十五話 紅い夜と赤い恐怖
――――――あれ、ここは…?
目は覚めないが、頭がなんとなくボーっとする。辺りを見渡すとどこかの森。と
―――あれ、魔理沙…?
魔理沙が不思議そうな顔をして覗き込んでくる。しばらくその表情が続いたと思ったら、魔理沙が笑顔で箒にまたがり、どこかへと飛ぼうとして、振り返る。
―――あ、おい!待てよ!
あわてて追おうとして急いで森を抜ける。その視界がとらえたのは空ではなく、滝。
―――あれ?なんだここ
辺りを見渡す。と、また誰かが近づいてくる。白い髪、赤い目、椛だ。
椛も不思議そうな顔をして見て、やがて気づいたかのように近づく。
―――何する気だ?
不思議そうに次の光景を待とうとする。が、直後、目を開ける。天井が見えた。
「……夢、か?」
だが、夢にしてはずいぶんとはっきりしている。でも、夢とは到底思いもしなかった。
かといって過去のことかと考えるとどうも違う。そうしたら魔理沙や椛はあんな反応しないはずだから。
「ま、いいか…」
ゆっくり考えようと、一紀は体を起こして朝食を作ろうとする。が、違った。
中は少々暗く、どうやら夜のようだ。どうやらちょっとしか寝てないらしい。
「………いやいやいや!!俺寝たのは夜も結構更けてからだぞ!?んでもってあれだけ疲れてたのに何でちょっとしか寝てないんだよ!?」
と、ここまで言ってふと疑問に思った。今は夜だ。だけど、昨日と全く違うところがある。
あまりにも単純明快。むしろ、これを何故夜と言い出したのすら疑問に感じた。
「…じゃあ、なんで、月が赤いんだ…?」
そう。赤い。月だけでなく、雲や、空間を覆い囲む霧だって赤い。
まるで幻想郷がおかしくなったかのように。
「おい!霊夢!!」
一紀は慌てて霊夢を呼びに行く。障子を開けて、霊夢を叩き起こそうとするが、必要なかった。
なにせ、そこにはもう霊夢はいなかったのだから。
「…んだよ霊夢」
思わず舌打ちをしてしまう一紀。こうして置いて行かれたことに苛立ち、自分の未熟さに哀れみながら。
でもある意味霊夢の優しさなのかもしれない。
もしこれが本当に危険なものだったら?一紀を置いていったのも疲れて、夕飯を食べた後すぐにぐっすり眠ったこともあって呼ばなかったのだろう。
しかも一紀はまだ御札を実用レベルまで使いこなせてはいない。せいぜい盾にできるかできないかであろう。こんな状態で霊夢に同行したら最悪一紀はすぐに戦線離脱だ。
「かといってこんなので納得できるかよ!!!」
誰もいない空間で一紀は叫び、霊夢の部屋を後にして近くの箱を開ける。中には一紀が来ていたコートや衣服が入っていた。それを一紀はコートを乱暴に掴み、着物の上から直接着る。
肩の所にふれて一紀は初めて、コートの肩部分にチャックが取り付けられていて、しかも袖を外すことが可能と言うことを知り、両肩のチャックを開いて袖を外し、動きやすくした。
さらに一紀が寝ていた枕元の近くの木箱を開け、そこから何十枚もの御札を掴みとるとコートの裏ポケットに入れ始める。
準備ができたことを確認する一紀。後は何かないか。さまざまなところを探り始める。
やはりと言うべきか、そんなによさそうなものはない。あきらめてそのまま外へ飛び出し、そのまま飛んで浮遊する。
「……すげぇな。辺り一面真っ赤だ」
一紀は辺りを見渡しながらそう言った。いたるところに生い茂る木々が月に照らされて赤くなっていた。不穏な空気と霧がなければかなり幻想的で美しいはずだったのに。
いや、今はそれは置いとくべきだ。どこに行ったか宛てのない状況でどう探すべきか。手当たり次第に探すか?だがそれで状況が悪化したら?
「……とりあえず月のほうを向かってみるか」
月が赤いなんてちょっとばかげてる。だからこそその位置へ動いてみるのが得策だろう。一紀は月を追うように飛翔した。ただし追うと言っても地面を探るような動きだ。そうしないと確実に困る。いろいろと。
森の上を通過し、霧のかかった湖へ差し掛かる。やはりと言うべきか、赤く、そのせいで少し視界が見づらい。それに、なんだか寒気がする。恐怖か?それとも……
やっぱやめだ。一紀は頭を振って今やるべきことだけを考える。ただ前へ進む。冷気も気のせいか強まっている気がする。それに、誰かが叫ぶ声、少し遠い屋敷………
ちょっと待て?声?
