第八話
調査は慎重に行われるべきだ。この危険区域においては特に。そんなことは誰もが分かっていることだった。しかし、レオの進む足はとても早い。何かを急いでいるような行動に、セラは一喝する。
「レオくん。足並みを揃えてちょうだい。はやる気持ちは分かるけれど、慎重になるべきよ」
レオは一瞬足を止める。分かってると呟くが、自然と足が早くなる。仕方なく一行は足を少しだけ早める。歩きながら周囲を警戒する中、フィアンは見回しながら言った。
「ここ、不思議なところだねー。生えてる木の背が高い。木と木の間もすっごい広いし。草とかは普通だけどさ。なんか自分たちが小さくなったみたいに感じる。みんなで横に並んでも普通に歩けるもんね」
アイラは早歩きにがんばってついていきながら、この森について知っている情報を話す。
「ここには元々一本の大木があったらしいんです。その一本は魔力を潤沢に蓄え、その根を伸ばしました。時が経ち、他の木も周囲に生えたのですが……魔力や栄養をほとんどその大木に取られてしまったらしいんです。
高い大木は太陽さえも遮りますから。他の植物が育つのは困難だったそうです。ですから他の木は同じ戦略を取ることにしました。同じように大きく。それでいてできるだけ干渉しないように距離を取って。けれど少しは被せて相手から栄養を奪い取った。それを繰り返した結果このような森になったんだとか。一説ですけどね」
バーッと一気に話し終わるとアイラは疲れを見せた。息切れを起こしたのを見るとセラは立ち止まる。歩こうとするレオを呼び止める。レオはこんなんで疲れてるんじゃねぇとアイラに怒鳴ったが、それをセラに叱られる。乱しているのはあなたの方だと。大事な手がかりを見逃していたらどうするのか。レオは強くあたるように分かってるよと吐き捨てた。
レオはドカッと大木に背を預ける。正常な判断はできていない。強く強くと呪いのようにレオを縛る。シャーリーのキス。そして両親に言われ続けた言葉達が反芻し、トラウマのように蠢いている。定期的に、そしてまるで目の前で言われたかのように……その言葉が浮かんでくる。アイラはごめんなさいと呟くがレオには聞こえていない。レオはずっと一人の世界に入り込んでいた。
――少しの休憩のあと、また歩き出す。魔力が濃くなっていくことで緊張が走る。セラはたった一日のこの距離で異変を感じるというのは想定外だった。この子たちをどう逃がすかを考えていた。セラは自分一人で戦わなければならないと自分に言い聞かせる。退路を確認しながらレオのペースに合わせて歩く。
魔物の唸り声がレオの耳に入る。低い音を響かせるそれは二本の黒い角を有していた。四足歩行型でよだれを垂れ流している。大木に角をこすりつけており、こちらには気づいていない様子だった。
セラが下がっていなさいと言おうとした瞬間だった。レオが飛び出す。奇襲をしかけたレオ。だが魔物はレオに気づくとあっけなくその剣を角で弾いた。
レオは弾かれた直後、魔物近くの大木を足場に、魔物の上へと駆け上がる。その魔物の上空へと移動し、自由落下で体重をかけるように剣を突き刺した。だが肉に入ってから数センチのところで剣がそれ以上進まなくなる。
魔物が痛みによって暴れ、レオは遠くへと投げ出される。それでもレオは怖いもの知らずかのように剣を向ける。魔物がレオを睨んだ瞬間だった。魔物の首元に矢が突き刺さる。魔物が矢の主を見ようとした瞬間、振り向いた軌道の先で、ガナードが盾を構えており衝突。その衝撃で魔物はぐらつき、混乱する。レオは駆け出し、魔物の首に剣を突き刺す。魔物はさらなるガナードの追撃もあり、息を引き取った。
レオは喜んだ。倒せたと。やっぱり強くなったと。強く。
――次の瞬間、セラに首を掴まれ地面に押し付けられる。呼吸ができずセラを睨む。だがセラもレオを蔑むように睨んでいる。
「約束を破ることが……あなたの冒険者としての信念なのかしら」
