ベッドの上で
ん、朝か?
光を感じてまぶたを開け、その眩しさに一瞬で目を瞑る。
一瞬このまま二度寝しようかなどという思考が過ぎるも、何とか誘惑を押し返し、今度は光に慣れるようゆっくりと目を見開いた。
視界に入るのはフィル村にある小さな宿屋の天井。
目立つような汚れはないが、隅の方に蜘蛛の巣があるのはご愛嬌といったところか。
結局ついてきただけだったなぁ。
いやまぁ、いつものことではあるんだけどさ……。
あれが食べたいだとか、暇だから遊ぼうだとか、そういう可愛らしい理由以外ではアッシュちゃんの希望って珍しいんだよね。
今回フィル村に来たいと言ったのは、その珍しい出来事に含まれる。
であれば、何かアッシュちゃんの手伝いができたらいいなーと思っていたというのに。
夢魔の能力を活かした情報収集とか、出る幕がないんだもんなぁ。残念。
ま、終わったことは仕方がないし、とりあえず起きますかね。
掛け布団の重みを感じていた両腕を上げようとし――違和感に気付いた。
掛け布団が膨らんでいる。ああいや、俺が入ってる部分に関してはそれが普通なのは分かっているんだが、明らかに人一人分以上の横幅が膨らんでいた。
お相撲さん体形ならこんくらいの横幅あるのかなぁ、とかどうでもいいことを考えてしまう。
勿論俺はそれほど太っているわけじゃないので、横に何かが入っているのは明白だった。
何となく原因に察しがついて、俺は右手で首までかかっていた布団を少しだけ捲る。
朝の少しひんやりとした空気が入りこみ、くすぐったさに似た感覚が胸元を通り過ぎた。
それと同時に、原因を布団の中に見つけた。
天使がいたのだ。いや、魔王だけど。
あどけない表情を浮かべながら、俺の左腕を枕にしているアッシュちゃん。
糸のように細い金色の髪が数本だけ口の中に入っているのが、ちょっとお間抜けだけど実に愛らしい。
アッシュちゃんの寝顔は実にレアだ。今まででも、片手で数えられる程度の回数しか見たことがない。大抵、俺よりも先に起きて活動してるんだよな。
それにプラスして俺のベッドに入り込んでくるなんて経験は、今までに一度もなかった。
だから、この現状にはビックリである。ついでにアッシュちゃんの可愛さにもビックリだ。
この部屋にベッドはちゃんと二つあるんだけど、寝ぼけて間違えたのかもしれない。
そして今になってようやく、左腕にアッシュちゃんの重さを感じた。
……ん? なんかおかしいよな。
…………ああ。
あー、あー、そういう。俺……バカだ……。
かなり単純なことに思い至ってなかったと、今更ながらに気が付いた。
ヒントもあった。足りなかったのは俺の想像力か。
俺は夢であり、俺の認識が俺にとっての全て。
それは痛みや、今はもう関係ない疲れなど、俺しか感じない部分に関しては、このルールが作用している。
俺が感じる重さもその範疇に含まれているようだった。
今までこのことを疑ったことはなかった。だが、それは当たり前だったのかもしれない。
何故なら、今まで俺が持ったものは全て、持つ前に俺が見ていたからだ。
持ったことがあるものは、あっちにいたときの記憶から似たものの重さを想像。
持ったことがないものは、材料や質感、大きさからものの重さを推測。
意識的に行ったか、無意識的に行われたかは分からないが、ともかくこういう手順を経て俺は重さを認識していたと考えるべきだ。
つまり、そこに何があるか把握してない状態だと、俺はそれを持ったとしても重さは感じない。
あ、でも持つこと自体が困難か?
針に刺されたときのことを思い出す。あの時はそういうものかとあっさり流したが、痛みがなかっただけでなく、針が体に触れたという感覚すらなかった。
このことから、触覚もこのルールの範疇だと言えるはずだ。本当に今更だが。
触れていると認識できないものを掴む……ううん、やれる気がしない。
ふと、とあるテレビ番組を思い出す。
それはバラエティ番組だったか、芸人が黒い箱に手を突っ込み、その触感から何が箱に入っているかを当てるというものだった。
アレ、俺がやったら確実に当てられないってことだよな。
触ってる感じもしないし、重さも分からないし、仮にウニみたいなのが入っていて俺の手に刺さったとしても、痛みすら感じない。うん、無理ゲー。
これ有効活用できるかな?
