戦略的撤退
「はい……では、今日が最後ということで……」
アッシュちゃんの泣き真似はおよそ10分程度続き、ついにイリスは陥落。
アリスは早々に諦めていたようで、苦笑しかしていなかった。
いやー、泣く子は強いわ。
あれに勝てる人がいたなら、その人は凄い鋼の心臓を持ってるよ。少なくとも俺には勝てないな。
「ひっく……帰ろう?」
「あ、ああ」
まだ半泣きのアッシュちゃんに促されて、俺たちはトラモントへと戻った。
帰り道ではアッシュちゃんがずっと俺のシャツの裾を握ってついてきた。
可愛いんだけど、演技の続きと思うとちょっと複雑な気分。
道中はずっと微妙な空気だったから、トラモントについたときに深い溜息を吐いたのは仕方がないことだろう。
日が完全に落ちてはいるが、その日の内に帰れたのはよかった。
野宿出来る用意もしてはあったが、やっぱりベッドで寝たいしな。
「じゃあ、今回の依頼はこれまでということで」
トラモントに入った時点でイリスに言われて、首肯する。
「良い経験をさせて貰ったよ」
「もし考え直す気になったら、すぐ言って下さいね? お待ちしてますから」
「あはははは。そうですね、そのときは」
「絶対、絶対ですよ?」
最後の最後に粘るなぁ。
まぁそれだけのことなんだろうけどさ。
この場は適当に濁すけど、考え直すことはないよ。
ちょっと悪いな、とは思うから、次の助手が早々に見つかることを祈っておく。
「ノーゾムっ」
軽い口調で、不意をつくようにアリスが俺の耳元に口を寄せる。
「あたしたち、諦めないから」
ぞくり。
背筋を凄まじい悪寒が走る。
告白されて振ったばかりというようなシチュエーションで、真正面から言われるのであれば、カッコいいセリフに感じられそうな一言。
男女が逆の方がそれっぽい気がするけど、まぁそれはどうでもいい。
アリスが俺に対して諦めない、というものなんて、一つしか思い浮かばない。
魔法言語の知識だ。
「あたしたち、(君を)諦めないから」だったらカッコいいのに、「あたしたち、(君の知識を)諦めないから」だと途端に嫌な予感しかしなくなるのはどういうことだ。
悪いやつじゃないのは分かってるから、犯罪まがいのことはされないと思う。
人を雇うにしても、この二人じゃ厳しいのは分かってる。
手段は限られてると思うんだけどなー。
しかも「たち」って部分が更に不安を煽ってくる。
できることなら今すぐにでも諦めて欲しい。無理って分かってるけどさ。
そんな俺の内心など知らないアリスは、サッと俺から離れると手を振って去っていく。
「じゃ、またねー」
「あ、姉さん待ってよー」
またねーって、おい……。
これ、トラブルから逃げられたんだろうか……?
……いや、きっと頻度は下がるだろ!
うん。そのはず。そうであってくれ。
自分に言い聞かせながら、二人の姿が見えなくなるまで見送っていると、シャツが掴まれている感覚がなくなった。
「行ったかな。お疲れ様、望」
「アッシュちゃんもお疲れ様」
そのあっさりとした言い方から、やっぱり全部演技だったのだと強く認識出来てしまう。
さすがに帰る途中で泣き止んだけど、ついさっきまでうじうじした感じだったからなぁ。
アッシュちゃんホント怖い。
こっちの世界にも女優とかあるのなら、アッシュちゃんは間違いなく名女優になれるよな。
「報酬受け取りは明日冒険者ギルドで仕事探すついでにやったらいいし……今日は宿屋に戻るか」
「そうだねー。明日からはどういう仕事しよっか」
「何かを採集するようなのがいいんじゃないかと思ってるけど、どうだろう?」
「うん、無難でいいんじゃないかな。討伐するのがメインなのは望に合わないだろうし」
ですよねー。
可能であるなら、何かを殺すというのは避けたい。
そういう意味で、何かを殺す前提の討伐はやらない方がいい。
既に間接的に人を殺したようなもんではあるけど、あれは正当防衛みたいなもんだからセーフだ。
時間がちょっと経った今なら落ち着いて考えられる。俺は、俺基準では悪くない。
多分日本だったら過剰防衛だの人の命をなんだと思ってるだの言われるだろうけど、ここはヴァラドだ。
こっちのルールでセーフであるなら、後問題になるのは自分自身の心情だけ。
これは出来るだけ殺さないように動いて、それでもダメなら諦めようと思う。
「じゃ、明日からは採集系の仕事を探そう。なかったら雑用かな」
雑用はFランクに多いが、Eランクにもなくはない。
この前見た感じだと浮気調査とかだったから、進んでやりたくはないが。
下手したらドロドロの修羅場に巻き込まれるとかマジ勘弁。
TVでもそういう番組苦手だったなぁ……。
「うん、了解。そういえば望」
「なんだ?」
「娼館とか行かないの?」
……はい?
「ごめん。多分聞き間違えた。もっかい」
「娼館とか行かないの?」
聞き間違えじゃない……だと。
いや、俺の脳内変換が間違っている可能性もある。
娼館を勧められる理由がないもんな。俺が汚れてるだけだ。
あ、屋台のおっちゃん、「そんな子に何言わせてんだ」みたいな目で俺を見ないで。おっちゃんも汚れてるだけだから。
しょうかん、しょうかん……召喚、は意味が違うよな。小官、も違うか。あ、商館!
でも特に何かを買うって話はしてなかったよな?
「えーと、何を買いに行くの?」
「え、そりゃ……春?」
HAHAHA、上手い事言うねアッシュ!
じゃない、変なノリになった。
おっちゃんはこっち見んな。
あれかな、春っぽいものって意味かな。
桜とか梅?
木を買ってどうするんだって感じだな。
まぁでも惜しいかもしれん。聞いてみるか。
「お花見がしたいってこと?」
「……?」
あ、この反応は違うね。
じゃあなんだろう。食べ物とか?
春らしい食べ物……鰆?
旬は春だったはずだよな。魚偏に春なんだし、春じゃなかったら詐欺だろ。
いや、下手に絞り込む必要はないか?
「美味しいもの食べたいってこと?」
「うん? いや、まあ美味しいものは食べたいけど」
よし、決定!
セーフ、セーフだな!
おっちゃんはこっち見てなにサムズアップしてんだよ。仕事しろ。あんたが汚れてただけだ。
「だよな? 俺も食べたい。よし、早く魔狼の牙亭へ行こう」
「え、あ、ちょ、望?」
アッシュちゃんの背を押して、急いでその場を離れる。
汚れたおっちゃんに勘違いされるのは嫌だからな。決してそれ以外の理由はない。決してだ!
11/8
誤字修正




