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第十三話 自然発火的な狼藉とは表現に無理があるかと……

ついに工事が終わった。

いや、終わってしまったと言うべきか。


コピー&ペーストを多用できた淡々な工事作業は極楽そのものであった。


「ああ、またむざむざキーボードを駆使せねばなるまいか」


小説書きになって早々三年弱、作者は今さらそんなことを嘆いている。


「女将さんは、どんな専門学校に通っていたのかな」


 私が天井を見上げて訊ねると、菫さんは「知らない。訊いても『どうせ、私の苦しみなんてアナタには解らない』って怒られる」とぶつぶつ言った。


 女将さんの事を訊ねると菫さんは機嫌が悪くなり、一触即発の危うい空気が漂った。どうやら、私が見てきた淑やかな女将さんは幻想になりつつある。きっと、彼女は世紀末覇者も恐慌をきたす腹黒さを隠しているに違いない。


 菫さんがあんまり不機嫌そうに私を睨むので、意識を逃がすように視線を泳がせた。すると、ちょうど時計が視界に写った。午後五時だということを知った。


「そろそろかな」


 私は立ち上がると、千鳥足のごとく部屋を横断して窓辺の将棋盤を取った。すると、宝石箱を開けたかのようにオレンジの光りが窓から射し込み、部屋に反照した。


「何がそろそろなんだ」


 菫さんは眩しそうに目を細めると、ベッドから少しだけ這って縁に座った。


「ふふふ、ついに菫さんに開花をもたらす不屈の計画が実行されるということだよ」


 私は人差し指を空中に突き上げて、誇らしげに声を張った。


「なんのこっちゃ」


 菫さんは首をかしげて髪を揺らした。


 私の決意は固かった。どうせ積み金など大方皆無であるので、数万渡して潔く上辺飾りの男で余生を過ごすのも悪くはなかった。しかし、それでは菫さんは閉鎖空間に取り残されたまま女将さんに操られっぱなしである。


 私は、菫さんが私に胸中を吐露してくれた意図を理解しているつもりである。


「菫さん、私とここを出よう」


 煩悶するかよわき少女の心の内に歩み寄って上手いこと賭け勝負に勝ってやろうなどという所存はない。ひとえに常闇に囚われた彼女を助け出そうと思っただけである。ゆえに、旅館の所有権などを掌中に収める執念は秋の虚空へと散っていた。


 菫さんは目を剥いて驚き入った。開口して何か発言を試みようとするが、何も言葉が出てこないようであった。私はそれを看取して喜ぶべきか嘆くべきか悩んだ。なぜならば、菫さんの絶句は嬉々としてのものなのか、はたまた呆れからなのか、私には判断しかねたからだ。


 夕日が武美山の山肌に身を沈め、夕映えたオレンジの部屋がすっと暗くなった。


「正気か、蛙」


 暫時あり、菫さんは腹の底から絞り出すような声を上げた。顔はこちらに向いているが、視線は焦点が合っていなかった。


「菫さんが承諾するなら。もっぱら正気だよ」


 私は窓枠に堆積したほこりを指でなぞった。指先にほこりの塊が付着し、なぞった跡には白い木肌があらわになった。


 私は窓を開け放つと、少し悪戯な笑みを菫さんへ向けて続けた。


「君のような、自然発火的な狼藉に及ぶ小娘は、私だけでは手の施しようがないからね。世間の寛大な社会人たちに任せて然るべきなのだよ。そのためには、この部屋を早急に出て行くべきだ。君は、閉鎖空間で立派に成長していたんだからね、もっと広い自由な世界に身を置くべきだと思うよ」


 窓の外に向かって指先のほこりに息を吹きかけると、ほこりの塊は散り散りに外界へ流れ、広い秋の空へ浮かび、遠くに消えていった。それを見ながら私は「自由な世界に」と繰り返した。


 振り返ると、菫さんは気恥ずかしそうに肩をすくめていた。固く結んだ口元は、いまにも罵倒が飛び出るかのようで、また涙を堪えているようにも見て取れた。うつむき気味なので目元が前髪で隠れている。


 不意に、その前髪の陰から水滴が頬を伝った。


「馬鹿な蛙だな、本当に」


 菫さんはそう呟いたきり、身を翻してベッドに伏した。


「どうせ、どこにもいけない。私は、あの人がどうしても恐い」


 私は説諭しようとして、口をつぐんだ。


 菫さんは、一年間も閉鎖空間で己の意思も儘ならぬ生活であったのだ。全てが母親の指示通りに操られた行動。当然のこと母親への信頼や尊敬はなくなり、残るのは恐怖と嫌悪だけである。菫さんは自分の存在意義に疑念も持ったはずである。私は借金返済のためにこき使われている。もうお母さんは私に愛情の一切を向けていないのだろうか、と。


 私なら、とっくに発狂している。


 引きこもりだから、陰湿で扱いにくいとか不潔で低俗だとか、そんなことは似非カウンセラーなどをやっている私が所思できるものではなかったのだ。菫さんは私なんかより果てなく立派であった。ゆえに助けるべきである。


 支配を続ける者に恐怖を抱くのは当たり前であるが、私はそれでも食い下がった。


 私の眼には、彼女が流した涙は漠然と嬉し涙に映ったからである。


 しかしその後、菫さんが枕に埋めた顔を持ち上げることはなかった。


 ただ、こうとだけ言った。


「午後五時だから、あの人は買い物に出掛けてる」


 合点承知の助、そう言いおどけて、私は部屋を抜け出した。


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