2-12 コンテスト(下)
結局第三試合が終わった時には参加者は三組になってしまっていた。
何があったかは言うまでもない。
残りの皆はトイレの住人に転職されてしまわれたのだ。
ご愁傷様である。
現在残っているのは黒猫と豹と亀。
亀が残っているのが意外と言えば意外だが、そもそも第三試合でグラスをひっくり返した亀と黒猫が健在で逆に正々堂々とチャレンジしたチームがリタイヤしているのだから皮肉なものである。
そして正解のグラスを見つけたのは豹だけだ。
もう豹が優勝でいいと思う。
「壮絶な戦いとなった第三試合も終わり残すはこの三組のみ!勝利の女神はどのペットに輝くのか!!」
歓声の中フランの声が響く。
正解率20パーセントのロシアンルーレットで壮絶も何もないと思うが。
確かにトイレから聞こえたあの叫び声を聞くと壮絶と言えない事もないけどと引きつりながら考える僕。
そんな僕にイリアが小さい声で尋ねてきた。
「ミツキ様、ここで棄権しますか?」
現実的な提案だった。
致死毒まで仕込まれている以上普通ならそれが一番安全ではある。
だけどイリアが狙われているのであれば簡単には棄権させてはもらえないだろう。
「いやこのまま続けよう」
「危険ではないですか?」
「そのときは僕が何とかするよ」
それに黒幕の正体も知りたいし。
虎穴にいらずんば虎子をえず。
ふふんと鼻を鳴らす僕にイリアは少し緊張した目を向けてくる。
「ほらイリアもリラックスしないとだよ」
力んでいると実力を出すことが出来ないのは戦いもスポーツも同じだ。
僕なんか24時間気が抜けてるんだからいつでも力の出し放題ってなものである。
そしてそんな僕とイリアの会話を遮るようにフランの声が響く。
「さぁ残すところは後一つ!お待ちかねの最終試合は狩りだ!!」
おおおおおおぉぉぉーーーーーッッ!!!
大歓声だった。
そんなに人気競技なのだろうか。
「去年は生存確率0パーセントという驚異の数値!今年は果たして生き残れるのか!!」
フランが物騒に煽ってくるが生存確率0パーセントってこれまたコンテストとしてどうなのか。
あ、言い終えてからフランがカンペを読み直して首をかしげてる。
おかしいと思うなら言わなきゃいいのに。
「えーと、今回の狩りの相手は!こいつだ!!」
気を取り直したのかフランが再び叫ぶとその声に合わせて一角の扉がばたんと開かれた。
そこから現れたのは……真っ黒で巨大なオオカミであった。
その姿を見て会場は一気に静まりかえる。
なんの冗談かと思ったがそれは観客や出場者も同じだったようだ。
通常このような所で出会う事などにあり得ないその生き物を、誰もがただ呆然と見つめていた。
その中で唯一動くのは扉から覗くそのオオカミの、獲物を選別するその瞳のみ。
静寂の中イリアが呟く。
「ま、魔獣……?」
その小さな一言はしかし静まりかえった建物内に響き、そしてそのせいでオオカミの視線がイリアに向いた。
イリアより二回りは大きいであろうその巨体は体勢を低くしうなり声をあげる。
逃げるべきである事は本能的に理解できても突然の脅威にイリアは硬直し動けない。
その様子を見て取ったかオオカミが吠えた。
その咆吼は観客達の緊張の糸を切るには十分だった。
場内には悲鳴があがり観客達が一斉に逃げ出し始める。
観客席で無数の叫び声が響く中、オオカミは一瞬体を引いたかと思うとその勢いも付けて一気に駆け出しイリアの元にあっという間に辿り着く。
「イリアッ!!」
僕の呼び声にもイリアは動けずオオカミの姿をただ唖然と見つめるばかり。
オオカミは勢いそのままにイリアに飛びかかりその牙をたてようとする。
ガツッッ!!
