3-6 正体は黒猫
茂みから現れたイリアは僕をみて目を大きく開き、ついでよかったと呟くとぺたんと地面に尻餅をついた。
「……なにやってるの?」
「え?あッ、すいませんみっともないところを見せてしまって!」
先ほどまでの泣きそうな顔から慌てて繕い気丈な顔つきになる。
「私はイリアと言います。今仕事斡旋所の依頼で討伐に来ていまして」
あぁ僕と同じ依頼を受けたのか。っていうかなんか名乗られたんだけど。
「恥ずかしながら仲間とはぐれてしまいまして、もしよければ街までの帰り方を教えていただけませんでしょうか」
少し俯き申し訳なさそうに言ってきた。
僕は一度首をかしげるが、
「……あぁなるほど」
「?」
声を上げた僕を不思議そうに眺めるイリアをよそに、僕は今自分が人の姿を取っていることを思い出した。
確か今までみんなの前でこの姿になったことはなかったはずだから僕が僕であることをイリアは知らないはずだ。
「帰り方を教えるのはいいんだけど僕は」
「シィ!静かに!!」
正体を説明しようとしたところで突然イリアが僕の言葉を遮ぎり、そしてかがむようにして辺りの様子を伺い始めた。
僕は少し驚きつつもとりあえず今はイリアに従うことにした。
がさがさと茂みが揺れる。
「たぶんさっき見た子鹿だと思います」
そういいながら茂みに向かい剣を構えるイリア。
息を潜めて待つ僕。
そして茂みを越えて現れたのは……子鹿?
「あれってどう見ても親の方じゃない?」
「う……そ、そうですね」
現れたのは僕らよりも二回りほど大きな鹿。
前回キノコ狩りの時にみた鹿よりさらに大きいかもしれない。
先ほどの勇ましさから一転して怯え気味のイリア。
「あれどうするの?」
「はい……可能なら逃げようかなと思います……」
なんて言っているうちにあっさり鹿に見つかってしまった。
その鹿はまるで肉食獣が餌を見つけた時のように鼻息荒く僕らを睨み付けてくる。
君、草食動物だよね?なんでそんなに人を襲う気満々なの?
「逃がしてはくれなそうだけどどうする?」
「どうすると言われましても……うぅ」
イリアは今にも泣きそうだ。
きっと頭の中では色々と考えているんだろうけどいい案は思いつかないらしい。
剣が通じないことは前回確認済みなうえ相手はやる気満々、と。
少しだけ待ってみたが案の定解決策は出なさそうなので軽くため息をついてから口を開く。
「んじゃせっかくこの姿だし一つお手本でも見せようか」
そう言ってイリアより半歩ほど前に出て鹿と対峙する。
僕の行動にイリアが少し慌てるが僕の落ち着き様を見て止める事はしなかった。
「この鹿って骨が硬いのは知ってるよね?」
突然始まった僕の講釈にイリアは困惑しながらも頷く。
前回はそれで剣がはじかれ結局鹿は逃亡している。
「それを倒すには方法は二つ。一つは弱いところを狙うとか骨と骨の間に剣を通すとか、とにかく弱点を見つけることだね」
僕は魔術を使い別次元にしまってあった自分の剣を取り出す。
たぶんイリアからは突然剣が現れた用に見えた事だろう。
そして鹿からもそう見えたのか警戒の色を見せる。
「もしくは、いっそ骨ごと切っちゃうっていうのも選択肢だよね」
まぁどちらも至極当然の事でありそれが簡単に出来るようなら苦労しないのは知っている。
僕は緊張感無く鹿に向かって歩き出す。
「え?あのッ!?」
イリアは無警戒に鹿に近づく僕を止めるべきか迷っているようだ。
もちろん僕はそんな事は構いやしない。
「鹿さんごめんね、自然の摂理に従って君を狩らせて貰うよ」
そう謝罪した後一足飛びで鹿に肉薄する。
