1-4 決意の難しさとお茶目な黒猫
「少しはさっぱりした?」
「えーと、はい……」
小屋に戻ってきたイリアに僕はそう言葉をかけた。
昨日の今日でそう聞くのもどうかと思ったが、ぱっと見る限り身だしなみはしっかり整えており昨日と同じような優雅なドレス姿で立っている。
湖ではあんな状態だったので忘れそうだが目の前にいるのは某国のお姫様なのだ。
ただし復讐を誓った、という修飾詞が付くのがなんとも世知辛さを感じずにはいられない。
「とりあえず座って話をしようよ」
立ちつくしたままのイリアに椅子を勧める。
イリアは少し躊躇しながらもゆっくりと椅子に座った。
なんだかイリアから妙な緊張感というか遠慮を感じる。
僕は首をかしげつつも気にしない事にして質問を投げかける。
「それじゃこれからどうするつもりか教えてね」
イリアの緊張度合いが強くなった。
僕は軽い言葉で聞いているが内容はとても重い。
本当に復讐を果たすというのであればそれなりの覚悟と手順というものが必ず必要になるからだ。
「まずは……服を調達したいと思います」
「なるほど」
確かにイリアが今着ている服はふわっとしたドレスだ。
森の中にドレスを着たお姫様がいる図は確かにそぐわない。
「毒リンゴを売りにくるかもしれないしねぇ」
「毒……?」
「あーいやこっちの話」
その場合果たして王子様は来るんだろうか。いや関係ないな、うん。
「で、具体的にはどうやって調達するの?」
「それは……どこか民の家に行って貸して貰うとか」
素っ頓狂な答えが返ってきた。
「……それはえーっと、すいません服を貸して貰えませんかっていう感じで?」
「駄目……ですよね?」
「ドレスのお姫様がそんな風に現れたら高確率で通報されるだろうね」
まず間違いないだろう、仮に僕が村人でもとりあえず通報するし。
イリア自身もそうだろうとは思っていたのか、僕の返答を聞き落ち込む。
「まぁやりたいのなら僕は止めないけど」
「え?止めないんですか?」
驚いて訊いてきた。
「いやまぁ止めなくてもそれはそれで面白いかなと」
「だって捕まっちゃいますよ?」
「そりゃきっとそうなるよね」
「私のせいで黒猫様まで捕まるなんて」
「ん?いや捕まるのはイリアだけだし」
「え?え?」
だって僕が捕まる理由はないだろう。
なのになぜだかイリアが混乱している。
「でも皇帝に見られてるじゃないですか」
「村人からみたらただの猫だから大丈夫だよ」
「あ、そうか」
「……」
しっかりした子だと思っていたがなにやらそうでもなさそうな空気が漂い始めた。
……いやいやまだ判断するのは軽率だろう。
と、そういえば。
「訊くのを忘れてたけど年齢はいくつなの?」
「年齢ですか?今年で17歳になります」
思ったよりは高かった、高校生くらいか。
背格好でなんとなくもう少し幼く見えたんだけど。
「んじゃ服の事は後で考えるとして、お互いの立ち位置をはっきりさせておこうかな」
「あ、はい」
なんだかイリアに任せておくと話が進まなそうなのでとりあえずこちら主導で進めていくことにした。
「契約書は覚えてるかい?」
「は、はい」
イリアの表情に再び緊張が走る。
「どんな内容だった?」
「……黒猫様……ミツキ様が私の復讐に力を貸してくれる。そしてその対価として私はミツキ様の、ど……奴隷になります」
イリアが絶望的な顔をしてうつむく。
そして僕も少しあっけにとられた。
(奴隷……?あーなるほど制約事項あたりの言葉がこの世界では奴隷って表現になるのか)
僕は理由に思い当たり一人で納得する。
昨日執務室で行った契約だが、あれは相手を制約する為のいわゆる呪いの一種であり制約の内容は僕が事前に設定したもので契約させていた。
ただし先に言っておくと、僕は奴隷という言葉は設定していない。
ならばなぜイリアは奴隷という言葉で認識していたか。
実はあの場に現れイリアが署名した契約書の内容は、僕が設定した制約事項を受けてイリア自身が生み出したものである。
