第五話
「ゴーレムか? 見たこともない形だが……」
「亜人共め、失敗作の分際でゴーレムをつくり上げるとはおこがましい!」
ニッカの姿を見て、口々にそんなことを言い始める亜人狩り部隊の兵士達。失敗作、という単語が聞こえてきたということは、ベルベットの説明は概ね正しいと見ていいだろう。
『……やっぱりまず最初にゴーレムと間違えるんだ』
「喋った!?」
相手側に聞こえる音量でそう言ってやると、兵士達は驚愕の表情を浮かべる。だが、次の瞬間、他の者より少し装飾が派手な鎧を着た兵士……おそらくは隊長だろう……がニッカに槍の穂先を向けて憤怒の形相を浮かべながら言った。
「ゴーレムで無いなら新たな亜人か! ならばやることは決まっている! 者共、殺せ! 亜人は駆除すべき失敗作だ! 失敗作をいつまでもはびこらせるな!」
その言葉に、ニッカは先ほど思ったことに訂正を入れる。概ね正しい、ではない。ベルベットの言う通りだったようだ。
「弓兵、構え!」
部隊の半数近くを占める、弓矢を持った兵士が前に出て、その狙いをニッカにつける。
「放て!」
そして、一切躊躇う様子を見せずに矢を放った。本当に問答無用だ。
とはいえ、ニッカは避ける素振りすら見せない。弓矢ごときでは、特殊合金で作られたニッカの装甲には傷一つつけることさえかなわない。殺到した矢は、カン、カカンと軽い金属音を立ててニッカに当たり、弾かれて地に落ちる。
幾度と無く放たれる矢をその身で受けながら、ニッカは思った。やはり、こいつらの振りかざす理不尽な暴力にあの集落を晒す訳にはいかない。
ニッカはぐっと身を落とし、右手を握りこんで腕を後ろへと引く。右腕からは、キュイイィィィン、と甲高い音が鳴り始める。
「隊長、矢が効きません!」
「ええい、皮膚の硬い奴か! 槍兵、構え! 突き殺せ!」
矢の雨が止み、盾と槍を構えた兵士達がニッカ目掛けて突き進んでくる。ニッカは、あろうことかその槍部隊に真正面から突っ込んだ。
そして、槍の穂先が触れるか否かといった距離でしっかりと大地を踏みしめ、正拳突きの要領で右の拳を繰り出す。それと同時に爆発のような轟音が響き渡り、突撃してきた槍兵を軒並みふっ飛ばした。ふっ飛ばされなかった者も、立っていることがかなわずによろけて倒れたり、それに巻き込まれて転倒する。
「な!? 何事だ!!」
「魔法か!?」
「な、何だアイツは!」
インパクトディスチャージャーの一撃を受けて、一気に混乱に陥る亜人狩り部隊。そこに追い打ちをかけるように、亜人狩り部隊の側面の森から二つの影が飛び出して襲いかかった。
一つは、浮足立った亜人狩り部隊の隊員達の間を走りぬけながら、その両の拳で、時には爪で次々と兵士達を血祭りに上げてゆく獣人、ブリーズ。獣人形態での拳は鎧をも陥没させるほどの破壊力である。
もう一つは、右手で持った刀剣を自在に振るい、手近なところにいる敵を鎧ごと叩き斬ってゆく隻眼隻腕の男、アドニス。彼の刀剣は刀身に反りの入った細身なものなのだが、その外見からは想像もつかないような頑丈さだ。
「何だ、新手か!? ええい、なんでもいい、とにかく殺せ! 亜人共を駆除するのだ!」
隊長が下した命令に、一時は浮足立っていた亜人狩り部隊が即座に立ち直り、それぞれニッカ、ブリーズ、アドニスに向かって殺到する。
「ハッ!」
ブリーズに向かった者達は、果たして鼻で笑った後の彼の姿をまともに捉えられていただろうか。ブリーズは彼らが武器を構えるよりも早く、そして速く、一瞬にして距離を詰め、手始めに先頭にいた者の胴に鎧の上から拳を叩き込む。拳は鎧に深々とめり込んで陥没させ、その内側にあった胴体を圧迫し、内臓を破壊する。そして、その兵士が血を吐く前にブリーズは次の獲物へと襲いかかり、回し蹴りの勢いだけで首をへし折る。着地とほぼ同時にそのすぐそばにいた兵士へと肉薄し、腕を一閃して相手の片腕を付け根から引きちぎった。
相手の返り血を浴びるよりも前に一度距離を取ったため、その毛並みは血に汚れていない。すさまじい速さを誇るブリーズだからこそ出来る芸当だった。
