102.対面
※前半セリウス、後半ステラ視点となります。
アルストイ島奪還戦争が終結し、戦場の事後処理を終えた騎士団は二日後に王都へと帰還した。
戻った俺は報告書をかつて無い速さで書き上げ、消耗した軍備の補充要請、傷痍軍人への傷病賜金諸々の面倒な事務作業を三徹で全て完了させた。
全ては、彼女の帰港に確実に間に合わせるため。
満身創痍で執務室を後にした俺は、ようやく三日振りの睡眠を取り、満を持して彼女が戻る“七日後”となったのである。
——
彼女の船は港へと予定通り到着した。
船の舷門に木の道坂が掛けられ、彼女が甲板から姿を現す。
夕焼け色の長い髪を靡かせて現れた、凛々しく美しい俺の妻。
待ち望んだその姿に、思わず胸が詰まる。
そしてゆっくりと道坂を降りる彼女の両腕には、布でくるまれた赤子が二人抱かれていた。
想像はなんとなくしていたものの、実際に見るとあまりの衝撃に言葉が出ない。
「無事に帰るって言っただろ。心配性も大概にしろ」
ステラさんはそう言って笑うと、桟橋へと足を下ろした。俺ははっとして彼女の元へと駆け寄り、その身体を支える。
「ほら見ろ。間違いなくお前の子だよ」
抱えた子を少し持ち上げる彼女に促され、俺はその子らを覗き込む。
一人は、ふわふわとした夕焼け色の髪に俺と同じ金の瞳。そしてもう一人は、柔らかな黒髪に深いエメラルドの瞳を輝かせた。
まるで俺と彼女を分け合ったかのような、薔薇色の頬の小さな赤子達。
双子は同時に大きく欠伸をして、むちゃむちゃと小さな口を動かした。
こ、これが...、俺の子...
身籠ったことすら衝撃的だったというのに、いきなり現れた子供達にどんな顔をしたらいいのか分からない。
この二ヶ月と二週間の間、子供よりも何よりも、俺はただただ、ステラさんを失うことばかりが気がかりだったのだから。
彼女はふわりと微笑みかけ、「よく戻ったな」と俺を見上げた。その笑顔は今までに見るどれよりも柔らかく、俺の心を締め付ける。
...ああ、もう、貴女は。
俺がどれだけ心配したと。
もう、その顔が見れないのでは無いかと...!
俺は込み上がる様々な感情に言葉を発せぬまま、赤子ごとがばっと彼女を抱き締めた。
「...っ、...」
何も言えず震える俺に、彼女はくすりと微笑む。
「お前も“おかえり”くらい言ってくれてもいいんだぞ?」
「...お、かえ...、なさ...っ」
言葉を発した瞬間に、堰を切ったように様々な感情が溢れ出て、熱いものが頬を伝う。
会いたかった。...怖かった。
せっかく手に入れた貴女が、俺が孕ませた子のために、知らない場所で消えてしまうのではないかと。
...俺のせいで、母のように命を落とすのではと。
とても、とても、気が気ではなくて。
だというのに貴女は。
命懸けの出産ですら、平気な顔をして笑うのだ。
本当に、この人は...!
俺は腕の中の愛しい彼女へとこめかみを擦り寄せ、ただ唇を噛み嗚咽を堪えた。
「まったく、お前は泣き虫なんだから」
ステラさんは俺の濡れた頬へとキスを落とす。たまらず頬を撫でて口付けると、背後から啜り泣きが聞こえて慌てて唇を離した。
「うっ、うう、良かった、良かったなぁ...」
振り向けば俺達の後ろで並び立つ船員達。
コンラッドはずるずると鼻水を啜りながら号泣し、屈強な男達が皆うんうんと頷きながら目元を押さえているではないか。
「なんだお前ら、あの時ひとしきり泣いただろうが」
ステラさんが振り向いて呆れるとコンラッドがずずっと啜り上げた。
「産まれた時と今回じゃまた違うだろ...。ほんっと、良かったなあセリウス...!」
「嵐に見舞われた時はもうダメかと思った...」
「赤ん坊も無事で、再会出来て良かったよお...」
「...嵐!?」
俺が慌てて彼女を見れば、ステラさんはバツの悪そうな顔をして誤魔化すように視線を逸らす。
「まあちょっと帰りは波が強かったが、赤ん坊はニコニコしてたぞ。なかなか船乗りの素質がある」
「なぜ手紙で教えてくださらない!?」
「どーしようもねえのに教えられてどうする。戦を邪魔しちゃ悪いだろうが」
「ですが...!」
俺が両肩を掴むと、彼女は背伸びをしてちゅ、と俺の唇を塞ぐ。
そして離れるとにっこり笑った。
「それよりほら!こっちの黒髪の子が男で、あたしと同じ髪の子が女だ。双子の男女なんて珍しいだろ?」
彼女にそう言われ、赤子達を眺めると一人が小さな手を伸ばす。
指を差し出せば、夕焼け色の髪の子の小さな手がしっかりと掴み、黒髪のもう一人がふええ、と声を上げた。
「名前も決めたんだ。男がドラゴニク、女がリヴァイアサン!どうだ、イカしてるだろ!」
...何?...今なんと?
