの封じるのはちょっと酷いと思うなー」
「うるさい。あんたは訊かれたことにだけ正直に答えればいいの。無駄口叩いたら蹴るから」
「……分かったわよ。さっきみたいに痛いのは勘弁だから黙っておくわ」
シャーロットが唇を少しとがらせるのを尻目に、俺はアッシュに後始末の手伝いをお願いすることにした。
こういうのは早く終わらせた方がいいからな。
氷だらけの部屋ってのも落ち着かないし。
「アッシュ、悪いんだけどこの部屋の氷を魔法でなんとかできないかな?」
「あぁ……そうね。うん、大丈夫。ところでコレ、誰かに見られたりした?」
少し不安そうにアッシュが訊ねてくる。
俺はそれに、笑顔で首を横に振った。
「窓の氷を割ったりしたけど、外から見られたりはなかったよ。誰かが部屋に訪ねてきたりもしなかったし、問題ないはず」
「そっか、良かった。じゃあパパッと消すね。氷・闇・蛇・室内・1分・攻撃・侵食消滅。ダークスネーク」
魔法の効果は劇的だった。
どこからともなく大量の黒い蛇が湧きだすと、蛇はそれぞれが氷のツタへと移動していく。
ツタにたどり着いた蛇たちは、その上に乗ると少しずつ氷のツタの中に入るように消えていき、その数秒後には氷なんてなかったかのように消え去ってしまった。
融かしたわけではないらしい。水すら残っていないのだ。詠唱の通り、消滅したと考えるのが自然に思えてくる結果がそこにはあった。
そうして一分後、蛇たちの湧き出しは止まり、部屋の中にあった氷のツタと黒い蛇は、跡形もなく全てが消えていた。
「氷を消すためだけにえっぐい魔法おふっ!?」
感想を述べようとしたシャーロットの背中をアッシュが蹴り飛ばし、シャーロットが床と熱烈なキスをする。
無駄口判定を食らったんだろう。それなりにすっきりしたようだが、未だアッシュは容赦する気がないようだ。
「じゃ、尋問タイムとしましょうか」




