第一話
戦場で、兄に当たる機体、トリスに相打ち覚悟の一撃を決めたと思ったら、いつの間にか緑豊かな森の中。
それだけでも全く状況がわからないのだが、それ以上にニッカを混乱させる出来事が今眼の前で起きている。
獣の耳を生やした少女と、額から角の生えたグラマラスな女性。その二人が、驚きの表情でこちらを見つめたまま固まっている。
「…ゴーレム?」
「にしちゃぁ随分小さいねぇ」
ニッカを見ながら、何事かを話している二人。色々と気になる部分はあるのだが、ひょっとしたら現在地や自分の置かれた状況が何か分かるかもしれないと思い、ニッカは二人に声をかけることにした。
『あの、すみません』
「喋った!?」
ニッカが喋ったということが余程驚くようなことだったのか、揃って驚愕の声を上げる二人。その反応に、ニッカは首を傾げる。今どき喋るロボットなど珍しくもないだろうに、何を驚いているのか、と。
…ロボットが普及してないほどの僻地なのかな? だとするとなんで僕がそんなところにいるのかますます疑問なんだけど。
疑問に思いつつも、とにかく情報を得なくてはと、驚いている二人組に話しかける。
『ここは一体どこなのでしょうか?』
「その前にこっちの質問に答えな。アンタ、何者だい?」
しかし、返ってきたのは答えではなかった。角の生えた方の女性が、警戒心を露わにした険しい表情で問いかけてくる。その手には、彼女の身の丈に迫ろうかという長柄の斧が握られていた。
女性にしては長身とはいえ、とても筋肉質には見えない彼女がそんな武器を軽々と扱っていることには驚きを覚えるが、今はそれを気にしている時ではなさそうだ。何しろ彼女は、ヘタをすると本当に斬りかかってきそうな雰囲気を漂わせているのである。
まぁ、斬りかかられたとしても、見たところ相手の武器はその斧だけだ。手持ち火器は全て喪失してしまったが、ナイフはまだ一本残っているし、左腕には内蔵式の小型ビームガンもある。何より、右腕のインパクトディスチャージャーが健在なのだ。負ける気はしない。
とはいえ、ニッカとしても別段事を荒立てたいわけではない。なので、ここは素直に従っておくことにした。
『僕は、オーヴェルニュ軍特務突入部隊所属、グレーン型改修・完全自律人工知能搭載戦闘用ロボット試作三番機。パーソナルコードはニッカです』
が、角の生えた女性も獣の耳を生やした少女も、「軍」という単語を聞いた瞬間にその表情がこわばった。
「軍、だって…? ならアンタ、亜人狩りの仲間かい!?」
角を生やした女性に至っては、斧を構えていつでも斬りかかれる用に腰を落としている。
だが、ニッカには彼女が何を言っているのかよく分からない。
『アジンガリ? 何ですか、それ?』
彼女達の反応から、それが彼女らにとって警戒すべき、もしくは憎むべき対象であることは推測できるのだが、それが何なのかは分からないのだ。
「とぼけるんじゃないよ! おーべるにゅだかなんだか知らないけど、軍ってことはクロンダイクに関わってるんだろう!?」
また分からない単語が出てきた。
『くろんだいく? 聞き覚えがないんだけど…軍と関係があるということは何かの組織ですか?』
「まだとぼける気かい!?」
どうにも、互いの認識に何か「ズレ」を感じるニッカ。ひょっとすると彼女らはアルゴンキンの側の人間なのでは、と一瞬考えたが、それだとつじつまが合わないことがある。
角の生えた女性の口ぶりからするに、彼女達はオーヴェルニュを知らないようなのだ。アルゴンキンの人間が、オーヴェルニュを知らないわけがない。
なんだか嫌な予感を感じ、恐る恐る問いかけてみるニッカ。
『あの…ちょっと質問なんですが…アルゴンキンが世界に発信した「人類管理計画宣言」って、知ってますか?』