鹿は僕のその素早い行動に虚を突かれたようだが、しかしすぐに僕に噛み付こうと勢いよくその首を僕に向けて伸ばしてきた。
「剣って言うのは力を入れれば切れるってものじゃない」
鹿の噛み付きを僕はまるで空気が逃げるようにふわりと横に避ける。
そうすると目の前には伸びきった鹿の首。
僕はそのまま無造作に剣を振り下ろす。
音はしない。
しかし次の瞬間にはごとりと鹿の首が落ち血が噴き出した。
続けて胴体も首を追うようにゆらりと揺れて地に倒れる。
「むしろ力まず流れるように。剣を使うなら覚えておくといいよ」
イリアは呆然と僕と倒れた鹿を見つめていた。
「す、すごい……」
その反応に満足しつつ手に持つ剣を再び次元の狭間にしまう。
そしてイリアににこりと微笑みかけるとイリアがはっと我に返り慌てて駆け寄ってきた。
「ありがとうございました!助かりました!!」
「何言ってるの。僕は自分の夕食を確保しただけだよ」
「それでも助かった事に違いはありません!」
イリアから尊敬の念を感じる。
(これで少しは僕のことを見直してくれたかな)
なんて思った後、そう言えばまだ僕の正体を教えてない事を思い出した。
僕は再び正体を明かそうと口を開きかけ、だがまたもこのタイミングで茂みががさがさと鳴った。
タイミングを外され肩をすくめる僕の横で今回もイリアがさっと身を伏せる。
「あー大丈夫だよ。今度はフランみたいだし」
「……え?」
先ほどとは違い今度はちゃんと周囲を警戒していた僕はその事に気づいていた。
僕がのほほんと宣言して少し待つと、茂みをかき分けて言葉通りフランが現れた。
「イリアいるー?…ってあれ?」
フランが僕らをみて目をぱちくりさせる。
「もしかしてお邪魔だった?」
「え?……あ!そそそそんな事ないですフランさんお邪魔じゃないです!!」
変な誤解をしかけたフランをイリアが慌てて遮った。
「違うんです!私が鹿に襲われてる時にこの方に助けていただいて!!」
この方って言われた。
気付かないもんかなぁ、いや普通気付かないか。
「あーそうなんだ。それはどうもありがとうございました。……手並みを見る限りとてもお強いようで」
フランが一度倒れている鹿をみて、それからにこにこしながら僕に向かって頭を下げてきた。
ただフランは同時にイリアを引き寄せつつしかもいつでも槍を構えられるように僅かに身を引いた。
気をつけなければ気付かない程度だが警戒されているのがわかる。
「うんフランはさすが。ラークとミティスは別行動?」
僕はその警戒を無視して相も変わらずのんびりと普段通りに話しかける。
「さぁてね、どこかで迷子になってたりするかもね」
「ありゃ。どっちかがいればすぐに終わったのに」
「……どういう意味か聞きたいところだね。あんた何者?」
のらりくらりとしていたら徐々に緊張感漂う雰囲気になってきてしまった。
「何者って事もない只のしがない一市民なんだけど」
そして誤解を解かない僕も僕なんだけど。
「あのフランさん、一体どうしたんですか?」
一人イリアだけが状況を把握できずに困惑している。
「イリアちゃんよく考えて。私はこいつを知らない。にもかかわらずこいつは私たちだけでなくラークちゃんやミティス君の名前まで知っている」
「あ……」
僕から目を離さずに言ったフランの言葉にイリアが目を見開き、そして今度はちゃんと警戒しつつ僕を睨み付けてきた。
「もしかして私をだましたんですか?」
「え?いや別にだますようなことはしてないんだけど?」
僕は嘘はついてない。
ただ名前を明かしていないだけだ。
あれ?これって騙してるっていうのかな?