すんでのところで間に割り込みその牙を防いだのはフランだった。
フランは先ほどのイリアのつぶやきと同時に司会者席から飛び降り一気にイリアの元まで走り寄っていたのだ。
オオカミはフランの持つ槍の柄にかみつきながら自らの食事の邪魔をしたフランを睨みつつうなり声を上げる。
「いやいやいやおかしいでしょ!!」
言いながらフランはオオカミを押し返しわずかながら距離をとった。
「何だって街中にこんなもん入れてんだバカ貴族がッ!!」
そしてオオカミに向けて槍を振りさらに突く。
どれも難なくオオカミに躱されるがそんな事はフランにも分かっていた。
「早く逃げろッ!!」
フランはオオカミを威嚇しながら叫んだ。
言葉の相手はもちろんイリアを含む競技場内にいるこのコンテストの参加者達だ。
豹と亀の飼い主達はその声を聞き死に物狂いでペットと共に競技場から脱出していく。
だがイリアを見れば尻餅をついたまま未だ呆然と固まっていた。
あまりに急展開である事と頭を噛み千切られる直前の恐怖を考えれば仕方ない事ではあるが今はそうも言っていられない。
「イリア!僕らも行くよ!」
その声でようやくイリアが我に返った。
イリアが僕の方を向き叫ぶ。
「ミツキ様!でもフランさんが!!」
フランは未だオオカミと対峙している。
そのフランの援護でもしようと思ったのか急ぎ立ち上がったイリアが魔術を使おうと構え、
「今のイリアじゃ足手まといだッ!!」
僕の声にびくりと体を震わせ、次いで泣きそうな顔でこちらを見た。
残念だがイリアが魔術を使ったところでオオカミの標的がイリアに移るだけだ。
そしてそれは事態の悪化を意味する。
「もう一回言うよ!今のイリアじゃフランの邪魔になるだけだ!!」
フランがオオカミを牽制しつつちらりとこちらを見て、そして再びオオカミに視線を戻した。
たぶん僕が言わなくてもフランが同じ事を言ったと思う。
「イリアに出来る事は早くここから離れてラークと合流する事!!」
イリアはしばしうつむき震えていたがやがて踵を返して出口に向けて走り出した。
正義感が強いのは悪い事じゃないけれどそれを通すためには強い事が絶対条件だ。
イリアにはまだその強さが圧倒的に足りない。
「黒猫君は使い魔なのになかなかキツイ事を言うね」
「僕は猫魔術師だからね。それより一人で大丈夫?」
「ははっ、まぁなんとかなるんじゃない?」
オオカミと切り結んでいるフランが笑う。
「それじゃ今夜はちゃんと夕食をおごって貰えそうだね」
「えー私が助けてあげるんだからむしろ奢って貰いたいくらいなんだけど!」
「フランが無事だったら考えてあげるよ。気をつけてね」
フランはこちらを見ずに手だけひらひらしてきた。
それを見届けてから僕はイリアの後を追い競技場を後にした。
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《フラン視点》
後ろで黒猫が去っていく気配がする。
相変わらず変な猫だった。
そしてその猫相手に大見得を切った手前このオオカミを後ろに通すわけにはいかない。
「とは言ったものの、ねぇ」
苦笑してしまう。
魔獣と対峙するのは久しぶりだ。
そして前回はパーティ壊滅という大敗であった。
「でもま、こいつを倒せばあいつらの供養になるってもんでしょ!」
引きつけていた槍を思い切り突き出す。
オオカミはそれを横に跳ねて躱しそして逆に飛びかかってきた。
私から見ても一回り以上は大きな体躯のそのオオカミは牙と爪どちらも食らえば即座に命を落としかねない。
槍でオオカミの頬を横から殴るように動かしそこからテコの要領で自分の体を横に跳ねさせる。
一瞬後には今まで立っていた空間にオオカミの爪が振り下ろされた。
安堵する暇などなくすぐにまた槍を引きつけ、そして私は思い切りオオカミの胸元を突いた。
方向転換をした直後のオオカミの胸元にうまく穂先が潜り込む。
だが、
バキンッッ!
その直後槍は何か堅い物に阻まれそのまま力の逃げ場がなくなった穂先が音を立てて折れてしまった。
(骨!?いや筋肉か!!)
自問しつつ、だがそれはどうでもよかった。
問題は攻撃が効かなかった事と武器が無くなった事。
オオカミもそれが分かったのか再び飛びかかってくるが私はその襲いかかる爪を避け懐に飛び込むと魔力を込めて腕を突き出す。
「ざーんねんッ!!」
オオカミと自分の間に圧縮した空気を生み出しそれを解放する。
ドンッという激しい音と共に破裂した空気の勢いを受けオオカミが吹き飛んでいった。
そしてそれを見届けることなくすぐに私は踵を返して走り出す。
元々予想はしていたがやはりあれは一人で倒せるレベルではなかった。
であれば守るべき人たちが皆逃げた以上私に戦う理由はない。
「人間やっぱり逃げるが勝ちでしょ!」
にひひと笑いながら競技場の出口に向けて全力で走る。
冒険者なんてしながらも今まで生き残れたのはこの逃げ足の速さのおかげだった。
今までもこうして生きてきたしこれからもこうするのだろう。
……そう思った瞬間だった。
もう少しで出口というところで私は体に何か強い衝撃を受けて前に転がり倒れてしまった。
「うーいてて……」
何が起きたのかわからず混乱しながらも急ぎ起き上がろうと地面に手を突こうとして、だがそれは失敗して再び地面に倒れ込んでしまった。
「あれ…おかしいな……手…?」
ふと気づけば後ろに居たはずのオオカミが今は目の前に立ちうなり声を上げていた。
一瞬で恐怖に包まれるが同時に私の目はオオカミの口から滴る黒い滴を捉えた。
(血?いやあの程度の魔術が効くはずはない、ならオオカミの口から流れるあれは……)
思い至りそれが正しくないことを願いつつゆっくりと自分の右腕に視線を移す。
予感が現実へと変わった。
自覚した途端私に襲いかかる激痛。
思わず目を見開き傷口を強く押さえて呻き声を上げる。
転げ回りたいほどの痛みだった。
だがその中でも微かに残る思考は逃げなければと警告をならし続ける。
私は痛みを堪えて立ち上がる。
意識が霞み膝が震える。
それでも無理矢理にオオカミと逆方向に足を踏み出そうとして、再び激しい衝撃を受け撥ね飛ばされて私は地面を転がった。
全身を強打した痛みに体が硬直する。
私にはもはやどこが痛いのかすら分からなくなっていた。
それでも三度立ち上がろうと体を動かして、だがそこで私は自分の体を見てしまった。
「ぁ……」
私は呆然と自分の体を見つめる。
もはや立ち上がる事の出来なくなったその体はまるで自分のものでないかのような錯覚に陥った。
ゆっくりと近づいてくる獣に対し、私はただ震え見つめる事しかできなかった。