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第三十七話

 アマサカが目を覚ましたのはそれから数日後のことだった。彼が起き上がると、ずっとそばにいたエイリーが勢いよく飛びついた。再びベッドに押し倒される。そして先程視界に映ったのはもう一人。そのもう一人であるスアリーは泣きじゃくっていた。感情をあまり表に出さないスアリーが泣いているのを見て、アマサカは言葉を失った。彼女は長い不安から解き放たれ、安堵の中で留めていた涙が溢れ出たのだ。



 大切にされているんだ。その実感の言葉が脳裏によぎると、心臓が萎縮したような恐怖を感じる。それでもアマサカは手を伸ばした。スアリーをやさしく抱き寄せると、心配させて悪かったなと謝った。小さくて、暖かくて、ずっと……逃げて放置していたのにここまで自分のことを。


 部屋の入口から棘のある高い声が聞こえてきた。



「ふーん。ずいぶんと幸せそうじゃない。昔の女にデレデレってわけ?」


 フィアンがぷくーっとほっぺを膨らませながらアマサカを睨みつけている。


「いや、そういうわけでは」


「ふんっ」



 明らかな嫉妬。アマサカはまいったな……と、頬を掻きながらも微笑みながら言った。


「フィアン。無理をさせて悪かったな。魔力による負担は大丈夫か?」


 機嫌を少しだけ直したフィアンはまだ目を見てはくれないが、ちゃんと答えてはくれた。


「大丈夫よ。何もかも元気。ガナードはまだ骨折治ってないけど、腕だけだから。歩いて帰るくらいはできる。レオは女々しく落ち込んでるわよ。また活躍が弱かったーとか。悔しいだとか。強くなった自覚はあるみたいだけど、規格外に出会って自分の弱さを再実感したってさ。また修行するって」




「そうか……無事ではあるんだな。良かった」



「というかそれ、いいの?」



 フィアンはエイリーを指差す。エイリーは抱きついた後、即座に離れると空中を足場にアマサカを殴るわ蹴るわ。心配させおってと唸りながら。だがアマサカは残った右腕で全部いなしていた。


「あぁ。問題ない。ただのじゃれ合いだ」


「そ、そう……」


 アマサカはもう一人の不安要素である彼女のことを思い出していた。


「……アイラは?」



「アイラは……だいぶ心にきてるみたい。あんたの左腕の件もあるし、へんなこと言ってたし。お風呂とかご飯は食べてるけど、ずっと一人で部屋にこもってる。たぶんあんたじゃないと無理。行ってあげて。あの子は私の親友だから」



「……分かった」


 エイリーは攻撃をやめる……が、まだどこか納得がいっていないようだった。もっと感情を吐き出したいが、アイラのことを考えればと、自分の中で葛藤しているようだ。アマサカはエイリーの頭を撫で、スアリーにあやしてやるように言った。


「あ?」



 喧嘩を売られたかとエイリーは毒づくが、仕方なくここは引く。アマサカはフラフラと起き上がり、空白の間に足を踏み入れる。エイリーによって、一つの何も無い部屋に向かった。アイラは座りながら空虚な目で壁を見つめていた。まるで魂の抜けた人形のように。アマサカを見ると、少しだけうれしそうにする。


「アマサカさん……元気になったんですね」


「あぁ。少し時間はかかったけどな」


 アマサカはアイラの隣に座った。するとアイラは無気力にアマサカの左腕があった場所に手を伸ばす。髪が顔にかかり、無造作なまま。涙が勝手に溢れてくる。


「ごめんなさい」


「お前を守れたんだ。充分さ」


 アイラはその優しさが痛くて仕方なかった。


「もっと怒ってくださいよ!! 腕がないのにっ……私のために失ってるんですよ!! どうしてっ……怒ってくれた方が私は……楽なのに」



 アイラは力なく、アマサカの胸を叩いた。アマサカさんは優しすぎる。バカですと。コツンッ、コツンッとあまりに非力に。自分の胸を押さえて、息をつまらせながら涙が落ちていく。俯いて、感情をアマサカにぶつけた。


