1-3 寝床の確保とお約束の出来事
(さぁてこれからどうしようかな)
僕は今空の上にふよふよ浮かんでいた。
つい今ほど執務室から格好付けて転移したわけだが、行く先が思い浮かばなかったのでとりあえず無難な城の上空に移動したと言うわけだ。
眼下にはつい今し方まで滞在していた城が見える。
先ほど皇帝の目の前でイリアが転移した瞬間に、この城の持ち主はイリアの国ではなく別の国のものになってしまっている。
そう考えるとなんだか感慨深く……なんて全然ならない。
僕は召喚されてからまだ一日も経っていないのだから。
ちなみにその当人であるイリアだが、今は眠りの魔術により眠らされ僕の横に浮かんでいる。
頭を冷やさせる必要があったので先ほど転移させる際に一緒に眠りの魔術もかけておいたのだ。
そもそも突然遙か空の彼方に転移させたわけで、もし起きていたらしたとしたらその瞬間の恐怖は想像を絶すると思う。
普通の人はきっとパニックになるよね。
そんな理由もありイリアは寝かせたままにしてある訳だが……
(イリアを寝かせたら道案内が居なくなる事に気づかないとか僕はアホの子か)
そうなのである。
今悩んでいるのは、地理がわからないためにどこに向かって飛んだらいいのかさっぱり検討がつかない事だ。
なんだか思わず向こうの山間に見える夕焼けがとてもきれいだなぁとか現実逃避をしかけてしまう。
だが実のところあまりのんびりもしていられない理由があった。
この世界でどうだかは確認していないが異世界というやつは大体の場合夜に凶暴な魔物が出るものだ。
というわけでただ浮かんでいるだけなのも何なのでてきとーに空を進み始める。
きょろきょろと眼下を眺めながらなるべく人がいなさそうな方を選んで進んでいく。
人を避ける理由は簡単だ、僕らが空を飛んでいる図を想像してもらえればわかると思う。
横たわった状態のドレスの少女が黒猫と一緒に空を飛んでいるのだから仮に目撃されれれば通報される事うけあいだ。
だもんで地上から上空が見えずらい森の上を飛ぶのが無難な選択肢だろうという、そんな消極的な理由で方角を決めていく。
やがて城が見えなくなる程度に進んだ頃、眼下に広がる森の中に一件の小屋が建っているのを見つけた。
徒歩であれば森に入って半日ほどの距離の所だ。
せっかく見つけたので僕はゆっくりとその小屋に向けて降下していった。
(さてさて鬼が出るか蛇が出るか)
どちらも出ないのが一番簡単なのだが出たところで倒すのも大した労力ではない。
むしろなんか出てもいいからそろそろ布団で丸くなりたい。
そんな風になんとも緊張感なくその小屋の入り口の前に立った。
入り口のドアを爪でかりかりとひっかく。
小屋の中からは反応はみられない。
(人が暮らしている様子はなさそうだ)
そのままゆっくりとドアを開け中をみると、建物の中にはベッドと暖炉があるだけの簡単な造りであった。
小屋に入る。
ベッドには質素ながらも布団が敷かれており全く使われていないという風でもなかった。
ここは何かの都合で一時的に寝泊まりする為に建てられた建物なのではないかと思う。
とりあえず何も起こらなかった事に拍子抜けしつつも未だ空中に浮かべていたイリアをベッドまで移動させゆっくりと寝かせた。
(すぐに起こしてもいいんだけどどうしようか)
イリアはまだ魔術が切れる様子もなく静かに眠っていた。
とりあえず僕は一度外に出ると、落ちていた枝を集めそのまま小屋の暖炉に放り込む。
そしてしっぽの先に炎を起こすと暖炉に投げ込み火をともす。
これで夜に少しくらい気温が下がっても大丈夫だろう。
ちなみに簡単そうに火を付けているがこれが意外と難しい。
弱ければ火が付かないし強ければ消し炭ができあがるだけだからだ。
(まぁ僕くらいになれば自然にできちゃうけどねふふん)
なんて自画自賛してみる。
そもそも僕は猫の格好をしているため当然ながら扉を開けたりイリアを運んだりといった動作は全て魔術を使っているのだから今更という感じだ。
魔術って便利ぃ~。
さて問題なく暖炉に火が起きたことを確認したら今度は急に眠たくなってきた。
