第三話
集落の中心にほど近い場所にある広場では、ブリーズとアドニスが向かい合っていた。ブリーズは獣人化はしておらず、上着を羽織っている。対するアドニスはマントを身につけていなかった。その左腕は存在せず、肩にはプロテクターのようなものが着けられている。また、腰には鞘に入った刀剣が下げられていた。
「今日も腹ごなしに付き合ってもらうぜ、アドニス」
「俺としては食後はゆっくりしたいんだがな……まぁ、いいだろう」
やる気満々といった様子で張り切っているブリーズとは対照的に、アドニスは非常に面倒くさそうだ。
「まぁまぁ。そんなつれねえ事言うな……よっと!」
だがブリーズはそれを気にせず、アドニスに向かって踏み込んだ。数メートル開いていた二人の距離が、わずか一歩、ほんの一瞬でゼロになる。ブリーズはその勢いのまま拳をアドニスの顔面に叩き込もうとするが、アドニスは半歩右へとズレただけでそれをかわす。ギリギリとはいえ、当たりさえしなければ何の問題もない。そして、その動作と同時にカウンターとして拳を繰り出していた。
だが、ブリーズとしてもそれは予想出来ていたのか、鳩尾に向かって繰り出されたアドニスの拳を左手で受ける。結果、クッションを挟むような形でダメージは殆ど入らず、二人はほぼ密着状態で睨み合うことになった。
「右腕を抑えればオレが有利だな」
アドニスには左腕が無い。そのため、片腕を抑えれば余った手で攻撃できる、という寸法だ。ニヤリ、と笑うブリーズ。
「どうかな?」
だが、アドニスは焦るような様子も見せず、密着状態でブリーズの脇腹を狙って膝蹴りを繰り出した。ブリーズは慌てて半歩下がり、膝をやり過ごすものの、途中でアドニスが膝を伸ばして回し蹴りに切り替えたため、脇腹に一撃をもらってしまう。たまらずアドニスの腕を離し、後退して間合いを開けるブリーズ。
ギャラリーから、わっと歓声が上がる。
「おいおい、腹に当てんなよ。吐いたらどうすんだ」
文句を言ってくるブリーズに、アドニスは淡々と応じる。
「だからこそ脇腹でも上の方を狙ったんだ。そこならさほど影響もあるまい?」
そう言われて、「ったく」とつぶやきつつ構え直すブリーズ。対するアドニスは構えを取る様子もなく、自然体で立っている。
一瞬の静寂。
その直後、再びブリーズが仕掛けた。またも高速の踏み込みで正面から接近するが、己の拳の間合いより少し遠い位置で再び地を蹴り、アドニスの右側面を取る。腕のない側ではなくあえて腕のある右側を狙ったのは、右目の無い彼にとってはそちらが死角となるためだ。だが、アドニスもそのことは自覚している。僅かに身体の向きを変えるだけで迫っていたブリーズの姿を捉え、繰り出された拳や蹴りを片手でいなし、時にかわしてさばいてゆく。
ブリーズは数回攻撃を繰り出した所で一旦下がり、同じ要領で接近して今度はアドニスの左を取った。こちらは死角にならないが、その代わりに腕がない。その分、わずかではあるが右からに比べていきなりカウンターを食らう可能性は低かった。事実、右から攻めた時は即座に腕を使って対応してきたのに対し、左から仕掛けた今回は初撃に対する対応が回避になっている。しかし、一度対応されてしまえば後は右側から攻めた時とあまり変わらない。ブリーズは舌打ちして再び後退した。
(……ったく、相変わらずとんでもねぇ反応しやがる。右は見えてない代わりに腕があるからその分反撃が早くて、左は腕がないから反撃に入るのがほんのチョビっと遅いが、その代わり見えてるから回避なんかの対応が早い……コレで上手いこと両方のバランスが取れてるもんだからかえってやりづれえ)
反応の早さがどちらか片方に偏っているなら遅い方を攻めるのだが、アドニスの場合はどちらから攻めてもあまり変わらない。精々初動が変わる程度が関の山で、確実に対応されてしまうのだ。
(スピードとパワーなら獣人化しなくてもオレの方がちょっとは上のはずなんだけどな)
にも関わらず、今の所ブリーズの戦績は全戦全敗だ。どうにも納得の行かないものがある。
だが、いかんせんブリーズは色々と考えるということが苦手だった。今のスピードとパワーでダメなら、もっと速く、強くすればいい。ただ、腹ごなしの運動で獣人化するとまたもや空腹状態に陥りかねないため、一応そこは自重する。
