マルシュの依頼
日が経つのが早いときは早いもんで。
昨日、アッシュちゃんはトラモントでの調べ事を全て終えたらしい。
そう、トラモントにいる理由が昨日なくなった。
だから今日、冒険者ギルドでソレイユに行く依頼を探し、受けてからトラモントを出ることにした。
昨日の時点でマスターからは約束のお金を少しだけ受け取った。気持ち程度の金額だが、それでいいと思っている。マスターは遠慮しなくてもいいよ、なんて言ってたけどな。
あの二人の妨害をしてくれただけで十分ありがたかったから、これでいいだろう。そこまでお金には困ってないし。
お世話になった魔狼の牙亭とおかみさんにお礼を言って、宿を後にする。
「また来ておくれ」と言われ、笑顔で「はい」と返事をした。
実際いいところだった。アッシュちゃんの用事が全て片付いて、アリスとイリスがこっちを忘れたころになったらまた来ようと思う。
すっかり見慣れた町を歩き、冒険者ギルドにつく。
しばらくはここも見なくなるのか。世話になったし、ちょっとしみじみとしてしまう。
そんなことを冒険者ギルドの前で思っていると、扉が開いた。
姿を見せたのは冒険者……ではなく、なんとマルシュさんだった。
ここで見るのは初めてだが、もしかして何かの依頼だろうか。
何となく焦っているような気配を感じる。
「おはよう、マルシュさん。何か依頼?」
「ん、ああ。坊主たちか。そんなもんだ。お前ら、腕の立つ冒険者が知り合いにいないか?」
「いやー、悪いけどいないね」
他の冒険者とは極力関わらないようにやってきたからな。
噂で凄い冒険者の話とかは聞いたことがあるが、あくまで噂だし知り合いですらない。
マルシュさんは少しだけ残念そうな顔をすると、「そうか。急いでるから、すまんが今日はこれで」と言ってさっさと早歩きで去っていった。
マルシュさんらしからぬ態度だ。余程焦ってるのかな?
冒険者ギルドに入り、依頼のボードを確認していく。
FランクとEランクにマルシュさんの依頼はない。
Dランクも同様。まあ腕の立つ冒険者を探していたみたいだから、そんなもんだろうが。
この時点で、俺たちがマルシュさんの依頼を受けるという選択肢はなくなってしまった。
が、気にはなるので依頼探しは継続する。
Cランク……ここにもないのか。
Bランクには……あ、あった!
ランク:B
依頼:竜頭苔の採集
内容:竜頭苔が1gでいいから欲しい。
期間:7月33日まで。
報酬:10万ヘルト。
募集人数:不問
依頼人:マルシュ
補足:可能な限り急いで欲しい。早ければ追加報酬を出してもいい。
うぉ……すげぇ報酬。他のBランクと比べても多いな。
依頼の期間は1週間後までか。竜頭苔ってのは聞いたことがないけど、何に使うものなんだろう。
「アッシュちゃん、竜頭苔って知ってる?」
「その名の通り、ドラゴンの頭に生える苔だね。ドラゴンの仲間なら大体どいつにも生えてたはず」
「へぇ……ドラゴンなんているのか。ドラゴンも陰族なの?」
「ううん、ドラゴンは動物みたいなものだね。言語を持っていなくて凶暴な存在だよ。弱いドラゴンを狩るならBランクで妥当ってところかなぁ」
ほー。ということは採集だけど実質狩りみたいなものなのか。
凶暴な生物の頭にあるものを取るなんて、倒してからじゃないと取れないだろうしな。
「薬の材料になるって聞いたことはあるけど、どんな薬の材料かは知らないや」
「薬? マルシュさんは何かの病気ってこと?」
「あるいは、身近な誰かが病気なのかもね」
どっちにしろ大変そうだな……。
これだけの報酬を払うんだから、危ない病気なのかもしれない。
依頼、早く受けて貰えるといいんだけど。
状況だけでも聞いてみようかな。
ちらっとカウンターに目を遣れば、登録カウンターが空いている。
軽い話くらいなら他の人の迷惑にもならないだろう。
「あのっ」
登録カウンターまで行って、声をあげる。
前に俺たちを冒険者登録してくれた垂れ目のお姉さんは、あら、と言って首を傾げた。
「何かご用ですか?」
「えっと、マルシュさんの依頼についてちょっと聞きたいんですけど……」
「うーん……あんまり長くなると困りますけど、いいですよ。何が聞きたいんでしょう?」
