第十二話
フィアンは気だるそうに起き上がり、鏡を見る。ひどい顔だなぁと無理やり笑顔を作る。ゆっくり寝たはずなのにクマがある。疲れた顔はフィアンらしさを奪っていた。
「エルフだとバレたら、今の幸せがなくなる。隠し通さないと。そしていつか……あいつらを。エルフの寿命なら強くなるための時間を確保できる。人間は……諦めるしかないかもだけど、でもあの魔族は絶対に」
コンコンッ。フィアンは目を見開き、警戒する。即座に弓といつも常備しているナイフを手に収める。
「フィアンさーん。おはようございます。朝食のシチューを作りすぎたので一緒にどうですか?」
数秒間……フィアンはフリーズした。くすっと笑いナイフと弓から手を離す。上機嫌になり、ニコニコで扉へと向かう。だいぶ薄着だがアイラを入れるくらいならいいだろうと気にせず扉を開けた。
「なにー? 作りすぎちゃったってー? しょうがないなぁ、たべてあげ……」
鍋を持ったアイラの後ろにアマサカが立っていた。
「あ、アマサカァ!?」
「なんだ。驚くことか」
「カフェの時より驚くわよ!!」
フィアンはふと視線を感じ、自分の視線を自分の体に移す。薄着、それも下着はない。
「透けっっ」
フィアンはビュンッと風のような速度でうずくまり、アマサカを睨む。アマサカはなんとなく察し、背を向ける。フィアンはちょっとまっててと扉を閉め、着替えを済ませる。
――数分後、小さなテーブルの上に置かれたシチューとパンを囲む三人。
フィアンはじーっとアマサカに睨む。
「み、み、見た?」
「なんのことだ?」
「あれよ。ほら、あの」
「あぁ、頂点のことか」
ぼふんっとアイラは顔を真っ赤にして顔を両手で覆い隠した。
「あいらぁ……ころしてぇ」
「よしよし……アマサカさんは最低ですねぇ」
息でも吐くかのようにアマサカを貶しつつ、アイラはフィアンの頭を優しく撫でる。
アマサカは首を動かし、少し驚きながらアイラを見た。まるで何が悪いのか分かっていないかのように。
いつまでも赤くなっているわけにはいかないので、フィアンは普段通りを心がけて食事に集中しようとした。
「はぁっ。それで? アマサカはなーんで朝からアイラと一緒にいるの? ま、さかっ」
アイラは当初、何か問題でもあるのかと思ったがフィアンの想像に気がつくと顔をブンブンと横に振った。
「ちっちちちちがいますよ?! 朝まで一緒に居たとか同じベッドで寝ていたとかそういうんじゃありませんから!!」
「そ、そうよね? な、なぁーんだ。びっくりしたぁ」
パンをかじりながらアマサカはなぜ一緒に居たのか、その理由を話し始める。
「お前の様子が気になってな。普段お前が利用している宿の前に足を運んだ。偶然買い物から帰ってきたアイラと会った。俺はフィアンの様子を見に来たと言ったらアイラの部屋に入れてもらってな。シチューの完成を待っていた、ということだ」
まだ顔の赤みが抜けきらぬ中、フィアンは静かに"私はもう大丈夫よ"と呟いた。アマサカはそうかと静かに言った。フィアンの目のクマには触れない。そうするべきだとアマサカは思ったからだ。朝食後、アマサカは心配なさそうだなと席を立つ。アイラを一目見ると、まるで任せたとでも言うようだった。
――二人きりとなったアイラはフィアンのベッドに寝転びながら話しかける。
「モルガル・ホーンとの戦いで受けた傷はどうですか?」
「んー? もう大丈夫。内蔵もちゃんと回復してるみたい」
フィアンは椅子に座り、窓の外を眺めている。アイラはー? と聞くと頭を打っただけですからという返事が返ってくる。
「ねぇアイラ。次の依頼はいつになるんだろうね。ガナードは筋トレに励んでるし、レオはずっと思い悩んでるし」
「どうでしょう。レオさんがなにかを掴むまでか、あるいは気分転換くらいの状況にならないと依頼を受けることはないかもしれませんね。まだ当分資金に余裕はありますから」
ふいに夢の映像がフィアンの頭の中に流れ、ビクッとフィアンの体が跳ねた。アイラはすぐに立ち上がり、フィアンを優しく抱きしめる。
「またですか?」
「ん……」
「初めて出会ったのは雪の日でしたね。ふたりとも凍え死にそうで。警戒しつつもお互いくっついて。でもフィアンさんは寒さとは違う震えも含んでいました。
それから私たちが仲良くなっても、フィアンさんが笑うようになってからも……なにかを思い出しては震えていましたね。最近は落ち着いていたのに……なにかあったんですか? アマサカさんもそれを心配して来たんですよね?」
フィアンは窓の外を見る。その悲しげな表情で見つめる空はどんな色なのだろうか。
「ちょっとね。夢を見たの。とても怖い夢。夢だけど現実でさ。でも……こうしてると落ち着く。発作のたびに気にかけてくれる人がいるだけですごく幸せ」
――小鳥が窓辺に止まる。コンコンッと窓を叩く。コンコン、コンコン。すると、窓がギィーッと自動で開く。小鳥は部屋に入ると窓がゆっくりと閉まった。フィアンとアイラは突然の出来事に違和感を覚えた。そして、小鳥はその場で硬直した。ゆっくりとその姿を固まった土のように変える。