もう少し詳しく言うと、現れた契約書はイリアが受けた呪い自体が、その呪いの内容をイリアにわかるように表現した結果生まれたものであるということだ。
だから例えばあの契約書に書かれた文字はイリアの知るこの世界の文字である。
また言葉の意味についても当然僕が使っている言葉と全く同じものではないので、僕が設定した言葉をこの世界の言葉や意味に変換して表現されている。
その結果様々な制約付きの人の事をこの世界の言葉で端的に表すと奴隷という表現になるのだろうと推測できる。
確かに様々な制約を課されて僕の言う事を聞く人っていうのは奴隷とも言えるかもしれない。
恋の奴隷なんて言葉もあるくらいだし。
はてそういえばこれはどこで聞いた言葉だっけか。
あ、ついでに一応捕捉しておくと言葉が通じてるのは例によって魔術のおかげです。
なんてったって魔王ですから。魔術万歳。
「……ごほん。ちなみにこの世界での奴隷の扱いはどんな感じなの?」
誤魔化すようにそう聞いてみた。
「奴隷ですか……一般的には罪を犯した人や獣人が奴隷とされて売り買いされます。一度奴隷になるとその身分を自分で買い戻さなければ人には戻れません」
「人に戻れないというのは?」
「奴隷は法律上は主人の物として扱われるので人としての扱いは受けません。ですがお金を払えれば人として扱ってもらえるようになります。ただしその額は法外過ぎて人に戻れる奴隷はほとんどいません」
イリアはそう説明しながらも自分の境遇を思い出したのかどんよりと沈み込んでしまった。
お姫様が一転して奴隷だもんねぇ、そりゃ落ち込みもするか。
(とりあえずはオーソドックスな奴隷制度と思えばいいみたいだね)
というか細かく覚えるのも面倒臭いのでひとまずそう理解した。
「じゃあ次だけど」
イリアが再び緊張した顔を上げる。
「イリアは皇帝に復讐するんだよね。その覚悟はあるのかい?」
しっぽをくねらせながらこれまた軽い口調で訊く。
目線だけは外さずまっすぐイリアを見つめたままだ。
「わ、私は……」
昨日はあの異常とも言える状況下で復讐を口走り僕と契約までしていたが、一晩経った今ははたしてどう思っているのか。
復讐心はさらに燃え上がっているのかそれとも……。
イリアはどちらとも答えず固まってしまった。
少し待ってみるが言葉を発する様子はない。
んーむ質問の仕方を変えてみようか。
「そういえばイリアの事は全然わからないんだけど、イリアってそもそも戦えるの?」
全くがらりと内容を変えたのでイリアの方が少し驚いた表情をした。
「……それは、戦えると思います」
「具体的には何が出来る?」
「剣と魔術が使えます」
おや。
魔術が使えるとは訊いていたけど剣も使えるのか。
「なら旅人でも襲ってみるかい?」
「ッ!?」
イリアが目を見開く。
「繰り返すけど、イリアは両親の復讐をするんだよね?あの皇帝を殺すってことだよね?」
「そ、それは!でも……」
人を殺すという行為への怯えが復讐という言葉との間で迷いを生む。
まぁ言っておいてなんだけど人を殺しましょうっていきなり殺せる人がいたら逆に驚いてしまうけどね。
それは分かった上で続ける。
「もしかして迷ってるの?それなら僕が命令してあげてもいいよ?イリアは僕が命令したから仕方なく村人を殺し服やお金を奪って、仕方なく城を襲撃し……そして皇帝を殺して復讐を果たす」
軽い口調から徐々に声を潜め、目を細めながらそう提案する。
イリアは恐怖すら含んだ目で信じられない物をみるように僕を見た。
「……もしそのくらいの覚悟がないのなら復讐は諦めることだね」
やれやれと肩をすくめてみせる。
最後はいつもの軽い口調に戻している。
イリアの青ざめ怯えた目を見つめた。
(その目に映るのは僕に対する怯えか、はたまた皇帝に復讐すると平然と誓ってしまった自分に対する怯えか……そろそろ引き際かな)