一方、アドニスはというと、襲い掛かってくる敵兵に対して、片腕で振るう刀一本で見事に対処していた。否、その言い方では語弊があるだろう。対処していただけではない。アドニスは敵を圧倒していた。一体どれほどの膂力から生み出される速度と力であるのか、アドニスは襲い掛かってくる相手の剣をことごとく弾き、時に叩き折って、次の一振りで相手を斬り伏せる。その威力は凄まじく、相手が鎧を着ていることなどまるでお構いなしだ。敵兵の鎧をあたかも紙切れか何かのようにいとも容易く斬り裂いてゆく。時に上半身と下半身を分断し、時に脳天から鎧兜ごと両断する。左肩のボロマントを翻しながら圧倒的な強さで戦うその姿は、敵兵に恐怖心を植え付ける。
「ひ、怯むな! たかが三体……」
そう言おうとしたその敵兵の首は、次の瞬間に宙を舞っていた。首をはねた張本人であるアドニスは、忌々しげに呟く。
「……三体、か。相変わらず俺達を人間扱いしないな」
クロンダイクは、亜人や魔人を徹底的に「人外」として扱って排斥する。今の数え方もその例の一つだ。彼らは、亜人や魔人を「何人」ではなく「何体」と数えるのである。
そのことに不快感を露わにしたアドニスは、刀を担ぐようにして構え、腰を落とす。その顔に表情は浮かんでおらず、目はただただ冷たい眼光を放っている。
「純粋な人間でなければ畜生と同様か? 馬鹿にしてくれたものだ。……思い上がるなよ、人間」
それを見て恐怖に駆られた兵士達は悲鳴を上げながら我先にと逃げ出そうとするが、それはかなわなかった。たった一歩の踏み込みで一気に距離を詰めたアドニスが刀を振るい、またも鎧ごと叩き斬る。返す刃で別の敵兵の首をはね、そのまま身体を回転させて近くにいた別の敵兵の上半身と下半身を分断する。瞬く間に三人を惨殺され、恐怖のあまり動けなくなる亜人狩りの兵士。そんな彼らを、アドニスは相変わらず冷たい視線で射抜いていた。
ニッカはニッカで、亜人狩りの部隊を圧倒していた。弓矢による攻撃が通用しないことは先ほど判明しているので、敵兵は剣や槍による攻撃を仕掛けてくる。だが、それらもまた、ニッカに対しては何の効果もあげない。特殊合金製の装甲には傷一つつかず、それどころか表面の塗料が剥げ落ちることすら無い。
逆にニッカが腕を振るえば、その腕に殴られた兵士は軽く数メートル吹っ飛び、運が悪い者はその衝撃で内蔵をやられて絶命してしまう。
ニッカはただ、敵兵を殴り飛ばし続ける。時間稼ぎが目的なことは理解していたので、むやみに殺す必要はないだろうと考えたためだ。他二人はかなり遠慮なく殺しまくっているが、ニッカはそうではない。
「く、くそっ! 何なんだよ、神の失敗作の分際で……!」
尻込みして後ずさりを始めた兵士の一人の言葉を聞いて、ニッカは溜息のような音を出す。自分達を神の成功作であるとして、ただそれだけで自らが優れた存在だと思い込んでいるかのような敵兵の発言に呆れていたのだ。
一体何の根拠があって成功作だ失敗作だと言っているのか。ベルベットの話ではもっとも繁栄しているからだと言うが、繁殖力が強く数が多いだけなら神の成功作はゴキブリあたりになるのではないだろうか。もっとも、この世界にゴキブリがいるのかどうかは分からないが。
軽い衝撃と金属音に、ニッカは思考を中断される。振り返れば、背後から斬りかかってきた敵兵がニッカの装甲に剣を弾かれよろけているところだった。ニッカは無言で、その敵兵を無造作に蹴り飛ばす。その兵士はぎゃ、と短い悲鳴を上げて身体をくの字に折り曲げて吹っ飛び、別の兵士を巻き添えにして地に落ちた。そんな光景を見てもなお、他の敵兵達はニッカに挑みかかってくる。
『無駄だって分からないのかな』
「黙れ、この失敗作め!!」
思わず呟いたニッカに向かって怒鳴りながら、斬りかかってくる兵士。当然その剣は装甲に弾かれ、次の瞬間に兵士は殴り飛ばされて数メートル吹っ飛ぶことになる。それでもまだ、亜人狩りの兵士達は攻撃を続けようとする。アドニスやブリーズに挑みかかった者達に比べて死人が少ないからだろうか。
