3-13 魔王病の少女
その日の深夜。
妙な威圧感を感じて僕は目が覚めた。
むくりと身体を起こし辺りを探る。
「あれ?ミツキ様?」
火の番をしていたらしいラークが僕に気付き声を掛けてきた。
周りを見回せばたき火を囲むようにしてイリア達が寝ていて起きているのはラークだけのようだ。
「……近くにいるね」
「??」
僕の呟きにラークがきょとんとした顔で首をかしげる。
さすがのラークでも魔術を使っている僕には敵わないらしい。
少しだけ威厳が保てたと胸を張る僕。
「ちょっと出かけてくるよ。もし危ないと思ったらみんなを起こして避難してね」
「はーい。気をつけてねー」
詮索も心配するそぶりもない。
だがそれは無関心な訳ではなくむしろ信頼の証。
「ラークはホントにいい子だねー」
「えへへー」
「それじゃちょっぴり仕事しますか」
僕は一度大きく身体を伸ばすと森の奥に向かって歩き出し、そして皆から見えなくなったところで魔術を使い転移する。
一瞬の後、僕が現れたのはこちらもやはり森の中。
先ほどの森から北東に進んだあたりだろうか。
目を凝らすと向こうの木の陰に誰かがうずくまっているのが見える。
まだ向こうは僕がいることに気付いていない。
少しの間その人影を観察してみる。
その人影はがたがたと震え何かに怯えている様子が遠くからでも見て取れた。
「やあこんばんわ」
僕はいつもと変わらない口調でその人影に声をかける。
するとその人影は大げさなくらいびくりと体を震わせて、そしてゆっくりとこちらを振り返った。
だが残念ながらその瞳に僕の姿は写らなかったらしく怯えた表情のまま声の主を捜して視線がさまよう。
「初めましてお嬢さん」
改めて声をかけると再び大きく体を震わせた後、今度はちゃんと僕の姿を見つけたようだ。
猫に話しかけられたという事実に目を見開くその少女。
いつもの事ながら喋る猫っていうだけで与えるインパクトは大きい。
「あ……あなたは…誰ですか?」
警戒心を隠すことなく尋ねられる。
暗闇でよくはわからないがその喋り方や背格好から考えるとミティスと同じかそれより少し上くらいか。
「僕は猫魔術師のミツキ。君の気配がしたから見に来てみたよ」
「猫…魔術師?」
「そう。猫の魔術師」
訝しげなその瞳に困惑の色が浮かぶ。
「街で聞いたよ。追われてるんでしょ?」
「ッ!!」
少女がばッと立ち上がりそして短剣を構えた。
しかし少女にとってその短剣は扱い慣れたものではないらしく、震えていてむしろ危なっかしい。
「大丈夫。僕は君に危害を加えるつもりはないし、逆に僕も君から危害を受けることはないよ」
謎かけのような僕の言葉に少女の困惑が強まる。
「ちなみに僕は君が今どんな状態なのかも分かっているつもりだよ。例えば今君の中に別の何かがいることととかね」
「ッ!?」
再び目を見開き僕を見る少女。
その様子を見て、僕の中で魔王病と言われているものの正体が確定してしまった事に落胆する。
そして同時にこの後僕が何をすべきかも明確にした。
「放っておいて欲しいと言うならそうしてもいいんだけど、もしよければ相談に乗りたいと思うんだけどどうだろう?」
僕の提案に少女は答えない。
おそらく色々な考えが頭を巡っているであろう少女の沈黙。
僕は急かすことなくその沈黙に付き合う事にする。
少女の戸惑いと迷いがはっきりと伝わってくる。
助けてくれるかもしれない。
騙されるかもしれない。
誰か助けて欲しい。
私に構わずにそっとしておいて欲しい。
少女の瞳に写る感情がめまぐるしく移り変わる。
そうして少しばかりの時間が経った頃、突然少女が目を見開きびくんと身体を震わせた。
「あ……いやダメ!やだ出てこないでッ!…逃げて!猫さん早く逃げてッ!」
自分の両肩を強く抱き僕に逃げろと促した少女だったがその直後少女の身体から異常な量の魔力が吹き上がった。
どうやらタイミング悪く限界を超えるところに遭遇したらしい。
口では逃げろと言いつつもその少女は僕に向かって跳びかかってきた。
少女の身体は小さいが今の僕の姿はさらに小さい事もありまるで山猫が獲物に襲いかかる様な恰好だ。
「はやく!早く逃げてッ!!」
