村のこと
「三本の矢」と別れたのは、夕方近くになってからだった。
アッシュちゃんが戻ってきてからは水を飲んでたまに食べ物をつまむ程度だったから、酔いはほとんどないし腹も減っていない。晩飯はなくてよさそうだ。
完全に酔い潰れたホルンさんと、それを脇で支えるオーリオさん、ホルンさん以上に飲んでいたのにほろ酔い程度で足取りもしっかりしているメイヴォスさん。
三者三様の姿を店の出口で見送ると、アッシュちゃんと一緒に宿へと戻る。
部屋の扉を閉めた途端、アッシュちゃんが口を開いた。
「それでどういう話だったの?」
口調はいつもよりも心なしか早口だ。余程気になっていたんだろうな。
「夢魔がこの近くの村で活動していたらしい。体調不良の原因は、いろいろと吸われていたからだってさ。そこまで判明した時点でホルンさんたちは退治する準備をしたけど、退治する前に夢魔が逃げ出したんだって。足取りも掴めず、今はどこにいるか不明。とりあえず原因がいなくなったから依頼は一応達成だけど、再発する可能性もあるから気持ち悪くて、ああやってやけ酒してたみたいだね」
「へぇ……いろいろ吸われてたんだ……。ふふふ、そこらはやるなって教え込んでたはずだけど、僕の目を盗んでやってたバカがいるのかな? だとしたら粛清ものだよね。可能性があるとするなら問題児たち……いや、でも活動場所自体は把握してるけど、ここらにいたかな……」
あ、これまずいやつだ。
アニメ的な表現をするなら、目のハイライトがなくなってる。
声のトーンもマジっぽいし……俺に向けて言われてるわけじゃないのに、ちょっと逃げたい。
「望、悪いんだけど明日その村に行っていいかな?」
アッシュちゃんの問いに、俺はノータイムで頷いた。
選択肢なんて存在しませんとも。ええ。
「ありがとう。ちなみに、その村の名前は?」
あっ……。
そういや、近くの村としか聞いてなかった気がする。
アッシュちゃんと視線が合う。
浮かべているのは、いつもと同じはずなのにどこか迫力のある笑顔だ。
「ご……」
「ご?」
「ごめん、聞いてなかった! すぐ聞いてくる!」
「あ、別に急がなくて――」
幸いにして、ホルンさんたちの宿の場所は別れ際に聞いていた。
この後は宿に戻るって言ってたし、大して時間も経ってないからきっとそこにいるだろう。
アッシュちゃんに告げて、転げるように宿から飛び出す。
部屋から出た後で何か聞こえた気がしたが、多分気のせいだ。それより急がないと。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
宿ではホルンさんとメイヴォスさんは寝ていたが、オーリオさんは起きていてくれた。
「やあノゾム君。さっき別れたばかりだけど、どうかした?」
「急にすみません。オーリオさんたちが依頼で行っていた村について聞きたくて」
俺の言葉を聞いて、オーリオさんが困ったような顔を浮かべた。
「あー……気持ちは分からなくはないよ? でも、正直お勧めはしないかな」
「え。もしかして部外者立ち入り禁止とか、そういう閉鎖的な村なんですか?」
帝都に近いなら普通の村だと思ってたんだけど、あてが外れたか?
だが、どうも俺の発言は的外れだったようだ。
オーリオさんは一瞬きょとんとすると、苦笑しながら顔の前で手を左右に軽く振った。
「違う違う。村は普通に出入り可能だし、お金が多少なりとも落ちるから来客は喜んでもらえる方だよ。ぼくが言ってるのは、別の問題。既に原因たる淫魔は出て行ってるんだし、今から行っても会えない可能性の方が高い。仮に会えたとしても、吸われるのに期待はあまりしないようがいいよ。基本的に気分次第らしいから。それに、吸われた人は最悪の場合、二度とモノが使い物にならなくなったりするらしいしね。なんだったら娼館をこっそり教えようか? そっちの方が安全だし。ぼくはあんまり知らないけど、ホルンはちょくちょく行ってるみたいだから良い情報知ってるんじゃないかな」
ああ……そういうことか。
確かに淫魔と呼ばれる夢魔を追いかけるなんて、期待している人がすることだと考える方が自然だ。
オーリオさんはそれを親切心から止めてくれているんだろう。
いや、これどうしたもんか。
全然違うって言うのは簡単だけど、じゃあ何の目的でと聞かれれば返答に困ってしまう。
アッシュちゃんが夢魔であることは話せない。
だが、そこを話さないと行く理由を上手く伝えることができない。
じゃあいっそのこと、開き直って勘違いされたまま押し切るか?
でもなー、これ押し切ったら確実に変態扱いされるよなぁ。それはちょっと心情的に避けたいなぁ。
どうするのが正解だ?
いっそのことアッシュちゃんに説明を押し付けるか?
……案外ありか? 押しかける展開になっても、きっと上手い感じに誤魔化して説明してくれる気がする。
うん、そうだよな。ここで俺が悩むよりよっぽどマシだ。そうしよう。
「えーと、俺が行きたいわけじゃなくてですね」
「まさかアッシュちゃんが行きたがっている、なんて言わないよね?」
「そのまさかなんです」
「女の子に理由を擦り付けるのは、どうかと思うよ?」
「いや、そう言われても本当のことなんで」
実際、俺は嘘をついていない。
アッシュちゃんが明日行きたいと言い出したんだし、俺個人としては正直どうでもよかった。
夢魔に会うだけなら毎日会ってるしね。そこに特別な感情は一切抱いていない。
探るような眼でオーリオさんが見てくる。
俺はそれを堂々と見返す。時間にして十秒ほど経つと、オーリオさんは溜息を吐きながら視線を外した。
「信じるよ。しかし、そうなるとアッシュちゃんが……いや、さすがにないか。アッシュちゃんはどうして行きたがっているんだい?」
多分夢魔を見つけ出して粛清するためだと思います、なんて言えねぇ……。
これもアッシュちゃんにやってもらおう。
「アッシュちゃんの事情を俺が話していいとも思えないので」
「ふむ、それもそうだね。女の子の秘密を無理に暴くのも良くないだろうし、そこを聞くのはやめておくよ。それで、ぼくらが行ってた村だったね。東門から出て道なりに進んで、途中の分かれ道で北側に行った先にある、フィル村という村さ。大体歩いて半日程度の距離だね。あぁ、万が一そこでまた問題が発生していたら教えて欲しい。ノゾム君たちでは淫魔の相手は厳しいだろうし、前回取り逃した責任がある僕たちが向かうから」
「フィル村、ですね。ありがとうございました。もし手に負えなさそうな何かがあったら連絡します」
オーリオさんにお礼を言って、来た道をとんぼ返りする。
アッシュちゃんと情報を共有しないとな。




