二つ名の由来
この世界を現実と認めた翌日。
頭を抱えて資料と向かい合っているアリスとイリスを尻目に、俺とアッシュちゃんはのんびり助手をしていた。
定期的にお茶を入れ、食事時に屋台から適当な料理を買ってきて、たまに求められた資料を渡す。
多分普通の助手ってこんな感じなんだろうな。
イリスの資料の見方などは想像通り手慣れているが、アリスも手慣れていたのにはちょっと驚いた。
アリスは突然思いついたことを実験するだけのイメージだったから、真面目に机と向き合っていることに若干違和感があるんだよな。
「――マナの循環量が多すぎて――」
「ここに魔法陣組み込んで消費させる? いや、でも――」
良い日だなぁ。
ぶつぶつ言って悩んでいる二人には悪いが、今日みたいな日が続けばいいのに。
アリスは机の前で資料を読んでいるだけだから、トラブルの起きようがないよ――
「おい! 火雨、氷雨、いるか!?」
――な?
玄関から聞こえた大声に、嫌な予感がしてくる。
居留守したいが……これも助手の仕事か。
アッシュちゃんと一緒に重い足取りで玄関に行くと、そこにはねじり鉢巻きをした頭頂部の眩しいオヤジがいた。
確か、ゴーレム屋の店主だったはずだ。
おつかいに行ったとき、一度だけ会って挨拶をした。
「そんなに大声だして、どうかしたんですか?」
「おぉ、助手の二人か。火雨か氷雨はいるか? 直接確認しなきゃまずいことがあるんだ」
火雨というのはアリスの二つ名で、氷雨というのはイリスの二つ名だそうだ。
両方とも過去に実際に使った魔法が由来だと聞いたが、名前からして派手そうな魔法をどういう状況で使ったんだろうか。
ちなみに、二人にはもう一つずつ別の二つ名があり、一部の人からは「火付け」のアリス、「火消し」のイリスと呼ばれている。由来は語るまでもない。
二人の凄さを強調するときには火雨と氷雨、トラブルメーカーを強調するときには火付けと火消しで使い分けられている感じだ。
「僕が呼んでくるよ」
「ん、任せた」
アッシュちゃんが走って二人を呼びに行く。
今の内に軽く聞いておくか。
「まずいこととは?」
店主は頷くと、握りしめていた手を開いた。
そこには一枚のメモがある。暗号のようだが、これはアリスのメモか。
「これを見たことはあるか?」
「アリスのメモ、ですかね」
「やっぱりか、クソがっ!」
急に悪態をつくとは、一体何があったのやら。
正直聞きたくはないな。
「何かあったんですか?」
振り向くと、アッシュちゃんとイリスが来ていた。
アリスも面倒くさそうにだが来ている。
「火雨のメモらしきものが、うちの店から見つかった」
アリスとイリスはメモを受け取ると、目を見開いた。
「確かに、これはあたしの暗号だね。どうしてここにあるの?」
「持っていたのは雇っていた奴隷の男だ。問い詰めようとしたら、何枚か持っていた内の一つを落として逃げ出したんだ。他の店員に聞いたら、四日前くらいから持っていたらしい」
四日前というと、コサックダンス事件の日か。
「その日俺は休んでたんだが、ここで命令の上書きをしてゴーレムを持って帰ったらしいな。その時、ゴーレムの近くにそのメモはあったか?」
あの時に盗まれた?
いや、でもそんな素振りはなかった気がするし、ゴーレムを回収したのは女性の店員だったよな。
「メモは近くに散らばっていましたね。姉さんのメモをまとめて入れていた机がゴーレムの下敷きになったので、仕方がないですけど」
イリスの言葉に、店主はそうか、と頷く。
「たまにではあるが、ロックゴーレムの岩と岩の間に物が入り込むことがある。そういうのは大体はゴーレムをばらしたときに見つかるが、今回はその奴隷がゴーレムをばらす仕事を担当してたんだ」
「そういうことか。ただ、その奴隷があたしのメモを手に入れた方法は分かったけど、メモを捨てずに持っておこうとした理由は? 暗号化してあるし、ゴミと勘違いしてもおかしくないと思うんだけどなー」
確かにアリスの言う通り、ちょっとゴミっぽい。
俺も一回ゴミと勘違いして、捨てかけて怒られたからな。
「あいつは元研究者でな。そんな奴があのアリスの暗号化したメモを見つけてみろ。何か凄い情報が隠されていると思うに決まってるだろうが」
へー、そんなものか。
俺がもし奴隷の立場だったら、メモを盗もうとは思わないだろうな。
アリスのメモなんて、持ってるだけで何かのトラブルに巻き込まれるのが目に見えてるし。
「で、だ。あれはやばいもんなのか?」
なるほど、それが本題か。
店主の真剣な顔にアリスが頷く。
「絶対とは言えないけど、このメモの近くにあったメモならやばいかなー。その奴隷はどこにいるか、目星ついてる? 解読される前に取り戻さないと」
「分からん。最悪外に出ている可能性もある」
「では奴隷の主は誰ですか? 契約時の内容によっては、位置把握が出来るかもしれません」
イリスの問いに、店主は苦々しい顔をした。
「ソレイユ帝国のお貴族様だ。今はトラモントにいないから、会うことすら出来ないな。発生した損害についても対応してはくれないだろ」
「そうですか……。では私たちで探すしかないということですね」
「ああ。うちも関係ないわけじゃないから手を貸す」
私たちって俺も含まれてそうだよなぁ。
今日はゆっくり出来ると思っていたのに、座っているだけでトラブルをおびき寄せるとは……さすがは火付けのアリスだよ。恐ろしい。
「そうだ。お前らに奴隷の顔を教えないといかんな。ここの土使っていいか?」
「いいよ」
「大地・土属性・人・半径1m・1分・作製・動かない――」
いや、大地って大仰な。確かアッシュちゃんはそこ地面って言ってたよな。
やっぱり魔法言語の知識が大分失われていると、適切な詠唱が出来ないんだろう。
つっこまないし、教えないけどな。アリスの思惑に乗る気はないんだ。
「クリエイトゴーレム」
店主が玄関脇の土からゴーレムを作成すると、それはやけにリアルな人の姿をしていた。
すげぇ。土で服とか顔の細かいところまで再現してある。
詠唱に外見に関するものがなかったから、魔力制御だけでやっているんだよな。
アッシュちゃんも驚いているのか、目を見開らいている。
「ふう、これが奴隷の顔と格好だ」
「分かりました。しかし久々に見ましたね、店主のゴーレムアート。腕は鈍ってないですね」
「まあな。それじゃ俺は店の奴ら使って西の方に行く。別に腕っぷしが強いわけでもないから、火雨か氷雨なら問題なく捕まえられるはずだ」
「では私たちは東の方を探します。姉さん、ノゾムさん、アッシュさん。東側に行きましょう」
案の定俺たちは数に入れられていたらしい。
店主と別れると、俺たちは東側に向かって歩いていった。




