3-9 王城の怪談とミル王女(中)
指をさされ固まる僕。
指を指しふふんと鼻を鳴らすミル王女。
「……あれ?猫?」
王女が僕を見て驚く。
どうやら相手がわからないまま居場所だけを見破ったらしい。
いやそれにしたって十分凄いと思うけど。
「どうして猫がこんな所に?あ、しっぽに鈴」
とりあえず猫っぽくしておこうと思い鈴をちりんと鳴らす。
「ああ、皆さんこの猫の鈴の音を聞いて怖がっていたんですね」
ミル王女が大きく胸をなで下ろす。
見た目ではわからなかったがどうやらちゃんと緊張はしていたようだ。
そのまま無造作に僕に近づいてくる。
どうするかなぁ。
少しだけ考え、結局僕は逃げずにそのまま待っていることにした。
ミル王女が僕の近くでしゃがみそのまま僕を抱え上げる。
「お兄様にお伝えしなくては。原因はこの猫でしたって言ったら皆さん驚きますね」
ふふっと笑うミル王女に僕も同意する。
確かに驚くと思うよ、特にバウバッハは。
だいぶ想定外ではあるものの思いも寄らないところから面白い展開になりそうで、僕はしばらく様子を見ることにしたのだった。
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《バウバッハ視点》
バウバッハはその日も貴族達と記念行事と言う名の接待をこなし、そしてようやく自室で気を抜いた瞬間だった。
親衛隊が部屋にきて侵入者の報告をしてきたのだ。
ようやく休めると思った矢先の出来事にげんなりするが仕方がない。
いやむしろ王城に侵入を許した段階で国としては大問題だった。
すぐに親衛隊長を呼び話を聞くと、侵入者と言いつつも誰かがその姿を見たわけではなく、ただ鈴の音と呪ってやるという声だけを聞いたのだと言うことだった。
それは自分も聞いたことがあるくらいに有名な怪談話だ。
某国の鈴の姫の話。
ちなみにこの城はバウバッハの祖先が建築し代々使っている城なので某国はそもそも存在せず作り話であることをバウバッハは知っている。
「馬鹿馬鹿しい」
そんなしょうもない事で自分の休息の邪魔をしないで欲しい。
怒りを誰にぶつけることも出来ず、しかもこの悪戯の首謀者が分からなければ警戒を解くわけにもいかない。
もんもんとしたまま一通りの指示を出し終えた後、進展があれば報告にくるようと申し伝えて全員を部屋から退室させた。
再び誰もいなくなった自室のソファに深く腰を掛け一息ついた。
そしてぼんやりと侵入者について考える。
「……意図が見えぬな」
わざわざ鈴の音と声を出している以上暗殺や盗聴が目的ではなく、むしろ脅しの可能性が高そうだ。
最近で呪われるような案件と言えばイダノケアへの進軍だが、あれは一部を除き完全に予定調和であったため今のところ大きな問題は起こっていない。
「他に思いつくのは北の国のいずれかの工作だが……」
いつ何をしてくるか分からないとはいえ怪談話をなぞる必要がない。
まさかそれで萎縮するとも思っていまい。
手がかりが少なすぎて行き詰まり再び深く息をつく。
そこへ、
とんとん。
部屋に扉をノックする音が響いた。
少し億劫になりながらも扉に目をやり尋ねる。
「誰だ」
「私ですお兄様。少しお伝えしたいことが」
「……ああ、入って構わない」
親衛隊かと思い少し身構えたが妹であったため再び気が抜ける。
王としての威厳を保つのはそれなりに疲れるので妹にまでそんな威厳を保ちたくない。
そんな訳で気の抜けた表情のまま妹が扉を開けるのを見て……私は一気に血の気が引いた。
「お兄様、今回の侵入者を捕まえましたわ」
妹が誇らしげに手に持ったそれを掲げる。
それは黒い猫だった。
まさかとは思う、思うが……。
私は一気に冷や汗が吹き出したのを自覚する。
「い、妹よ、その黒猫……さんはどこから?」
「黒猫さん?あ、下の階の柱のところに隠れておりました」
なぜ猫にさん付けなのか、少し妹に怪訝な顔をされたがそれはこの際どうでもいい。
「そ、そうか下の階か……ちなみにそのとき変な事は起きなかったか?」
「変なこと?そうですね、微かにですが魔力が動いたように視えましたね」
「魔力が?」
妹が抱える黒猫に視線を移す。
魔術が得意な妹がそう言うならそうなのだろう。
抱えられたその猫は見れば見るほどあの黒猫にそっくりで。
……その黒猫がバウバッハにだけ見えるようににやりと笑った。
(ぜ、絶対ミツキ殿だッッッ!!!)