「がはっ、ッ……勝てたんだから、いいだろうが」
「そうね。ただの雑魚だったから良かった。だからなに? 荷物持ちが出しゃばらないで」
「は……? 俺が弱いってのかよ!」
「そうよ。弱いわ。心も強さも。足手まといで仕方ないわ。私はあなた達を守る義務がある。私の責任になるのよ。勝手に突っ込んで死んだとして。あなたは良くてもこっちにとっては大迷惑だわ。冒険者だから命を粗末にしていいわけではないの」
「うるせぇ!!」
レオはセラを蹴り飛ばす。セラの手が緩んだ瞬間に抜け出して、そのまま走りだした。強くなること。呪いのようにまとわりつく。敵はどこだ。倒す、倒す。そのことしか頭になかった。
――逃げ出したレオを、セラは追いかけなければならない。だがフィアン達もいる。魔物の処理をせずにすぐに追いかけると全員に指示を出す。フィアン達は同意し、走っていったレオの行方を追った。だがアイラの体力の低さもあり、だんだんと距離が離れる。結局……レオとフィアン達は完全に、はぐれてしまった。
レオが混乱していたとしても睡眠は取るはず。そう考えたセラは現状の最適である仮眠程度の休憩を提案した。
みんなが仮眠をする中、セラは眠れずにいた。心配で仕方なかった。誰にも死んでほしくない。その思いでやってきたのに。アマサカが話しかける。
「後悔しているのか?」
「……えぇ。言葉選びを間違えたわ。もっとやさしく諭すべきだった。自分への責任もあるから言葉がストレートすぎちゃった。私の落ち度ね。未熟な相手に責任を押し付けるわけにはいかないもの」
「お前は正しいのかもしれない。だがな。正しければいいわけでもない。星の数ほどある正しさの内の一つにとらわれるのは、勿体ないと思うがな」
「ふふっ。じゃあどう言えば正解なの?」
「未熟もまた責任だ。つまりはどっちも悪い。それを自分だけが悪いなんて考えるのは息苦しいだろう」
「あははっ。なにそれ。そんなの許されないわよ。私はAランク冒険者。責任が伴うの」
「責任を伴うのはあいつも同じだ。今は休め。俺が起きておく」
「そんなこと言われても、簡単には眠れないわよ」
ぽすっとセラは隣のアマサカの肩に頭を乗せる。アイラがいいのなら自分だっていいはずだと。ゆっくり目を閉じると、数分も立たぬ内に眠りへとついた。
――それから日が昇る。レオは時々仮眠しながら歩いていた。魔力が濃すぎて中心地がわからない。苛立ちを込めるかのように足跡が強く残る。ひたすらに歩いていたときだった。コツンとなにかが足に当たる。
「チッ。なんだよ、木の根っこにでも引っかかったか?」
冒険者の胸当てだった。これに気づかないほどに視野が狭くなっていた。それに手を触れる。内側にはなにもない。傷もほとんどない。つまり戦闘をしていないか、丸呑みされて鎧だけ吐き出されたか。周囲を見るとその防具達や武器は多く転がっていた。どれも傷がない。それだけ大きい魔物なのだろうか。
レオは考察をしながら鎧やヘルメット、武器を一つ一つ観察していく。武器にすら傷がない。不思議に思っているとギルドカードを発見する。どれもランクの低い冒険者ばかりだ。中にはBランク冒険者のものもあったが一枚だけだった。そして次に手にしたギルドカードにはコネットの文字が。
「……間に合わなかった。もっと早く来てればもしかしたら」
そんな奢りともとれる発言をしていたレオに影がかかる。レオが見上げると二足歩行型の魔物がいた。知性があるようには見えない。毛皮に包まれ、ヤギのような顔。足の先から爪の先まで重厚感のある肉体。簡単にレオを丸呑みできるようなサイズ感。それは鼻先をレオに近づけ、匂いを嗅ぐ。
レオは戦う意思すら奪われていた。かすり傷ですら負わせられないと感じた。強くなったと思い込んでいたと今更になって反省する。この大きさを予想していなかった。そもそも二足歩行型の時点でイレギュラーだ。報告では四足歩行型の魔物が二体だったはず。見たこともないその魔物に怯え、食べられることを待つしかなかった。
