図書館
部屋に戻ってアッシュちゃんを起こすと、寝ぼけていたのか頬にキスされた。
可愛かったので頭を撫でて、着替えるように言って部屋から出る。
その際に「姿を間違えたかなぁ」と言っていたが、何のことか分からなかったので流した。
着替え終わったアッシュちゃんを連れて一階に降り、朝食を食べながら先ほどのことを話す。
といっても全部馬鹿正直に話すわけではなく、依頼条件が変わったことと、魔法言語について怪しまれていること、依頼を受けるか探られるか、はたまたトラモントから出ていくかの三択になったことを話した。
「なるほどね。望には悪いけど、まだトラモントから出るわけにはいかないから、個人的には依頼を受けた方がいいんじゃないかと思うよ」
というのがアッシュちゃんの意見。
個人的にはトラブルが怖かったんだが、「多分探られてるときにも巻き込まれるんじゃないかな?」というセリフを聞いて納得出来てしまった。
ちなみにその話が耳に入ったおかみさんから、ジュースを一杯ずつおごってもらった。
理由を聞いたら頑張ってるからと言われたが、あれは絶対憐れんでいる目だったよ。
あ、ジュースは果汁100%みたいな感じで美味しかった。味は完全にリンゴジュースだった。
「じゃあ依頼は受けるってことにしようか。ただ今日は仕事がないって話だったけど、どうする?」
「うーん。僕はとりあえず昨日の報酬受け取ってくるよ。それとちょっと情報収集したいから、いろいろとうろつこうかと思ってる」
ふむ。アッシュちゃんの口ぶりからして、一緒に行動しない方がやりやすいのかな。
「あー、じゃあラインの効果がある範囲を具体的に教えてくれないかな? 誰かと話してて急に会話が理解出来なくなった、とかだと困るし」
「具体的にはちょっと分からないけど、多分トラモント内ならどこにいても平気だと思う。まー最悪切れそうになったとしても、僕が動いて維持するよ」
ほぉ、思ってたよりラインの範囲は広いのか。じゃあ分かれて仕事とかも出来たんだな……。
そうなるとどうしようかな。ゴーレム屋とかはちょっと見てみたいが……あ、それより先に図書館か。
まだ足りてない常識はあるんだから、そちらを押さえておきたい。観光はもう少し後だな。
「だったら俺は図書館に行くよ。世界一の図書館とやらは見ておきたいからな」
「分かったよ。それじゃあ1000ヘルト渡しておくね。お昼とかはそれから出してね。余ったなら望が持っておいて」
アッシュちゃんが星形の穴が開いた銅貨を一つ、小さい袋に入れて渡してくれる。
「ありがとう。夕方くらいにはここに戻るようにするよ」
「うん。僕もそれくらいになるかな」
「それじゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
アッシュちゃんはまだジュースが残っていたので、一足先に魔狼の牙亭から出る。
朝から図書館が開いているかは知らないが、探す時間もあるしきっと平気だろう。
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図書館の場所は適当な通りすがりの人に聞くと、すぐに教えて貰えた。
世界最大なだけあってやはり有名らしい。
今の時間なら問題なく開いているという情報も得て、言われた道を辿ると、なんちゃらドームみたいな形の建物があった。
大きさは推定になるが、壊れる前のアッシュちゃんの館二個分くらいはあるんじゃないだろうか。思っていたよりも大きい。
出入り口には強面のお兄さんがいて、図書館から出ていく人を見張っている。
俺も出ていくときにはあの人を殺せそうな視線にさらされるのだろう。
多分本の盗難とかに対する警戒だろうし、悪いことしなければ問題ないとは思うけど、やっぱ怖いよなぁ。
だからといって入らない選択肢はないんだけどさ。
異世界を楽しむためにも、問題を起こさないための下地作りが必要だからな。
意を決して、警備員らしいお兄さんが他の人に注目しているタイミングで図書館の入り口をくぐる。
途端、俺は本の匂いを感じた。
見ればそこら中に本棚が並べられており、これでもかというくらいぎっしりと本が詰め込まれている。
定期的に机と椅子が置かれていて、凄くゆっくり出来そうな雰囲気だ。
本を読みながら寝落ちしたら気持ち良さそうだなぁ。
っと、いかんいかん。さすがに寝るのはまずい。
さっさと目当ての知識を得てしまわないとな。
ジャンルごとに並べられている本棚の間を縫うように進み、いくつか目当ての本を見つけた俺は、隅の方にあった小さな机を一つ占領する。
端とか隅って何となく落ち着くんだよな。ここは本棚に隠れてあんまり人目にもつかないし、ゆっくり出来そうだ。
万が一でも美人が近くにきたりしたら、本なんか読んでられなくなりそうだし。我ながら良い場所を見つけたよ。
まず読むのは「ヴァラド貨幣史」という本。まぁ読むというより、目当ては単語を知ることだ。
別に古い貨幣について知りたいわけではないのだから。
いや、この本もちゃんとした知識があること前提に読めば結構楽しいのかもしれないが、いちいちちゃんと読む時間は俺にはないんだ。
序盤も中盤も一気に飛ばして、見つけたのは一つの年表のようなもの。
今が何年とかは知らないが、年表の一番下にはこう書いてあった。
・神天暦640年以降
「線銅貨」「角銅貨」「円銅貨」「星銅貨」「線銀貨」「角銀貨」「円銀貨」「星銀貨」
つまりは、こいつらが今の貨幣なわけだ。
線銅貨が含まれているから間違いないだろう。
さっきアッシュちゃんから渡されたのは星銅貨になるわけだ。
穴の形=名称で覚えやすいな。で、金貨がなくて銀貨までになる、と。
というかこれ、星銀貨って1000万ヘルトにならないか?
