間話 平凡な一日とフランのトラウマ
あの事件から一週間が過ぎた。
「ミツキ様!朝です!起きてください!!」
今日も今日とて寝坊助な僕はイリアに起こされる。
予想していた兵士達のちょっかいがない事もあり僕らは今のところ平和に過ごしている。
「今日はフランさんの体調を見る為に森に入るって行ってたじゃないですか!」
「うーあと5分……」
「もうお昼ですよ!お昼ご飯食べないんですか!」
「……食べる」
僕はむくりと顔をあげた。
未だに布団の暖かな誘惑は続いているが食欲という刺客には勝てない。
というか朝ご飯食べ逃した。もったいない。
イリアのここ数日の様子は、少なくとも僕らの前では今までとなんら変わる事はなかった。
きっとあの日イリアは僕に裏切られたと思った事だろう。
にもかかわらずあの日以前よりも積極的に話しかけてくるようになったようにすら感じる。
どういう心境の変化があったのかはわからないが正直なところ僕にとってはとてもありがたい事だった。
もちろんそれを表に出すことはしないけど。
イリアが未だ寝ぼけている僕に近づきそのまま抱き上げる。
そしてあくびをする僕はされるがままに食堂まで移動させられた。
「ミツキ様起きた?」
「んにゃ、まだ寝てる」
「黒猫君、それを自分で言っちゃあ」
「今日はミツキさんの好きな焼き魚だそうですよ」
それぞれが声をかけてきた。
ラークは相変わらずにこにことマイペースぶりを発揮しており周りの雰囲気を明るくしてくれている。
フランは僕らの中にあっという間に溶け込んで、最近では僕に対するつっこみ役として大活躍だ。
「猫がみんな魚を好きだと思わないことだにゃー」
「あれ?ミツキさんって魚嫌いでしたっけ?」
「いんや、好き」
「なんのこっちゃ」
僕の言葉にハテナを浮かべるミティスと呆れるフラン。
意味など無い、ただ言ってみたかっただけである。
フランがいなければ微妙な空気が漂って終わってしまうところだ。ツっこみのありがたみを感じる。
そしてミティスだが、この数日少しずつ積極的になってきている気がする。
最初はとても他人行儀だったが最近は過度な遠慮がとれてきた。
イリア達と森に行っている事なんかも影響してるんだろう。
そんなわけでフランもミティスも未だに僕らと行動を共にしていた。
フランは正直僕から離れる訳にはいかないので仕方がないがミティスは別に僕らと一緒にいる理由はない。
にもかかわらず、なんやかんや言いながらも今のところ帰る様子はなかった。
僕自身ミティスがいても困ることはないので無理矢理家に帰すつもりがなかった事もある。
そうそう一応説明しておくとお昼時にもかかわらず食堂には僕らしかいないので今僕は遠慮なく言葉を話している。
まぁ何にせよみんなは今日も変わらず元気そうでなによりだ。
「変なことを言ってないで食べましょう」
イリアが場をまとめ、そしてちょうど食事が運ばれてきた。
既にそこそこの日数泊まっているためか宿のおばちゃんは今日もちゃんと僕の分の食事も用意してくれた。
焼き魚とご飯と野菜とスープ。
決して豪華ではないけどおいしい食事だ。
僕らは表向き事件前と変わることなく日々を過ごしていた。
もちろんフランやミティスが合流したという変化はあるがやっていることは日々お金を稼いで宿で寝泊まりをすると言うことを繰り返している。
指名手配者が悠長に宿に泊まって食事をしているのは少し異常だとは感じるもののバウバッハがうまくやってくれているんだと割り切って僕はあまり気にしていない。
もしかしたらイリアは気にしているかも知れないけれど変なストレスを抱えている様には見えないので今のところこちらから動く必要もないだろう。
しばし皆がご飯を食べて一息ついた頃、僕は今日の予定を話し出す。
「で、今日は予定通りフランの調子を見るために森に入ろうと思うよ」
「いやぁー長かったね。一週間も転がってたから身体がなまってしょうがないよ」
フランがうれしそうに腕を回す。
よほど運動不足だったらしい。
「その間イリア達三人はどうする?」