「あぁぁっ、ああっ……ばかぁ、ばかっ。大嫌いです。アマサカさんなんて。私のことなんか」


 アマサカはその手を止めた。ぐいっと抱き寄せ、囁いた。


「俺の中でお前はそんなに軽いものじゃない。本当に……お前が無事ならそれで良かったんだ。そう断言できるほどに、お前のことを大切だと思っている」


 アイラは唇を噛みながら強く頭をアマサカの胸におしつける。


「なんなんですかっ! 私なんか!! 私っ、人間じゃなかった! おかしいとは思ってたんです……! だって、親の顔も名前も知らない。気づけば雪の世界を歩いていて。自分がどこから来たのか、どこで生まれたのか、子供の頃もなくてっ」


 考えないようにしていた。きっと何かの間違いだ。だって私はこんなにも人間らしい。いつもアイラはそうやって言い訳をしていた。


「みんなと一緒に、笑って、遊んで戦って。危ない目にあって……どうして……知りたくなかったです。自分が創造神の作った人形だなんて。全部……偽物じゃないですか」


 アマサカはアイラを押し倒した。


「違う。偽物なんて言葉は、お前を表現するには間違っている。ここにお前がいる。アイラという存在がいる。すべての思い出も、経験も、偽物じゃない。お前に積み上がったものだ」


「……なんなんですか。さっきから。とっても正しいですね」


 わざと毒を吐いた。嫌われたい。近づきたくない。だって、だって。


「フィアンさんを抱いたくせに」



 分かっている。全然関係ない。けれど、アイラの根幹にある嫌われたい、離れたいという気持ちの大部分はこれだ。今、アマサカを見ていると何も抑えられなくなってしまう。突き放してほしい。痛いんだ。


「アマサカさんを見てると、苦しいんです……なんでっ、私じゃなかったのかなって。先に言ってたらって。どうして」


「アイラ……」


 グスッ、グスッと情けなく泣いた。誰よりも人間らしく、人形は疑いのない本物の熱を求めた。手を伸ばす。その手はアマサカの頭に添えられる。二人は、息を止めた。ゆっくりと離れるアイラの表情は、自分を非難する毎日のせいで疲れ果てていた。それでも火照る頬。潤んだ瞳で質問を投げかけた。



「……フィアンさんと、付き合ってるんですか? それともまだ、体だけですか?」


「……」


 少し、救われた気がした。アイラは小さく微笑み、フィアンに謝った。フィアンと同じように、アイラだって自分の気持ちに嘘はつけない。たとえ人形であろうと、この心は本物だとこの人が言ってくれたのだから。


「体だけですね」


「なっ」


「だって今、悩んだじゃないですか。アマサカさんの場合、もし付き合っていたら……即答するはずです」


「くっ……」


「私だってアマサカさんのことずっと見てたんですよ。そのくらい分かります」



 アイラはアマサカの首筋をやさしく撫でる。不安そうな声で、アマサカの瞳を見つめている。


「アマサカさん。私は人間に見えていますか? 私はどうしたらいいんでしょうか。ちゃんと歳を取れるでしょうか。それともみんな置いてけぼりなんでしょうか。私のキスはフィアンさんと比べてどうでしたか? 人とキスをしている感覚でしたか? 知らないんです。全部。だから……教えて下さい。


 ――私じゃ、だめですか?」



 アマサカは言葉に詰まった。アイラはアマサカを押し倒した。そして見下ろしながら呟く。


「やっぱり、アマサカさんってこういうの……受け手ですよね。フィアンさんの時もフィアンさんからだったんじゃないですか? あっ、その顔……図星ですね?」


 ふふっと笑った後に、アイラは深呼吸をする。バクンバクンッと心臓が激しく胸を打つ。確かめたい。全部。アマサカの首に柔らかい唇を押し当てる。アマサカの動揺が伝わってくる。アマサカの耳元に近づき、温かい息を吐くように。


「アマサカさん……私は、アマサカさんのことを愛しています。大好きなフィアンさんに嫉妬するくらい、愛しています」



 その豊満な胸がアマサカの硬い胸に押し当てられ、柔らかく潰されていった。そしてアマサカに対し、不慣れなキスをしながらアマサカの反応を確かめる。


「良かった……アマサカさんの心臓の音、早くなってますよ。私のは心臓の音は聞こえてますか? アマサカさんよりも、早くなっちゃってます」


 今は、何も考えたくない。人形だとか、嫉妬とか、もう何も。今はただ、大好きな人と、大好きな時間を……より深い時間を過ごしたかった。

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