第十五話 市場にメリケンサック…・・・!?
次で最終話となる予定である。
ここまで辿りついた読者の皆様。かくのごとき駄文の掲載を許した管理者様。雨にも負けず、風にも負けず、雪にも、夏の暑さにも負けなかったパソコン。そして、それらにことごとく負けながらも執筆した私。
おつかれさま。
女将さんはこの期に及んでも優美な笑みを崩さず、語調は相変わらず和らいでいた。腹をくくった私にゆっくり歩み寄ると、急にかがみこんで紺色のファイルを手で拾った。
「女将さん、あなたは早急に菫さんへの束縛を解くべきだ」
私は力いっぱいに説諭するが、女将さんは耳栓でもしているかのごとく気に留めていない。
武美山の木々の間を抜けてきた秋風のかたまりが、ふもとに滑り落ちて旅館にぶつかった。旅館の側面に添うように風が吹き荒び、窓ががたがたと音を立てた。窓に隙間があったのか、隙間風が食堂に侵入して黄色い遮光カーテンを天井まであおった。ぴゅうと笛を吹いたような音が耳に響く。
机上に散らばっていた契約書の数々は風に舞った。その光景はあたかも公園に窮屈に肩を寄せる数多のハトが何かに驚いていっせいに飛び立ったかのようだった。
やがて、契約書が床に舞い落ちると、女将さんは口を開いた。
「残念ね。せっかくうまくいってたのに、菫が計画を喋ったのね?」
「そうです。でも菫さんの選択は正しいと思います」
女将さんは紺色のファイルを開いて視線を下に落とすと、ため息をついて「それで、私を改心させようってわけね」と呟いた。
されど私が黙り込んでいると、オルゴールのように淑やかな声で長々と喋りだした。
「あの子にも困ったものだわね。昨晩も説得しておいたのに……。でも、あなたもどんな手を使ったのかしら? 今までも計画に反抗することはあったけど、計画内容を漏らすことなんてなかったはずなんだけど」
女将さんは椅子を引いて腰を下ろすと、紺色のファイルを懐かしそうな目で見下ろした。
私は憤激を要した。この人はまるで罪悪感がないのだと頭を沸騰したやかんのようにぷるぷる震わせた。ファイルのページ静かにめくる女将さんの表情からは、自分の娘を借金返済の道具としても一切の気を回さないように感じた。
「あんたねえ! いい加減にするべきだ!」
とうとう我慢ならなくなった私は、A4のノートを長机に叩きつけると、大股で彼女に歩み寄った。
「あらあら、情けない男ね。どうせ積み金を取られるのがいやで躍起になっているんでしょ? でも、契約から逃れようったってそうはいかないわ」
彼女はそう言うと、「もう出てきていいわよ」と暖簾に向かって声を掛けた。すると、肩幅の広い黒スーツの男ら二人がずかずかと食堂に侵入してきた。あまりにも体格が大きいので世界でも有数の二足歩行する熊かと思った。片方はワックスで固めた髪にサングラスをかけていて、もう一人は深いしわのある大樹の表面のような顔をしていて、豪奢な指輪をたくさんはめていた。
私が固唾を呑んでいると、彼女はおぞましいほど不気味な笑みを見せて、手の甲を返すと男達を紹介した。
「この人たちは、野高組の知り合いでね。毎回カウンセラーの書いた契約書を譲渡しているのよ」
野高組と言えば浅木町の裏世界を取り仕切る暴力団組織であった。彼らが「大根はまずい」と裏で囁くとたちまち市場から大根が消え失せ、はたまた「メリケンサック最高」と阿呆なことを言うと市場に大量のメリケンサックが陳列したという。その影響力はいずこから湧き出るものなのか定かでないが、浅木町の黒い歯車とよばれた野高組の幹部は未だ健在という。
その警察すらおののくと言われる野高組の二人はふところから一枚の紙を取り出すと、私に突きつけた。
「これは、おまえが書いた契約書だ。賭けに負ければどんな手段を駆使してでも金はいただくから、覚悟しておけ」
私は急な展開を呑み込めずに彼女と野高組の男らを交互に見た。彼女は私が恐慌をきたしたのだと思い、うふふと声を殺すようにして笑った。「馬鹿な男で良かったわ」
しかし、幾重に菫さんの強烈な罵倒に身を打たれた私がそんな簡単に精神を屈するわけがない。ゆえに、かくのごとくキレのない罵倒は綿菓子で殴りつけたほどにしか効果はない。むしろカモン罵倒。
私は拳を固く握ると、偉そうに驕り高ぶっている野高組の二人に言い放った。
「賭けなど私の負けで結構! 不況の波にことごとく浚われるような小さき積み金などくれてやるわ! むしろ無くなったほうがせいせいする!」
さすがの野高組も私の踏ん反り返った態度にはたじろぎ、「頭おかしくなったのか」「発狂したか?」と顔を見合わせた。
「じゃあ、賭けは私の勝ちね」
女将さんは私が喚くのをやめると、妙に勝ち誇った表情でそう言った。
私は、あえなく無視すると、女将さんにも言い放った。
「女将さん! 借金ならば私が肩代わりする! 一生賭けてでも返済する! だからこんな所業からは足を洗ってくれ!」
私は半ば言い過ぎたか、とさっそく後悔しながらも説得を続けた。「そして、菫さんを解放してほしい!」
しかし、私は久々に自分の度胸を感心した。