「私たちですか?ミツキ様達についていくんだと思ってましたけど」
「あーそれはごめんね、ちょっと確認しなきゃいけないことがあるから今日は僕とフランの二人で行こうと思ってるんだ」
「そうですか」
特に残念そうな風でもなくイリアが少し考え、
「それでは昨日と同じように何か討伐依頼を受けてこようと思います」
イリアがラークとミティスに視線で確認をとりそれぞれが頷いた。
ミティスもしっかりみんなになじんでいるようで微笑ましい。
「わかった。ミティスがいれば大丈夫だと思うけど気をつけてね」
「う……わかりました」
イリアは何か思い当たる節があったのか、ミティスの方が頼れると聞き小さくうめく。
その横ではミティスが苦笑いしている。
なにか事件があったのだろうか、後で聞いてみようと思う。
「それじゃ食事が終わったらみんなで仕事斡旋所に行こうか」
そうして今日も平凡な一日が始まる。
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というわけでフランと二人で森にやってきた。
昨日まではベッドで安静にさせていた事もありフランはとてもうれしそうに森の中を進んでいく。
「いやぁ自由に動けるっていいね!」
「病み上がりなんだからほどほどにね」
「ん、りょーかい!」
僕は珍しくフランの後ろを自分の足で歩いていた。
本音を言えば抱いてもらって移動したいところだが身体の調子を見るためにやってきたのに僕が腕の中にいたら本末転倒なので泣く泣く諦めたのだ。
「そうそう身体がなじんでないと困るから今日は魔術は使わないでね」
「わかったー、けどなじむって?」
「一部僕の魔力が流れてるから」
「あーなるほど」
フランが以前より少しだけ黒っぽくなってしまった手をにぎにぎする。
だが特になにも感じなかったようでその手を無造作に誰もいない森に向けた。
「ッ!?ちょッ!」
直後風が、いや暴風が吹き荒れ生えていた木が数本なぎ倒されてしまった。
「うわッ!うわッ!!何これッ!!?威力がおかしいんだけど!?……いだッ!!」
「いきなり使っちゃだめ!」
言った側から魔術を使ったフランに圧縮した空気でげんこつを落とす。
そして痛みにうずくまるフランに更に念を押す。
「フランの身体を形成するためにすごい量の魔力が必要だったんだよ!魔力が溢れるから使っちゃだめ!」
「うぅ、わかりました」
半泣きだがなぜだか顔はうれしそうだ。
「でもこれってもしかして私、何もしなくても大魔術師の仲間入り?」
どうやらそんなしょうもない事を考えていたらしい。
「誤解しないように言っておくけどフランの身体は魔力で維持してるんだからね」
「……ということは魔術を使いすぎると身体が維持できなくなる?」
「そう言うこと」
「そりゃ大変だッ!!」
ようやく事の重要性に気づいてくれたらしい。
とは言うものの言葉ほど大変に思っている様子はなく、むしろやっぱりそうかという顔だ。
「わかってて試すなんてフランもチャレンジャーだねぇ」
「だって黒猫君が近くにいれば安心だし」
「そうそう次は助けないからね」
「そんな!?」
ショックな顔をするフランだがこれもわかってやってるのがわかる。
そして僕の本音もフランは察しているだろう。
お互いそんな軽口をたたきながら森の中を進んでいく。
「お、一匹目がいたね」
「ほんとだ」
フランが少し先に横たわる獲物を見つけた。
それは鈍重な動きでもぞもぞと動いている。
今回の獲物は一言で言うと芋虫のでかいやつ。
人の胴体ほどもある大きな芋虫だ。
「それじゃフラン、焦る必要はないからね」
「はーい」
フランが無造作に歩いて近づいていき、芋虫の腹を槍の穂先で軽くつついた。
この芋虫は成長すると毒を持つ蛾になるがこの姿の時は基本的に害はないらしい。
むしろ身の危険を察知して丸くなっている芋虫をつつくフランはただのいじめっ子にしか見えなかった。
「大丈夫だと思うけど違和感があったら言ってね」
「わかった」
今日フランが仕事斡旋所で受けた依頼が今つついている芋虫の討伐だ。