人類管理計画宣言。それは、オーヴェルニュとアルゴンキンの戦争の発端となった、アルゴンキンが世界に向けて発信した、「人類はより高度に完成された機械によって管理されてこそ真に繁栄を得ることができる」という宣言だった。通信を始めとしてありとあらゆる手段で世界中へと伝えられたため、ロボットの普及があまり進んでいないような僻地であっても、「新型のロボットは知らないけど人類管理計画宣言は知っている」のが当たり前なくらい知れ渡っている。もっとも、新型の導入が遅れている地域は少なくないが、ロボットの普及自体が進んでいないような僻地など今ではほとんど存在していないのだが。
「あるごんきん? じんるいかんりけいかくせんげん? なんだいそりゃ?」
しかし、目の前の女性はそれを知らなかった。後ろに隠れている獣耳の生えた少女も、首を傾げている。
ニッカの中で、嫌な予感がより一層大きく鎌首をもたげた。
彼にとっては常識とも言える事を、彼女達は知らない。
しかも、彼女達には、獣の耳やら角やら、奇妙なものが生えている。そんなものが生えている人間を、ニッカは知らない。
…いやいや。お伽話じゃあるまいし。
一瞬思い浮かんだ可能性を、ニッカは否定する。そのようなこと、常識的に考えてありえない。
だが、今の状況はそうでもなければ説明がつかないのだ。一体どういうことなのか、思案のために黙りこんでしまうニッカ。そして、それを不審そうに見つめる角を生やした女性と獣耳の少女。
数秒間の沈黙は、突如として響いた獣の咆哮によって破られた。
驚いてそちらに顔を向けると、ニッカからすれば異様としか言い様のない獣がそこに居た。
太い四肢。大きな鉤爪。体毛は針のように太く鋭く、何よりも異様なのは口の両横からクワガタムシの大顎のように大きな牙が生えていることであった。
「しまった、縄張りに近づきすぎたのか! シャルト、逃げるよ!」
「う、うん!」
慌てて逃げ出す二人だが、その獣はそれを許さない。ニッカの五倍はありそうな巨体からは想像もつかない俊敏さで二人の前へと回り込み、牙を向いて威嚇している。口からだらだらと溢れる唾液を見るに、どうやら二人を獲物として認識しているようだ。
「くっ…」
逃げ切れないと感じたのか、角の生えた女性は斧を構えて獣と対峙する。シャルトと呼ばれた獣耳の少女は、その影に隠れるようにしながら獣の様子をうかがっていた。
一方、状況に置いてけぼりを食らってしまったニッカは、一人(?)思案する。
…あのような生物は見たことがないな…まぁ、それはこの際どうでもいいとして。あの様子だと、あの生物が二人に襲いかかるのは間違いなさそうだ。
だとすると、それは困る。ニッカとしては、二人にまだまだ聞きたいことがあるのだ。
…それに、少しは話しがしやすくなるかもしれないし。
そう考えて、ニッカは行動を開始する。背面の推進機構を起動し、一歩の踏み込みでその獣へと肉薄、その勢いのまま蹴りを叩き込んだ。
いきなり横っ腹に蹴りを入れられ、怒りの咆哮を上げるその獣。だが、ニッカは怯む様子を見せずに正面から相対する。
『まだ話の途中なんでね』
そう呟きながら、右の拳を握りこむ。同時に、右腕から甲高い音が響き始める。
異様な獣は標的をニッカに変更したようで、口とその両横のハサミのような牙を大きく広げながら突進してくる。
『お引取り願おうか!』
対するニッカは、その獣に対して真正面から突っ込んだ。相手が飛びかかろうと地を蹴って、体を宙に浮かせた瞬間を狙って急加速。獣の胴の下へと潜り込み、その腹目掛けてアッパーを繰り出すように拳を振り上げる。それと同時に、右腕のインパクトディスチャージャーをぶっ放した。
爆発のような轟音とともに、腕から放たれる衝撃波。直接接触しない状態で放ったために威力は落ちているが、それでも異様な獣を吹っ飛ばすには十分過ぎる力があった。獣の巨体は軽々と宙を舞い、弧を描いて地に落ちる。しばらく痛みにのたうちまわっていたが、身体を起こすと情けない声を上げながら尻尾を巻いて逃げていった。
あとに残されたのは、右腕からインパクトディスチャージャー使用後の排熱を行っているニッカと、唖然としている角の女性と獣耳少女。
唖然としている二人に向かって、放熱を終えたニッカは声をかける。
『二人共大丈夫?』
声をかけられて我に返った角の生えた女性が、慌ててニッカに向けて斧を構え直す。