内心絶叫である。
だがそれを表に出す事も出来ず冷や汗だけがだらだらと流れ落ちる。
「あのお兄様?もしかしてお加減でも悪いのですか?」
「あ、あはははいやそんなことはないさぁ」
再び妹に怪訝な顔をされた。
「いや妹よよくやってくれた!さ、その黒猫をこちらに……」
「……いえ、それは出来ません」
「は?」
訝しむ妹に断られ唖然とする。
「失礼ですが本当にあなたはお兄様ですか?何かに操られていたりしませんか?」
「なッ!?いやいや私は本物の兄だぞ!?」
「信じられません!お兄様はいつでも堂々としています!今のように挙動不審なお兄様など見たことがありません!!」
妹の言葉にショックを受ける。
どうやら自分はよほど焦っているらしい。
見れば黒猫が今にも声を上げて笑いそうになっている。
いやいやミツキ殿!全てあなたのせいではないですか!!
理不尽この上ないがこれまた表に出すことも出来ず私はさらに挙動不審になってしまう。
それでもどう説明したものかと思案していると、
「……もしかしてと思いますがこの黒猫が元凶ですか?」
「ッ!?いやいやいやそんなことは全然ないぞ!?」
「全力で否定するところがとても怪しいです!」
妹の目つきが鋭くなった瞬間だった。
いつの間に抜いたのかその手には短剣が握られていた。
そしてその切っ先は抱かれた黒猫に向けられている。
黒猫がびくりと震えた。
「本当の事を白状なさい!さもなくばこの黒猫がどうなるかわかりませんよ!」
「んなッ!?ちょ、ちょっと待て妹よ!!?」
「待ちません!素直に白状するかこの黒猫を諦めるか今すぐ決断なさい!!」
まさかの展開に混乱する。
どうしてこうなった!?何故私は妹に脅迫されているのか!!?
突然の黒猫の来訪から始まったあまりにも急すぎる展開に思考だけがぐるぐると巡っていく。
ふと短剣を突きつけられたままの黒猫を見れば黒猫も目を丸くし冷や汗を流しながらこちらを見ていた。
早く何とかしてくれという心の声が聞こえるようだ。
黒猫にとってもこれは完全に予想外の展開らしい。
「そ、その黒猫は私がこっそり餌をあげていた猫でな……」
「嘘ですね!」
「早ッ!!?」
「お兄様!そんな見え見えの嘘に騙される私ではありません!!」
「くっ!」
さらに切っ先が黒猫に近づく。
だめだ妹よ!それに手を出してはいけないのだ!!
