第十三話
ある程度の時間が経ち、フィアンとアイラのしびれが完全に抜けたが、胴体は完全に縛られて身動きが取れない。フィアンはなんとかしてアイラだけでも助けたいと思ったが、方法が思いつかない。
「ごめんアイラ、今の私じゃなにもできない。どこかのタイミングで絶対チャンスは来る。そうなったら全力で逃げて」
「……逃げて、ですか?」
「え?」
「そうですよね。私は役立たずですし戦うという指示はいつもされません。でもそれが理由じゃないですよね。全部自分一人で背負って、助けようとしているんですよね。フィアンさん自身はどうなってもいい。そういう言葉遣いに聞こえます。違いますか?」
「それは、だって……」
「レオさんと同じですね。フィアンさん、私がどれだけフィアンさんを大好きなのか分かってますか? 私はみなさんが大好きです。誰一人だって欠けてほしくない。確かに私は役立たずですけど、この気持ちに嘘はつけません」
「ありがと……でも逃げて。それから誰か助けを呼んで。私もなんとかする。一緒に逃げられるのなら逃げる。ね?」
「……はい、それなら……受け入れます」
耳を済ませるフィアン。男たちに会話ひとつなし。
「集中してるね。隙がない」
「ですね。最近噂になっていたアビスギルドで間違いありません。手にアビスの文字がありました」
「うん。最近人さらいや闇取引をしているって噂のね。私たちが攫われたのは普通の人さらいとは多分違う。私がほしかったんだと思う」
「口ぶりからしてエルフを求めていました……まさかフィアンさんがエルフだったなんて」
目が沈むフィアン。
「本当にごめん。隠してて。アイラを信じてなかったわけじゃない。でも」
「いいですよ。不必要に危険を作る必要はありません。フィアンさんがエルフであることを隠していたからと言って、嫌いになったりしませんから。たとえこのような状況に巻き込まれたとしても、それはフィアンさんのせいじゃありません。ですから気にしないでくださいね」
馬車が動きを止める。どれだけの時間が経ったのだろうか。少なくとも王都の外にはいるであろうと二人は予想していた。男が馬車の荷台から入り、二人を無理やり外へと連れ出した。景色を確認すると、まだ地下の中だった。男は二人を連れて大きな扉の前にいる門番と会話する。
「依頼をこなした。エルフが一人、人間が一人だ」
深くローブを被った門番が鼻先を二人に近づける。ローブから見える鼻はまるで狼そのもの。だがフィアンが出会ったあの魔族よりもだいぶ小さい。
「うむ。確かにエルフと人間だ。ギルドの証を見せろ」
男達は手の甲を見せる。それを確認すると門番は通ることを許した。薄暗い地下牢で隙間風が不気味な音を立てる。じめじめと湿気が強く、明かりは男が持つ松明のみ。次第に転々と壁に立てかけられた松明が増えていく。まるでアリの巣のように道が複雑に作られていた。アイラがつまずくとアイラの縄を掴んでいる男が縄を強く引く。
肌に食い込んだ際の痛みで声が漏れるアイラ。その苦痛の表情が暗闇の中でかすかに見え、フィアンは噛みつきたくなるが我慢した。そして鉄格子の部屋へと収監される二人。縄はほどかれたが両手は結ばれたままだった。
カビの生えたパンと水の入った瓶を投げ捨てられる。鉄格子の前で男たちはその場から離れることもせず、待機し続けた。
「アニキ……なんでまだここにいるんです?」
「あ? そりゃギルドマスターに会うためさ。直接見せて多額の報酬を受け取る。当分は贅沢に遊ぶさ」
「いいっすねぇアニキ。あ、じゃあまた遊びましょうよ! 献上してない人間の女を何人も王都の一室で飼ってるじゃないっすか! あれをまたいじめて」
「ばーか。お前が以前遊びすぎて壊しただろ。別のやつが餌にしちまったよ。まぁまたすぐに変わりを用意すりゃいいさ」