涙を流しながら叫ぶその言葉とは裏腹に周囲を包む明確な殺意。
もしも一般人が今のこの少女と出会ってしまったならばこの場の魔力と殺気だけで動けなくなりそして一瞬で命を刈り採られてしまうことだろう。
だが幸いなことに今ここにいるのは僕だけだ。
「大丈夫だよ」
僕は平然と、いつものように魔術障壁を展開する。
とは言ってもこれは今まで使ってきたものではない。
それこそ神の攻撃でさえも受け止めるほどの密度を込めた障壁だ。
飛びかかってきた少女はその障壁にぶつかり呆気なくはじき飛ばされた。
しかし諦めずに今度は障壁に駆け寄ると力づくでそれを切り開こうと爪を立てる。
もちろんその程度では障壁は揺らぎもしない。
「ほら大丈夫だったでしょ?まだ今の君の力じゃ僕を傷つけることは出来ないから安心して」
僕はゆっくりと言葉を伝えるが少女はもう返事を返してはこなかった。
どうやら浸食が進んでいるようで僕の展開した障壁に対して今もひっかいたり殴ったりと攻撃を続けるだけだ。
僕はそれでも言葉を続ける。
「いいかい?君の攻撃で僕が傷つくことは絶対にない。だからこっちは無視していい。まずは心を落ち着けるんだ」
一度距離を取り助走を付けて殴りかかってきた少女が再び障壁にはじき返される。
「今はただ気持ちだけはしっかり保って。気持ちが乱れたら君は君じゃなくなっちゃうよ」
全く揺らがない障壁に苛立ちが募ったのか少女がさらに放出する魔力の密度を増やした。
既に周囲は魔獣が生まれてもおかしくないほどの魔力に満たされてしまっている。
再び障壁に殴りかかってくる少女。
だが少女のその攻撃の勢いは先ほどよりも明らかに鈍っていた。
そこに僕はさらに声を掛け続ける。
「自分の中の何かわからないものになんて負けちゃだめだよ」
いくら魔力を吸収する病気だろうが放出する魔力が吸収量を上回れば維持できなくなるのは当然だ。
だからただ魔力を垂れ流しているだけの少女の動きはどんどんと緩慢になっていき、そしてとうとう少女は動きを止める。
少女がその場にぺたんと座り込んだ。
「よくやったね。お疲れ様」
僕は少女に近づき話しかける。
少女の疲労は相当の様で今も大きく肩で息をしていたが、少女はまるで何もなかったかのように話しかける僕の調子に驚き目を見開いた。
(今のところ意識ははっきりと保っているみたいだね)
内心そんな事を考えていると少女の瞳にはみるみるうちに涙が貯まる。
「……お願いします猫魔術師様……私を、助けて下さい」
どうやら僕の言ったことを信じてみる気になったようだ。
「ん、わかった。善処するよ」
にこりと頷く僕。
僕はこの世界の出来事には関わらない。
だけどこの子は、この子達は別だ。
出来うる事はしてあげたい。
「ここは暗すぎるね。近くに仲間がいるからそこに行こうか」
「ぇ……?」
知らない第三者がいることを知り再び強く警戒された。
「大丈夫、君に危害を加えることはないし僕らが危害を受けることもない。僕が保証する」
「……わかり、ました」
希望がない中でたぶん今は藁にも縋る気持ちなのだろう事は安易に想像出来る。
その藁が長いのか短かいのかに関わらず、ただそれに縋るしか手がないのだろう。
そんな少女に僕は無遠慮に近づく。
「それじゃあまず僕を抱き上げて欲しいんだけど」
「え?……あ、はい」
困惑した少女だったが素直に僕を抱き上げてくれた。
少女の身体は小さいために少し不安定ではあるもののちゃんと猫の事を考えた抱き方なのでよしとする。
少なくとも出会った頃のラークよりはずっといい。
「それじゃ転移するからね」
「え?転移?……ひゃぁ!?」
魔術を発動すると少女が声をあげた。
突然視界がにじんだかと思ったら全く違った景色になってしまったんだから当然かもしれない。
転移した先は僕たちが野宿していた場所の近くの森。
混乱したままの少女をとりあえず無視する形でそこから少しだけ歩いてもらい、野宿をしていた場所に到着した。
「ミツキ様おかえりー」
「ただいまー」
僕を抱いたままの少女が近づくとラークが気づき笑顔で迎えてくれた。
同時に少女が身を堅くする。
視線を動かせばイリアとフランも既に起きてこちらを見ていた。
