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第十一話 はたして工事をした影響はあるのか


 翌日、私は朝早く目覚めたが旅館へ足を運ぶべきか否か、なかなか決心が固まらなかった。昨晩のことが私の脳裏に焼きついていたからである。しかし、ここで逃げ出せば今までの努力が水泡に帰すと自分に言い聞かせて、正午を回った辺りで旅館へ足を運んだ。


「また来たのか」


 そして、菫さんの部屋に入るなり言われた台詞がそれであった。


 ベッドの上で腹ばいに少女漫画をめくる菫さんは、私に見向きもしない。


 出窓の枠には将棋盤が立て掛けられ、遮光している。そのせいか薄暗い室内は悪鬼の住処のような雰囲気であった。昨日は「またいつでも会いに来い」とおおらかな態度であったにも関わらず、菫さんは眼中に私を捉えることすらしない。


「あはは、将棋を教わりにきたよ」


 菫さんの一貫性のない態度に呆気をとられた私だが、滅入らずに窓辺に歩み寄り、将棋盤に手をかける。


「もう、将棋はしない」


 あんぐり口を広げた私の前で菫さんは背を向けるように寝返りをうった。


 女心と秋の空とはよく言うが、先日まで私の将棋人生に幾重の詰みをもたらした少女の台詞ではない。態度が一変していることは明白である。化粧もしていない。


 私が彼女の気を損ねるような不用意発言をしたのかと思い巡らせたが、そんなことはない。 


「え、どうして?」


 私が訊ねると菫さんは即答した。


「飽きた」


 しかし、どこか声が震えていて真意とは認めがたい。何だかその台詞の先に悲哀な感情が渦巻いているような感覚を受け、哀愁が漂った。


 やがて室内が沈黙に埋もれると、私は昨晩の事を思い出した。


 闇に没した長い廊下の先に、淡い灯りが漏れている部屋がある。そこからは言い争う声が延々と聞こえ、私は耳を澄ませる。


――私はお母さんの操り人形じゃないんだよ。


――それはお母さんの都合でしょ。


――もう、うんざり。


「菫さん、お母さんから引越しのこと聞いてる?」


「何のことだ? 知らん」


 菫さんは漫画を閉じると、かたわらに放った。そして、掛け布団を手繰り寄せると、頭まで被りこんだ。


「眠い、出て行け」


 当初ならば涙を浮かべて逃げ出した私だが、今回は足を釘で固定したかのように動こうとしなかった。何より菫さんの台詞に気迫が感じられない。獅子をもおののくだろう罵倒の数々は一向に出てこない。


 ふと、背後の学習机に目をやった。そこには、中学校の卒業アルバムや教科書が窮屈に肩を並べてほこりをかぶっている。私は、布団に包まる彼女に気を配りながらも卒業アルバムをそっと抜き取った。


 何かに取り憑かれたように表紙に手を掛けると、適当なページを開いた。すると、そこは三年C組のクラス写真のページであった。菫さんの顔を探すが、見当たらない。一ページ戻って三年B組を見てみる。


 そして、一律に並ぶ顔写真の中に水戸菫の写真を発見した。


 これを撮る前に何があったのかは検討もつかないが、菫さんは笑っていた。私の知りうる菫さんの表情を全て排しても、こんな笑顔は見当たらない。


 私は、取り巻いていた哀愁が熱く滾るのを肌で感じた。菫さんのかくのごとき笑顔が高校受験により消滅してしまうものなのか。もっと、重大な何かを見落としているような気がしてならなかった。


「一つだけ、質問にだけ答えてくれないかな。そうしたら出て行くよ」


 私は卒業アルバムを丁寧に学習棚に押し込むと、そう言った。


「ずうずうしいな」


 菫さんはそう言ったきり喋らなくなったが、私は構わず質問をした。


「初めて会った日に『高校受験に落ちたのがきっかけで引きこもってるんだと思ってるでしょ』って言ったよね。それって他に引きこもってる理由があるんじゃないかな」


 動揺したのか、布団のなかでごそごそと菫さんが身体を揺さぶった。


 どこか遠方で鐘が鳴り、室内にやさしい反響を起こした。その鐘がやみ、余響も聴こえなくなると菫さんはゆっくり答えた。


「私はそもそも高校受験をしてない」


 しばらくして、そう返答が聞こえた。


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