朝食の味
どうすべきか悩んだ末、俺はアッシュさんに土下座していた。
いや、普通に謝ったらいいとは思ったんだが、アッシュさんの迫力が凄すぎて自然と土下座になっていたのだ。
多分傍から見たら、ヤクザに凄まれて土下座している人、みたいな図になってるんじゃないかな。
「俺が間違ってた。オッサンと一緒に寝る方が辛いことに気付いたので、さっきの姿に戻って下さい」
ベッドが別なら、別にオッサンでもよかった。
しかし、朝目が覚めて、真っ先に見るのが隣で寝ていたオッサンという状況には耐えられない。
大体、俺さえ意識しなければ隣で少女が寝てようがセーフだ、セーフ。
前言撤回が早過ぎると言われても知らん。オッサンと寝るのを避けれるならプライドくらい捨てる。
「しゃあねぇな。――はい、戻ったよ。望」
顔を上げると、そこには確かにアッシュちゃんがいた。
「アッシュちゃん、ありがとう」
「ううん。僕が呼んだんだから、望にはある程度快適な環境を提供しないとね」
ホント良い子だわぁ。
「じゃあ寝ようか」
「ああ」
アッシュちゃんと少しの間を空けてベッドに入り込む。
ニコニコしながらこちらを見ているアッシュちゃんが可愛い。
つい手を伸ばして頭を撫でてしまう。
何だろう。髪質がいいのかな、撫でてて飽きないぞ。
とと、いけない。寝たふりをしなければ。
表向きだけでも目をつむり、頭を撫で続ける。
いいなぁ、この触り心地。撫でてても全く指に引っかからない。まるで上質な布みたいだ。
しっかり髪のケアとかしてるのかなぁ。
あるいは、「こういう姿」になっているから、ケアは要らないとか。うむ、ありそうだな。
そろそろアッシュちゃんは寝たかな。
体内時計で数分経過するくらい待って、俺はうっすらと目を開けた。
だが見えたのは、未だにニコニコしながらこちらを見ているアッシュちゃんだった。
「望、眠れないの?」
「あ、ああ。緊張してるのかもな。アッシュちゃんは気にせず先に眠って」
「明日は忙しくなるだろうから、寝ないと大変だよ? そうだ。魔法で眠らせてあげるね」
「え、いや寝るのは――」
「一人・闇・無形・0m・10分・攻撃。スリープ」
寝るのは避けたいんだけど。
そう言う前に魔法が俺を包み込み、強烈な睡魔が襲ってくる。あ、ダメだ。これは耐えられない。
もし起きても明晰夢が続いていたら、アッシュちゃんに事情はちゃんと話すことにしよう。
ちゃんと話していたらこういう事故を避けられるかもしれないし……。
「望? もう寝ちゃったの? うーん、それほど即効性のある効果じゃないんだけどなぁ。これはもしかして――」
完全に意識が落ちる直前、アッシュちゃんが何かを言っていた気がした。
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目が覚めて最初に視界に入ったのは、アッシュちゃんの顔だった。
観察するかのようにこちらをジッと見つめている。
アッシュちゃんがいるということは現実ではなく、明晰夢はまだ続いているらしい。
寝る=現実に戻るじゃなくてよかった。
こうなると現実に戻る術も分からないのだが、今は異世界優先でいいだろう。
「おはよう、望」
「おはよう」
「ご飯の準備出来てるよ。食べようか」
「用意してくれたのか。ありがとう」
アッシュちゃんに連れられて別の部屋に用意されていた食卓につく。
メニューは少し硬そうなパンとスープだった。
これは食料も一緒に吹っ飛んだとか、そういうパターンかな?