「まぁまずはその辺は保留でいいや。とりあえず逃げる事を考えないとね」
「……逃げるというと?」
イリアはなぜそう言う話になるのかという風に訊いてくる。
「イリアは王族だよ?しかも皇帝に殺害予告をした上に逃亡中なんだから追われない訳がないと思うけど?」
「ッ!」
今気づいたという風に驚き青ざめそわそわし始めたイリア。
(んーやっぱり世間知らずというかなんというか)
再び肩をすくめる。
「まぁ馬でも数日かかる程度には移動したからしばらくは大丈夫でしょ。だから今日のところはご飯の準備が第一目標かな」
腹が減っては戦は出来ぬ。
僕は食料調達を提案するのだった。
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ドレスがとても邪魔そうなイリアを引き連れ森の中を少し歩くと優雅に食事中のイノシシを見つけた。
僕達は静かに岩陰に隠れると、その岩陰からそっとそのイノシシの姿をのぞき見る。
この世界の常識はわからないが、僕基準ではそのイノシシはそこそこの大きさがあった。
体重でいえばイリアよりも十分重そうだ。
イリアの料理の腕はわからないがイノシシ肉ならば最低限焼くだけで食べられるだろうし十分な獲物だと思う。
「イリア、あれを倒して」
「ッ!?むむむ無理です殺すなんてかわいそうな事!!」
ひそひそ声だが両手を振り全力で拒否してくるイリア。
いやかわいそうって言われても……。
「もしかしてイリアは肉を食べた事がないの?」
「いえもちろん食べた事はありますけどあんな風に生きている動物を殺すなんて……」
おまえは都会っ子か。
いや王族なら都会っ子であってるんだけどさ。
「あれを食べなきゃイリアが死ぬんだよ?弱肉強食だよ」
「それは、でも……」
再びチラっとイノシシをのぞき見て、そしてまた首を振り無理ですと拒否してきた。
「むぅ、じゃあイリアはおなかがすいたら何も食べずに餓死する事を選ぶの?」
「そ、そんな事はないですけど」
「じゃあどうするのさ」
「えーとキノコを食べるとか……」
「キノコって……毒キノコとか種類わかるの?」
「それは……わかりませんけど」
だめぢゃん。
「……僕は基本的にイリアがどうしようと構わないんだけど、僕の食事という娯楽を邪魔するなら鬼にも悪魔にもなるよ?」
「ッ!?ミツキ様はもともと悪魔なんじゃ!?」
そっちにツっこまれた!?
「いやそういう意味じゃないし、っていうか僕は悪魔じゃないし!」
「すいませんすいません!」
イリアが謝ってくる。
なんだこの流れは……。
「あーもういいや!イリアに選ばせてあげよう。自分の意志でイノシシを殺すか、僕の強制命令で殺すか」
「ッ!そんな!?」
イリアが絶望的な顔をした。
強制命令とは奴隷(ホントは魔術的束縛とかって言葉のはずなんだけど)に対して本人の意志にかかわらず何かをさせるための文字通り強制的な命令である。
「さぁ選ぶがいい。ちなみに強制命令を選んだ場合にはイリアにも罰を与える!」
執務室でもやったように魔力を放出してやる。
とたんにイリアは青ざめがくがくと膝を震わせ始めた。
イリアの目にはそれこそ僕が悪魔のように映っている事だろう。実際はこんなにぷりちーな猫なのに。
「……わ、わかりました、イノシシを殺します」
一瞬の間があった後に決心した目で言ってきた。いやもちろんまだ怯えてもいるんだけど。
「よし、ではやれ」
「は、はい!」
ゆっくりと岩陰から出て行くイリア。
そしてすぐに声が上がった。
「み、ミツキ様!」
「どうした?」
「……イノシシがいません!」
「ッ!!」
僕が岩陰から覗くとイノシシがいた場所には確かに何もいない。
そして今更ながら気づく。
人間と野生動物では危機回避能力は比較にならない。
あれだけ魔力を垂れ流せば動物が怯えて逃げるのは当たり前だった。
「……まぁ、そんな事もあるよね」
「……はい」
気まずい雰囲気の中、僕は冷や汗を流しながらそうごまかしたのだった。