今一度、アドニスに向かって攻撃を仕掛けるブリーズ。どうせ左右どちらでも反応速度が同じなら、と、右へ左へと交互に攻める。だが、繰り出す拳は全てかわされ、いなされ、防がれて、時に鋭い反撃が飛んでくる。その反撃を回避しながら、ブリーズは内心で舌打ちしていた。
(この野郎…やっぱりちょっと手を抜いてやがんな)
アドニスは、最初の位置からほとんど動いていない。また、足技も最初の一回以降使っていないのである。見れば表情もどこかつまらなさそうだ。その態度に苛立ちを覚えるブリーズだが、すぐに考えなおす。
(いや、オレも獣人化してねえからおあいこか)
戦う時に熱くなりすぎるな、とは、アドニスに言われたことだ。ここでそれを理由に負ければ、説教の一つでも飛んでくるかもしれない。それは勘弁願いたいところである。
アドニスに勝つには、ただ闇雲に攻めてもダメだ。ブリーズは苦手なりに考えを巡らせ、行動に移した。左側からの拳での攻撃を、右手で一度対処させる。そしてすかさず、回し蹴りを叩き込まんと脚を振り上げた。
しかし、その脚は空を切る。アドニスはブリーズの繰り出した蹴りを、しゃがみこんでかわしていた。そして、蹴りを繰り出しているために僅かに浮いたブリーズの軸足に足払いをかける。軸足に重心が戻る直前にその位置をずらされ、転倒するブリーズ。
「のわぁっ!?」
立ち上がってそれを見ながらアドニスは溜息を付く。
ニッカが広場に到着したのは、丁度その時だった。
広場へとたどり着いたニッカは、まず最初にシャルトの姿を探した。普通に話しかけられそうな相手が今の所彼女くらいしか思い浮かばないのである。
広場に集まっている集落の住人達の中で、意外と簡単に彼女の姿は見つかった。そこそこ派手な髪色の多い彼らの中でも、シャルトの金髪は一際目立つ。加えて、彼女の周りに小さな子供達が集まっているお陰で、比較的小柄な彼女の姿をすぐに見つけることが出来た。
「アドニスさんすげー!」
「またブリーズ兄ちゃんの負けだー!」
子供達は、アドニスとブリーズの勝負の結果を見て、無邪気にはしゃいでいる。転倒したブリーズが「オレの負けって言うな! せめてアドニスの勝ちって言えよ!」などと言い返している。そんな様子を見ながら、シャルトは嬉しそうにニコニコと笑っていた。
『シャルト』
「ん? あ、ニッカ」
そんな彼女に声をかけると、振り向いてやわらかな笑みを浮かべてくれた。だが、周囲にいる子供達はそうではない。
ニッカを見るなり、我先にと隠れるようにシャルトの後ろに回る。
「わ、わ! こら、ちょっと!」
とは言え、いくら子供でも小柄なシャルトの後ろにそんな何人も隠れられるわけもなく、そのほとんどは姿が見えてしまっている。そんな彼らからニッカに向けられる視線に込められているのは、警戒心と怯え、そして、同じくらいの好奇心。
それを見て、自分がいかにこの集落で……否、この世界で異質な存在であるかを思い知った気がした。だが、せっかく声をかけたのにここで止まるというわけにも行かない。
『ブリーズ達は何を?』
とりあえず子供達のことは放っておいて、騒ぎの中心であろうブリーズ達について尋ねる。
「ああ、あれね。ブリーズがアドニスさんと試合してたの。アドニスさん強いから、ブリーズって何かにつけて勝負を挑んでるんだよね」
「そうそう、もう何回もやってるんだからそろそろ飽きたっていい頃なのにねー」
そんな声が、唐突に頭上から降ってくる。それと同時に、ニッカの肩に何かが乗った。いや、乗ったというより強制的に肩車状態になったと言った方がいいだろうか。
その状態だと相手が見えない……見えるとしたら太もも、いや、まともに見えるのは膝から下……ので、ニッカは左腕に搭載された小型カメラを起動する。戦闘の際には左腕のビームガンの照準用サブセンサーとなり、そうでない場合でも、作戦行動中に曲がり角のその先を見るための装備だ。腕時計を見るような動作で、ニッカは頭上の人物の姿を捉える。
そのカメラに映し出されたのは、これまた普通の人間とは違う姿だった。
パッと見た感じは、カルーアほどグラマーでは無いが、整ったプロポーションの少女だ。だが、その背中からは鳥の翼が生えている。肩に乗られる直前に羽音が聞こえたので、おそらくこの翼で飛んできたということなのだろう。
「アンシャ!」
「やっほ、シャルト。この人? 噂のゴーレムっぽい奴って」
ニッカの頭をペチペチと叩きながら、アンシャと呼ばれた少女がシャルトに問いかける。どうやら彼女は、シャルトの後ろに隠れた子供達や、ニッカに気付いて様子をうかがっている他の住人達とは違って物怖じしない性格のようだ。