なんでも今年は大量発生したらしく倒せるだけ倒して欲しいという無期限、無制限の依頼だった。
なお無害と言いつつもこのサイズにもなると皮が堅く破れにくいうえ、倒したら倒したでぐちゃぐちゃの内蔵が飛び出て身体が汚れてしまうという結構な不人気依頼だそうだ。
そしてなぜフランがこの依頼をやろうと言い出したのかといえば、
「私が冒険者になって初めて受けた討伐依頼がこの芋虫だったんだよね」
「へぇ、そうなんだ」
「まだ若かったからこんな芋虫でも一生懸命討伐してさ」
「想像がつかないねぇ」
「だからこの芋虫なら大丈夫かなって思ったんだけど……」
見ればフランの足は震えていた。
目の前の芋虫はただ丸くなっているだけにもかかわらず、だ。
「……いやぁ魔獣と戦って生き残った人は呪いが掛かる事が多いらしくてさ。どうも私も掛かっちゃったみたいだね」
ははっと力なく笑うフラン。
この感じだと本人も薄々気づいていたようだ。
かく言う僕もこれを危惧していたからこそ今日は二人で森にきたのだが。
「たかだかこんな芋虫なのにさ、震えが止まらないんだよ」
泣きそうな笑い顔。
僕は目を細めると魔力を込めてもう一度フランを観察する。
だが今までと同様フランに呪いと呼ばれるものの様な痕跡は見つけることが出来ない。
だけど実際にフランは震え怯えている。
おそらくだけどこれはトラウマなんだと思う。
魔獣に殺されかけたというトラウマ。
こちらの世界で心理学が発達している様子はないからきっと病気ではなく呪いっていう扱いなんだろうけど、いずれにしてもこれを治すのは簡単ではない。
「別に無理矢理討伐する必要もないんだし、のんびりやればいいんじゃない?」
僕はそう言うに留める。
フランのそれがトラウマだと伝えたところで現実がどうなるものではない。
そして僕はそれを治すことはできない。
もし心をいじり治したように見せかけたとしても所詮それは上辺だけのものだ。
「黒猫君は相変わらず優しいねぇ。受けた恩は働きで返したかったんだけど……もう少しだけ待っててもらえるとありがたいかな」
フランがやはり力なく、それでもいつものようににひひと笑った。
「今のところ生活費を稼いでいるのは僕じゃなくてイリア達だからそれはイリアに聞いてみないとね」
これは事実だ。
僕自身なんやかんやと偉そうにしているけれど今のところ完全に養われている身だし。
むしろ僕もイリアには感謝しなければいけない立場だ。
「ありがと、後でイリアちゃんに聞いてみる事にするよ」
いつものフランとは違う微笑み。
僕もそれににこりと笑顔を返す。
「さーてそれじゃこの芋虫どうしようか?見つけたからには倒した方がいいと思うんだけど黒猫君やっつけちゃう?」
「芋虫は美味しくなさそうだからパス」
「食べるのが前提なんだね……」
「そりゃ倒したんなら食べてあげないと」
「その理屈がそもそもどうなのかと思うんだけど」
フランが呆れながら笑っている。
「この無駄な殺生を好まない性格はほめられるべきだと思うよ」
「あははそうだね、えらいえらい」
完全に馬鹿にされている。
別にいいんだけどさ。
「芋虫は放置でいいんじゃない?誰かが見つけて倒すでしょ」
「うわぁ黒猫君他人任せだねぇ」
「僕はいつだって他人任せの無責任猫だよ」
「んーそれについてはノーコメントで」
もぞもぞと慌てて逃げていく芋虫を見送ってから僕はフランに視線を移す。
槍を肩に担いで立っている姿は様になっている。
先ほどまでの不安な様子はもう微塵も感じなかった。
「それじゃ体の方は大丈夫そうなのがわかったし、そろそろ宿に戻ろうか」
「えーせっかくここまで来たんだからもう少し散歩しようよ」
「やだ、歩くの面倒」
「レディーの誘いを断るにしては理由がひどくない?」
肩をすくめた後フランが僕に近づき体をひょいと持ち上げた。
「抱いてあげればいいんでしょ?」
「むー仕方ないなぁ」
確かに歩かなくていいなら僕に反対する理由はない。
僕はそのまま上機嫌なフランと一緒に森の中をのんびり散策したのだった。




