表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/18

第四話 旅館の廊下では必然的に妄想するのであろうか

この四話から、物語は大きく趣旨を逸れ、読者様の予想・思惑からも逸れ、小説としての倫理からも逸れ、作者の向上心・自負心・冒険心・好奇心などもことごとく逸れ、もはや読者の皆さんの関心も逸れていく模様です。


 気がつくと部屋の窓から見える穏やかな空は桃色になっていた。


「今度は飛車角落ちでやってやろうか?」


 完膚なきまでにやっつけられた私は大人としての面目を保てなかったどころか、菫さんにハンデをつけてもらうという恥をさらし、そのうえで負けてしまうという汚点を残した。


 もう何度も彼女の相手をしたが、勝てる兆しが一向に現れない。


 彼女はしなやかに駒を進めながら「カウンセリングに来た奴と毎回戦ってるんだ」と自慢げに言った。


「もうやめようよ。降参降参、勝てる気がしない」


 私はこれ以上の恥辱は堪えられまいと勝負を投げ出して後ろに手を付いた。菫さんは振り返って窓の外を確認すると「そうだな」と片言で呟いた。


「また、明日も来ていいかな」


 窓から斜めに差し込んだ残照の光が彼女の白い頬を桃色に映えている。窓の外ではカラスが二匹並んで武美山の頂へ向かって飛んできているのが見えた。室内はやがて古めかしい静けさが訪れた。


 私は立ち上がると菫さんからの返答を待ったが、彼女は背伸びをしてベッドに潜り込んでいってしまった。


「まあ、将棋をするためなら」


 帰ろうとしたところで布団の中からぼそぼそとくぐもった声が聞こえてきた。


「わかった」


 私は部屋を後にした。


 廊下にでた私は、そのまま階段を下りずに、廊下の窓から景色を眺めたり、電球の周りを飛び回る小バエを払ったりして、いつまでもうじうじと廊下をうろついた。


 やがて、私は必然的に妄想で弄んだ。


 もしも、菫さんと意気投合を果たして部屋から連れ出すことができれば、三百万円とおよそ百万円の箱を頂戴し、さらに一年間は『旅館 空蘭荘』の一室に住まうことが承諾される。そうすれば事業を興すのも良し、旧友と遊び明かすのも良し、怠惰生活にうつつを抜かすのも良しである。いくらでも人生の挽回を狙える。今まさに私の目前には虹色に光り輝く絢爛な人生の行路が続いている。


 私は廊下の一角で道化師のような卑猥な笑みを浮かべながら妄想を膨らませていたが、あまり膨らませすぎると現実と判断が利かなくなるのが妄想の瑕疵であり、私はまだ手中にあるわけでもない暖衣飽食の幻影を追って階段を上がった。


 空蘭荘は一階に玄関帳場と食堂があり、二階と三階には個室がいくつか設備されている。もしも約束が履行されたなら私は三階へ居住しようと考えていたのである。


 三階も二階と変わらない構造であり、私は部屋の引き戸を一つ一つ開けてみて中の様子を確認していった。左右反転しているだけで何ら変わらない間取りが二部屋ずつ続いているが、私は夢見心地で朦朧としていたためか「この部屋はいいねえ」「ここは臭いなあ」「狭いぞ、ここは狭い」などと酒に酔ったように部屋を見回した。


 しかし、そんな私の酔いも最奥の角部屋を見た途端に弾けるように消えた。どうやら角部屋は他の部屋と比べて広い構造になっているようであり、それは二階の菫さんの部屋も同様であったのだが、三階の部屋は菫さんの部屋と似ていたのである。というか同様である。菫さんの部屋そのもののようであった。


 引き戸の『すみれ』の文字、部屋の中央に置かれた水玉のカーペット、本棚、学習机、ベッド、二階の部屋と何ら変わらない部屋がそこにあった。


 私は一驚を喫すると、目をしばたたかせた。つまりは旅館内にまったく同じ内装の部屋が二つあるということである。しかし、よく眺めると窓の枠にほこりが堆積していない。どうやらこの部屋は掃除されているようであり、誰かが引きこもっているようすは見当たらない。


 私は何がなんだか分からなくなり、一人であたふたと部屋を行き交った。


 ひとしきり慌てると落ち着きを取り戻して、先ほどの誇りの欠片もない無益な驚きように酷く不甲斐なさを感じた。そして、冷静な頭を駆使して改めて論理的に考えてみた。


 しかし、結果を言ってしまえば、やっぱり訳が分からないのである。


 突然の衝撃に膨張していた妄想に歯止めを掛けられた私は、臆病なチワワのように唸りながら三階をあとにした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
http://www.webstation.jp/syousetu/rank.cgi?mode=r_link&id=5925
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