番外編 妻達とY談
少し時間がさかのぼって、ヴィオレッタが出産する前のお話です。
※ここから先は直接的な描写はありませんが、軽い性表現が含まれます。成人向けではありませんが苦手な方はブラウザバックをお願いいたします。
とある日の午後。
あたしはヴィオレッタの誘いを受けて、ラングロワ家の園庭にて彼女と茶を酌み交わしていた。
個人的な誘いであるため、セリウスの付き添いも無くファビアンも不在だ。彼らが勤務中の暇な昼間を使って、いわゆる妻達だけの優雅な茶会という訳である。
「それでファビアンったら、オスカルと本気で遊んで礼装を一つダメにしてしまって...よだれだらけですのよ、困りましたわ」
「あはは!ファビアンらしいな。お前もとんだやんちゃ坊主だね、オスカル」
足元できちんとおすわりをした大きな犬は、ハッハッハッ、と息をして嬉しそうに舌を出す。
身重の彼女の側で大人しくしているこの“オスカル”はファビアンの愛犬だ。
彼はヴィオレッタの前ではお利口に振る舞っているというのに、ファビアンが前に立った途端我を忘れたようにじゃれつくのだという。
豊かな金色の毛並みに青い目、加えて愛嬌たっぷりの顔は主人のファビアンになんとなく似ている。
「子供が産まれたらいい遊び相手になるだろうな。犬ってのもなかなか可愛いもんだ」
うちの船にはネズミ獲りの為の船猫はいるが、そろそろ歳なので遊ぶ姿は久しく見ていない。
わしゃわしゃと頭を撫でるとオスカルは嬉しそうに目を瞑り尻尾を振った。
それを微笑んで眺めていたヴィオレッタはあたしの顔をじっと見る。
なんだ?と思ってきょとんと見つめ返せば、彼女はしばらくの沈黙の後、意を決したように口を開いた。
「あの、...ええと、お話は変わるのですが...。妻同士、ステラ様にご相談したいことがございまして」
妻同士の相談?
ファビアンと何かあったのだろうか。先ほどまでは実に円満そうな内容しか聞かなかったが...。
「どうした?深刻な事か?」
「い、いえ、深刻というかなんと言いますか...」
彼女は少し言い淀むと、俯いて続ける。
「その...夜伽について、お聞きしたくて」
夜伽...。つまりは夜の営みの事か!?
あたしは予想外の相談に少したじろぐ。
いやまあ、妻同士の茶会なんだ。夫の前では話せないような悩み...つまりこういった話も出てくるか。
「そ、そうか。あたしも詳しくはないけど、構わないよ。夫婦間じゃ面と向かって言えないこともあるだろう」
その返答を聞いたヴィオレッタははあ、と安堵のため息をつく。
「ああ、良かった。ずっと誰にも話せなくて...ステラ様ならお話ししても許されるかと...」
そうして彼女はまた少し言葉に詰まると、顔を上げておずおずとあたしの目を伺うように見た。
「その...ステラ様のところは...。ピロートークって、どうされていらっしゃいます...?」
ピロートーク...?
なんだ、ピロートークって...?