「あ、ちょっと、カルーア!」
それを見て、先ほどシャルトと呼ばれた獣耳の少女が角の女性の袖を引く。
「…助けてもらったことには礼を言うよ。けど、アンタホントに一体何者なんだい? 喋ったり魔法を使うゴーレムなんざ見たことも聞いたこともないよ?」
カルーアと呼ばれたその女性は、一応感謝の言葉を述べつつもやはりニッカに対しての警戒心は全く薄れていないようだ。
『だから僕はグレーン型のロボットですってば。っていうか、マホウ? マホウって、あの魔法? そんな、お伽話じゃあるまいし…』
「ろぼっと? なんだいそりゃ。そういう種族なのかい? ってかアンタ魔法知らないのかい? 今しがた自分で使ったくせに」
カルーアの反応を見て、ニッカの嫌な予感はぐんと確信に近付く。ロボットを知らないなど、普通に考えてありえない。加えて、今出てきた「魔法」という単語。それが空想の産物であることはニッカにしてみれば当たり前のことなのだ。だが、カルーアの口ぶりからするに、彼女らにとって魔法は当然のように実在するものらしい。
まさか、という考えが浮かぶが、非現実的だ、とそれを否定する。
警戒しているカルーアと、困惑するニッカ。その二人の様子を見ていたシャルトが、「いいことを思いついた!」とでも言うかのようにパン、と手を叩いた。
「ねぇ、カルーア。この人、一回連れて帰ってみようよ」
「はぁ!? シャルト、アンタ何言ってるか分かってる? 確かに今助けてもらったけど、こんな得体の知れない奴を集落に連れ帰るのはどうかと思うんだけど?」
「そうかなぁ、そんなに悪い人だとは思えないんだけど…それに、気になってたんだけどさ。 さっきからこの人、何だかよく分からないこといってるじゃない? 長老様なら、何か分かるかもしれないし」
そして、そこでシャルトは声を潜める。
「…それに、集落に戻ればブリーズもアドニスさんもいるんだし、何かあってもなんとかなると思うよ、きっと」
そう言われて、カルーアは考えこむ。彼女の言う通り、目の前のろぼっととやらが何を言っているのか、正直いってよく分からない。だが、彼女らの集落の「長老」ならば、なにか知っているかもしれないという可能性はある。加えて、万が一ニッカが敵だった場合でも、集落には常にブリーズとアドニスという心強い用心棒がいるのだ。あの二人なら大抵のことはなんとかなるだろう。
「……そうだね、分かった。アンタの言う通りにしよう、シャルト」
渋々といった具合にカルーアが折れ、ため息を吐きながら言う。それからニッカに視線を向けて、構えていた斧を肩に担いだ。
「…とりあえず、アンタのことを知りたい。長老なら、アンタのことについてなにか分かるかもしれないからね。ついて来な」
そう言って、歩き出すカルーアとシャルト。ニッカは最初どうしていいか分からなかったが、「おら、ぼさっとしてんじゃないよ!」とカルーアに怒られ、慌てて後を追った。
しばらく森の中を歩いていると、森の木々の向こう側に、細々とした白い煙が立ち上っているのが見えた。
それとほぼ同時に、シャルトが声をかけてくる。
「もうじき着くよ、ニッカ」
『ひょっとして、あの煙はその集落の?』
「うん。そろそろご飯時だからね。ニッカも食べる?」
『いや、僕の身体は食事ができるようには…』
そこまで言った所で、ニッカは言葉を切ってシャルトから視線を外す。というのも、彼のレーダーがすさまじい速度で接近してくる動体反応をキャッチしたためだ。
『二人共気をつけて。何かが接近してくる。かなり早い』
そう言われて、カルーアは緊迫した面持ちで身構え、シャルトは怯えたような表情でカルーアのそばへと寄る。ニッカもまた、いつでも戦えるように身構えた。
その数秒後、近付いてきたいた何者かが姿を現す。その姿を見て、ニッカは言葉を失った。
獣頭人身、体毛に覆われた上半身をさらした獣人。狼のような頭部を持つそれが、真っ直ぐにニッカ目掛けて突っ込んでくる。
『っ!』