ニッカは溜息のような声を出し、右腕を引き絞る。そして、正拳突きの要領で再びインパクトディスチャージャーを放った。その方向に居た兵士達が軒並みまとめて吹っ飛ばされ、何人かはその衝撃に耐えられずに絶命する。
それを目の当たりにしてようやく、ニッカに襲いかかっていた兵士達も尻込みし始めた。
「く、クソッ! 化け物どもめ……!」
「退け! ここは退くのだ!」
隊長と思しき男の号令で、亜人狩り部隊は矢を放ちつつ後退を始める。ニッカは特に追うような事はしなかった。
アドニスとブリーズは最初こそ追撃をかけようとしたが、ニッカが動かなかったことや、牽制の矢が飛んできたこともあって途中でそれを諦めた。
亜人狩り部隊が見えなくなった所で、アドニスがポツリと呟くようにニッカに問いかける。
「……ニッカ。なぜ追おうとしなかった?」
どこか非難の色を含んだ声音に首を傾げながら、ニッカは答える。
『なぜって……目的は時間稼ぎだよね? なら、逃げはじめた奴らを追う必要はないかな、って』
それに対して返ってきたのは、どこか冷たいアドニスの言葉だった。
「奴らが本隊ならばな」
『……本隊は別にいる、と?』
真剣な声音で聞き返すと、アドニスは頷く。
「最初にブリーズが言っていただろう、思ったより数が少ないと。連中は先行の偵察部隊と見て間違いない。ゴーレムも魔法使いも出てこなかったしな。連中を逃したとなれば、後ろにいるであろう本隊に連絡がいく。ここで奴らを殲滅しておけばそれを遅らせることが出来たのだがな」
アドニスは言外に「皆殺しにしておけば良かったのだ」と言っているわけだが、ニッカは言葉を返すことが出来ない。彼に搭載されているAIの内、戦闘に関する思考がそれを『確かにそうだ』と認めてしまっていたのだ。擬似人格の部分は『だからと言って皆殺しはやり過ぎだ』と訴えているので、ニッカ自身は己の中で出ている二つの「回答」の間で板挟みになっている。擬似的とはいえ「心を持った存在」である自分と、強大な戦闘能力を備えた「戦闘兵器」としての自分の間で。
ニッカが何も言えないでいるのを見て、アドニスは溜息を付く。
「そこまで考えが回っていなかった、ということか……仕方あるまい」
やれやれといった様子で首を振ると、今度は口の端をわずかに持ち上げて笑う。
「それに、収穫はあったしな」
『収穫?』
ニッカが聞き返すと、アドニスは笑みを浮かべたままでニッカに向き直る。
「お前がクロンダイクではないという収穫さ。奴らは本気でお前に襲いかかっていた」
そう言われて、ニッカは思い出す。ニッカから見れば無駄なこと以外の何物でもなかったのだが、それを見ていたアドニスにとってはその無駄な事こそがニッカがクロンダイクの手先ではないという証明になったらしい。特にそういうことは意識していなかったため、ニッカは少し驚いた。
「オイオイちょっと待てよ。そんな簡単に信じちまっていいのかよ? 奴らが下っ端だからソイツを知らないだけで、ソイツは本隊に連絡させるためにわざと連中を逃したって可能性もあるんだぜ?」
そこへ、ブリーズが割って入ってくる。集落を守るためとなると随分慎重な男だ。
「ベルベットには及ばんが、少なくともお前よりは長く生きている。戦場での戦いが絡めば見ていればだいたい分かる。それに、もし仮にニッカがクロンダイクの手先であったなら、そんな周りくどいことをする必要はないだろう。集落に辿り着いた時点で直接暴れればいい」
「む……」
そこを指摘されて、言葉に詰まるブリーズ。だがやはり納得は出来ていないらしく、「しかしだな……」と小さく呟いたのをニッカは聞き逃さなかった。
「とりあえず戻るぞ。本隊による追撃があることも知らせて、先を急がせねばならんからな」
だが、この件に関してはそれでおしまいにするつもりであるらしく、アドニスはさっさと刀を鞘に収めて歩き出す。ニッカは素直に、ブリーズは仕方なくといった様子でその後を追った。
