2-14 フラン
イリアの言葉、表情、想いの全てが僕の決心を揺るがした。
世界に干渉しないようにするというルールを僕は守らなくてはならない。
これを破る事はそれ自体が罪でありやがて大きな罰となって降り注ぐ。
例外は僕に連なる者だけ、そう決めたのに。
いずれこうなる事はわかっていたのに僕は迷う。
僕の心はイリアの言葉に引き寄せられる。
出来る事なら叫びたかった!
目につく全てを助けたかった!
だけどそれは将来の苦しみを呼び込んでしまうんだ、と!!
「お願いしますミツキ様……フランさんを…助けて、ください……」
それはイリアの信頼の、そして助けを求める言葉だった。
僕が動かなければきっとイリアの疑いは確信へと変わる。
それは一つの物語の終わり。
歯をかみしめ俯き苦悩し、そして僕は……
「……わかった」
イリアの言葉に自分の罪をなすりつけた。
イリアに求められた。
だからフランを助ける、それだけだ。
(考えるな!今は何も考えずにフランを助ける!!)
僕は押さえてつけていた魔力を解放した。
一気に巻き上がる風とそれに乗って拡散していく膨大な魔力。
それに伴って周りの空気が淀み一瞬にして恐怖に包まれ震え上がる兵士達。
誰もその場から動こうとはしない。
それは先ほどイリアを襲ったものと同じ圧倒的な恐怖ゆえの硬直。
その硬直した兵士達の中、僕は偉そうに喋っていた隊長と思わしき人物に向かって声を張り上げた。
「この一連の行為は皇帝の意志かッ!!」
もし皇帝の意志であるとするならばあの皇帝が一般市民を巻き込む作戦を了承した事になる。
つい昨日会ったばかりの男の顔が脳裏をよぎる。
憤りを露わにし返答を待つがモンテはガタガタと震えるばかりで口を開く様子はない。
これがたった今まで人を見下し大見得を切っていた男なのか。
「ふんっ」
一度鼻を鳴らすと魔術で雷を生み出しモンテに放つ。
抵抗する事も出来ず一度大きく体を震わせるとモンテはそのまま倒れ動かなくなった。
兵士達がそれを見てさらに恐怖の度合いを深める。
殺してはいないがそう見えたところで困る事はない。
次いで檻に入った黒いオオカミだ。
こちらは魔力により変異した獣という事だったがやはり元がオオカミな為か今は危険を察知し檻の隅で怯えている。
フランを瀕死に追いやったその魔獣だが、僕はその姿を見て一気に冷めていく自分を自覚していた。
「……そうか、魔獣っていうのはそういうことか」
言葉で聞いてもピンとこなかったが実際に目の前で観察すればよく分かる。
魔獣化した理由とそしてその魔獣がいずれ行き着く先も。
それは僕のよく知る症状と同じだったのだから。
「かわいそうに」
僕はオオカミに一声掛けると魔術を使い怯えるそのオオカミを眠らせた。
せめて安らかな気持ちで送ってやりたい。
オオカミはその檻ごと宙に浮かび、そしてその体躯が徐々に光の粒となって散り始めた。
「次の世では穏やかに生を全うできる事を祈っているよ」
やがてオオカミはこの世から消滅した。
中身の無くなった檻が地面に落ちてがらんッという大きな音をたて、その音が兵士達の硬直を解く。
ば、化け物ッ!!
助けてくれーっ!!
兵士達が我先にと逃げ出していく。
敵を前にした軍の行動ではないが圧倒的な恐怖の前には統率など効くはずもない。
そして僕もそんな兵士達を追うほど暇ではない。
邪魔なものが全て視界から消えた事を確認してから急ぎフランの元に駆け寄る。
担架を支えていた兵士達は当然逃げ出しているが担架は僕が魔術で受け止め既に地面に下ろしてあった。
そんな担架に乗せられたままのフランの顔をのぞき込む。
「まだ生きてる?」
「……ぅ…なん…とか」
「勇敢だったよ。僕たちを助けてくれてありがとう」
「…へ、へへ……」
笑おうとしたのか、だがもはや頬がぴくりと動くだけだった。
出血が多すぎる。
かろうじて意識はあるようだがそれもいつまで保つか。
「ねぇ、僕の物になってくれない?」
「……ぇ…?」
僕はどう説明しようかと考え、だがまとまらないままに結局素直にそう口にした。
フランのよくわからないという顔。
「何も言わないで僕の物になって欲しい。お願いします」
僕は懸命にその小さな頭を下げた。
フランは呆けた顔で僕を見ていたがやがて弱々しく言葉を紡ぐ。
「は、はは……まさか、初めて……プロポ…ズが、こんな、最後……しかも……猫…なんて、ね」
「フラン答えて!」
今にも消えそうな命の炎。
「……いい、よ…なって……あげる。わた、し……黒猫く……物に……」
「ッ!承諾したッ!!」