「ドラ...ゴニク...、リヴァイアサン...?」
俺が思わず復唱すると、船員達が「ああ〜...っ」と額を抑えて呻き声を上げる。
もう一度振り向けば、彼らは苦々しい顔で次々に口を開いた。
「うちの船長達の名付けセンスは最悪なんだよ...!」
「カーラの代からそうなんだ。この船だって俺たちが止めなきゃ“ぶっ放し最強号”になるとこだったんだぜ...」
「船猫は間に合わなくて“ブラックサンダーハリケーン”になっちまった...縁起が悪すぎる」
彼らが頭を抱えると、ステラさんが不満げに口を尖らせる。
「なんでだ!ブラックサンダーハリケーンも竜の名前もかっこいいだろうが!」
「5才かお前は!」
「ステラ、人の名前に竜は付けないんじゃよ」
エルドガやアルカ老に嗜められてもピンと来ていない彼女の様子に、コンラッドが俺の肩を掴んで真剣な目でこちらに説いた。
「おいセリウス、早く止めねえとお前の子供達が本当に竜になっちまうぞ。これは冗談じゃねえ、マジでやるんだあいつは」
「...よく言う、出産に舞い上がって妙な名をつけるというアレか?」
ファビアンから聞いたことはある。
我が子の誕生に気がおかしくなって“プリンセス”やら“レジェンド”なんて奇特な名前を付けてしまう親がいるらしい。彼女もそう言うことだろうか。
「違う!ステラは筋金入りの名付け音痴なんだよ!」
「早く違う名前を考えるんだ!!」
「船長の剣の名前、“つらぬきムサシマル”と“切り裂きコジロウマル”だぞ!?」
「ああ"?東国のブシは粋だろうが!」
「そういう話じゃねえんだよ!」
あのカットラス、そんな名前だったのか...。
だが確かに、彼女の名付けの方向性がなんとなく分かってしまった。
要するに、あれだ。完全に“物心が付きはじめた男児”と同じ感覚で名前を付けているらしい。
「ステラさん、流石にリヴァイアサンとドラゴニクは俺もどうかと...」
「なんだ、お前ならわかってくれると思ったのに!」
彼女がむっとむくれてこちらを見上げる。
俺も同じ感覚だと思っていたのか、この人は...。
とりあえず、なんとかステラさんを宥めなくては。しかし、一度こうだと決めた彼女を動かすのは至難の業である。
いったい、なんと続けるべきか...。
すると、俺の指を掴んでいた赤子がこちらを見上げ「えぅ」と小さな声で微笑んだ。
そうか。
俺も...この子の親なのだったな。
であれば、言うことはただ一つ。
「...いえ、俺にも名付けの機会を頂きたく」
俺がそう言うと彼女は、目を丸くして俺を見上げる。
「父親、なのでしょう?俺は」
そして赤子に掴まれたままの指を少し持ち上げて見せる。
彼女はそれをまじまじと見ると、心底嬉しそうに頬を綻ばせた。
「...それもそうだな。名前は保留にしといてやる!」
それを聞いた船員達が一斉に、はあーっと安堵のため息をついた。
————
港まで迎えに来たセリウスは、あたしの身体と赤ん坊を気遣って馬車を用意してくれていた。
両手が塞がってしまうので、赤ん坊を一人彼に預けて先に乗り込む。預けられたセリウスは硬直し、遅れてぎこちない動きで乗り込もうとした途端、入り口にゴン、と頭を打ち付けた。
赤ん坊を抱いたまま「う"っ」と低い声を漏らす彼に思わず吹き出してしまう。
「赤ん坊ばっか見てるからだ。周りも見ろよ」
と声をかけると、彼は「は、はい」と緊張した声で答え、そろそろとあたしの隣に腰掛けた。
「柔らかすぎて、壊しそうです...」
腕の中の黒髪の赤ん坊を見下ろして、彼は弱気な言葉をこぼす。
ファビアンの子の時にも見たが、セリウスは子供があまり得意ではないらしい。
普段きりりと騎士らしく振る舞う彼が、赤ん坊ごときに焦ってたじろぐ様子は実におかしい。
「あはは、そんなにガチガチになってたら赤ん坊まで緊張しちまうよ」
「そ、そうでしょうか」
声をかけてやっても、彼の声は強張ったままだ。
あたしはそんな彼の緊張を弱めてやろうと、冗談めかして囁いて見せる。
「ほら、旦那様。そんなことより可愛い我が子に何か言うことは?」
彼はその言葉を聞くと、しばらく口を閉ざして悩む。
そして赤ん坊を見つめると、小さく言葉を溢した。
「...無事で、よかった」
彼は腕の中の柔らかな頬にそっと触れる。
赤ん坊は不思議そうにセリウスを見つめ返した。
「エメラルドの...、貴女と同じ瞳...」
「ちゃんと受け継ぐもんだよなあ。色が入れ替わったのも面白いしさ」
あたしがそう言えば、セリウスはもう一人の金の瞳を見つめる。それからあたしの顔をじっと見つめた。
