3-15 ラークとイノシシ、マーニとフラン
「はぁ、よっこらしょ」
なんて年寄り臭い台詞を吐きながらみんなの所に戻ってきた僕の目に飛び込んできたのは、マーニとフランが並んで料理をしている図だった。
僕の猫目が少しだけ丸くなる。
「ちょっと予想外の組み合わせだね」
「あ、黒猫君お帰り」
「おかえりなさい」
にこにこ顔のフランとまだ緊張気味のマーニだ。
「フランどうしたの?昨日はあんなに反対してたのに今日はえらくご機嫌だね?」
「あー昨日の私はね、たぶん寝不足で気が立ってたんだよ」
「寝不足……はぁなるほど」
寝不足くらいでどうにかなるフランじゃないと思うんだけど。
「ねぇマーニちゃん、お姉さんのことまたちょっと呼んでみてくれない?」
「え?あ、はい。フランお姉ちゃん」
「んッ、なんかマーニちゃんにお姉ちゃんって呼ばれるとぞくっとくるんだけどなんだろうねこれ」
おいおい。
ちょっと目を離した隙にフランがなんだか危ない趣味に目覚めそうになっていた。
「フラン、仲がいいのはいいけどマーニの事襲わないでよ?」
「襲うって、いやいやそんな事しないって……たぶん」
「ひいっ!?」
「ほらほらマーニが怯えるからやめなさい」
「にひひ、はーい」
どうやらマーニのかわいさに当てられてフランも改心したらしい。
……なぁんてね。
フランの事だから本心はどうなのかわからない。
「ところでラークは?」
「ああラークちゃんなら……」
そう言ったところで茂みががさがさと音を立てた。
慌てて構えるフランをしっぽで制する。
「ただいまー!」
茂みをかき分けて現れたのはラークだった。
「お帰りー。狩りに行ってたの?」
「そう!いいのがとれた!!」
そう言って持ち上げたのは子イノシシだ。
「あんまり大きくは無いけど肉が軟らかくて美味しい!」
「おぉーいいね。……だけどラーク、この時期に子イノシシが一匹でうろついてるって事はないと思うんだけど」
「え?」
ラークがぽかんとした顔をしたその瞬間、ラークが出てきた茂みが再びがさがさ揺れたかと思うと今度は大きなイノシシが飛び出してきた。
たぶん親イノシシだ。
マーニの悲鳴が上がりフランが再び槍を構える。
「ラークちゃんこの間もこれやったじゃん!?」
「……えへッ」
「うわぁラークちゃんが新しいこと覚えてる!何それ怒れないんだけど!?」
イノシシが迫る中そんなやりとりをするラークとフラン。
余裕があるし楽しそうだ。
とはいえあまりのんびりしている訳にもいかない。
「うぅーん、どうしました……ってえーッ!?」
あ、イリアとミティスが起きた。
「ほら早く逃げないと踏まれちゃうよ」
僕の言葉を聞くまでもなく立ち上がり慌てて逃げ出す二人。
とりあえずは一応皆の安全が確保できたようなのでラークに声を掛ける。
「ラーク!自分で連れてきたんだから責任もって倒してね!」
「わかったー!」
向かってくるイノシシを見据えラークが腰を低く落とすと、まるで誘い込まれるようにラークの元に向かうイノシシ。
「せーの!」
力を貯めて、そしてイノシシに対して体でぶつかっていった。
どう見てもラークの方が小柄であるにも関わらず吹き飛ばされることなくイノシシと組み合う。
「おぉーラークちゃんやるぅ」
フランが口笛を吹きつつ賞賛を送る。
とは言うもののラークも全力らしくあまり余裕がないように見える。
「手伝いがいるようなら言ってね」
一応助け船はだしてみるが見たところラークから救援要請はなさそうだ。
あの小さな身体のどこにこんな力があるのか不思議だ。
少しの間、一人と一匹の力比べが続く。
「こん、にゃろ、め!」
ラークが息を大きく吸い込むと渾身の力でイノシシの体を押し戻し始めた。
イノシシは焦ったのか後ろ足で大きく地を掻くがその事で逆にイノシシが一瞬体勢を崩してしまう。
ラークはその一瞬の隙を見逃さず素早く短剣を抜くと、再び向かってきたイノシシの左目にその短剣を突き刺した。
イノシシが痛みでがむしゃらに暴れ出すがラークはその予測しづらい動きにも関わらず素早くイノシシの横に回り込み、
「よいせ!」
首を振った瞬間の無防備な首元に短剣を走らせた。
イノシシの首から勢いよく血が噴き出しラークを赤く染める。
少しの間イノシシは暴れたがすぐに横倒しに倒れるとやがてその動きを止める。
「えへん!」
イノシシが絶命したのを確認しラークが腰に手を当てて胸を張った。
「ラークちゃんおつかれー。すごいねぇこの大きさのイノシシを一人で倒しちゃった」
「ラークお姉ちゃんすごいです!」