移動を開始した集落の面々に追いついたのは、日が高く登ってからだった。そろそろお昼時といったところだろう。
「あ、みんな! おかえりー!」
そう言って満面の笑みで出迎えてくれたのはシャルトだった。その傍らには、シャルトを微笑ましく見ているアンシャと、シャルトに懐いている子供達の姿がある。
「おう、ただいま!」
真っ先に返事を返したのはブリーズだった。アドニスは特に何か言うこともなく、「ああ」とだけ言い残して集落の中……おそらくはベルベットのところだろう……へと向かっていってしまう。
自分はどうしたものだろうか、とニッカが立ち尽くしていると、ブリーズが声をかけてきた。
「おいニッカ」
『?』
「ちょっと来い」
ブリーズの後をついていくと、森の中の少し開けた場所に出た。避難している集落の住民達は休憩として一時移動を止めており、昼食の準備をしている。
そんな中、抜け出すようにしてここまで来たブリーズは足を止めると体ごとニッカに向き直った。
『……一体何故ここへ?』
「ああ、ちょいとお前のことを確かめたくてな」
そう言いながら上着を脱ぎ捨て、獣人化するブリーズ。突然のことに驚いているニッカに、ブリーズは口の端を吊り上げて見せる。そして、その直後にいきなり殴りかかってきた。
『っ!?』
辛うじて回避するニッカ。対するブリーズは避けられたと見るや即座に距離を開ける。
「良い反応だな」
『そりゃどうも。…っていうか、なんでいきなり殴りかかってきたのさ?』
講義するように言うニッカに向かって、ブリーズは獣のそれと化した顔でニヤ、と笑って言う。
「言ったろ? お前のことを確かめようと思ったんだよ。っても、オレは色々考えるのは苦手なんでな。拳で確かめさせてもらう!」
そう言って、再び身構えるブリーズ。ニッカもそれを見て、迎え撃つために身構える。その内心では、
…拳で語ろう、ってことか…コレだから脳筋は。
と愚痴をこぼしていた。
「さあ、行くぜ!」
そう言って、再び襲い掛かってくるブリーズ。考える時間を与えないつもりなのだろう。それならば、こちらも特に考えなしに応じよう、ニッカはそう決めて、ブリーズを迎え撃つ。
ブリーズが繰り出した蹴りを、右腕で受けて反撃に左の拳を放つ。その攻撃は受け止められ、ブリーズはその反動を使って距離を取る。ニッカはさせまいと前へと踏み込み、右の拳を繰り出した。唸りを上げて迫る拳を、ブリーズは紙一重で回避。
ほんの一瞬、それこそはたから見ていたら分からない程度の静寂。
それがあった直後に、ニッカとブリーズの間で凄まじい勢いでの拳の応酬が始まる。お互い至近距離に立って下半身はほとんど動かさず、猛烈な攻防を展開する。互いに相手の拳をそらし、弾き、時にかわし、己の拳を叩き込まんと相手めがけて腕を振るう。
特殊合金製の装甲を持つニッカだが、それでもブリーズの拳は可能な限り避けるかそらすかするようにしていた。相手の拳が心配なのもあるが、先の戦闘で敵兵の着ていた鎧を陥没させていたことから、まともに受けたらこちらもタダではすまないであろうことが容易に想像できるためだ。あの鎧がどんな金属に寄って出来ているものかは知らないが、それがああも容易く陥没するのだから尋常でない威力なのは分かる。それに、よしんば装甲が無事だったとしても、内部機構に掛かる衝撃までは緩和しきれないだろう。関節部分に異常が発生したら問題だ。自動修復機能はあるが、修復には時間がかかるし、その間は不自由を強いられるだろう。
ブリーズもブリーズで、ニッカの攻撃を警戒していた。特に、右腕から放つ風の魔法らしき攻撃…インパクトディスチャージャーの一撃は見たところ「強力無比」という表現がふさわしい。あれを使われたら、いくら頑丈さと再生能力に定評のある狼男の自分とて無事では済むまい。
だが、今の所ニッカがそれを使う様子はない。それどころか、腰の後ろに下げているナイフすら、使う気配はなかった。
(……コイツ、オレのスタイルに合わせてやがんのか?)