体は正直だった。
(最近自堕落な生活をしていたからかなぁ)
さっきまではこれからどうしようかなどと考えていたというのになんだか呆れてしまう。
自分で自分をけなしつつ、でも睡眠欲にあらがうのも面倒なので結局おとなしく寝る事にした。
イリアが眠っている簡易ベッドに近づくとその上に飛び乗る。
こういう時猫の姿は便利だなんて考えながら端の方に丸くなった。
(さて明日起きたら何しようかなぁ。とりあえずこの世界はご飯が美味しいといいんだけど)
自分勝手に生きて好きなときに食べて好きなときに寝る。
これぞまさに人生謳歌だよね。
そんなアホな事を考えているとすぐに意識が遠のいていき、僕は眠りに落ちていった。
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翌朝。
雀のような何かの鳥のちゅんちゅんという鳴き声が聞こえる中僕は目を覚ました。
ゆっくりと起き上がりそして体を伸ばす。
まだ寝たりないようで目がしぱしぱする。
(精神は肉体に引きずられるなんて誰かが言ってたけどホント猫の姿になってから一日中寝てられるようになったな……いや、昔からそうか)
まだ人だった頃を思い出しそういえばその頃から寝てばかりいたなと苦笑した。
すこし頭がはっきりしてきた。
辺りを見回す。
(……あれ、イリアがいないな)
室内に人の気配はなかった。
窓からは明るい光が差し込んできているが強い光ではないのでそれほど寝過ごしたということもないだろう。
布団の上を移動する。
(かろうじて暖かい。イリアが起きたのはまだそんなに前ではないか)
面倒だなと思いながらも、僕は自分の周りに魔力の輪を作りそれを周囲に飛ばす。
この魔術は魔力の輪に触れた生き物の位置情報を知ることができるというものである。
潜水艦のソナーのように、と考えるとイメージしやすいかもしれない。
それほど離れていないところに人の気配を見つけた。
(別に逃げる気配はないか)
今のところイリアは動いていないようだ。
とはいえ昨日の今日で放置するのもあまりうまくないと思いそちらに向かってみる事にした。
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小屋を出て森の中を歩く。
木々が生い茂っておりそれが頭上で日の光を遮っているため昨日城にいた時よりも肌寒く感じる。
また日の光が地面に届きにくいためか背の高い雑草も少なく歩きやすかった。
進んでいくと途中で小川にぶつかった。
小川の付近は岩場になっており大小様々な岩が転がっている。
その岩の一つに飛び乗り川の中をのぞき込んでみると水は澄んでいて魚が数匹泳いでいるのも見えた。
近づいて水を一なめしてみる。
飲み水としても問題なさそうだった。
ひとまず魚や飲み水は置いておき、僕はその小川を上流に向けて歩いていく。
探知の方角を考えるにどうやらイリアはこの先にいるらしかった。
僕は岩の間を飛んだり歩いたりしながら進んでいく。
進みながら実はふと引っかかるものを感じていた。
(これはもしかして典型的なやつだろうか)
そんな事をぼんやりと考えながら、だが特に躊躇する事もなくイリアのいるであろう方向に近づいていく。
小川は徐々に川幅が広くなっていきやがて向こうに湖が見えた。
大小の岩をさらに飛び越えその向こうの茂みを抜ける、と
「だ、だれですかッ!?」
その位置からは湖の中に裸で立つイリアの姿が見えた。
(……ですよねぇ)
知ってた。
知っててやった。
反省はしていない。
猫は反省なんかしないのだ。
「よく眠れた?」
僕は何事もなかったように声をかけると、そこからさらにいくつかの岩を飛び越えイリアから10m程離れた所にある岩に飛び乗り座る。
最初は驚きで体を硬くさせていたイリアだが相手が僕、というか猫であったことで少し安心したらしく息をつきこちらに向き直った。
イリアは脚が長くしかも細身のため身長が高くないにもかかわらずそれを感じさせない美しさがあった。
胸のサイズも人の手のひらで収まるくらいだからほどよい感じなのだと思う。