フランとマーニがラークを褒め称える。
そしてその横では寝ているところを起こされる形となったイリアとミティスが、未だ状況が飲み込めずに立ちつくしていた。
「……すいません、一体なにが起こったんですか?」
「あーこれね、朝食の準備中」
「朝食……」
あのサイズのイノシシを見て朝食というのもどうかと思うが僕は間違った事は言っていない。
「というわけでもうすぐご飯になるから二人も起きてね」
「あー、はい目ははっきりと覚めました。むしろ驚きで心臓が止まるかと思いました」
ミティスが少し機嫌が悪そうに言う。
寝起きだからかテンションが低いようだ。
「さて、ラークちゃん真っ赤になっちゃったね。川はあるけど簡単には落ちないかも」
血まみれのラークを見ながらフランが悩んでいる。
どうやら着替えをどうしようかと考えているらしい。
そう言えば慌てて街を出てきたので着替えなどは持ってきていない。
「それなら後で僕がきれいにするよ」
「あーそうなんだーへぇー。私はなんかもう黒猫君が何をしても驚く必要がない気がしてきたね」
フランはどうやら僕が驚かせすぎたせいで達観してしまったらしい。
まぁ確かに神だ魔王だ言った後に服がきれいに出来るなんて言っても感動は少ないかも知れない。
ちなみにだいぶ収まったとはいえまだイノシシからは血が流れ続けている。
そのせいもあり今は辺り一面血の臭いが立ちこめてしまいちょっとこの場で食事を取るという状況ではない。
「うぐッ」
唐突に、血の臭いにあてられたのかミティスとマーニが気持ち悪そうに口元を押さえた。
「あー、二人にはちょっと刺激が強かったかな。場所を移動した方がいいね」
そこでフランにミティスとマーニを任せて先に移動して貰うことにした。
「この小川を上流に向かって進んで行けばいいよね」
そうしてフラン達が歩き出す。
残ったイリアとラークはイノシシの後処理だ。
当たり前だがイノシシに限らず動物を食べるにはそれなりの処理がいる。
捕まえてはい焼いて、と言うわけにはいかないのだ。
「割り振ってから聞くのもなんだけど、そいやイリアってイノシシの処理出来るっけ?」
「はい、少し前にフランさんに教わりました」
「そっかそれは何より。それじゃさっさと処理しちゃおう」
出会った頃は動物を殺して食べるなんて!と言っていたイリアが成長したものだ。
僕は感慨深く二人が処理していくのを眺める。
加えて言えば出会いは最悪だった二人が今こうして同じ作業をしているというのも不思議なものだ。
なんて考えながら見ていたらイリアがこちらを向いた。
「あのぅミツキ様、じっと見られていると落ち着かないのですけど」
「ん?ああ、そこの部分はイリアなら魔術を使った方が簡単なのになんで短剣を使ってるのかなーって思ってさ」
「……あ、確かにそうですね」
「まだまだ修行が足りないみたいだね」
納得顔のイリアを僕はにこにこしながら眺めた。
成長したように見えてもまだまだイリアはイリアの様だった。
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《フラン視点》
さて私は今ミティス君とマーニちゃんを連れて森を移動中。
二人を先に歩かせて私は後ろからついて行くという形をとっている。
幸いこの森は道を作る必要が無い程度の草木しか生えていないため私は先頭を歩くよりもむしろ後ろから全体を視界に入れておいた方が動きやすいと考えたからだ。
辺りを警戒しつつ二人を見れば、今はどうやら互いに自己紹介を始めたところのようだった。
そこでふと、そう言えば黒猫君がマーニちゃんを連れてきてからさっきまでミティス君はずっと寝ていたので事情を知らないんだという事に気づいた。
「ミティス君ごめんね、夜のうちに色々あってマーニちゃんが同行することになったんよ」
「あ、そうだったんですか」
「あの、よろしくお願いします」
恐縮するマーニちゃんに対してミティス君は少し驚いたものの物怖じすることなくマーニちゃんに話しかけていく。
さすがは貴族、社交性が高い。
「僕は事情があってミツキさんと一緒に生活してるんだ」
そんな中でのミティス君の自己紹介。
大事な部分はうまくはぐらかしつつ無難に会話を進めている。
ミティス君は頭がいいと黒猫君が言っていたけど、確かに今も子供にしては色々と考えながら話をしているように見えた。
対するマーニちゃんは、
「あのえっと、私は……実は魔王病に感染してて……」
おいおいその情報は言わなくていいんでないかい?