「そうだけど……。それより、やめなよアンシャ。ニッカが困ってるよ」
「そうかな? ね、そうなの?」
頭に覆いかぶさり、覗きこむようにしてニッカを見るアンシャ。ニッカからは上下逆さまになった彼女の顔が見えた。
『……まぁ、そうかな。どうせ話をするならちゃんと向き合って話したいし』
それに、側頭部のアンテナが当たったりしないかと心配だ。そう長いアンテナではないのだが、左側はこの世界に来る直前の戦闘で折れてしまっており、下手をすると刺さってしまう可能性もある。
「うーん、そっか。じゃ、仕方ないね」
幸い、アンシャは駄々をこねるようなこともなく素直にニッカの肩からおりてくれた。シャルトの隣に並ぶと、ほんの少しだけ彼女より背が高いことが分かる。
「ニッカ、紹介するね。この子はあたしの友達で、アンシャっていうの。アンシャ、彼はニッカって名前なんだ」
「改めて、こんちわ!」
『はじめまして』
シャルトの紹介を受けて、お互いに握手を交わす。
「いやぁ、キミが集落に来た時も思ったけどホントにゴーレムみたいだよね。まぁ、よく見ればぜんぜん違うんだけど」
『君には翼が生えてるんだね。こっちは正直、この集落にきてから驚きっぱなしだよ』
「そう? ボクにはよく分からないなぁ。っていうか、ボクらからしたらキミの方が驚きだよ」
驚いているのはお互い様だ、ということなのだろう。
「キミみたいな種族は初めて見るし」
どうやらまだニッカが異世界からやってきたという事実は広まっていないようで、そういう種族だと思われているらしい。
『いや、ロボットは種族ってわけじゃ……』
「違うの?」
首を傾げて聞き返しながら見つめてくるアンシャ。見れば、シャルトも似たような反応だ。
彼女らにロボットについて知ってもらおうと思ったら一からの説明が必要だ。正直言って、それはかなり骨が折れそうである。
『……いや、もうそれでいいや』
面倒になったので、ニッカは説明を諦めた。そもそもロボットという概念すら存在しない世界なのだから、それを一から説明するより「そういう種族だ」とでも思っておいてもらえばいいだろう。
「結局どっちなのさ。まぁいっか、これからこの集落で一緒にやってくんだから、仲良くしようよ」
『あ……』
そう言われて、ニッカは固まった。彼女は当然のように、ニッカがこの集落に加わるものと思っているらしい。それは隣でニコニコ笑っているシャルトも同様だろう。
しかし、とニッカは思う。異世界のとはいえ、人間が作り上げたロボットである自分が、人間による亜人狩りから逃れた者達で形成されたこの集落に居ても良いものなのだろうか……と。
「どうしたの?」
キョトンとした表情で首を傾げたシャルトにそう聞かれ、ニッカははっと我に返る。
『あ、いや、うん。何でもないよ。何でもない』
慌ててそう返したものの、シャルトもアンシャも疑いの視線を向けてくる。
「ホントに?」
「なーんかアヤシイなぁ」
『だから何でもないって』
肩をすくめて、苦笑のような声で応じてみせる。アンシャは「そう? まぁ、それならいいけど」と引き下がってくれたが、シャルトは言及こそしなかったもののどうにも納得行かないような表情でじっとニッカを見つめていた。
どうにも居心地が悪くなってしまったが、かと言ってそこを離れる理由も思いつかず、ニッカは針のむしろに座る気分で時が経つのを待つ羽目になった。
真夜中になり、ニッカは集落の外れに佇んでいた。夜空を見上げれば、大きな月が静かに輝きを放っている。月が一つだけというのは、ニッカにとっては少し以外というか、物足りないと感じるものだった。彼の世界では、月は三つ並んでいるものだったからだ。
……現状、戻れなくてもさほど苦労はしないけど……メンテナンスはもともと長期に渡る単独行動も考慮していたから自動調整機能を搭載しているとはいえ、それでも体の一部が欠損するような状態は避けたいな。
ニッカに搭載されている修復機能は、あくまでメンテナンスレベルでの調整や修繕を行うためのものだ。欠損した部分をまるごとつくり上げるようなシステムではない。
とりあえず自身の現状を考えることで現実逃避を図ってみたが、ロボットであるが故なのか、それは今優先して考えるべき事象ではないという結論に早々に至ってしまい、肩を落とすことになるニッカ。
そんな彼に、背後から声をかける者が居た。