聞き覚えのない言葉にあたしは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまう。
何故だか妙に経験豊富に見られやすいあたしだが、豊富な性知識なんてちっとも持ち合わせていない。何を隠そう、人生上でセリウスだけがあたしの“経験”であり、他のことなんてひとつも知らないのだから。
ヴィオレッタはそんなあたしに気づくことなく話を続けた。
「うちのファビアンは、それはもう喋る人ですから...。その日起こったことからセリウス様のことなどとにかくひたすらずっと喋っていて。聞いてあげたいのですが眠くて眠くて、途中で寝てしまうのです...」
...なるほど、そういうことか。
ピンと来たあたしはふむ、と頷く。
おそらくピロートークとは営みの後の会話のことらしい。あのお喋りなファビアンのことだ。事が終わってもずっと喋っているというのはなんとも想像に容易い。
...しかし、あたしは返す言葉に迷う。
「うーん...。そもそも、ピロートークってもんの経験がないからなあ...」
「まあ、終わっても言葉を交わされないのですか?そんな所までお二人は硬派なんですのね...!」
ヴィオレッタは驚いて口元に両手を当てる。
なにやら誤解されているらしい。ていうか硬派な行為ってなんだ...?あたしとセリウスはどんな風に見られているのだろうか。
あたしは彼女の感想にすこし気まずくなりつつも、言葉を続けた。
「いや...、その...。寝るまでの記憶がいつも曖昧で...。気がついたら朝というか...」
ぼそぼそと発したそれらを聞くとヴィオレッタはかあっと顔を赤らめて頬を押さえた。
「じょ、情熱的ですのね...!」
彼女がわかりやすく赤くなるものだから、こちらまで赤くなってしまう。誤魔化すようにあたしは視線を逸らして口を尖らせた。
「あいつは加減を知らないんだよ!そっその、あれだ!色々と押さえつけられてるぶん欲求も溜まりやすいんだろ、多分」
「なるほど...、なんとなくわかりますわ」
ヴィオレッタがこくこくと頷き、あたしはまた恥ずかしくなって話題を戻す。
「それよりその...、ピロートーク?はファビアンの性格的にただあいつが喋りたいだけじゃないのか?適当に受け流しておいたらどうだ」
「そうなのでしょうか...なんだか少し申し訳なくて」
「そうか?先に寝られたって気にするような男じゃ無いだろ。君にはあれほど優しいんだから」
眉を下げる彼女に微笑むと、彼女もこちらの笑顔を見て控えめに微笑み返す。
「...そうですわね。それにあの人ってば、いつも一人で喋っていましたわ」
ヴィオレッタがくすりと笑い、その言葉にあたしもふふっと笑ってしまう。
解決したなら何よりだ。と茶を一口含むと、彼女がおもむろに両手を机の上で握り、むうっとしかめっ面をした。
「それにしても、加減を知らない程求められるだなんて羨ましいですわ。ファビアンはいつも優しすぎて...まるで私が壊れるとでも思っているみたい」
彼女が不満気に口を尖らせる姿を見ると、あたしも少し羨ましくなる。
セリウスにベッドの上で始終優しく扱われたことなんて一度もない。最初は優しく触れられても結局いつも獣のように抱き潰されて、「もう嫌だ」と泣き言を言ったってあいつは聞いてくれないというのに。
「なんだよ、いいじゃないか。本気の悲鳴を上げても喜ばれてみろ。こっちこそもう少し大事に扱われたいもんだ」
そう言うとヴィオレッタはさらに頬を膨らませる。
「殿方の強引さは魅力ではありませんか。甘いばかりではなんだか物足りませんわ」
「物好きだな君は...。時々抑えが効かなくなって噛むんだぞ。どこがいいんだ」
「まあ!噛むのですか?」
「首や肩をな。犬歯がやたら尖ってて痛いんだよ...」
そう、セリウスはあの“浮気疑惑”の件の後から、興奮しすぎると時々噛みつくようになってしまったのだ。
噛んだ本人に文句を言えば“つい...確認したくなり...”などと訳のわからない言い訳を返されるし、甘噛みとは言え痛いのだ。何度も噛まれた日には治癒魔法で治されたって割に合わない。
ため息をつくあたしに、ヴィオレッタは「熱烈で良いかもしれませんわね...」などと考え込むような顔をする。
大人しい雰囲気の女性に見えてなかなか奇異な事を言う。いわゆるマゾヒストってやつなのか...?
