第十七話 私ってどうしてこんなに計画性がないんだろう?
サブタイトルが物語る通り、もはや疑問は己の性質へ向けられる羽目になった。理由はまごうことなく一つ。
最終回がやってこない。
十五話での哀愁を漂わせながらの決め台詞が馬鹿みたいではないか。
女将さんは自らの過去を自嘲気味に吐露して、「だから、あなたが似非カウンセラーだろうが初心者カウンセラーだろうが、私には関係ないわ。とにかく私の勝ちだもの」と狐のように笑った。
私はかみなりに打たれたような顔をした。
「な、なぜ似非カウンセラーだとご存知で?」
まさか、菫さんが内通しているわけではあるまいと青筋立てて言った。
「馬鹿ねえ。部屋に『初心者 心理学』なんて置いて帰ったら嫌でも気付くわよ」
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菫さんの部屋はもともと三階の角部屋であったが、計画を実行するにつけ、よりカウンセラーを欺くために引きこもりだと看取させる舞台を設備する必要があった。ゆえに、二階に瓜二つの部屋を模倣し、さまざま中古家具を探し求め――とはいえ三階の部屋のものと酷似している――古臭い家具を揃えた。つまり、かの部屋で幾重に感じた古めかしい雰囲気とは、再び使用されることとなった中古家具の放つ古めかしいオーラからきているものだと思われる。
そして、カウンセラーが訪れる時分になれば菫さんを二階に移動させ、カウンセラーが帰宅したあとは普段の三階の部屋に戻すという手段を駆使していたという。
そして、私が帰宅した二階の部屋で女将さんは『初心者 心理学』を見た。
当時は借金返済もままならなかったくせに、人工的にほこりまで堆積させ、なんと道を逸れた金の使い方だと私は呆れる他なかったが、女将さんのカウンセラーに対する執念とは私が推し量りえぬものだと感じられた。
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「ほこりっぽい部屋で寝泊りするのは菫が嫌がるし、どうせなら二階に専用の部屋をつくってしまおうと思ったのよ」
女将さんはそう言って、首を斜めにして微笑んだ。
食堂のガラス戸は外界の闇に黒々としていて、目を凝らすと峠からの町の情景が眺められた。砕いた飴玉を振りまいたような街の電燈が、両脇の木々に切り取られて見えている。
「言っておくけど、野高組に契約書を譲渡した時点であなたの人生は闇に呑まれたと同じよ。契約内容の改ざん、高金利、脅迫、拷問。あなたは余生を野高組の魔手に震えながら過ごすしかないわよ」
私は絹ごし豆腐のように白々として、ぼんやり女将さんを見つめるほかなかった。すると、女将さんは私のふところを指差すと、目を据えて言った。
「そもそも、その『初心者 心理学』ってね。私が書いた物よ」
「えっ」
私は『初心者 心理学』を取り出すと、そんな馬鹿なと表紙を凝視した。
「『楽さとみ』っていうペンネームあるでしょ。それ逆さにして見てよ」
私は言われるがまま逆さに見た。
らくさとみ。
みとさくら。
私は驚いて目をしばたたかせた。
確かに水戸桜である。
私が仰天していると、女将さんは回想するように視線をそらした。
「カウンセラーの夢は駄目だったけど、知識だけは抜群に蓄積してたから、本は売れたわねえ」
私には理解し得ない不可解な感情が込み上げてくるのが感じられた。私が金目当てで来訪した旅館の女将は、はなっから私を騙していて、それで担当した菫さんは元々は女将さんに背後から操縦されていて、必死に頼っていた『初心者 心理学』も女将さんが執筆したもの。
全てが女将さんの手の平で行われていた事であり、私はそこでひたむきに小さく無意味な八面六臂をしていたことになる。そもそも、女将さんは借金返済ではなく、その『手の平で憎きカウンセラーを踊らせ、自分の方が長けていることを証明する』が目的であった。私はあえなくそれに捕らわれた。
つまり、私は始終に亘り踊らされ、こうなることを余儀なくされていたことになる。そうすると、菫さんとした将棋や、鼻歌を吹かした帰り道や、高校生活よりも充実していると感じた高揚、菫さんからの罵詈雑言コレクションまで、すべてが嘘であったように思えた。私には、それが無性に悲しく感じた。
「あんたらの思惑通りにはならんぞ。断固として、だ!」
私は憤って足元の風船を割るみたいに、地面を踏み鳴らした。
「あらあら、ですってよ。野高組のお二人さん」
女将さんは、もはやこうなる事まで心理操作したかのように得意げな顔で、蚊帳の外であった野高組の二人に声を掛けた。すると、きょとんとしていた二人は魂が戻ってきたかのようにハッとすると、私に近寄った。
突如、大樹の表面のような顔をした男が、豪奢な指輪を装着した拳を振りかぶり、私の顔面を思い切り殴った。私は背後の長机ごと倒されると、力なく床に尻をついた。じんじんと脈打った頬を押さえて、立ちはだかる野高組の男らを震えながら見上げた。
私のつぶらな瞳を技巧した上目遣い攻撃をしかければ、そのかわゆい風貌にどんな人間も同性異性の分け隔たりなくメロメロになるものだか、「おまえが犯罪に手を染めても、その上目遣い攻撃をすれば裁判官は直後に『無罪』を掲げるだろう」とまで心の中で賞された攻撃も、もはや野高組への効果は見られない。
次は俺の番だとでも言うかのようにサングラスの方が前に出て、私の胸ぐらを掴み無理やり立たせると、さらに拳を振りかぶった。
私は殴られる直前に女将さんのほうを見た。しかし、彼女は「そこまでしなくても」というよりは「もっとやれ、もっともっと」というような顔をしていた。もう、かの優しき女将さんは秋の虚空へ散ったのだと思われた。
「悲しい人だ」
私は最後にそう呟くと、近来に訪れる痛みの衝撃にそなえるため目をつぶった。
「やめなさい!」
突如、部屋に大音声が響き、何事かと目を開くと、眼前に直撃ぎりぎりの宙でとまった拳があり、その拳の背景に仁王立ちする菫さんがいた。
そろそろ完結しそうなので、未だに不鮮明な点や疑問などがありましたら、酷評・批評・非議・難詰などを添えて容赦なく感想に送りつけください。