突っ込んできたその縦陣が繰り出してきた拳を、間一髪で避ける。その姿を捉えてからわずか数秒で殴り合いが出来る位置まで距離を詰めてきた相手に、ニッカは心底驚いていた。
「避けた!? ゴーレムのくせに!」
獣人はそう言って、再度攻撃を仕掛けてくる。ニッカもそれに対応するため、腰の後ろにマウントされたナイフを左手で引き抜いて構える。
地を蹴った獣人が繰り出した回し蹴りを屈んで避け、相手が着地する前にその腹に向かってナイフを突き出す。だが、獣人は突き出されたナイフが自分に届く前にニッカの腕を掴み、攻撃を逸らすと同時にニッカの左腕を脇に抱え込む。
「これで避けられねえな!」
ニッカの頭部めがけて、固く握った拳を叩き込もうとする獣人。ニッカはそれを、頭部に届く直前に右手で受け止めた。
『このっ!』
お互い両手がふさがった状態になり、ほぼ密着しているので足技も使いにくい。そのため、ニッカは獣人の鼻っ面に頭突きをかましてやった。
「んがっ!?」
頭突きという行動が予想外だったのか、それとも鼻っ面に金属の塊が当たったから痛かったのか。獣人の腕の拘束が弱まったため、ニッカは一度距離を取る。
「…まさかゴーレムが頭突きかましてきやがるたあな。ってか、今喋らなかったか? …まあどうでもいいか。カルーア、シャルト、今のうちに集落に戻れ。コイツはオレがなんとかする」
そう言って再び身構える獣人。どうやら、シャルト達の知り合いであるらしく、彼は二人に「逃げろ」と促している。だが、シャルトは逃げるどころかニッカと獣人の間に割って入り、獣人の前に立ちはだかるように両腕を広げた。
「ブリーズ、違うの! この人はあたし達を魔物から守ってくれたんだよ!」
「はぁ?」
それを聞いて、呆気にとられたような声を出す獣人…ブリーズ。よく見れば目を見開いており、驚いているのだということが分かる。
「なんかコイツ、訳の分かんないこと言っててね。長老ならなんか分かるかもしれないってんで連れてきたのさ」
カルーアの補足説明を聞いて、ブリーズは一つ溜息。
「なんだ、追われてたわけじゃなかったのか…無駄に腹が減ることしちまったぜ」
そう言った直後に、ブリーズの体に変化が起こる。体がひと回り小さく縮み、体毛に覆われていたその姿が、上半身裸の人間らしい青年の姿に変わる。らしい、とつけたのは、彼の頭部にシャルト同様獣の耳が付いているためだ。それを見て、ニッカは心底驚いた。
『なんと…狼男とは』
「あ、やっぱ喋るのか。確かに、よく見りゃゴーレムってわけじゃないっぽいな。悪いな、早とちりで殴りかかって」
『あ、ああ、うん…』
呆気にとられているニッカに構わず、来た道を戻り始めるブリーズ。そんな彼に、カルーアが駆け寄って小声で話しかけた。
「ブリーズ、シャルトの提案で一応アイツを集落に連れてく事にはなったけど、アイツが得体の知れない奴だってことは変わらないんだ。もしアイツが妙な真似をするようなら…」
「ああ、分かってら。アドニスにも伝えとくぜ」
「頼むよ」
一方、呆気にとられていたニッカは、シャルトに手を引かれて我に返る。
「ほら、早くしないと置いてかれちゃうよ?」
『え、あ、うん。分かった』
手にしたままだったナイフを腰の後ろのホルダーに戻し、シャルトの後ろをついて歩きながら考える。
…どうも、僕は彼らから見ると警戒すべき対象らしい。
事実として、カルーアもブリーズも、ニッカのことを「ゴーレム」とやらと間違え、敵として見ているフシがあった。一応、「ゴーレム型」と呼ばれるタイプのロボットは存在してはいるのだが、パワーこそあるものの動きの鈍い機体であるため基本的には作業用であり、戦闘用であるニッカと違って三原則が適用されるため特段警戒するようなものではない。
それに、彼女らはロボットの事を知らないらしいので、「ゴーレム型」を知っているとしたら矛盾が生まれてしまう。そう考えれば、彼女らの言う「ゴーレム」とやらはニッカの知る「ゴーレム型」では無いのだろう。それでいて、彼女らにとって警戒すべき存在。
…まさかお伽話に出てくるようなアレなのか?