アイラは最低ですと呟いた。男たちはまるで褒め言葉とでも言うように笑いあった。音の重い足音が響く。男たちの表情が一気に締まる。その音はゆっくりと近づいた。その顔を見たとき、フィアンは腰を抜かした。カタカタと顎は揺れ、怒りと絶望の渦がフィアンを支配する。
――あの日の魔族が鉄格子の前に立っていた。その魔族にとって鉄格子の部屋は狭く、全身は入らない。鼻先をフィアンとアイラに向ける。フィアンの匂いを嗅いだ瞬間によだれを垂らした。
「あぁ、お前は……あの時のエルフか。そうかそうか。せっかく身内を見捨てて逃げられたのに、また捕まったのか。俺は覚えている。お前の表情。父を食われ、母の断末魔を聞き、妹の最後を見たときには壊れていたな。あぁ、愉快だった。弟は流れ弾で死んでしまった。そのことが非常に残念だ。だがこうしてお前とまた会えた。お前ほどいい顔と匂いをさせるものはいない」
アイラに目を向けた魔族はよだれを垂らしながら匂いを嗅いだ。
「この女をじっくりと食べたらお前は……どうなる? あぁ……! いい……いい表情だ。そそる。そそるぞエルフ! だが俺も成長をした。すぐには食べない。この女をじっくりと利用し、出がらしとなった廃人にしてからお前の前で食してやろう。そうしてお前の絶望と共にこの舌を満たすのだ」
アイラはフィアンの前に立つ。
「廃人になどなりません。あなたの思い通りにはなりませんから。そうしたらさぞかし私は気分がいいです」
魔族の鋭い眼光がアイラを捉える。
「貴様……この期に及んでそんな言葉を吐くか。自分の命が惜しくはないのだな。いいだろう。お前を苗床とする。薬とサキュバスの魔法を駆使し、お前の脳みそを焼き切ってやろう」
高笑いしながらじっくりと匂いを嗅ぐ。
「あぁ、お前はいい素材だ。さぞかし上質なガキをはらむだろう。人間がいいか? ゴブリンか? それとも植物がいいか。家畜もいい……」
魔族は少し眉をひそめる。何度か再び匂いを嗅ぐ。
確かめるように魔族は牙を立てる。アイラの腕から血が流れる。疑いが晴れたのか魔族は鉄格子の向こうへと戻る。
アビスギルドの男が魔族に聞いた。
「ギルドマスター。彼女たちを本当に食べるのですか?」
「あぁ。俺はそのつもりだ。だが生贄の数も必要だ。魔族の国につれていくかもしれん。だとしてもこいつらは俺が食す。大量のガキを産ませ、そのあとにじっくりと味わう。俺はお前達を信用している。くれぐれも魔族について語るなよ」
「当然ですギルドマスター。我々アビスギルドは魔族のために」
「それでよい」
魔族はそのまま姿を消す。男たちもその場をあとにした。アイラはすぐに後ろを振り向く。恐怖に支配され、壊れかけのフィアンをできる限り抱きしめる。
「大丈夫です。大丈夫ですよ。私がここにいます」
瞳孔は収縮し、まぶたは完全に開き切る。呼吸は荒れ、自分がどこにいるのかさえ分からない。
――男たちは地下から王都へと場所を移した。王都の地上のアジトへと帰っていく。大量の金を持って何日も遊び尽くした。女を侍らせ、うまい酒とメシを食う。そして侍らせた女をそのまま捕らえ、人の目が届かぬ倉庫に監禁する。さまざまな方法で楽しみ、飽きれば追加の女を探しに出かけた。
ある夜の酒場へと足を運んだ。二階には個室が用意される。夜の女達がウェイトレスとして食事を運ぶが金を出せばそのまま二階の個室へと行くことができるというシステムだった。
「へへっ、アニキ! 俺あの女いいっすか?」
「あぁ、これで好きなだけ遊んでこい」
大量の金と薬を渡され、下っ端の男はうれしそうにウェイトレスを呼んだ。アニキと呼ばれた男は葉巻に火を付ける。
「そんなに腰を振りたいかねぇー。若いってのは羨ましいかぎりだ。おれぁ回数をそんなに増やせないぜ」
隣にいた女性が体を押し付ける。
「ねぇ……性欲はあるんでしょ?」
「まぁな。歪んでいるがちゃんとあるさ。だから一回を本気で楽しむんだ。その一回で女を壊すほどにな」
「えぇー? 気になるー。私じゃだめぇ?」
「んー、悪くはないかもなぁ。ただここじゃだめだ。金貨二十で一晩どうだ?」
