第四十五話
アフィスは紙に伝えるべきことを書き終えたあと、紅茶を淹れる。その中にいくつかの砂糖を入れた。口の中がとても甘い。
「最初から人間だったら。盲目の侍女を持ったまま人間の社会で生きていたら……こんなにつらくはなかったでしょうね。魔族でありながら……魔族の世界に居場所がないなんて。ただの道具でしかないわたくしは……道具になりきれなかった。
アマサカ様を好きだから? それもあるでしょう。でもそれだけではない。彼らを見ていて、羨ましいと思った。アマサマ様やレオ様たちと会話をしていたあの空間。感情の豊かなそこはわたくしにとって、とても……居心地が良くて。そしてセラ様の最後のあの顔……それを見た時、わたくしの心は、死にたがった。目を背けたくて」
自分の知らなかった感情を整理していく。自問自答を言葉にしていった。そしてカップを口につけた時、何も流れてこなかった。紅茶が空になったと気づいたアフィスは口を閉じた。自分の未来は決まっている。死ぬという未来。魔王様側が勝てば当然処刑。たとえ人間側が勝ったとしても、やったことを考えれば魔族ということも相まって処刑。それでも意味があると思うのは、自己満足。
アマサカ様のために魔族を裏切っている。ほんの少しでも多く、価値を与えたい。アマサカ様に匿っていただいているこの間だけは……時折魔族を忘れたい。人間であると嘘をつきたい。
――一方その頃、元Sランク冒険者のジエンに連れられ、フィアンとガナードは南にある彼の隠居場所に来ていた。そこからさらに南へと進む。絶壁だらけの岩肌を持つ山に登らされ、登頂すると雲が下に見えるほどの高さ。瞬間移動で来ることも可能だったが、修行の一環でもあった。
ジエンはガナードに背負われながら、その山頂の景色を眺めつつあることを教えた。
「知っておるか? 南の帝国を囲むように強力な魔物があちこちに生息しておる。それでも南の帝国が栄えているのは南のSランク冒険者が化け物レベルだからじゃ」
ガナードは首を傾げた。突然なんの話をしているのだろうか? という表情だ。ジエンは気にすること無く続ける。
「ここの崖下にはバカみたいに火力の高い岩の巨人がおる。視界に入ると攻撃をしてくるだけの単純な魔物じゃ。その巨人の攻撃を丸一日耐え続けよ。二十四時間耐えられぬのならまた次の日も繰り返しじゃ」
白い鳩が空から舞い降りてくる。全身に魔法の文字が浮かび上がっている。この鳩が監視をするということだろう。
「というわけじゃ。一旦おろしてもらえるだろうか」
ガナードは一度ジエンを冷たい山頂の岩におろした。
「んでふたりとも絶壁の前に立て」
言う通りにするガナードとフィアン。
「そしてそこの小さいのはドワーフを突き落とせ」
ガナードが「なっ!」と振り返り、文句でも言おうとしたのだがフィアンが容赦なく蹴り落とす。
「ぬぉぉぉおおおお!!」
「いってらっしゃーい」
アマサカの信頼している冒険者だったので言われた通りにすればいいだろうと、一切の躊躇なく行動に移していた。
「それで、私はなにをすればいいの?」
「ふむ……」
ジエンは片足で地面を叩くと大量の岩がいくつも重い音を立てながら棘のように突き出た。そして石でガリッと少し大きめの円を描いた。そこに何やら文字を入れると、その円は大量の岩の表面を高速で移動し始めた。ジエンは指を向け、あれに矢を当てろと言った。
「正直お主の場合、魔法陣を使って直接転移というのは時間がかかりすぎる。むしろ特技を生かして矢と位置を入れ替える方がよいじゃろう。寸分たがわず当てられたらマークは止まる。この瞬間移動という方法は中途半端じゃと入れ替えられたものが悲惨な目にあうからの。例えば片足が地面に埋まったままだとか」
「こっわ」
フィアンは軽く準備運動をした後、弓を引いた。そして狙いを定めて放つと一発でそのマークを撃ち抜く。ジエンは感心していた。
「ほぉ……やはり弓の技術は相当なものか」
するとマークがより小さくなった。ほんの点。しかも速度が上昇。
「はっ?!」
フィアンは視線を素早く動かし、それを追うがさすがにフィアンでもそれを撃ち抜くのはそう簡単ではない。何度も、何度も外す。ジエンは言った。
「当てることができれば、次はこれの数が増える。最大三つじゃ。一秒以内にすべてを撃ち抜かんと復活するから頑張るのじゃぞ」
そしてジエンは鳩の目を通してガナードの様子を見ることにした。
ガナードは突き落とされた後、数千メートルも下の地面に両足で着地。シールドをいくつも作り、それを掴みながら徐々に減速したことで怪我はなかったが、足が痺れて動けずにいた。
目の前には岩の巨人が一体振り返り、ガナードを見下ろしていた。まずいと思ったガナードは即座に盾を構えた。岩の巨人はグラニトスと呼ばれ、この岩山を削って作り上げたとされる逸話まである。そんなグラニトスの一撃を受けた瞬間、全身が痺れる感覚に襲われた。巨大な岩が小さな自分を押しつぶそうとする感覚。
ビリビリッと腕が痛み、走って身を隠すとグラニトスは攻撃をやめ、歩き出した。ジエンの言う通り、視界にさえ入らなければ攻撃してくるわけではないらしい。とはいえ、一撃でもあれだというのに一日? ガナードはとんでもない修行をつけられたと、高すぎる目標に無力感を感じた。