ニッカは、彼の知るもう一つの「ゴーレム」を思い浮かべる。土や泥、岩石などを材料に、人型をかたどらせて頭部に文字を刻み、命令通りに動かすファンタジー版ロボットのようなもの。
ありえない、と否定したかったが、目の前にいる三人や先ほどの異様な獣…シャルトは魔物と呼んでいた…など、ニッカは彼にとっては非常識なものを見ているため、否定するのに自信が無くなってきていた。
しばらく歩くと、シャルト達が言っていた「集落」が見えてくる。家の作りはどれも簡素なもので、急ごしらえな感じが強い。中にはテントまである。
「先にひとっ走りいって伝えてくらあ。オレみたいな勘違いする奴が居ても困るだろ?」
そう言って、ブリーズは集落に向かって駆けてゆく。獣人化はしていないのだが、その速度は到底普通の人間に出せるものではなかった。
「あたし達はゆっくり歩いてこうね。その間にブリーズが説明してくれるはずだからさ」
シャルトに言われて、ニッカは無言で頷いた。先に説明しておいてくれるというのなら、もう先ほどのようにいきなり襲い掛かられることはないだろう。
だが、ニッカには別に不安なことがあった。それは、集落の住人達が、普通の人間であるかどうかということだ。シャルトもカルーアもブリーズも、普通の人間ではなかった。ブリーズに至っては変身までしている。
ひょっとしたら、もっと人間とはかけ離れたような奴が出てくるかもしれない。それを考えると、自分の中の「現実」という概念が揺らいでしまいそうで不安なのだ。
そんな風に悩んでいる間にも、集落はだんだんと近づいてくる。入口の前で最初に彼らを出迎えたのは、先ほど連絡のために一足先に集落に戻ったブリーズと、もう一人。端の方が擦り切れてボロボロになっているマントで左半身を膝のあたりまで覆い隠した、隻眼の男。右目の側は痛々しい傷跡がむき出しになっている。マントの下から棒状のものがはみ出して見えているが、あれは刀剣類の鞘か何かだろうか。
「や、アドニス。出迎えご苦労さん」
「珍しいね、アドニスさんがここまで出迎えに来るなんて」
「ああ。お前達が連れてきたという奴がどんな奴か気になったものでな」
カルーアとシャルトにアドニスと呼ばれたその男は、低く落ち着いた声で二人に応じながら、左だけ残ったその目でニッカを見つめている。その眼光は鋭く、片目しか無いにも関わらず強い眼力を放っていた。どちらかと言うとすでに見つめるというより睨むに近い。
だが、それよりもニッカには安堵の感覚が強かった。
…良かった…普通の人間っぽい。
ニッカはアドニスの前まで足を進め、名乗っておくことにする。
『僕はオーヴェルニュ軍特務突入部隊所属、グレーン型改修・完全自律人工知能搭載戦闘用ロボット試作三番機。パーソナルコードはニッカ』
彼にとっては普通の自己紹介だったのだが、アドニスはそれを聞いて面倒臭そうな顔をする。
「長い。とりあえず何と呼べばいいかだけ教えろ」
『……ニッカ、と呼んでくれれば』
自己紹介で文句を言われて、少しムッとするニッカ。しかし、彼の体は表情を作ることが出来ないためか、アドニスにそれが伝わった様子はない。あるいは、アドニスが気にしていないだけか。
「分かった。ではニッカ、確かベルベットに話を聞きたいんだったな?」
『ベルベット?』
アドニスの言葉を聞いて、首を傾げるニッカ。今の口ぶりからするに人名らしいことは分かるが、その名前は初めて聞く。だが、今までの会話から考えるに…。
「他の連中が長老と呼んでる奴のことだ。俺は付き合いが長いから名前で呼んでいるがな」
と、ニッカが答えにたどり着くのとほぼ同時にアドニスが教えてくれた。
「ついて来い」
そう言って、アドニスは先に立って歩き出す。その際にマントが翻り、その下が一瞬だけ垣間見える。
…この人、腕が…。
マントに覆われた左側。そこには、本来あるべき腕が存在していなかった。
「何をしている?」
『え? あ、はい』
驚いていたニッカだったが、アドニスに声をかけられて慌てて後を追う。そのニッカの様子を、集落の他の住人達は隠れるようにしながらだが興味深げに見つめていた。