そんなのいつ使うんだよ。目にする機会すらなさそうだな。
ま、いいや。後は神天歴○年と表現すればいいと分かったのも収穫だな。
よし、次の本にいこう。
そんな調子で俺は必要な知識を集めていった。
一般市民は大抵銅貨だけで生活を送ること。
時間は地球と若干異なり、1分が60秒、1時間が60分、1日が25時間、1週間が7日、1月が5週間、1年が10カ月となっていること。
あぁ、エルフとドワーフの仲は別に悪くないとかもあったな。
思ったよりも早くいそういう必要そうな常識は一旦集め終わったので、今は明晰夢について調べている。
いや、夢診断とかいい夢を見る魔法とかそういう本はあるんだけど、明晰夢についてがどこにもない。
うーん、もしあったなら俺のやれることが増えるかと思ったんだがな。
まぁ焦っても仕方ないからゆっくり探そう。
次はこれかな、「夢の中にて」。
研究内容などを載せている本ではなく、小説らしい。
ダメ元で読んでみるとしようか。
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――うん?
どうやら俺は寝落ちしていたらしい。
薄く目を開けると、そこにはイリス(?)がいた。
しかもなぜか優しい顔つきで、俺の頭を撫でている。いや、なんで?
あー、でも撫でられるのって恥ずかしいような嬉しいようなって感じになるな。
いつもアッシュちゃんにやっちゃってるけど、アッシュちゃんも今の俺みたいな気持ちだったんだろうか。
嫌がられてた感じはしてないから、多分大丈夫だと思うんだけどな。
うーん、しかしどう反応するのが正解なんだ、コレ。
というかそんなに撫で続けてたら手が疲れるだろうに。
「もしかして、起きました?」
おっと、気付かれたのか。
反応に悩んでたから助かるな。
敬語ってことはイリスで合っているらしい。
手が頭から離れる感触がする。
「はい。どうして頭を?」
「学生くらいなのに冒険者なんてやって、頑張ってるんだろうなって思っちゃったからですかね。後は私の特等席で気持ち良さそうに寝ていたからってのもあります」
特等席というのはさすがに冗談だろうけど、どうやらこの席はイリスがよく使う席だったらしい。
まぁそれより先に言わなければならないことはあるんだが。
「俺、21歳ですよ?」
「えっ」
本気で驚いているな、この顔。
「何歳だと思ってたんですか?」
「ごめんなさい。15,6歳かと……」
ギリギリ高校生な範囲ってことに喜ぶべきなのか?
あー、まあいいや。話題を変えてしまおう。自分から下手にダメージを受けそうなことを聞く必要はない。
「えぇと、そういえば今朝はイリスさんが来ると思ってたら、アリスさんが来て驚きましたよ」
「あぁ、姉さんに『あたしが行く』って言われたのでお願いしたんですよ。それから、朝のことは姉さんに聞いているので、敬語じゃなくてもいいですよ。あ、私の口調は癖なので気にしないで下さい」
「じゃあそうさせて貰うよ。しかし、交渉はイリスの担当だと勝手に思っていたけど、違ったんだな」
俺の言葉に、イリスはこくりと頷いた。
「基本的には私がやるんです。姉さんの手がそういった雑事に煩わせられないようにって。姉さんは天才で、私は凡人ですから」
ちょっと意味が分からない。俺から見たら、二人ともかなり凄い知識を持っている印象だったんだけど。
俺が無知過ぎて二人の差が理解出来てないだけか?
あるいはもっと長い時間一緒にいないと分からないってことだろうか。
「私には姉さんのことが理解しきれないから、姉さんが何かをしたいって言ったら全て任せているんです。うっかりやらかしちゃうことも多いですけど、それを恐れて姉さんを止めたら、姉さんの良さを潰してしまうようなものですから」
はー。あの手のトラブルは覚悟の上なのか。まぁそうじゃなければ一緒にいられないか。
しかし献身的だな。どうせイリスがトラブルの後処理も担当しているんだろうに。
俺だったら後処理にイライラして途中で投げ出すわ。
「そういえば、ノゾムさんは何かを調べていたんですか?」
「ん、あぁ。ちょっと気になることがあってね」
さすがに常識を調べていた、とは言えない。
持っている本を出して、適当なことを言うか。
「夢見が悪かったんだ。ただの夢なんだけど、何となくね」
手にした本を見せると、イリスさんはなるほど、と頷いた。
よし、深く突っ込まれる前に話題を変えよう。
「そういうイリスも調べ事?」
「うーん、どちらかというと知識の収集、でしょうか」
「知識の収集?」
「えぇ。魔法に関する論文などを読んでいるんです。こうでもしないと、姉さんには追いつけませんから」
おおう。自分の研究に関する調べ事とかじゃないのか。
自分の時間とか持ててるのかな。ちょっと気になる。
――いや、ただの雇われみたいな関係だし、俺がそこまで首突っ込むのも良くないか。
それに縁の下の力持ちが好きな人もいるしな。
「そうか。大変だな」
「もう慣れちゃいましたよ。じゃあ私はそろそろ他の論文を探しに行きますね。それでは」
「ん、それじゃあな」
本棚の影にイリスさんが消えていった。
助手としてしっかり働けば、ちょっとはイリスさんの仕事も減ってやれることが増えるのかな。
そんな考えがふと頭をよぎる。
ま、働くついでくらいな感じで頭に入れておこう。
働く理由はお金を稼ぐためだ。
そして働くからにはしっかりとやることをやるのが当然だろう。
結果としてイリスさんの手が空くかもしれない、というくらいがちょうどいいかな。