「このまま引いてもらえないかな。出来ればあんたみたいに強い人と戦うのは嫌なんだけど」
「いや僕だって戦う気はないよ?ただちょーっと引っ込みが付かなくなってるだけというか」
なんかここで僕だよっていうのはちょっとどうなんだという状況になってしまっている。
「出来れば種明かしのためにもミティスかラークに会いたいんだけど」
「悪いけどあんたみたいに怪しい奴には会わせられないかな」
「怪しい奴ってのはいつもならほめ言葉なんだけどこういう雰囲気だとちょっと困っちゃうね」
なんだか自分の始めた悪ふざけに雁字搦めにされてる感じだ。
少し考えてから結論を出す。
「わかったよ、じゃあなんか負けた気分だけど自分で種明かしをするよ」
思っていた展開とは違い微妙な空気になってしまったことに僕は肩を落とす。
そして僕は元の姿に戻ろうと魔術を編み込み、
「ッく!!」
「うわッ!?」
フランが突然ものすごい勢いで僕の懐に飛び込むとその勢いのまま槍を突き出してきた。
僕は慌てて魔術を中断しそれを避ける。
「槍ッ!槍なんて刺さったら痛いでしょ!?」
「いきなり魔術を使おうとする方が悪いッ!!」
どうやら攻撃魔術と誤解したようだ。
再び突き、そして薙いでくる。
「ちょっとちょっと!この間まで死にそうだったでしょ!?もうちょっと安静にしないと!」
「そんなことまで知ってるのがますます怪しいッ!!」
完全に手加減なしだった。
元々自分の悪のりが発端なだけに対応に困りただただ攻撃を避け続ける。
「フランさん!」
「頼んだッ!!」
突然フランが僕から離れ同時に横合いから飛んでくるイリアが放った炎の塊。
見事、というくらいにぴったりのタイミングだった。
「成長してるのはとってもうれしいけど面倒臭い!!」
イリアの放ったその炎は相変わらずの全力投球で、僕が避ければ山火事必至だった。
仕方がないので僕はその炎を左手で鷲づかみにした。
「なッ!?」
「うそ!!」
僕の行動が予想外だったのかイリアとフランが共に驚きの声を上げる。
「いやいやさすがにここでこの炎はまずいって。僕を倒せても山火事になっちゃうよ」
呆れながらそう言い、そして掴んだままの炎を握り潰す。
その行動に再び二人が目を見開く。
「あはは参ったねありゃ。奇襲がだめで魔術も効かないとかどんだけ化け物なのさ」
「いやいや化け物って言うなし」
フランの苦渋に満ちた台詞に僕がつっこむ。
するとそのやりとりに何か引っかかったのかイリアが声を上げた。
「あの……気のせいだったら申し訳ないのですが、もしかしてなんですけどあなたは」
「フランー!イリアー!!」
イリアの言葉を遮るようにラークの声が聞こえた。
今日はなんか良くも悪くもタイミングがぴったりだ。
何かが駆け寄ってくる音が聞こえ、そして茂みを飛び越えて僕らのちょうど真ん中にラークが着地した。
「よっと!イリアとフランみっけ!……あれ?」
ラークが僕を見てぽかんとした表情で固まる。
そして何度か鼻をすんすん鳴らした直後、満面の笑みになると突然僕に向かって飛び込んできた。
「わーい!」
「あうちっ!」
吹き飛ばされる事はなかったもののラークの体当たりは相当に力強い。
「ら、ラークちゃん!?」
「痛たた、せめてもうちょっと加減してほしいんだけど」
イリアとフランが困惑する中僕は苦笑しながらラークの頭をなでる。
そうこうしていると今度は茂みをかき分けてミティスがやってきた。
「ラークさん足が速すぎます……ああフランさんとイリアさん。って、あれ?ミツキさん?」
ミティスから発せられた僕が何故ここにいるのかという素朴な疑問。
その一言は意図とは異なりイリアとフランの疑問に答えることとなった。
「は…はぁぁぁぁっっっ!!!?」
「み、ミツキ様なんですか!!!?」
ようやく種が明かされたことに安堵しつつ、僕は疲れた笑顔で頷くのだった。