まさか国の危機が妹によって引き起こされる事になるとは思いも寄らなかった。
バウバッハは必死に考えるがうまい説明は何一つ出てこない。
しばらく考えた末結局、
「……わかった、全て話そう。だからとりあえずその黒猫を離しなさい」
「本当に話して下さいますね?」
「ああ、約束しよう」
ミルが警戒した表情のままそれでも短剣を遠ざけ黒猫をカーペットの上にゆっくりと下ろす。
黒猫は大きく安堵のため息をつくと素早く私の後ろに走り、そしてソファーの上に飛び乗った。
そこまで見届けてから私も大きく息を吐く。
ひとまず世界の危機は去ったようだ。
「さ、約束ですわよお兄様。全てを話していただけますね」
「わかったわかった。とりあえず一杯水を飲みたい、少し待ってくれ」
さてどう話したものかと思案しながら、私はとりあえず水差しを取りに隣の部屋に移動するのだった。
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《黒猫視点》
参った、まさかいきなり短剣で脅されるとは思わなかった。
ミル王女怖い。
僕だって無防備に刺されればちゃんと痛いんだからね。
「さてミルよ、何から聞きたい?」
バウバッハが水差しを持って戻ってきた。
手に持つグラスは三つだ。
それをみてミル王女が本日何度目かの怪訝な表情を浮かべる。
「……そうですね、まずはその黒猫の正体から教えていただきたいですわ」
「まぁそうだろうな」
バウバッハはグラスに水を注ぐとまずは自分で飲んだ。
次いで空いたグラスをテーブルに置くと三つのグラスそれぞれに水を注ぎ、一つをソファーに座るミル王女に渡し、そしてもう一つをこれまた別のソファーに座る僕に向かって差し出してきた。
僕はバウバッハと目を合わせる。
バウバッハの少し疲れた目。
これはたぶん、仕方がないだろうと言う目だ。
この原因の一旦は僕にもあるので確かに仕方がない。
僕は一度肩をすくめると両前足でそのグラスを持つ。
「ッ!!?」
ミル王女が目を見開きソファーから半分腰を浮かせた。
「いつもだと驚かれるのはうれしいんだけど、ちょっと今日は刺激的すぎてなんとも言えない気分だね」
「まさかッ!?猫がしゃべった!!?」
僕の疲れた声にもしっかり反応してくれる。
「今回はミツキ殿が悪いのだろう?私もさすがに参ったぞ」
バウバッハがそう言いながら空いたソファーに腰を下ろす。
これで丸いテーブルを囲むように三人がソファーに座った事になる。
「ミルもまずは座るといい。ここまで来たらおまえにも秘密を守って貰わねばならないからな」
「……秘密、ですか?もしかしてこの黒猫がイダノケアに現れた悪魔の使いということでしょうか?」
「その通りだ」
ミル王女はどうやら頭がよく回るようだ。
的確に持っている知識と出来事を結びつける事ができている。
ただそれでもおそらく半信半疑の質問だったのだろう、バウバッハの返答にミル王女が目を見開く。
それはそれとして僕の扱いは悪魔の使い、下っ端らしい。
これでも一応自称魔王様なんだけどなぁ。
そんな僕の内心の声に気付くことなくバウバッハとミル王女のやりとりは続く。
「な、なぜそんな危険な者とお兄様が通じているのですか!?」
「ミツキ殿は危険ではない。そうであろう?ミツキ殿」
「もちろん危険なつもりはないけど、でもそれって僕が肯定してもあんまり意味無いよね」
「そうです!悪魔の言うことなど信じることはできません!!」
そりゃそうだ。
「それにイダノケアでお兄様と共にいた兵士達は皆が口を揃えて危険だとおっしゃっていたではありませんか!あれほど強大な力を持つ者を放っておくわけにはいかないと!!」
「そうだ。そして事実手を出したグウラの部下達は魔獣を使ってすら勝つことは出来なかった」
「ならばなぜ!?」
「あれはな、悪いのはこちらなのだ」
「ッ!?」
バウバッハは一度水を飲み続ける。
「民の生活を守る事が使命であるにもかかわらずその民を犠牲にする作戦自体行ってはいけないことだ。そしてそれはイダノケア侵攻もそうだった」
「あれは……でもイダノケア侵攻では民に殆ど犠牲は出なかったはず!」
「イリアがいただろう?」
「ッ!」
「そしてイリアが呼び出したのがこのミツキ殿だ。故に元を正せば我が国が元凶であることに変わりはない」
バウバッハが僕を見てくる。
なんだか色々と抱え込んでいる目だ。
僕には何も言うことはできない。
「お兄様は国の繁栄を願い戦っています!決して悪いことをした訳ではありません!!」
「それでも、だ。世界は得る者がいれば必ず失う者がいる。それは忘れてはいけない事なのだ」
バウバッハの優しい声にミル王女がうつむく。
「……わかりました。お兄様がそう言うのであれば私はそれ以上意見は言いません」
少し落ち込んだようだ。
だが、
「次はあなたに質問します!」
「え?僕?」
話が終わったと思った瞬間にミル王女に指を指された。
一瞬でいつもの調子に戻っている。
ものすごいバイタリティだった。
「あなたは一体何者ですか!?」
なんだかまだまだ夜は終わらないようである。