第十四話 七人で一ページが埋まるとは、A4にあるまじき
さあさあ、残り数話で完結ではないですか。
うきうきしますなあ。
木目の通った廊下を抜けて、みしみしと体重を支える階段を下り立った私は、女将さんの気配に意識を張り詰めながらゾンビゲームの舞台のような粛然とした雰囲気のなかを奥へ奥へと突き進んだ。窮屈な廊下を肩をすぼめて前進すると、先に橙色に長く暖簾が垂れていた。
暖簾を手で分けくぐると、そこは小規模な食堂であった。前面白銀のオープンキッチンは綺麗に手入れされていて、ほのかに煌めいていた。食堂内には三つの長机が並べてあり、椅子が不規則に置かれてあった。
三つのうちの真ん中にあたる机上にはテーブルクロスのように散らばった紙のうえに、紺色のファイルと電卓、A4サイズのノートや布地の筆箱などが無造作に置かれていた。まるで、誰かが作業をするうちに突然シャボン玉のごとく消えたような情景であった。
武美山のふもとの方からカラスが鳴く声が聞こえ、どこかそれが卑劣な声音に感じた。うっとうしいというように、手汗を頬でぬぐう。
私は見えない何かに体を押されるようにして、長机のそばに寄り机上を覗き込んだ。すると、テーブルクロスのように広がった紙の数々にはそれぞれ契約書という文字が一律して書かれてあった。
足元を辿って背中まで小動物か何かが這い上がってくるような、そんな不気味な気持ちが身体を駆け、私は息を呑んだ。まだ、逃げてはいけないと自分に説得して、そのままA4のノートをすくい上げた。
何か、ノートを持つ自分の腕が自身のものではないような気がして、得体の知れない感覚に囚われた。それでも構わず眼前でページを開くと、そこには見に覚えのない他人の名前が連ねてあった。
森田武、花見憂、田上真菜、小泉連二、徳井真理子、羽島悠輔、増田紀夫、その名前たちで一ページは埋められ、その名前たちの横には詳細不明の金額が書かれてあった。
そして、次のページをめくるとそこには初めの行に名前が一つだけあった。
それが私の名前であることに気がつき、私は仰天した。
しかし、金額は未だ記入されておらず私は「もしや」と、か細く呟き机上の電卓に手を伸ばした。力強くキーを叩き打ち、一ページ目の金額を合算した。最後の金額を加算し終えると、その合計はちょうど三百万だった。
初め女将さんに提示された御礼金の額と同じである。あの椿の箱に入れられた多額の札束はまさか。そう思い、硬直した。
女将さんの目論見はすでに菫さんから教えてもらったが、曖昧だったその非現実的な面が、ついに実態になりつつあると、底知れぬ恐怖が呼び起きた。肌がぴりぴりと痛み、どくどくと血流が音を立てた。
「あら? カウンセラーさん、そこで何をしているのかしら」
「わ、わわ!」
無意識のうちに背後から声が聞こえ、私は驚きのあまり振り返ることもままならず足を滑らせ床に転じた。その拍子に長机が私の身体に押しのけられ、ぎぎぎと音を立て床を引っ掻いた。そのせいか机上から紺色のファイルが落ちて床で開いた。
開いたページには写真が挟み込まれていて、その中には白衣を着た若かりし頃の女将さんの姿があった。友人数名と肩を並べて、どこかの公園の噴水前でポーズをとっている。今や後ろで束ねた長髪は風になびいて茶色に映えていた。
「さあて、どうしてくれましょうか」
声に呼ばれてそちらを向くと、写真の中の笑顔とは、ある種違った笑みを浮かべる女将さんが立っていた。
「あ、違うんですこれは――」
私は慌てて身を立て直すと、繕うように声を荒げた。しかし、言いよどむと一人で頷き「いや、違いませんか」と呟いた。
暫時、食堂にはしつこいカラスの鳴き声だけが響いた。
「もう、かくのごとき所業は改めるべきです」
私は手に持たれたA4のノートを突きつけた。
「菫さんの悲痛を代行し、あなたを善導します!」
むくっと立ち上がった私の眼前で、女将さんはむすっと笑った。