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98.勝敗と秘密





王手(チェックメイト)




「だーっ!!また負けた!!」


 あたしは駒を放り投げると大きく声を上げてソファの背に倒れ込んだ。


「これで俺の13勝ですね」


 セリウスは投げられた駒を受け止めながら満足気に笑い、チェス盤を片付け始める。


 くそ、今日も勝てなかった。

 まったくこいつのチェスの強さと来たらとんでもない。


 そもそもの始まりは、彼の屋敷には娯楽らしい娯楽が見当たらないことだった。


 そこで「お前には趣味の一つもないのかよ」と尋ねたところ、「趣味ではありませんが嗜みであれば」と彼がチェス盤を出してきたのだ。


 彼によると「兵法を学ぶ為に騎士の嗜みとして覚えさせられた」との事だが、彼の卓越した駒の差し方はまさに、軍の最高指揮官たる戦術の手腕を見せつけられるようだ。

 

 こちらが戦略を練って駒を進める内にじわじわと囲い込まれて誘導され、自らが選んだはずのマスで狙ったように次々と駒が取られていく。


 そこに焦って気を取られれば、彼の歩兵(ポーン)がこちら側の最奥に到達し、最も強い駒である女王(クイーン)が二体に増えているという恐ろしさ。

 縦横無尽に動く成り上がりの女王(クイーン)はあっという間に手駒を蹂躙してしまう。


 そしてこちらが残りわずかな駒になると死角から鮮やかにチェックメイト。なんて具合で、毎回セリウスは圧倒的な勝利を決めてしまうのだ。


 あたしの戦術が敵将狙いの飛び技攻略だとしたら、セリウスの戦術は“徹底的な殲滅”。 

完膚無きまでに叩きのめされてぐうの音も出ない。


 なんて悔しさに下唇を噛んでいると



「では、今回は何をしてもらいましょうか」


 とセリウスが意地悪く口の端を上げてこちらを見る。

あたしは「う、」と声に詰まった。



 彼とのチェスに負けると代償が求められる。


 最初の一戦の前にあたしが「負けたら一つ言う事を聞く事!」なんて高らかに宣言してしまったせいだ。


 そもそもあたしもチェスは弱くない。

セリウスに会うまではどんな相手にだって負けナシで、はっきり言って勝つ自信しかなかったのだ。

 彼にどんな恥ずかしい事をさせてやろうかと考えて楽しくなるばかりで、負けるなんて露ほども思いもしなかった。


 残念ながら読みは大きく外れ、その自信が祟って今まで良いようにされてしまっているわけだが。



「前回の“猫のモノマネ”みたいなのはやめろよ」


 あたしが苦々しげにセリウスを睨みつけると、彼はにまりと嬉しそうに笑う。


「あれは実に可愛らしかった。もう一度あの“にゃあ”をお聞きするのもいいですね」

「殴るぞお前」


 ぎろっと睨みつけて拳に力を込めるとセリウスは余裕の面持ちでふふふ、と口元に手を当てた。


 くそ、前回は本当にしてやられた。

セリウスのやつめ、“言葉の代わりに猫の鳴き真似で1日過ごす“ なんて耐え難い恥辱をよくも思いついてくれたものだ。


 わざと騎士達の前で“にゃあ”で返事をするように促され、怒ったあたしの拳も華麗に受け止められて。

 騎士達には「また懲りずに挑んで負けられたのですか」なんて笑われてしまい。

 あの時のあいつの笑顔の腹立たしさと言ったらない。


 だからこそ、今回こそは勝って同じことをやり返してやろうと思っていたのに。

結局はこのザマである。


「では今日は...そうですね。ドレスで一日過ごして頂くというのは?なかなか着て下さらないので良い機会でしょう」


 彼はチェス盤を戸棚に片付けると振り向いて微笑む。それを聞いたあたしは、恥ずかしい内容でなかった事にほっと胸を撫で下ろした。


「いいけどさ。なんでお前はそんなにもあたしにドレスを着せたがるんだ」

「夫なら妻の着飾った姿が見たくて当然でしょう」

「そんなもんかねえ」


 あたしはそう言うと立ち上がり、クローゼットを開ける。中に掛かっていたシャンパンカラーのシンプルなドレスを取り出して「これか?」とセリウスに見せると、彼は微笑んで頷く。


 「後ろ向いとけ」とあたしに言われると、彼は嬉しそうにいそいそと椅子を後ろに向けて座り直した。


 ドレスの何がそこまで嬉しいんだかわからないが、期待しているらしいその様子は可愛らしいからまあいいか。



 実はクローゼットの中には、まだ着ていないドレスが何着も眠っている。

  

 セリウスはあたしがドレスを着ることを了承したあの日、翌日にはドレス商を屋敷に呼び込んでいた。

 しかし商人の持ち込んだドレスはどれも丈が足りず、デザインもフリル付きの令嬢向けのものばかり。似合わないからとあたしが断り、その夜のセリウスは残念そうに肩を落としていた。


 それを彼は休暇が終わるとあろうことかルカーシュにこぼしてしまったらしい。あっという間に聞きつけた王家お抱えのデザイナーとドレス職人の耳に入り、彼らからの手紙が屋敷に殺到したのだ。