「お月見ですか。同席しても構いませんか?」
口元に僅かに笑みを浮かべて、そう聞いてきたのはベルベットだった。月明かりに照らされていることもあり、その表情はどこか妖艶な雰囲気を感じさせる。
『……ええ。構いませんよ』
そう応じて、再び月へと視線を戻すニッカ。二人並んで、しばらく無言のまま時を過ごす。
先に沈黙を破ったのは、やはりと言うかベルベットであった。
「何か……思いつめている様子ですね」
『あ、いえ、そんなことは……』
慌てて否定しようとするニッカだが、それをベルベットが遮る。
「隠す必要はありませんよ。これでも長きにわたって多種多様な種族を見てきた身なんですから。雰囲気だけでも、察しはつきます」
ニッカを見つめるその視線は、口元に笑みをたたえた表情とは裏腹に鋭いものだ。その視線に射すくめられたかのように、ニッカは言葉を失い動けなくなってしまった。
「例え話した所でどうにもならないことでも、離せば少しは気分が軽くなることもありますから。話してみてください。一人で抱え込むよりは、多少はマシになるでしょう」
ただただ黙っているニッカ。ベルベットは、じっとニッカを見つめながら、話しだすのを待っている。
『……これからどうすべきなのか、考えていました』
沈黙に耐え切れなくなったかのように、ニッカはポツリ、ポツリと語りだす。ベルベットは先を促すように無言で聞いていた。
『この集落の他の方々がどうかは分かりませんが、シャルトやアンシャは僕がこの集落の一員として加わるものだと思っているようです。でも……僕が加わってしまっても、いいものなんでしょうか』
一度月から視線を外し、うつむくニッカ。
『僕は、異世界の、とはいえ人間に作られた存在です。そんな僕が、人間による亜人狩りから逃れてきている人達が集まるこの集落に居てもいいものなのかな、って……』
そこで、黙って聞いていたベルベットが口を開いた。
「それを言うなら、私も元ははこの世界の人間に作られた人形ですよ?」
ベルベットは自分も生き人形であるため、人間に作られたという点では同じだと言う。
『そうかもしれませんが……でも、貴方の心は長い年月を経て自然発生したもの……自然に生まれたものだ。僕は違う。この体と同じく、最初から擬似的な人格を持たされて作られた、作り物の心なんです』
それでもニッカは納得できていないようだ。ベルベットに向き直り、どこか寂しそうな声でそう言って、肩を落とす。
そんな様子を見て、ベルベットはふわり、と柔らかく微笑んだ。
「例えその心が作りものであったとしても、そうやって思い悩んでいるのはあなた自身でしょう? それなら、あなたの心は作り物でも、間違いなく本物ですよ」
『心が……本物……』
ベルベットに言われて、ニッカは呟くように繰り返す。
「ええ。そうやって思い悩んでいることが、あなたの心が本物である証です」
ベルベットはニッカに歩み寄り、その手で彼の胸にそっと触れる。まるで、そこに心があるのだと言わんばかりに。
ニッカは、昔の人の言葉を思い出す。我思う故に我在り、だったか。
作り物でも本物だ、そのベルベットの言葉はストン、とニッカの胸に落ちる。
『……僕は、この集落にいていいんでしょうか』
今一度、ニッカはベルベットに問う。だが、その声音は先程のような弱々しいものではなかった。
だから、ベルベットもやわらかな笑みを浮かべたままに応じる。
「ええ。人に作られたというなら私という前例があるのですから」
互いに人によって作られた者同士、二人はしばし並んで月を眺めることにした。
真夜中、自分の暮らしているテントの中で、シャルトはハッと目を覚ます。
息は荒く、身体は汗でじっとりと湿り、言いようのない不快感を感じる。だが、今はその不快感を気にしているような余裕はなかった。
ムクリ、と体を起こし、額に手を当てて荒れた呼吸を整える。
「今の……夢……」
消え入りそうな声でそう呟いて、シャルトはその光景を思い出す。
「……っ!」
それだけでも、背筋が凍るような思いだった。
小刻みに震える自分の体を抱きしめて、再び荒くなり始めていた呼吸を整える。
朝までにはまだ時間がありそうだが、シャルトは呼吸が整い次第寝床を出て、軽く身支度を整え、外へ出る。集落の中はしんと静まり返っているが、長老…ベルベットなら起きているはずだ。
「伝えなきゃ……!」
小さな声で呟いて、シャルトはなるべく静かにベルベットが暮らすテントに向かって駆け出した。