重いものを運ぶ作業なんかで有利になりそうではある。そういう仕事はそのランクの平均よりも報酬が良いことが多いな。
あるいは、全身鎧を身に着けて、その防御力を頼りにして非常に重い武器を振り回す、なんてのもありかもしれない。戦いたいわけじゃないが、完全にアッシュさん頼りの戦闘じゃなくなるのは良いことだろう。どうやってその装備を手に入れるんだ、という疑問は一旦置いておく。
だが、これらを行うには前提条件がある。
俺の認識を騙さないといけない。
単純だが、これが難しいということはトラモントで訓練したときに理解している。
暇を見つけてちょいちょい訓練してもいいかもしれないが、一朝一夕にはいかないだろうな。
重さを感じなくなる、なんて呪いが存在していて、アッシュちゃんが使えるなら話は別だろうけど……そうそう旨い話はないだろう。
それに、何でもかんでも重さを感じなくなるのはちょっと困る。
例えば、今俺が左腕に感じている重さ。
大した重さではないけど、この重さがあるからアッシュちゃんを腕枕しているという実感が湧くのだ。
こういう実感がなくなるのは勿体ない。
うん、アッシュちゃんだけに頼ってちゃいけないね。凄く時間はかかりそうだけど、自力でなんとかしよう。
これは父性愛とかそっちの方だと思う。あるいは妹を見るような感じ。妹はいないけど。断じてロリコンなどではない。セーフです。
とりあえずこれで結論は出たけど……しかし、どうしようかね。この現状。
こういう場合、起こした方がいいのか? 起こさない方がいいのか?
今日はいつから動こうとか、こういう風に活動しようとか、そういった話は昨日全くしなかった。
アッシュちゃんの情報収集の結果次第だから当然ではあるんだが、ほぼ白紙の現状だとそれを基準に動きを決めることは難しい。
せめてアッシュちゃんの寝た時間が分かればなぁ。
寝ている時間が長かったら起こせばいいけど、短かったらこのまま寝させてあげたいところだ。
俺個人としては、正直どっちでもいいんだよね。
腕枕(をする側)とアッシュちゃんの天使のような寝顔は十分に堪能した。
でも別にこれが続く分にはいつまででも続いてくれて構わないと思うくらいには、現状は幸せだと思う。
うん、ホントどっちでもいいや。
右腕を少しずつ曲げて、アッシュちゃんの方へと移動させる。
意図的には起こさない。でもまぁ、これで起きたら起きたでいいかな。
そんなことを考えながら、右手をアッシュちゃんの頭の上に乗せる。
あまり強くはならないようそっと撫でつつ、指先に髪を引っ掛けてアッシュちゃんの口に入っていた分を口から出してあげる。
……ん?
アッシュちゃんの口角がちょっと上がってる?
もしかして……。
「アッシュちゃん、起きてる?」
問いかけに、目を開けることでアッシュちゃんは答えた。
「あーあ、ばれちゃった。おはよう。望」
「おはよう。アッシュちゃん。いつから起きてたの?」
「望が僕を撫でる直前くらい、かな」
「そっか。手抜くよー」
最後に少しだけ強めにアッシュちゃんを撫でて、宣言通りに左腕を引き抜く。
自由になった身を起こすと、体を思いっきり伸ばした。
「そいや、なんで俺の横で寝てたの?」
「んー、ちょっとむしゃくしゃしたから、かな。いろいろと漁ってみたんだけど、記憶もうまい感じに誤魔化されてて行き先しか分からなかったんだよね」
むしゃくしゃしたら俺の横で寝るという発想が今一分からん……。いや、まぁいいか。
「へぇ。でも行き先が分かったなら十分なんじゃ?」
「それが、その行き先が帝都なんだよね。さすがに人が多すぎて、探し当てるのはほぼ無理になっちゃうんだ」
「ああ……なるほど。じゃあどうする? もうちょっとここで情報集める?」
「ううん。これ以上は無駄だから、帝都に帰ろう。一応帝都でも情報を集めていくつもりだけど、基本はあっちのミス待ちになっちゃうかな」
ふむ。アッシュちゃんの目的は達成せず、ということか。
残念だが仕方ないか。夢魔はほぼ確実にフィル村から消えたというのが、せめてもの慰めかな。
もし帝都で同じように動けば間違いなく派手な騒ぎになるから、そうなりゃ見つけやすくなる。これがアッシュちゃんの言うミス待ちってとこか。
「了解。それじゃ、帰ろうか」
「うん」