 “貴女のように引き締まった長身の女性は貴族にいない”“ぜひともその体型を生かしたドレスを作らせて欲しい”と彼らに熱量高く詰め寄られ。

 結果、特注のドレスが何着も出来上がったと言うわけである。


 しかし、ドレスが特注になった事には良い面もあった。


 窮屈で装飾の多いドレスをあたしが好まず、この屋敷にメイドがいない事を考慮して、ドレスは全てシンプルで脱ぎ気が楽なように作られたのだ。

 簡単に被るだけで着れて、動きも邪魔にならないのは悪くない。


 そんな今回のドレスは滑らかなシャンパンカラーのシルク製で、胸の横で寄せられた布が光沢をまとって足元に流れ落ちる優美なものだ。


 しかし、どれも体に沿うようなドレスばかりで、さらに太ももに必ず深いスリットが入れられるのは何故なのか。

 歩きやすいのは良いが、脚がほとんど出てしまって落ち着かないんだよな...。


 あたしはドレスをするりと纏って、腰で縛っていた髪を解き、香油で少し艶を出す。ブーツを脱いでハイヒールに履き替え、鏡台に向かうと唇に紅を少し強めに塗り足した。


 そして「出来たよ」とセリウスを振り向かせる。


 彼はこちらを見るなり目を見開き、口元に手を当てて「ん"っ」と妙な声を漏らした。


「良い...」


 ぐっと眉根に皺を寄せて目を瞑り、頬を赤らめながらつぶやく彼はなんだか面白い。


「変なやつめ。服が変わっただけじゃないか」


 そう笑えば彼は椅子から立ち上がり、あたしを抱き寄せて幸せそうなため息をついた。


「はあ...、俺の妻は美しい...。もはや人を超えている...。お母君は神と結ばれたのではありませんか」


 心底うっとりと恥ずかしい事をつぶやく彼に、あたしは少し呆れてしまう。 


「大袈裟もそこまで来たら心配になるな。頭は大丈夫か」

「チェスで貴女に圧勝する程には冴えていますが」

「お?やるか?」 

「ふふ、睨まれても魅力的で困りますね」


 腕の中から彼を見上げて睨みつけるも、彼は歯牙にもかけず笑みを返すばかり。

 あたしはその余裕の笑みに苛立って声を上げた。


「この野郎、あたしを雑魚だと思ってるだろ。お前に会うまでは負けナシだったんだぞ!」


振り解くように腕の中で暴れるあたしの頭を、彼は宥めるようによしよしと撫でた。


「俺相手に30手も続くのですから、充分にお強いと思いますよ」

「ますます腹立つなその言い方!」


 くそっ、調子に乗りやがって。

チェス以外で何かこいつに勝てることはないのか。



  ...そうだ!あたしにはアレがあるじゃないか!


それこそ負けナシ。

幸運持ち(ギフテッド)”とまで言われるあたしの賭けの強さを見せてやろう!

 余裕ぶったセリウスも、流石にその強さを見たらきっと舌を巻くに違いない!


 思い立ったあたしは気を取りなおすと、早速彼を見上げて微笑んだ。


「そうだセリウス、せっかくドレスに着替えたことだし賭場にでも遊びに行こうぜ。いい服を着たら出かけなきゃもったいないだろ」


 彼はそれを聞くと露骨に嫌そうな顔をする。

 ルドラーがしつこくあたしに付き纏うのがよっぽど気に食わないらしい。


 ならば、とあたしはわざとセリウスの独占欲と優越感を煽ってやる事にした。


「“()()()()()()()に着飾ったあたし”、誰かさんに自慢したくないか?それから一杯ひっかけて、ほろ酔いで海沿いなんて散歩してさ」


「しかも今夜は半月だ。引き潮にだけ現れる秘密の入江に連れてってやる」


「月夜の浜辺でふたりきり....。“夜のデート”しようぜ、旦那様♡」


 あたしは耳元でそう囁いて、指先でちょいちょい、と彼の顎をくすぐってやる。セリウスはぞく、と身を震わせて顔を赤らめた。


 よしよし、効いてるな。


 こいつは謙虚なフリしてプライドが高く張り合いたがり、そのくせ女のあたしなんかよりよっぽどロマンチックに弱いのだ。こんな誘いに乗って来ないわけがない。


 あたしに顎下をくすぐられ、すっかりのぼせたような面持ちで「...魅力的ですね」と呟くセリウス。


 あたしはそれを聞くと「よっしゃ!」と拳を握り、ぽん!と彼を押しのける。


 「じゃあ決まり!博打で当てて当てて当てまくるぞ!見とけよこの野郎!」


 あたしはそう言って彼にウインクを飛ばし、ウキウキと身支度をする。


 急に突き放された彼は拍子抜けしたように脱力し、やれやれと呆れた顔で笑うのだった。






 賭博場の階段をヒールをカツカツと鳴らして登ると、いつも通り黒服が前に出る。


「ステラ様ですね、それと...」


記帳する黒服があたしの背後を確認する。

 あたしは斜め後ろに立っていた彼に腕を絡ませると密着するようにぐいと引き寄せた。


「今日は二人だ。な?旦那様」


 なんてわざとらしく見上げてやる。


 夫婦らしく腕を組まれ旦那様と呼ばれたセリウスは、ほんの少し口元を嬉しそうに緩ませる。そして誤魔化すように咳払いをした。


「お待たせ致しました、どうぞ」



 重々しい扉が開かれ、絢爛豪華な店内に足を踏み入れる。


 あたしは慣れた足取りでカウンターに向かい、シャンパンを二人分受け取るとセリウスにグラスを差し出した。


「さあて、どこから打とうかねえ。お前はどうせ一度も賭博の経験はないんだろ?」

 