「正直なところ、貴女からこの子達が産まれて来たと、まだ実感が湧きません...」
少し困ったような声で言う彼は、いつになく眉を下げて見せる。
それもそうだ。いきなり八ヶ月だと伝えられて帰って来たら子供が二人増えているだなんて、すぐ受け入れられるわけがない。
産んだあたしだって、まだ親としての実感なんてほとんどないのだから。
「しかし、出産とは耐え難い痛みであると聞きます。ステラさんのお身体は...、痛みはありませんか」
セリウスは「俺がすぐに治します」と真剣な目でこちらを気遣う。
あたしは分からないなりに寄り添おうとする彼の優しさが嬉しくて、ふふ、と微笑むと彼に少しだけ肩を預けた。
「それがなあ、驚くほど安産だったんだよ。破水してすぐにいきみたくなって、2時間で産まれちまったんだ」
「赤ん坊が小さいおかげで股も裂けなくてさ。産んですぐペンを取って、興奮したまま鳩を飛ばしたってわけ」
「産んですぐ...!?それであのように字が震えていたのですか。俺はてっきり...」
セリウスが驚き呆れたような顔でこちらを見下ろし、あたしはその姿に笑いながら続けた。
「だから大丈夫だっつったろ?なんか三日くらい血が大量に出たけどもう痛くないし、全然平気だ」
「それは平気とは言わないのでは」
「なんかそう言うもんらしいぞ。悪露?だったか。ビクターに海藻ばっか食わされて目眩もないし、昨日なんか甲板の走り込みに加わって大目玉を喰らったよ」
「...だから本当に心配しなくていい。あたしは丈夫なんだ。お前を置いて死んだりしない」
あたしは彼を安心させるように笑ってみせる。
彼はそれらをひと通り聞くと、すーっと息を吸い込む。そして大きなため息をはあ〜〜〜〜...っと肺から吐き出すと、脱力して背もたれに頭を預けた。
「本当に、貴女は俺の予想の遥か上を行く...」
彼は目を瞑って気が抜けたように呟く。
そんな彼の台詞にあたしもふと気になっていた事を思い出した。
「そういう意味では、お前も随分戻りが早かったよな。ひと月かかると言ったじゃないか」
まさか帰港に間に合うとは思わなかった。
何の気なしに言ったその言葉を聞くと、彼が今度はぎょっとした顔をする。
「貴女が七日後帰るから早く終わらせろと...!」
責めるような口調で金の瞳を見開く彼に、あたしは疑問符を浮かべた。
「別に七日後に来いなんて書かなかったろ。そんな勘違いで無茶して終わらせて来たのか。お前こそ怪我は無いだろうな」
ぱっと見は無傷に見えるが、服で隠れている部分に大怪我を負った可能性もある。
あたしはセリウスの胸元を服の上からぺたぺたと触って確かめる。
彼はそんな様子を見ると、やれやれと額に手を当てて瞼を瞑った。
「...怪我はありませんよ...」
心底呆れたと言わんばかりに返してくる彼に、あたしは少しムッとする。
「ならいいけどな、セリウス」
彼の名を呼んであたしはセリウスをじっと見つめる。
彼は急に見つめられて、きょとんと切れ長の目を丸くした。
「...お前の方が心配だった」
実際、あたしなんかより命の危険に晒されていたのはセリウスだ。せっかく産んでも戦で父親が居なくなるなんて笑えたもんじゃない。自分を棚に上げてこちらの事ばかり気にかけるこいつは馬鹿か、などと少々苛立ちを感じたほどだ。
そんな気持ちを込めてこちらも責め返すように彼の目を覗き込むと、セリウスは何故だかぐっと下唇を噛む。
「やはり、貴女はずるい...」
彼は悔しそうにあたしを見つめると、唇へそっとキスを落とす。彼の唇は少し乾いてざらつき、間近で見れば薄らと目の下に隈ができている。
やはり相当な無理をしたのだろう。
そうまでしてあたしの手紙に間に合わせようなんて、本当に馬鹿なやつだな、...こいつは。
「...勝手に産むと決めて悪かった。苦労をかけたな」
彼はあたしの言葉に眉をわざと顰めて見せる。
「ええ、本当に。俺の胃が捩じ切れたら貴女のせいです」
見つめ合うと、どちらともなく笑みが溢れた。
「改めて、お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
てな訳で、ようやく赤ちゃんとご対面のセリウス。彼は兄弟もおらず子供に接する機会もなかったので、赤ん坊にあわあわしっぱなし。可愛く思えるのはまだ先になりそうです。ステラのネーミングセンスがとんでもないことが判明しましたが、子供達はどうなってしまうのか!?次回に続きます。
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