拳の応酬を繰り広げながらもそのことに気が付くブリーズ。
(……おもしれえ)
それに気付いて、口の端が持ち上がるのを止められない。得体の知れない相手だとは思っているものの、それがこちらが拳で語ることを望んでいると正しく受け取ってくれたのが嬉しかったのだ。
振るう拳の速度を上げる。ニッカは、それにも対応してきた。ただし、ついてくることは出来ないようで、攻撃の頻度が下がる。
防御に回り始めたニッカに、あえて直前にそれに気付くようにして蹴りを放つ。気づいたニッカは、とっさに後退して距離をとった。
ブリーズはそれを追撃せず、獣人化を解く。同時に、構えも解いて脱ぎ捨てた上着を拾い上げた。
「……少なくとも、一つ分かったことがあるぜ」
『分かったこと?』
ブリーズの言葉を聞いて、首を傾げるニッカ。
「ああ。お前が、拳での語り合いに応じてくれる程度には真っ直ぐなやつだってことさ」
『……それを装っているだけかもしれないよ?』
あえてそう聞くニッカに対し、ブリーズは「ハッ」と鼻で笑って返す。
「そこまで装う奴の拳があそこまでまっすぐだとは思えねえな。お前の拳はわりかし馬鹿正直だったぜ。ま、人のことは言えねえけどよ」
そう言って、ブリーズはケラケラと笑う。その直後、彼の腹が盛大に音を立てた。
「っと、体動かしたら腹減っちまったな。そろそろ昼飯だろうし、戻ろうぜ。いい匂いしてきた」
流石は狼男といったところだろうか、よく鼻が利く。まぁ、この場で比較対象となるニッカには大気成分の分析能力はあっても「匂い」は分からないのだが。
先を歩き始めたブリーズの後を追って、ニッカもまた、歩き始めた。
皆のところに戻ると、まず真っ先にシャルトが出迎えてくれた。
「二人共、どこ行ってたの? ご飯の準備も手伝わないで……」
もっとも、少々お怒りの様子ではあったが。
「いや、ワリィワリィ。ちょいとニッカに話があったもんでな」
『ごめんね、手伝えなくて』
ブリーズは頬をかきながら、ニッカは頭を下げて謝罪する。
「まったくもう……。ま、いいや。皆に配るから、それ手伝って」
「おうよ」
『うん、分かった』
どうやらシャルトは許してくれたようで、「しょうがないなあ」といった感じの笑みを浮かべて二人に指示を出し始める。ブリーズもニッカもそれに従って、避難中の集落の住人達に食事の配膳を始めた。
その頃、アドニスはベルベットの元を訪れていた。
「どうしました、アドニス?」
「状況報告だ。斥候の一部を取り逃がした。本隊が迫ってくるまでの期限を少し早めに想定しておいた方がいい」
アドニスに言われて、ベルベットはわずかに驚きの表情を浮かべる。
「珍しいですね、取り逃がすなんて」
「ニッカが状況を完全に把握していなかったようでな。時間稼ぎなら追い払うだけでいいだろうと考えていたようだ」
「なるほど……で、彼はどうでした?」
ベルベットがどう、と聞いたのは、ニッカがクロンダイクの手先であるか否か、ということだった。彼女としてはニッカの事を信用しているのだが、アドニスからの評価が気になったのだ。
「奴がクロンダイクということは無いだろう。そもそも、あの戦闘能力だ。奴がクロンダイクなら、潜入して亜人狩りの連中を呼び寄せるような周りくどいことをする必要はない。奴が直接攻撃すればいい。それだけで俺達の数は半分以下に減る」
その言葉を聞いて、ベルベットの顔から表情が消える。
「……それほどの戦闘力が?」
「あるな」
断言するアドニス。
「人間どもの剣や槍、弓矢は全く効果が無い。ただ無造作に殴っただけでも鎧を着込んだ重装歩兵が吹っ飛ぶ。加えて、例の風の魔法らしき攻撃だ。直撃せずとも十数人をまとめて吹っ飛ばすあの威力。……まともにやりあえば俺とてタダでは済むまい」
「そうでしたか……」
「だが、今の所はこちら側に付いていると見ていい。敵に回れば厄介だろうが、味方にいればあの戦闘能力は心強いものだ」
険しい表情をしていたベルベットだが、アドニスのその一言を聞いて表情が緩む。
「確かに、そうですね。味方であってくれるなら心強い」