「どこだ!?」
あわてて立ち止まり、辺りを見渡す一紀。どこにいる?この声を発している者は?視界不良の中、一旦息を大きくつけると神経を集中して辺りを見渡し、音を探る。
瞬間、横から殺気が走る。確認する暇はない。
左からだ。一紀は直感気味に防御姿勢を取ろうとしたが、魔理沙の言っていたアドバイスが脳裏に浮かぶ。「避けろ」「目を伏せるのは自殺行為」。
相手を見て、同時に体を、今まで吊っていたロープを自分で切り放すような動きで急降下した。
ヴォンと。不気味な音がほんのコンマ数秒、一紀のいたところを通過した。
心臓の鼓動が止まらない。本能が言っていた。あれを喰らっていたら確実に死んでいたと。震える腕。一体どんな怪物が?手首を押さえつけながら一紀はその相手を見た。
「……って、え…?」
一紀は目を疑った。自分の予測が大きく外れていた。
まず、姿だ。霧でよくは確認できないがその外見は、枝のような翼の生えた女の子のようだ。
そして身長。一紀よりも小さい。恐らくだが十歳前後の身長だ。
だが、それより、その見た目より、
はるかに危険な存在だということが、先に予測していた。それだけは全く外れてない。
「………ウフフフ」
ビクンと。一紀の身体が跳ね上がった。見た目通りの女の子のような声、まるで無邪気で、
善悪を知らず、ただ自分のやりたいことをやるような声だった。
ヤバイ。逃げた方がいい。今逃げれば助かるかもしれない。
逃げる?無理だ。コイツ相手に逃げれるわけがない。それに霊夢はどうした?さっきの声は霊夢なのか?
いや、そもそも何でここまで来た?当たり前だろ。霊夢の後を追って行って、状況に応じて対応するためだろ。
「くそっ……誰だよお前」
舌打ちしながら一紀はなるべく平常を保とうとしながら訊ねる。声が完全に震えていて見栄を張っているような声になってしまった。
ゆっくり、遠くの人物が近づいてくる。一紀は懐に手を忍ばせながら待つ。この場から動いたら危険だ。そう思った。
「…あなたはだぁれ?」
無邪気な声、それと同時に姿がはっきり見えた。
ドアノブカバーのような帽子に金髪のサイドテール、赤い服に赤いスカート。貴族の子供みたいな格好だ。
その子の右手には時計の針を粉砕したような道具を持っていて、翼は小さな、色とりどりのひし形の結晶のようなものがついていた。
まず訊ねたのは俺だろうが、とは何一つ思っておらず、率直に答えた。
「…………一紀だ」
「そう……一紀、一紀ねぇ……」
クスクスと女の子が無邪気な笑顔を浮かべながら近づいてくる。動けない。逃げたいのに。いや、逃げちゃだめだ。動けないまま、女の子がゆっくり近づいてくる。距離は近くなるばかりだ。冷や汗が垂れる。
女の子の左手が一紀の頬に触れる。非常に小さく、柔らかな、れっきとした女の子の手だ。女の子は触れたまま、一紀の目線に合わせる。
「フランドール・スカーレット。みんなはフランって呼んでいるわ」
「…フラン…か。いい名前だな…」
笑えない。なるべく笑顔を作ろうとしたがそれは無理だ。むしろ顔は恐怖でひきつっているはずだ。その表情を見たのか、フランはクスクスと笑い始めた。
「そんなに気を引き締めなくていいわ。ね?」
「あ……あぁ…」
「それじゃ、まずはその手を離しましょう?」
フランは小さな子供をエスコートするような形で一紀の片腕に触れた。その腕は先ほどまで必死に御札を掴もうとしていた手だ。
殺される。
腕が震え、そのままゆっくり下ろす。手には何も持っていない。フランはそれを確認して、ゆっくり離れる。
「そんなにビクビクしちゃって……私がそんなに珍しい?」
「………ま、まぁな…」
「ウフフ。素直ね…男の人ってそんなのなのね」
「…どういうこと…だ…」
「言葉通りの意味。私って生きている男の人をみたことないのよね」
「え…?」
フランの言葉に耳を疑う。それじゃまるで今の今まで監禁されていたような口ぶりじゃないか。訊ねたかったけど、無理だ。これじゃまるで自分が人形だ。実際に、その通りなのだが…。
「でもおかしいわ。今まで咲夜やパチュリーの偽物ばっかりなのに、今度は男の人だもの。ううん、偽物の言うとおり…かしら?」
「偽物……?フラン。どういうことだ?」
すっかり恐怖が消え、一紀はようやく自分の言葉を紡ぎ出した。フランはゆっくり見て、少しずつ、ゆっくりと無邪気な笑顔を見せた。
「教えてほしい?」
「あぁ。頼む」
「……ウフフフフフフ。アハハハハハハハ!!!」
突然笑い声を上げるフラン。その声に一紀はまた恐怖した。ダメだ、動けない。
動け。動け。動かなきゃ殺される。動け、動け―――!!
「教えないよ。だって………あなたがここでゲームオーバーだからさ!!」
速い。もはやたとえようのない速さだ。
瞬間、一紀の視界が途切れた。