僕はフランの返答と同時にフランを中心にした二重の魔法陣を展開する。
「制約魔術構築開始!基礎条項は標準様式を使用し特約省略!!」
早口のように呟きながら魔術を慎重に編んでいく。
急がなければいけない、だが失敗する事は許されない。
フランの目は相変わらず僕を見上げているがその目はもはや見えているのか疑問に思うほどに虚ろだ。
「事前承諾確認……完了!続けて肉体損傷箇所検査開始!!」
フランが僕に触れようとしたのかゆっくりと腕を上げる。
だが肘から先は既になくそれが叶う事はない。
だというのにもはや意識が薄れているのかフランはその事にすら気づいていなかった。
対する僕もそんな事に構っている時間は無い。
フランの身体は自己修復をさせる事すら出来ぬほどに欠けてしまっていた。
「ッ!修復補助は破棄し魔力による損傷箇所代行を編成!!」
魔法陣をもう一重重ねて展開する。
とにかく生存を考え各臓器などそれを補うために魔術を即席で組んでいく。
「術式矛盾検査実行。矛盾なしの場合コード編成終了……実行!」
展開していた魔法陣が全て僕の目の前に収束されそしてそれはフランの胸の中に沈んでいく。
「……かふっ……ぁ……」
フランが血を吐くがそれは内蔵が繋がった証。
しばしフランの空気が抜けるような呼吸音だけが響く。
どれくらいそうしていただろうか、フランの呼吸が落ち着いたところを見計らい僕はフランに呼びかけた。
「フラン聞こえる?」
「…ぇ……ぁ……」
「よくがんばったね」
僕が微笑みそう言うと、少しの間の後フランも小さく微笑みその手で僕の頬に触れた。
そして安心する僕の目の前でフランはゆっくりと目を閉じる。
命をつないだとはいえまだまだ瀕死に近い状態であることに変わりはない。
今はゆっくりと休むといい。
そして僕は固唾をのんで見守っていたイリアとラークに指示を出しその場を撤収するのだった。
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「その後討伐隊はどうなっている?」
同時刻、帝都の王城では皇帝バウバッハ以下大臣や騎士団長など重鎮が揃って会議を行っていた。
既に主な議題はあらかた審議が終わり最後に討伐隊の話となる。
繰り返しになるがイリア王女は他国に確保されれば火種になりかねない危険な人物であり、国の運営に携わる者それぞれが気にかけていた事案だからだ。
「おそらくは今頃ヒューザの街でイリア姫確保の為の作戦が展開されているはずです」
「ヒューザの街は早馬で1日ほどと記憶しておるがそうすると結果が分かるのは明日になると考えてよいか?」
「そうなるかと」
作戦の立案者であるグウラがバウバッハの質問に答えた。
二人のやりとりは既に会議の前に行われているが、にも関わらずこの場で問答する事は他の者にこの情報を共有しておくための儀式のようなものだった。
面倒だと思うが仕方がない。
「規模はどうなっている?」
「人数で40名。人相手の討伐隊としては十分な数と思われます」
「十分、か」
これについても事前にやりとりをしていた。
あの黒猫相手に40人、たったの40人である。
バウバッハはため息をついた。
「皇帝陛下!たった一人に対してそれほどの人員を動かすのは財政的に問題があると進言いたします!」
国の財布を管理するバリアウードという財務大臣の発言だ。
これにグウラが反論する。
「国の将来を左右するかも知れない時に金の話をするなど現実が見えていないのではないですかな!」
「何を言う!派遣する兵士を10名減らすだけでもその節約額は馬鹿にできんのですぞ!」
関係の無いところで盛り上がる会議。
皇帝にとっては本当に頭が痛い。
「わかったわかった。バリアウードよ、今後は念頭に置くことにする。グウラもだ」
「……はっ、陛下がそうおっしゃるのであれば」
二人とも渋々と引き下がった。
ことある事に対立するこの二人はもはや会議の恒例行事だ。
どちらも国の将来を案じての提案であるだけに無下にも出来ず悩ましいところである。
「さて、他に議題のある者はいるか?無ければこの続きはまた明日とするがどうだ?」
見回すが特に声を上げる者はいない。
「ではこれで……?」
解散と言いかけたバウバッハだったがふと嫌な気配が近づいてくる事に気付き辺りを見回す。
「陛下?」
他の参加者がそのバウバッハの様子を奇妙に思い恐る恐る声をかける。
だがバウバッハはそれに答えず注意深くゆっくりと部屋の中を見回した。
(部屋の中に異常はない。外……空を飛べる魔獣か?)