こういう食事がこちらの世界の基準、とかだと辛いから勘弁して欲しいな。
「さ、食べて」
「うん。頂きます」
しかしこれ、何のスープだろう。
見た目はコンソメスープっぽい。ちょっとだけ肉も入っている。何の肉かは知らないが。
スプーンですくって一口飲むと、味がしなかった。
味付けを忘れたのかと思ったが、アッシュちゃんは普通に飲んでいる。
そういえば、夢の中では味が分からないとか聞いたことがある気がする。
理由としては、知らない味は再現できないからだ、とかなんとか。
もしそういう理由なら納得はいくが、かなり困る。
異世界の料理が楽しめない、ということになるじゃないか。
「望、どうかした? もしかして不味かった?」
また変な顔でもしていたのだろうか。アッシュちゃんが少し心配そうな顔でこちらを見ていた。
丁度いいから、全部まとめて話してしまうか。
下手に誤魔化しても、ばれたときに悲しませてしまうかもしれないし。
夢の住人相手に「お前は夢の存在だ」って言うのも、もしかしたら酷いことなのかもしれないけど。
「えっと、アッシュちゃんは、これが俺の夢って言ったら信じる?」
「うん。望は夢の存在だよね」
あれ、凄いあっさりしてる。説明するまでもないのか。
最初から現状が分かってたってことかな。ニュアンスがちょっと違う気もするけど。
まぁいいや。説明が要らないなら楽だし、話を進めよう。
「夢だから、知らない料理の味が分からないみたいでさ。せっかく作ってもらったスープも、味が何もないように感じたんだ」
「あ、そういうことか。気が利かなくてごめんね。ちょっと待ってて」
「え?」
もしかして、何か対策があるんだろうか。
アッシュちゃんは小走りで部屋から出ていき、数分して戻ってきた。
手には俺が召喚されるときに持っていた一式、つまり契約書とインクと羽根ペンがあった。
あれがあるってことは、本当にアッシュちゃんが俺を召喚したんだろうなぁ。
「これにサインをして。僕とのラインを強化する契約で、味覚と嗅覚が僕を基準にしちゃうけど、ちゃんと働くようになるから。多分知らない匂いも分からないと思うから、嗅覚も一緒にやっちゃおう」
言われてみれば、こっちに来てから匂いを感じたことがないかもしれない。意識してなかったから、自信はないけど。
「アッシュちゃんを基準にするってのは?」
「えーっと、簡単に言うと僕が美味しいと思うものが美味しいと感じられるって感じかな。あ、ゲテモノが好きとかはないから安心していいよ」
「なるほど。じゃあパッと書いちゃおう」
受け取った契約書にさっと名前を書いてしまう。
口頭で説明も受けたから、読むなんてことはしない。
名前を書き終えると、前回と同じように契約書が光を放った。
今回はどうなるか分かっていたため、驚きはしない。
光が消えると、契約書も消えていた。どういう理屈か気になったものの、魔法がある世界ということを思い出して考えないようにする。
「これで契約は完了?」
「うん。スープ飲んでみて。可もなく不可もない味が分かると思うよ」
促されるままにスープを口に近づける。
微かに具材の肉っぽい匂いが感じられた。さっきはしなかった匂いだ。
口に含むと、味がした。味付けは塩だけらしく、確かに可もなく不可もない味だ。不味いわけではないが、美味しくもない。
基準がアッシュちゃんと一緒ということは、アッシュちゃんも全く同じ感想なのだろう。
なので、俺は味には触れないことにした。
「ちゃんと味と匂いが分かるようになった。ありがとう、アッシュちゃん」
これで異世界の料理が楽しめる。現実では味わえないような、美味しいものがあるといいな。
「気にしないで。それに、今回のことで望の状況が何となく分かったから」
「俺の状況?」
「うん。望は僕が思っていた以上に夢の存在だったんだ」
「そりゃ俺の夢なんだから、俺も含めて夢の存在だろう」
「望はそこを勘違いしちゃってるね。確かに望は夢だけど、望を取り巻く環境は現実だよ」
ん? 俺は夢だけど周囲は現実? 正直言われている意味が分からない。
胡蝶の夢とかそういうやつのことだろうか。いや、あれは夢が現実かどうか分からないみたいな話だった気がするな。違うか。
現実だと感じるほどにリアルな夢って線でもなさそうだ。そんな感じの言い方ではないし。
「どう伝えたらいいかな。まず、ここっていう現実があるよね。ここに、魔法を使って意思のある夢の存在を持ってきた。それが望ってことだよ」
「えーと、この世界は俺の夢の中ではなくて、本当にある世界ってこと?」
「そうそう」
「で、俺は幻みたいな存在としているってこと?」
「魔法で縛ってあるからちゃんと世界に干渉出来るけど、概ね合ってるよ」
なるほど。
「変わった設定の夢だな」
「あー。やっぱりそう思うよね。うん、説得できるだけの材料もないから、やっぱりさっきの話は一旦忘れて。これは望が自分からそういうものだって認識しないと、分からないと思う」
「ん、そうか」
別にアッシュちゃんを嘘つき扱いする気はないんだが、俺だけが夢で周りは現実と言われても、よく分からない。
言っている意味は何となく分かるが、俺だけが違う、という状況が感覚的に理解できないのだ。
全部夢、というのは分かる。あるいは全部現実、というのも超焦るだろうけど、分かる。
だが俺だけ夢、他は現実って言われても……なぁ。
だから、ややこしそうな設定は、とりあえず「そういうものだ」で流そう。
俺はそれ以上考えるのを止めて、アッシュちゃんが作ってくれたスープに手を伸ばした。