まぁ近くであれだけ派手な音を立てればさすがに気付くよね。
二人からも強く警戒している様子が強く伝わってくる。
ちなみにミティスはまだ寝ているようだ。
「ミツキ様、その子は誰ですか?」
イリアから声を掛けられた。
「ん、今回はちゃんと説明するよ。ラーク、悪いんだけどお茶を入れて貰ってもいい?」
「いいよー」
跳ねるように立ち上がるとお茶の道具を取り出し準備を始めるラーク。
それを横目で見ながら少女にも火の周りに座るよう勧めた。
少女は緊張した面持ちのまま空いている所に座る。
座る際に一度地面に下ろされた僕は今度は少女の膝の上に乗ろうとし、だけどサイズ的に無理なことがわかったので仕方なく少女の横に座った。
なんとなくフランに白い目で見られた気がしたが無視する事にする。
「はいどうぞー」
「……ありがとう」
ラークが少女にお茶を渡してくれた。
ラークのその無警戒さにむしろ少女の方が警戒しながらも、そのお茶を受け取ると小さくお礼を言う。
その微笑ましい光景を横目で見ながら僕は本題を切り出した。
「さてそれじゃ早速だけどこの状況を説明しようか」
「ぜひお願いしたいよ」
フランが真顔で促してくる。
「さてまずはこの子だけど、名前はえーっと……名前は?」
そう言えば名前を聞いていないことに気付き少女に尋ねる。
「……マーニ、です」
「だそうだ」
ぴりぴりした空気の中僕はマイペースに話を進める。
「そして察している通り、この子はこちらでいう魔王病の感染者ってことだね」
「……」
予想していたであろうその一言だが僕が口にすることでさらに場の空気が張り詰めてしまう。
これだけでこの世界での魔王病感染者の扱いがわかるってものだ。
マーニはその空気にがたがたと震えだしてしまった。
なおイリアとフランは武器を手元に置いていていつでも動けるように構えている。
もしもマーニが変な動きをしようものなら即座に斬りかかられてしまいそうだ。
「そんなに威嚇するとかわいそうだよ。別にこの子が悪いわけじゃないんだし」
「ミツキ様それはわかります。ですが魔王として覚醒してしまったら取り返しが付かなくなってしまいます」
イリアにしては珍しくはっきりと意見された。
視線を移せばフランもイリア寄りのようだ。
「二人が考えているのは要するに、この子が魔王になって暴れる前に処分しろって事でしょ?」
「そう…ですね」
イリアの同意にマーニがびくッと身体を震わせる。
「そこは僕が責任を持つよ。僕がいる限りはこの子は絶対に暴れさせない。その上で僕はこの子を一緒に連れて行きたいと思う」
その言葉に震えていたマーニが目を見開き横に座る僕を見てくる。
フランがまるでその言葉を予想していたようにため息をついた。
「……黒猫君がそうと決めたら誰も逆らえないからねぇ」
「フランも反対?」
「私は正直なところやっぱり自分が好きだし自分の住む世界が危険だって言うなら、反対かな」
「そこは僕が何とかするよ。まぁ一つ二つは地面に大穴があくかもしれないけどフランには危険がいかないようにするし」
「いや大穴もあけちゃだめでしょ」
おいおいと呆れるフランだが僕が責任を持つという言葉を信じてくれたのかそれ以上意見は言ってこなかった。
続けてイリアにも質問する。
「イリアはそれでも反対?」
「う…ミツキ様を信じていないわけじゃないんですが、でもやはり……」
「むー」
まだ押しが足りないらしい。
僕は少しだけ考えて、
「マーニ、あのお姉ちゃんにお願いして」
「……え?」
未だ怯え震えているマーニにそんな事を言ってみる。
マーニは一度イリアに視線を送り、だが慌てて視線をそらすと再び不安そうに僕を見つめる。
「大丈夫。マーニはちゃんと僕が守ってあげるから」
「……ほんとう?」
「うん」
それでもマーニは不安そうな目をしていたがその視線をイリアに向けて、
「お願い……します。私を、助けて下さい。お願いします」
泣きそうになりながらもそう言って頭を下げた。
イリアの表情に強い動揺が走る。
「イリア、魔王病なんて言ってもこれが本当の子供達の姿だよ」
「そう、かもしれません。ですが……でも……」