「でもまだファビアンには文句がありますのよ。あの人ったら最中に私のお尻ばかり触るんですもの。大きいのを気にしてるのに...集中できませんわ!」
彼女はぷんぷんと肩を怒らせつつケーキを切り分けて頬張る。
あたしもその内容に似たような覚えがあり、頷きながら同じく頬張った。
「あれ、気になるよな。セリウスもやたらめったら脚を撫でさすりやがる。脚にいくつもキスされたって嬉しくねーよ」
「本当!人の体をなんだと思っているのかしら!」
もぐもぐと咀嚼しながら彼女は憤慨し、ごくんと飲み込んで茶で流し込む。
「隠しているのに顔を見たがるのも嫌ですし、可愛いだの綺麗だのと囁かれ続けるのもむず痒いですし...!」
「褒め言葉だけならまだいいよ。“ここがこうなっていますよ”なんて身体の事を教えられてどうしろっつーんだ!」
「ああ〜っ!!わかります、本当にやめて欲しいわ!こっちは本気で恥ずかしいのに調子に乗るんだから!」
大きく声を上げて同調する彼女に、思わずあたしも「だよな!?」と前のめりになる。
「こっちが余裕がないのをいいことに反応で遊びやがって、ニヤニヤしてるのがさらに腹立つ!」
「あっちから求めてきたくせにこちらが痴女みたいに言われて!」
「スケベなのはあっちなのにな!?」
お互いに思うことが全く同じであった事に驚きつつ、あたし達は興奮気味に机を叩き合う。
「その上、“どうして欲しい?”とかこちらに言わせようとするんですのよ!?」
「うっわ、おんなじだ!あれ嫌なんだよな〜!!」
「“どうこう”したいのはあっちですわよね!?」
「そうだよ!どうせ言わなくてもするくせに!」
完全に盛り上がったあたし達からの口からは、面白いようにポンポンと情事中の彼らへの文句が飛び出す。
「あの色々体勢を変えられるのはなんですの!?」
「わかる!あれ何なんだ!?くるくるひっくり返しやがってパンケーキかっつうの!」
人生上でセリウスしか経験がないものの、身体を重ねるうちに色々と思う事はあったわけで。今まで誰にも話せなかったちょっとした不満に同調されてやたらと嬉しくなってしまう。
夜の話を誰かに話すのなんて初めてだが、まさかこんな話でヴィオレッタと息が合ってしまうとは...。
そして思いつく限りの愚痴を全部言い合って、あたし達はふう...と息を吐く。
「てっきりあいつの趣味が特別悪いのかと思ってた...」
「わたくしも、あの人が特別意地悪なんだと思っていましたわ...」
そう言ってあたし達はカップを持ち上げて喉を潤すともう一度息をついた。
「でもなんでかな...。ここまでされても、あいつがちょっと余裕のなさそうな顔をすると...」
あたしが言いかけた言葉に、ヴィオレッタが頷く。
「許してしまいますよねえ...」
はあ...とため息をついたあたし達は、お互いに顔を見合わせてふふっと笑い合う。
「そこまで含めてムカつくよな?」
「うふふ、ほんと“ムカつき”ますわね!」
「あはは!ファビアンに叱られちまうな」
職業柄、男達の下世話な話なんてものは周囲で日常的に交わされている。
なのにあたしが顔を出すと当の男どもの方が「やだえっち!聞かないで船長!」などと恥ずかしがって逃げていき、自分が参加できた事はなかった。
しかし、いざ女同士であけすけに話してみればこんなにも楽しいものだとは。これは確かに、男達がやたら盛り上がって馬鹿笑いしているのもわかるな...。
なんて事を思いながらもヴィオレッタとの会話は弾む一方で、穏やかに時間が溶けていった。
「今日の事は誰にも言わないでくれよ」
「もちろん、ステラ様もね」
あたしは片目をぱちっと瞑り、ヴィオレッタと指切りをする。馬車に乗り込むと、彼女は先程の会話が嘘のように上品に微笑んで見送った。
———
屋敷に戻り馬車を降りるとセリウスも同じく帰って来ていたらしい。彼はあたしを見て嬉しそうに顔を綻ばせると、馬を家令に預けこちらへ歩み寄った。
「ステラさん、ちょうどお戻りとは」
「おう、楽しかったよ」
あたしが機嫌良く返すと彼は金の目を細める。
「それは何より。夫人とどんなお話を?」
セリウスは少しかがんでこちらの頬にキスを落とす。
唇が離されると、こちらの頬に手を添えた彼と目が合う。
無駄に綺麗なその顔を見つめ、あたしはにっこりと微笑んだ。
「秘密!」
夫側の猥談があるなら妻側の猥談があってもいいよね、と考えていたのに書くのをすっかり忘れ...。今ごろ番外編です。
調子に乗ってやらかしていることについて妻達に散々な文句を言われてるとも知らず、セリウスとファビアンは「楽しそうで可愛いな」とほんわかしています。
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