と、あまりじろじろ見ていたので微妙な空気になってしまった。
「……昨日は助けて頂き、ありがとうございました」
その微妙な空気の中イリアはどうするべきか一瞬迷いつつも素直にお礼を言ってきた。
さらに体を手で隠すべきか決めかねているようでそわそわしている。
(入浴中の気を抜いていたところにいきなり挨拶された。でもってその相手は猫である……うんどう対応したらいいかわからないよね。あはは)
そもそも猫に裸を見られるとやっぱり恥ずかしいんだろうか。
いや僕も昔飼い猫とお風呂に入ったことがあるな。
でも人の言葉を理解する猫だったら……いやまぁどうでもいいか。
僕が変な押し問答をしていた事でさらに微妙な間を作ってしまった。
そしてその間に結局身体を手で隠す事に決めたらしいイリアは右手で胸を、左手で下腹部を隠しながらおずおずと声をかけてきた。
「お見苦しい物を見せてしまい申し訳ありません……あの、服をきてもよろしいでしょうか」
「あーごめんね、構わないよ」
僕が答えるとイリアは恥ずかしそうに軽く会釈してから湖から上がってきた。
水が滴ってなかなかに色気がある。
僕はふと思いつきそんなイリアに向けて自分のしっぽを振るった。
ふわっとイリアを中心に小型の魔法陣が地面に描かれる。
「ッ!?」
突然の魔術の発動にイリアが驚き固まった。
足下に描かれた魔法陣が光を発しながら発動すると、その魔法陣が一陣の風を生みだしイリアに向かって吹き付ける。
そしてその風がイリアの髪をなびかせ通り過ぎる頃には、先ほどまで水が滴っていたイリアの髪や体が全て乾いていた。
「水浴びを覗いてしまったお詫びだよ。風邪を引かないでね」
イリアは自分の髪を触りそれが乾いている事を確認すると再び驚きの表情を僕に向けてきた。
「あーえっと、何をそんなに驚いてるの?」
訊いてみる。
「あ、いえ黒猫様はこんな事も出来るのかと驚いていました」
こんな事ってのは身体を乾かしたことだよね?
っていうか黒猫様って……
「魔術なんてこの世界でも万能でしょ?そうでもないの?」
再び訊いてみる。
するとイリアの話では炎で焼き尽くす事は難しくないが今のように範囲を限定したり威力を抑えるのはとても難しいとの事。
かくいうイリア自身も魔術師だが自分には出来ないと言ってきた。
「そうなのか。なんだかなんとなくこの世界の魔術水準がわかってきたかな」
「はい。それで黒猫様は……」
「ストップ!」
イリアが何かを話そうとしたところを遮る。
また驚いて固まってしまったのは申し訳ないとは思うけど、とりあえず黒猫様はやめてもらいたい。
「自己紹介がまだだってよね。僕の事はミツキって呼んでいいよ」
皇帝に告げたのとは別の名前を伝える。
別に意味があるわけではないけれど昔からあちらは真面目モードの名前、こっちのはだらけた時の名前と使い分けていた。
イリアの様子を見ると、僕が昨日とはまるで違った砕けた口調で話しているので少し戸惑っているようだ。
「昨日は空気を読んで偉そうにしただけだよ。普段は丁寧な言葉を使う必要もないし」
「あー、それではえーっと……」
ざっくばらんに話してもいいと言われて逆に困っている。
「まぁいきなり色々は無理だと思うんだけど徐々にね。それよりとりあえずやる事があると思うんだ」
「……?」
そんな僕の言葉にイリアの頭上にハテナマークが踊る。
「まずは服を着た方がいいんじゃない?」
「……ッ!?」
僕の言葉を聞き自分の身体を見て一瞬の間のあと、イリアの顔が一気に真っ赤になったかと思うと体を両手で包むようにしてぺたんとしゃがみ込んでしまった。
結果変則的な体育座りのような格好になったのだが、その格好だと僕の目線では大事なところが丸見えになってしまっていた。
「あーえっと、まぁ準備が出来てから小屋まで戻ってくるといいよ」
色々思うところはあるものの僕がここで見ていると話が進まなそうだったので先に小屋に帰る事にした。
背後から小さな声で見られた……と呟いているのがなんだかおかしくなってしまう。
とりあえずは悪い子ではなさそうなので安心した。