なぜ想定外の状況になったか。それは一体の魔物が同じ縄張りにいた別種のもう一体を食べたのだ。結果進化が発生し、二足歩行型となった。その固有種の名をモルガル・ホーン。その報告がギルドに伝わらなかったのはとても簡単な話だった。誰も生き残れなかった。
レオの頭の中に弱いという呪いの言葉が流れる。歯を食いしばり剣を握る。圧倒的実力差。両親から植え付けられた言葉はこの絶望を前に、無謀にも剣を向けるという選択をさせるほど強いものだった。逃げるという命を守る選択ではなく、戦うことを選んだ。
「ただで死んでたまるか! 俺は! 弱いままじゃいらねぇんだよ!!」
レオの剣がモルガル・ホーンの鼻先に剣が突き刺さる。モルガル・ホーンは痒かったのか頭を振り、くしゃみをする。その音は大地を揺るがし草木が揺れた。カタカタカタッとレオの剣が震える。それでもその手は剣を離さない。
大木を影にしながらレオは剣を向けていた。モルガル・ホーンは不思議そうに獲物であるレオを捉えていた。モルガル・ホーンは遊ぶように追いかけ回す。レオの足がもつれてころんだときには何もせずにモルガル・ホーンはレオが起き上がるのを待った。屈辱的だった。
「かかってこいよクソ!」
一刻も経たない内にモルガル・ホーンはこの遊びに飽きてしまった。さっさと食べるかと、指先で大木にデコピンをした。地面が揺れるとレオの足が固まる。振動で動けなくなったのだ。モルガル・ホーンの左拳がレオへと迫りくる。
――死んだ。レオがそう思ったときだった。ガナードが間に入り、盾でガードした。盾はたった一撃で粉砕され、屈強なガナードでさえ全身の骨のあちこちにヒビが入る。同時にレオを庇うように抱きかかえる。レオは勢いを殺してもらったこともあり、打撲程度で済んだ。
フィアンの弓がモルガル・ホーンの目に当たる。刺さることはなかったがモルガル・ホーンは目を押さえ、痒そうにこすった。その間にアイラが駆け寄り、治癒をかけたがガナードの傷がひどすぎる。ガナードは一歩も動けない状態だ。これでは退避もできない。
モルガル・ホーンは目を開き激怒した。大木の薄皮を握り割る。それをフィアンやガナード達に向かって高速で投げつけた。
フィアンが吹き飛ぶ。その一部が腹部にあたったのだ。貫通はしなかったが内蔵の一部が破損。フィアンは目の前が揺れ、立ち上がることもできない。ガナードは全身の骨がヒビだらけにも関わらずレオに覆いかぶさった。そのせいでモルガル・ホーンの攻撃により、状態がさらにひどくなる。しかも運の悪いことに、無数の破片の一つがアイラの頭部に直撃する。アイラはそのまま地面へと倒れ込んだ。それでも絶対に杖を離さず、回復フィールドを展開する。意識が朦朧とする中でも、それを続けた。
レオの息が荒くなる。目の前の現実に押しつぶされる。
「そんな、ちが、俺はこんな」
ガナードの覆いかぶさっていない隙間から見えるパーティーメンバーの負傷。心臓が収縮し、そのまま破裂してしまいそうだった。息苦しさが意識を奪おうとする。
「ガナード! 俺のことはいい! 俺のせいだ。だから、みんなをつれて逃げてくれ!」
ガナードはもう歩けなかった。レオを守ると約束した。だがこのパーティーで過ごしていく内に、全員守ると決めた。だが、できなかった。今はこうして肉壁としてここにいることしかできない。アイラのヒールよりも負傷の方が圧倒的に早い。
「そんなっ、いやだ。俺は望んでない! こんなの望んじゃいないんだよ!!」
レオは泣きながら訴えたとき、目の前の光景に目を丸くする。
――視界に入ったのは一人の男の背中。和服の羽織がなびく。レオの耳にうめき声が聞こえた。視線を横に移すと、うずくまるフィアンがいた。遠くに居たはずなのに、いつの間にか運ばれていた。