今イリアの中では感情と理屈が渦巻いているのだろう。
全くの他人であれば割り切る事も出来たのかもしれないが、今こうして身近に接してしまった上でイリアは将来の危険の為にこの子を殺すことが出来るだろうか。
「ラークはどう思う?」
ずっと端っこでお茶をすすっていたラークに振ってみる。
「ボク?その子を連れてっていいかどうかって事?」
「うん」
「いいんじゃない?」
「だよねー」
こんな時でもラークは本当に素直でいい子だ。
「ラーク、悪いんだけどお腹が空いたからマーニと一緒に夜食を作ってくれないかな」
「いいよー」
ラークは全く躊躇することなくマーニの元に歩み寄る。
そしてマーニが怯え身を引くのも構わずにその手を取った。
「ほら、夕方に取ったウサギ肉がまだあるよ。美味しいよー」
「マーニ、僕もご飯を食べたいからラークお姉ちゃんを手伝って一緒に料理して欲しいな」
僕もにこりとそう促す。
マーニはしばし躊躇したようだったが、まるで背中を後押しするかのようにマーニのお腹がくぅっと鳴った。
「あははマーニもお腹すいてるでしょ?早く作ってご飯にしよう?」
恥ずかしそうに赤くなるマーニだったがとうとう食欲に負けたようでラークに腕を引かれて荷物の方に歩いていった。
それを見届けてから僕は改めてイリアとフランに向き直る。
「さてもう一回言うよ。僕はあの子を連れていきたいと思う。そして出来る限りあの子に楽しい生活を送らせてあげたい」
「……」
まだイリアは悩んでるようだ。
代わりにフランが質問をしてくる。
「あのさ、黒猫君ってどちらかって言うと我関せずって主義だったよね?なのに今回はやけに積極的だね」
確かにその通りだ。
特に先日の魔獣騒動の時は顕著だったからフランはなおさらそう思うかもしれない。
「そうだね。なんでって一言で言うなら……僕もあんなだったから、かな?」
フランは口を挟まずに僕を見つめたまま次の言葉を待っている。
「夕方にも話したけど僕は違う世界からやってきたんだよ。で、こっちで言う魔王病って名前は違うけど僕の世界にもあったんだよね。僕は違う世界の住人だからこっちの世界の事象にはできるだけ干渉しないって決めているんだ。でも魔王病に関しては人ごとじゃないんだよ。だからこれだけは全力で干渉しようと思う」
なんだか面倒くさがりな僕にしては珍しく久々に長く言葉を発した気がする。
「……黒猫君ってば魔王をやってたって言ったじゃない?」
「言ったね」
「マーニちゃんもいずれは黒猫君みたいになるってこと?」
「それは無理だね」
「……それってどういう意味?」
即答した僕に対して訝しげに聞いてくるフラン。
「僕の場合は状況が特殊だっただけ。普通はあんな事は起こりえない」
「なら今マーニちゃんを助けたとして、結末はどうなるの?」
「……結末なんて誰にもわからないよ」
僕ははぐらかした。
嘘をつくことはできない。
だからはぐらかした。
「僕はただ、子供は楽しそうに笑ってて欲しいなって思うだけだよ」
「……」
僕の言葉にフランはそれ以上言葉を返さなかった。
「イリア、どう?僕が責任を持つから一緒に行動させてもらえない?」
それでもしばし考えるイリア、そして。
「……わかりました。ですがもし世界の脅威になるようであれば、私はミツキ様を止めます」
「いいよそれで。イリアに刺されるならしょうがないね」
にゃははと笑いようやくこの話が終わった。
わかっていた事だけどとても疲れてしまった。
しばらくは真面目な話はしないと心に誓う。
「さてそれじゃ後はー……って二人は何やってるの?」
「ん?食事の準備」
ラークとマーニの二人を見ればウサギの肉だけではなく他の肉や野菜まで取り出し刻み始めていた。
その量は夕食時と遜色ない様に見える。
僕はちょっとしたつまみ程度の感覚でお願いしたつもりだったんだけど。
「今は夜中だよ?ちょっと多くない?」
「えーだってー」
ラークが反論しようとしたところでくぅーと再びマーニのお腹が鳴り僕は笑ってしまった。
「あーなるほど了解了解。んじゃさっさと準備しちゃいますか」
真っ赤になったマーニも交えて、僕らは夜食を作り始めるのだった。