業務とは直接関係のないことだが教えてくれるらしい。暇なタイミングで良かった。
「依頼の品の竜頭苔って何に使うんですか?」
「あれは十日熱という病気の特効薬になるんですよ」
「十日熱?」
「ええ。十日熱というのは子供が一度だけかかる病気で、最初は軽い熱なんですけど、どんどん高熱になっていくんです。十日目にはピークがやってきて、体力のない子供だったら亡くなる場合もあるらしいですね。ただ、症状自体は分かりやすいので、ほとんどの場合で竜頭苔から作られた薬ですぐに治すんですよ」
一度だけってことは「はしか」とか「おたふくかぜ」みたいなもんか。
症状はそれら以上にきつい感じだけど、特効薬があるだけマシなのかな。
しかし、病気になったのはマルシュさんの身近な子供か。
「薬ってそんなにないんですか?」
「十日熱って、基本的に冬にかかる子が多いんですよ。今の時期だと滅多にかからないので、在庫が元々ほとんどないんですよね」
「あー、なるほど。それで依頼を……受けて貰えそうなんですかね?」
俺の問いに、垂れ目のお姉さんはそれが、と声を潜めた。
「今トラモントにいるBランク以上の冒険者、みんな依頼を受けてていないんですよ。最短で帰ってくるとしても6日後で、それからじゃ到底期限には間に合わないんですよね……」
「え、それってマルシュさんは……?」
「一応お伝えしてはいます。ただ、それでも外から冒険者が来る可能性はあるから、残しておいて欲しい、と言われましてね」
……思っていた以上に厳しい状況だ。
依頼を受けて貰える目がほぼないってことじゃないか。
「他の町から取り寄せる、とかはできないんですかね?」
「最初はそのつもりだったらしいですよ。ただ、いつもその手の薬を運んでくれていた商人がいるんですけど、昨日トラモントに来る途中の森の近くでゴブリンに襲われて、薬の一部がダメになったらしいんです。そのダメになったものの中に、特効薬があったらしいですよ。本当に間が悪い……」
へ? トラモントに来る途中の森の近くでゴブリンに襲われた……?
トラモントに来る途中の森って、十中八九いつも行ってるあそこだよな。
少し前の依頼でゴブリンに遭ったけど……まさかそいつらが?
汗が出てゆっくりと頬を伝った。
もしかしたら、原因は遠回しにだが俺たちにもあるんじゃ――。
「望」
声をかけられアッシュちゃんを見ると、首をゆっくりと横に振っていた。
ああ……そうだな。
ゴブリンは1匹いたら10匹いると思え、と言われている。
あっちではGに対する言葉だが、ゴブリンもGだからぴったりだ。
仮にあそこで俺とアッシュちゃんが2匹を殺していても、結局起こったかもしれない出来事だ。
それにここで俺が気に病んでも、何も変わらないだろう。
気付かず握りしめていた手を緩める。
「つまり、薬のためには竜頭苔がほぼ必須で、しかもその依頼を受けてくれそうな人はいない、と?」
「そうなってしまいますね……」
「そう、ですか。ありがとうございました」
「いえいえ。もし偶然トラモントに来ている冒険者を見つけた場合は、可能ならこの依頼を受けて欲しいと伝えて頂けますか?」
あまり期待はできなくとも、今はそれくらいしかやれることがないのだろう。
一応、くらいのニュアンスで言われた言葉に頷くと、俺とアッシュちゃんは冒険者ギルドから出た。
勿論依頼は受けていない。
マルシュさん以外の依頼を受ける気にはなれないし、マルシュさんの依頼はBランクだから受ける権利がない。
黙って適当に歩き、冒険者ギルドから少し距離を取ったところで咳ばらいをしてから口を開いた。
「アッシュちゃん」
「なに?」
「トラモントから出る日、ずらしてもいいかな?」
それだけでアッシュちゃんは俺の言いたいことを悟ったのだろう。
ふんわりと微笑むと、お人好しだなぁ、と言われた。
いやー、別にお人好しではないと思う。恩を返しておかないと気持ち悪いだけだ。多分恩がなかったら受けてない。
しかし、なんだか俺の思考が全部ばれてる気がするよな。
さっきも絶妙なタイミングでフォロー入れて貰えたし。
何はともあれ、了承してくれたのなら決まりだ。
今回も間違いなくアッシュちゃんに頼り切りになるが、それはもう仕方がないだろう。
「じゃ、行きますか。ドラゴン退治」