アドニスの案内で、集落の中心部にあるやや大型のテントへと案内されるニッカ。テントの入口をくぐると、肩と背中を大きく露出した、装飾の控えめなドレスのような服を着た女性が出迎えてくれた。青みがかったストレートロングの銀髪と、金色の瞳が印象的な美女である。
「いらっしゃい、アドニス。そちらの方が?」
「ああ。後は頼むぞ、ベルベット」
ニッカは二つの意味で驚いていた。まず、ベルベットが若い女性の姿だったこと。長老なんて呼ばれているから、もっといかにもな老人がいるものだとばかり思っていたのだ。
そしてもう一つ、それはベルベットの肩や腕の部分に、球体関節人形のような関節部分が見えたためた。
『ニッカです。…貴方はアンドロイド?』
ニッカの知るアンドロイドは、もうほとんど普通の人間と区別がつかないような見た目をしている物が多い。彼女のように関節部分がむき出しになっているタイプは、今ではもう旧式である。なので、見た目が若いが長老というのは、それだけ長く稼働し続けたアンドロイドだからかと思って尋ねてみたのだが、ベルベットはそれを聞いて首を傾げた。
「あんどろいど? いえ、私はそういったものでは無いのですが…あ、ひょっとして生き人形の別名ですか?」
『生き…人形…?』
ベルベットの言葉を聞いて、今度はニッカが首を傾げる。字面は想像できるのだが、だとするといよいよ持ってファンタジーな存在である。いや、彼女の場合はオカルトな存在といったほうが良いのだろうか。
「どうやら生き人形の別名というわけではなさそうですね。長い年月を経て命を得た人形なんですよ、私は」
彼女自身の説明で、自分の想像が的中していたと知るニッカ。彼の現実感というものがいよいよ持って揺らいできた。
「話を聞きたい、ということでしたけれど…その前に、まずは貴方自身のことを聞かせてもらえますか?」
その顔に薄くほほ笑みを浮かべながら言うベルベット。ニッカは『え、ええ…はい…』と、なんとか気を取り直して説明を始める。自分がオーヴェルニュという組織に所属しているロボットであることや、アルゴンキンという組織と敵対していたこと、そして、その最終決戦となるであろう戦いの最中、兄といえる機体との戦いで、相打ち覚悟で一撃を放ち、再起動したら森の中で倒れていたことなど。
黙って耳を傾けていたベルベットは、話が一区切りついた所で一つ溜息を吐く。そして、「推測できる結論としては」と前置きしてから、ニッカにとっては信じられない…というより信じたくない…言葉を口にした。
「貴方はどうやら、異世界からこの世界にやってきてしまったようですね」
『異世界…ですか…? そんな、まさか…』
「否定の声が弱々しいですね。実は貴方も薄々気付いていたんじゃないですか?」
口の端をほんの少し持ち上げ、僅かに目を細めてそう言ったベルベットに対し、ニッカは何も言い返せない。実際、彼女の言う通り『ひょっとしたら』と何度かは思っていたからだ。だが、彼にとってはあまりにも非現実的すぎてそれが中々受け入れられなかったのである。
しばらく黙っていたが、ニッカは観念したように呟くような声音で言う。
『…そう、ですね。そうではないか、とは考えていました』
「やはり」
それを聞いて、溜息を付くベルベット。ニッカはそんな彼女に対し、つい嫌味でも言うような口調で言ってしまう。
『貴方は全然驚いていないようですね』
「いえ、これでも少しは驚いているんですよ。ただ、元が人形であるためか表情に出づらくて」
そう返すベルベットの表情は、僅かにだが困ったようなものになっていた。本人の言う通り変化が僅かなものにしかならないために分かりづらいらしい。
「それに、長く生きていると色々と話しに聞くようなこともあるのですよ。…例えば、その起源が異世界にあるという種族の話とか」
『僕の他にもこの世界にやってきた人や物があるんですか?』
それを聞いて、ニッカは一縷の望みを欠けて聞いてみることにした。
『ひょっとして、元の世界に戻る方法があったりするんですか?』
だが、それに対するベルベットの答えは無情だった。
彼女はそれを聞いた瞬間にすっと表情を消し、僅かに目を伏せてきっぱりと断言する。
「残念ですが…戻る方法は、ありません」