とろけるように女は当然おっけーよと微笑む。体を押し付けるようにしながら男のコップにお酒を注ぐ。
「わかりやすい女は好きだぜ。本当にな」
ぐびっと酒を流し込む。さすがにそろそろ大人しくしたほうがいいだろうと考えていた。あまり目立てば嗅ぎつけられるかもしれないと。
「なにか考え事―?」
「あぁ少しな」
大声で店内のやつらに言った。
「ちーっと歯止めかけるぞぉ。今夜は好きにしろ! 金はいくらでも出してやる! たのしめおまえらぁ!」
歓喜の声が店を満たした。酒だ酒だと次々に持ってこさせる。
「随分と羽振りがいいな」
――低い声が男の背後から聞こえた。酔っていた男は笑うように言った。
「あぁ、でけぇ仕事を済ませたんでな。お前も飲めよ。せっかく俺達の貸し切りなんだ」
男はすぐに気づく。こんな声色の男いたかと。第一いつの間に背後に立っていた? 腐っても闇ギルドで長年生きてきた。アニキと呼ばれるくらいには功績も立ててきた。気づかぬ内に背後に立たれることなどありえない。
男は飛び退くようにソファから背後に対して距離を取った。机は勢いで弾き飛ばされる。
「てめぇ……なにもんだ」
――この王都では異様な和服を身に着けた男。問いかけに答えるつもりはなかった。
「問いかけるのは俺だ。知っていることを全て吐け」
男は腰につけた毒の塗られたナイフを抜きながら、手下達に聞こえるように叫ぶ。
「野郎ども!」
その一声で手下達は理解する。全員がアニキのいる方向を見た瞬間だった。なにか重いものと、金属が床に落ちる音がした。震えながら下っ端の男は叫んだ。
「あ、アニキィ!! うでぇ!!」
アニキと呼ばれた男の両手が切り落とされていた。
「あぁぁああ!!」
痛みにうずくまるアニキと呼ばれた男。すぐさま手下達がかけつけようとしたときだ。アマサカは今まで見たこともないような怒りの目をしながら声を発した。それは小さい声にも関わらず店内を支配した。
「動くな」
ピタッ……と音が消える。その殺気はこの店にいるすべての人間の心臓を握っているかのようだった。かろうじて呼吸をしながら全員が、この空間の全てはアマサカのコントロール下にあるのだと本能的に理解する。どの場所にいたとしても一瞬にして殺されるだろうと。
「吐け。すべてだ。宿で女を二人さらったな」
「なんの、ことだか」
耳が片方落とされる。静かな店内でその叫び声だけが聞こえる。
「答えろ。とぼけるな。お前の一言ひとことが体の一部だと思え」
「俺は……いえな」
片足が消える。泣きわめきながら殺してくれと懇願する。死なないようにアマサカによって高濃度のポーションをかけられる。
「はっ、あぁ……がっ……た、頼む、俺は」
首を片手で掴まれる。アマサカの腕に血管が浮き上がっていく。ぶちっと男の首の筋肉が断裂していく。男はか細い声で地下通路があることを白状した。そして今は囚われていると。手を離されるがまともに呼吸なんかできるはずもない。命欲しさに言ってはならないことを口にする。
「場所は地下……だ、そして……ギルドマスターは魔」
女の悲鳴が響き渡り、手下たちのどよめきが生まれる。アニキと呼ばれた男はひとりでに死んだのだ。アマサカが手にかけたのではない。まるで雑巾でも絞るかのように勝手に死んだ。
原因はアビスの紋を刻んだ際にかけられた魔法術式。地下以外でギルドマスターの正体を言えば殺される。そしてそれは一味全体にリンクしていた。その場にいた男たちは全員同じ末路を辿った。
アマサカは酸素を取り込むように少し口を開いて息をする。あとから追いかけてきたアマサカが所属しているギルド、メイアースと王都所属の衛兵達がその惨状を確認した。
アマサカがやったのかと問いかけられたが、アマサカは事情を説明した。そして足早にギルドへと戻る。すぐに対アビスギルドの作戦本部を開くように指示した。
――アマサカがなぜ気付いたのか。それはフィアンとアイラが連れ去られたその日の夕方まで遡る。