「ブリーズはまだ疑っているようだがな。……まぁ、話はそれだけだ。必要ならばまた三人で亜人狩りを迎え撃つ」
「そうですか。その時はお願いします」
「ああ」
去ってゆくアドニスの背中を見送りながら、ベルベットは一つ溜息を吐くと、小さく呟く。
「彼がはやく打ち解けられればいいんですが……」
だが、その呟きは誰の耳に届くこともなく霧散していった。
シャルトを手伝い、食事の配膳を済ませたニッカは、皆からは少し離れた位置に座っていた。ニッカは飲食を必要としないので、センサーをフル稼働させて周辺警戒にあたっているのだ。
もっとも、左側頭部のアンテナが損失しているため、索敵能力は低下しているが。
「やっほ、ニッカ。キミはご飯食べないの?」
そんなニッカに、アンシャが声をかけてくる。何も持っていないのを見るに、彼女はもう食べてきたということなのだろう。
『僕は食事を摂る必要がないからね。食べなくても大丈夫なんだ。というか、そもそも飲食ができないんだよ』
「え!? ご飯が食べられないなんて……何か可哀そうだなぁ」
ニッカの言葉を聞いて、驚きの声を上げるアンシャ。彼を見る視線に同情の色が交じる。
『そうかな?』
だが、最初から戦闘用のロボットとして作り出されたニッカには何故同情されるのかが分からない。そもそも食事をしたことが無いため、それがいいものなのかそうでないのかが分かっていないのだ。
「そうだよ……。それで、食事ができないキミは今何をしているの?」
『周辺警戒だよ。なにか近づいてきたらすぐに分かる』
「ふうん……とても見張りをしているようには見えないけど」
『目で見ているわけじゃないからね』
ニッカが行っている周辺警戒は、内蔵されたレーダーによるものだ。効果範囲が広いとはいえないが、それでも2キロ圏内になにか近づいてくれば分かるようになっている。今の所は、難民と化した集落の住人達以外の反応は特になかった。
『そういう君は今何をしているんだい?』
「にひひ、ちょっと暇つぶし。キミに興味があってね」
そう言って、どこかいたずらっぽい笑みを浮かべるアンシャ。
『興味?』
「そう。キミって、異世界から来たんでしょ? だから、キミの世界のことを聞かせてほしいなー、ってね」
『僕の世界、か…』
アンシャの言葉に、ニッカは溜息のような音を出す。
どうせ戻ることはかなわないのだから気にするだけ無駄だとは分かっている。だが、それでも気になった。
自分のいた世界が、どうなったのかを。ニッカが飛ばされてきたのは、戦争の最終局面、最終決戦と言って良い状況の中であった。仲間達は上手くやってくれたのだろうか?
彼らは精鋭なのだ、そうそうしくじるとは思えない。敵の中ではことさら厄介な相手であったニッカの兄は、他ならぬニッカ自身が抑えたのだ。あの場所を越えればもう中枢へたどり着けるのだから、作戦は成功したはずだ。
だとしたら……問題は、その後だろう。アルゴンキンの管理AIを破壊したからといって、即座に全面降伏するとは思えない。抵抗勢力の排除や残党狩りなども行われることだろう。ひょっとすると、仲間達はそういった活動に駆り出されているかもしれない。新たに起動した次の自分とともに。
そう考えて、ニッカは再び溜息のような音を出した。
「……どうしたの?」
『え?』
どこか心配そうなアンシャの声で、ニッカは現実に引き戻された。
「もしかして、話しにくいことだった?」
『いや、その……そういう訳じゃないんだけどね。ちょっと、元の世界に居た仲間のことが気になって』
「仲間がいたんだ。ね、その仲間ってどんな感じだったの?」
『えっと……』
問われて、ニッカは悩む。異世界の、とはいえ自分は人間に作られた存在であり、仲間もまた人間だった。それを、話していいものなのか……?
「おーい、アンシャ、ニッカ!」
と、そこへニッカにとっては運良く、シャルトがやってきた。
「長老様がそろそろ移動開始するって!」
「うん、分かった! ……ニッカ、キミの世界の話は又の機会にね」
そう言い残して、アンシャはシャルトの元へと向かってゆく。
ちょっと先延ばしに出来ただけか、と内心落胆しながら、ニッカもやや遅れてシャルト達に続いた。