私は思わず内心つっこみを入れつつミティス君に視線を移すと、
「魔王病!?すごい!実際に感染した人に会うのは初めてです!!」
目を輝かせいきなりマーニちゃんに握手を求めるミティス君がいた。
いつもの事ながらミティス君は本当に好奇心が強く物怖じしない。
知識も豊富だし将来はいい冒険者になれると思う。
あーでもミティス君は貴族だから冒険者にはならないか。
「あーミティス君?レディの手をいきなり掴むものじゃないよ?」
ミティス君の勢いに身を引いていたマーニちゃんに助け船を出してあげる。
「あ、そうですねすいません。思わず興奮してしまいました」
私の言葉に反省の色を見せつつ、だけどミティス君はその後もマーニちゃんに話しかけていく。
ぱっと見は積極的な男の子と奥手な女の子だ。
この姿だけを見れば本当にただの子供達のように思ってしまう。
だけど。
私は自然と槍を持つ手に力が入る。
黒猫君はああ言ったけど私は決して楽観的にはなれなかった。
なにしろ今もマーニちゃんから感じる魔力量は相当なものだ。
人間の魔術師のレベルではなく、その量はむしろ魔獣に近いとすら感じる。
そしてその力が私に向けばたぶん私などひとたまりもないだろう。
いま感じているこれは本能的な恐怖だ。
理屈でどうこうできるものではないと思う。
ちらりとミティス君を見るがミティス君はそれに気づいてはいないようだ。
違和感くらいは感じているかも知れないがこの辺は経験が必要なので無理もない。
きっとイリアちゃんでも気付かないと思う。
ラークちゃんは……もしかしたら気づいているかもしれないな。
いずれにせよ黒猫君が決めたならそれに従うけれど、もし万が一の場合にはせめてミティス君だけでも逃がさなければならない。
一度ごくりとつばを飲み込む。
私に出来るのだろうか。
芋虫にすらおびえてしまう今の私に。
ふと脳裏に魔獣との戦いが思い出される。
なすすべなくなぶり殺されたあの瞬間。
思わず手が震えてしまう。
一度深呼吸し目をつぶり、そして開く。
……いや、出来る出来ないではなくやらなければならない。
まだ黒猫君に受けた恩の欠片も返していないのだからこれくらいはやり遂げなければならない。
「マーニちゃん」
「は、はいなんでしょうかフランお姉ちゃん!」
半ば無意識に口をついてでた言葉にマーニちゃんが慌てて振り返り返事をしてきた。
上目遣いで不安そうに私を見つめるその瞳。
私は微かに身を引いた。
ぐぅッ!これは……効く。
マーニちゃんに名前を呼ばれるたびに守ってあげたいと強く思ってしまうのは何故なのか。
いや、本来子供に対する感情はこういうものなのだと気付いている。
最悪の場合はこの子を殺してでも止めなければならない、にも関わらずだ。
私は未だ動揺する自分を戒めつつ、それでもお姉ちゃんと呼んでもらうために再びマーニちゃんにお願いしてしまったのだった。