――老人は麓で休んでいた。一週間が経過すると、様子を見るために再び山頂を訪れた。するとフィアンの上達ぶりが凄まじかった。自動で増えるように設定していたため、迎えに来なかった期間でフィアン数十もの点を撃ち抜ける実力を身に着けていた。ジエンは良しと言うと、フィアンはくたびれた様子で寝転がった。
「あぁー。づがれだぁー」
「よくもまぁ一週間も……クマを見る限り、ほとんど寝てもおらんだろ。休む時間も惜しむとは見直した。これからは座学じゃ。小さな物から転移を練習し、段々と人間サイズまでのものを転移させられるようにする。見込みもあるし大丈夫じゃろ」
一方ガナードは、およそ三日間。グラニトスの攻撃を耐え続けていた。最初の四日間は地獄。複数のグラニトスに襲われ、幾度となく吐いた。もはや嘔吐するものが空になるまで。変化が訪れたのは最後の三日間。ガナードは何も考えなくなっていた。あの感覚で攻撃を予測するという能力を鍛えた結果、それがガナードをゾーンに落とし込んだのだ。
繰り返される衝突によってガナードの筋肉はより強固へと成長する。ドワーフという種族が一つの進化を果たすほどに。しかしあまりにも思考を捨てすぎた。無我夢中で自身を守り続ける。
フィアンに座学をする前に、鳩によってその様子を見たジエンは驚愕した。筋肉の質がまるで違う。小さい体でありながら、グラニトスと同等の高度を持つ。流れる魔力は鎧のようにガナードを保護していた。
ガナードを瞬間移動させるとガナードはそのまま直立状態で気絶。危険がなくなったと本能が判断したのだろう。ジエンは心が震えた。こんな逸材が二人も。そこから二週間もの間、残った課題を叩き込む。不完全ではありつつもほぼ完成というところまで成長していた。
その二人がやっと王都にあるギルドの酒場に戻ると、アマサカが驚いていた。目に見えて実力が上がったと判断できたからだ。フィアンはピースサインでにっこにこしながら報告したが、その直後に爆睡。ガナードも同様に爆睡。二週間の追加修行でグラニトスを超える攻撃火力を何度も叩き込まれ疲労困憊でその場に座り込んだ。
「……お前ら、大変だったんだな」
アマサカは片腕でガナードに肩を貸した。せめてソファまでと触れた瞬間、硬すぎて驚く。一瞬人ではなく金属を持ったかと勘違いするほどだ。
「……これは……未来の嫁はどう思うんだろうな。あとで柔らかくできるのだろうか」
――王都の中でセラの死亡による絶望感が抜けない中、ダミアはソートによる指示を受け、南の帝国に来ていた。頑丈な門を越え、石造りの街を進み、帝王と対面する。
「一度あったことが会ったかな。帝王様」
ダミアはそう尋ねると帝王は足を組みながら、ダミアを見下ろした。
「あぁ。お前がまだ弱かった頃にな。ジエンの付き人だったか」
圧倒的な魔力が立ち上っている。視線一つで一般市民を気絶させられるんじゃないかという威圧感。
「それは、私が強くなったと判断してもいいのかな?」
「当然だ。今や同じSランク。そしてレベル五。同等ではないか」
「……御冗談を」
同じレベル五でも実力差が開いていることは重々承知だった。ダミアはソートによる伝言を口にする。帝王はおもしろそうだと笑う。
「なるほど。魔王が復活しようとしている。だから力を貸せ。そういうことか。しかもそちらの王族がこの帝国から王都までの、安全な交易道路を全額持ちで作り上げると? 随分な報酬だな。そちらの軍師は相当言葉を信頼されてるらしい。それだけ魔王が復活するということに確信を得ている」
「そういうことです」
「しかもただの使者ではなく、最高戦力をただの伝言役に使わせる時点で――本気が伺えるな」
ここを断られるわけにはいかない。ダミアは必死に帝王の一言一句に耳を傾け、丁寧に願い出る。
「どうか、お考えいただけないでしょうか」
帝王は少し考えた後、吐き捨てるように言った。
「弱いな。この俺がこの帝国を離れている間、一体誰がここを守るというのだ。我は帝王。この地は常に危険にさらされている。魔族が攻め込んできた時、この帝国が襲われないという保証はない」
「……戦いの時間が分かれば――ほんの数時間、来ていただければと思っています。その間の帝国の安全に当てはあります」
「ほう? 一体どこのどいつらだ」
「ユニオンに存在する全ギルドが警護いたします」
――全ギルド。そう聞いた途端、帝王は笑いが込み上げた。
「はははは! あの掴みどころのない亜人ギルド共を全員だと? 一体どんな取引をしたらそのような戦力を呼び込めると言うのだ」
「……恩だそうです」
「ほう……無償だと?」
「いえ、借りを返す時が来たと」
――現亜人王、エイリーは自分の父がなぜ死んだのか、そして誰が守ってくれたのか、そのすべてをユニオンの民に話した。すでにエイリーの亜人王としての地位は完全に確立されていることもあり、その行為に踏み入った。兵力としての要請に対し、各ギルドで論争が起きた。しかし、リザードマンのドリッグにより、ユニオン最大ギルドがアマサカ側についたことが決め手となった。
帝王はその状況を面白がり、その要件を飲んだ。
「いいだろう。この俺が自国を守るためではなく、他国を守るために立ち上がってやる」