その考えは半ば正解であった。
突然窓ガラスが割れたかと思うとその窓から何者かが飛び込んできた。
親衛隊が慌ててバウバッハを取り囲むように盾で守りつつその窓から遠ざかる。
その飛び込んできた何かはしばし空中に浮かんでいたがやがてゆっくりと降下し机の上に乗った。
「……!モンテ!?」
グウラが声を上げた。
窓から入ってきた固まりは人であった。
どうやら息はあるようだがぐったりとして動かない。
「ヒューザの街にいるはずの討伐隊の隊長がなぜッ!?」
グウラの問いに答えはない。
代わりに聞こえたのはこちらも問いかけ。
「皇帝、まさかこんな手を使ってくるとは思わなかったよ」
机の上に横たわるモンテの横にいつの間にか件の黒猫が現れていた。
そしてその黒猫の瞳はバウバッハが先日会ったときとは違い酷く冷たいものであった。
近くにいたバリアウードが小さく悲鳴を上げ転げるように距離をとる。
「……く、黒猫殿。まずは討伐隊を送ったことは詫びよう。すまなかった」
バウバッハは黒猫の様子の変わりように冷たい汗を流しつつ、それでも反論無く頭を下げた。
そしてこれに周りの大臣達が驚愕し声を上げる。
「陛下!いかに相手が強力であろうと陛下が頭を下げるなど!」
「構わぬ!民を守るためなら頭などいくらでも下げる!!」
バウバッハの剣幕に興奮していた大臣達が一気に沈黙した。
「だが黒猫殿、イリアを残しておくことは国を不安定にしかねぬ。それは分かって頂きたい」
黒猫を見つめるバウバッハの視線は真剣そのものだ。
それを真っ向から受け止めて黒猫が再び口を開く。
「皇帝に問う。今回の作戦は全て皇帝の了解の上で行われたものか?」
「……?討伐隊の派遣の件であるならばその通りだ」
その答えに黒猫が歯を食いしばった様に見えたのは皇帝だけであろうか。
黒猫が吼えた。
「民を守るためなら頭を下げると言ったな!ならばなぜ無関係の民を犠牲にするような作戦を行った!!」
「ッ!?」
バウバッハはその言葉に激しく戸惑う。
「ま、待ってくれ!民を犠牲に……?何かの間違いではないのか!?」
「街の催し事に魔獣を放ち犠牲を考えぬなどありえないだろう!」
「なッ!?ま、魔獣を……!?」
驚愕に目を見開く皇帝。
そしてすぐに近くにいたグウラに掴みかかる。
「グウラ!私は聞いておらぬぞ!!」
「も、申し訳ありません。陛下にお伝えすれば反対されるものと……」
「当たり前だッ!!」
グウラを投げるように離すと黒猫に向き直る。
「黒猫殿!街は!犠牲者は出てしまったのか!?」
「……今のところ死亡者は聞いていない。瀕死の者は出たが命はつなぎ止めることが出来た」
「そ、そうか。それで魔獣は……?」
「私が殺した」
その言葉にバウバッハが安堵の表情を浮かべ、対して大臣達は驚愕の表情を浮かべる。
特にグウラと呼ばれた大臣は魔獣を使えば黒猫が始末できるとでも考えていたのか、その驚愕は他の大臣よりも大きいものだった。
そしてその事は黒猫の怒りを大きくする事になる。
「今の話を聞くにあのような作戦を指示したのはそこのグウラという者で構わないか?」
一瞬の間があったが再びバウバッハが口を開く。
「いや、どのような内容にしろ私が了解した以上責任は全て私にある」
黒猫の目を見据えしっかりと答えるその姿は黒猫が冒険者ギルドで会った時とはまるで違う、まさに皇帝としてふさわしい威厳を備えていた。
「……皇帝はそれでもいいかもしれないが私はそうはいかない。グウラとやら、そなたには確か息子がいたな」
突然のその言葉にグウラの表情が驚愕と恐怖で染まった。
何故この黒猫がそんなことを知っているのか!?
一体息子をどうするつもりなのか!?
「人の命の重さを知るがよい」
その言葉を最後に黒猫が再び浮かび上がり窓から出て行こうとする。
「黒猫殿!?」
「皇帝よ。しっかりと手綱を握っておかねば足下をすくわれるぞ」
「……ご忠告痛み入る」
こちらを見ずに言葉を返してくる黒猫に皇帝は頭を下げる。
今回自分の甘さ故に民に多くの犠牲を出すところだった皇帝は、悔しさにその表情をゆがませたまま去っていく黒猫を見つめた。
やがて黒猫の姿が見えなくなった時今度はそれを追うかの様にグウラも慌てて部屋を飛び出していった。
息子の安否を確認しに行ったのだろう。
「ミツキ殿であれば手荒なことはしないと思うが……」
誰にも聞こえないように皇帝は呟く。
作戦が失敗したというのにバウバッハは内心安堵している自分に気づいていた。
それは民や、そしてイリアが無事だった事によるものだ。
もしも冒険者ギルドで黒猫と話をしていなければ今のような気持ちになる事は出来なかったであろう。
バウバッハはため息をついた。
今回心情的には民を犠牲にしようとしたグウラとそれを守った黒猫ではどちらに非があるかは明らかだ。
だがグウラとて国を守るために非情な手段を執ったに過ぎずそれを一方的に責める事は出来ない。
ましてその息子が犠牲になっていいはずもない。
「……とにかく情報を集めなければ」
黒猫が嘘を言うとも思えないが実際に魔物を街中に入れたのか、確たる情報を集めるために指示を出すのであった。