「アイラ逃げてッッ!」
フィアンはアイラにすぐにそう指示した。短剣を持ち、すぐに警戒態勢をとるフィアン。アイラはなんのことか分からないがフィアンの言葉を信じて二人で逃げるために退避経路を確保しようとした。だが扉が開かない。まるで部屋ごと箱に入れられてしまったかのように。
小鳥は砂となり煙を充満させる。少し吸っただけでピリピリと体の筋肉が痙攣を起こし、倒れそうになる。壁の最も脆い場所を探し出すフィアン。部屋を囲うように障壁が作られていることは理解する。矢に魔法に対する効力を持つ液体を矢にかけた。弓を強く引き、窓を割る。同時に矢先は障壁と接触。矢に塗られた液体は障壁にふれると侵食するように溶け出していく。新鮮な空気が部屋に入り込んだ。
だがアイラもフィアンもだいぶ吸い込んでしまった。体が思う通りに動いてくれない。間髪入れずに扉が蹴破られる。複数人の黒いローブを被った男たちが武器を持って部屋へと侵入する。
「すげぇなこいつ。あの短い時間で障壁破ったぜ」
フィアンは痺れで弓を引けないと分かるとなんとか体重を前に押し出し、男の足に短剣を突き刺す。だが少し刺さっただけですぐに避けられた。
「うぉっ! なんだこいつ、まじでどんな精神力してんだよ」
フィアンは顔面を蹴られ、その場に倒れる。立ち上がることすらできない。それでも立ち上がろうとすることをやめない。
「やめときな。勝機がないことくらい分かってんだろ」
フィアンは睨みつける。男はゾクッとしながらうれしそうにこう言った。
「そこの女は助けてやらんでもないぞー?」
男は耳元でフィアンに復唱させるための言葉を囁いた。フィアンは唇から血が出るほど噛み締めたあとに男の言った言葉を口から出した。
「私は生きる価値のない、人間もどき……です。だから、人間様は助けてあげてください」
アイラはショックを受けた。フィアンがそんなことを言うはずがない。だって、フィアンは人間……
笑い声がこだまする。男は笑いながら仲間に指示する。
「おい、そこの女も連れて行け。エルフの女と一緒に土産にする」
「へい。でもアニキ。ちょっと楽しんでからでもいいんじゃないすか? この二人そうとう上物ですぜ? エルフなんて人生で抱けるもんじゃないっすからね」
「あまり欲をかくな。男の匂いが移ったらそれこそギルドマスターに殺されるぞ。死にたいんなら別だけどな。俺達にエルフの情報を流したガキと男も必要以上に金をせびったから川の底に沈んでんだ。言いてぇことは分かるな?」
「ちぇっ、もったいねぇ。ただの食べ物にするなんて」
「それだけじゃないだろうさ。ま、俺達みたいな下っ端は仕事だけしてりゃいいんだよ。今度いい店に連れて行ってやるよ」
「ほんとっすか? へっ、気前がいいぜアニキ!」
「おうよ。エルフには相当な報酬がもらえるって言われていたからな。男でも種馬にできるからな。女でも苗床にすりゃいい餌場になるんだろうぜ。たぶんだが。そこの女も苗床としては良さそうだ」
フィアンは喉から絞り出すように言った。
「約束をしたでしょ! 言われたことを口にすればアイラは助けるって!」
「助けるわけないだろ。バカかお前?」
まただ。こいつらはまた。フィアンは分かっていた。それでもできることはなんでもする。自分以外が被害に会うのはもう耐えられない。
「お願い……私の大切な人を、奪わないで……私には何をしてもいいから」
男はフィアンの頭を叩きつけた。興奮するように顔を近づけていった。
「あまり誘うなよ……抑えられなくなっちまう」
男たちはフィアンとアイラを縛り付け、逃走ルートから地下へと向かう。そして地下通路に用意した馬車にフィアンとアイラを乗せる。神経毒が二人の体に充分とまわり、呼吸しかできなくなった状態となった。二人は荷台に寝かされていた。向かい合うように。
舗装された地下の地面の上をかなりゆっくりと馬車が動く。男たちは馬車の周りを警戒するように歩く。
時間が経ち、少しずつ声が出るようになるとフィアンはパクパクと口を動かす。かすかに声帯を揺らしながらごめんねと涙を流しながら謝った。全部私のせいだと。アイラもまた、パクパクと口を動かした。
「フィ、アンさんの、せいじゃ、ないです。じぶんを――責めないで」
口を動かすがフィアンは言葉にできなかった。こんなにいい子なのに。どうしてこんな目に会わなければならないのだろう。自分と一緒にいたせいで。不幸になる。こんなことになるのなら、ずっと一人でいればよかった。誰とも関わらなければよかった。もっと警戒心を持つべきだった。そうすればあの子供にネックレスを奪われず、エルフだとバレることもなかったのに。
――その頃、アマサカはフィアンの通っていたカフェで食事をしていた。
「やはりうまいな。あいつが通うのも分かる」
フィアンとアイラが連れ去られているということも知らずに。