 あたしがシャンパンに口を付けてそう言うと彼も同じく口を付け、こくりと頷く。


「貴女との関わりが無ければ一生足を踏み入れなかったでしょうね」

「ふふ、だろうな。じゃあ一番ルールが簡単なのから行くか!」


 あたしはそう言うと彼の腕を引いて少し離れた人だかりに近づいた。


 人々があたし達を見るとざわめいて道を開け、賭場の常連達があたしに笑いかける。


「ステラ様ではありませんか。ご主人もご一緒とは珍しい」

「だろ?ちょっと遊びを教えてやろうと思ってな」

「ははは、貴女の遊び方では参考にならないのでは」

「かもな」


 あたし達が笑い合うとセリウスは不思議そうに目を丸くした。そして目の前の遊戯台の上の円盤を興味深そうに眺める。


「これはルーレットだ。転がした玉が入る数字を予想して賭けるだけの簡単なゲームさ」


 あたしがそう言うとディーラーによってベルが鳴らされた。


「ベットを開始します。どうぞ皆様奮ってお賭けください」


 テーブルに輪をなした客たちが各々に数字の上へとチップを置いていく。


「さ、好きな数字に賭けな。まあ多少ルールはあるが、隣り合った数字に三つくらいでいいよ。ボードの好きな数字にチップを置くんだ」


 あたしが促すと彼は頷いて13、14、15へとチップを置いた。


「じゃ、あたしはここにしよう。景気良く00番だ」


 そう言ってチップを置くと、他の客が「げえ」と声を上げる。


「最悪だ。僕は降りるよ」

「いや、俺はステラ様と同じ場所に」

「私もだ」


 その様子にセリウスが「どういう事です?」と不思議そうに声を掛けるのであたしは微笑んだ。


「0番と00番に玉が入ると、他の数字に賭けたやつ全員が負ける仕組みなのさ。一人勝ちの数字ってわけ」

「ほう...」


 彼が口元に手を当てる。

するとディーラーが盤上部のノブをひねってホイールを回転させ、回転方向と逆にボールを投げ入れた。


 カラカラカラ、と音を立ててボールが円を描いて円盤を回っていく。客達は固唾を飲んでその様子を見守った。


「まあ見てな、あたしの運の強さを」


 そうしてにっこりと微笑むと、ボールはしばらく盤上を回り続け、ゆっくりと速度を落としていく。


 そして赤黒のポケットの上を転がり出したボールは全員が見守る中で


———カラ、と音を立てて00のポケットに収まった。


「00番。配当は36倍、それ以外にお掛けになった方のチップは回収となります」


「よっし!!さすが幸運持ちですなステラ様!」

「そんな嘘だろ...」


 あたしに乗った常連達が歓声と共に拳を握り、他の数字に賭けていた客達は肩を落として呻き声を上げる。

 盤上を見ていたセリウスは驚いた目であたしを振り返った。


「何か細工をしたのですか」

「いーや。運も実力の内ってな」


 あたしは積み上げて返されたチップを引き寄せてにまりと笑ってみせる。


「狙った一つの数字に入るなどと、そうそう起こるとは思えませんが...」


 彼が訝しむようにこちらを見つめるので、あたしはあはは!と笑い飛ばした。


「まあそうだろうな。よーしじゃあもう一回だ!次は7番に賭ける」


 そしてまたディーラーによってルーレットが回され、ボールがからからと盤上を走り出す。

 ボールはしばらく回ると速度を落とし、7番のポケットへとカタン、と落ちた。


「...嘘でしょう」


 また常連達がわっと歓声を上げ、他の客たちが机に突っ伏し残念そうに呻き声を上げる中で、セリウスが目を見開く。


「まだ信じられないか。じゃ、何度かやろう」


 そしてその次も、またその次も。

あたしの選んだ数字のポケットに吸い込まれるようにボールは何度も確実に落ちた。


 セリウスは信じられないと言った面持ちであたしを見やる。


「イカサマでは無いのですか」

「そんな事してたらとっくに追い出されてるさ。あたしの運を舐めんなよ?」


 それでもまだ信じきれないと言った顔の彼の腕を引いて、あたしは他のゲームもやってみせた。



「6のトリプルだ」


 ディーラーがサイコロを振れば狙った数が出現し、


「はい、フルハウス」


 カードを引けば手元に役がずらりと揃う。


「ほーら7のゾロ目だ!」


 スロットを打てばジャラジャラと台から滝のようにコインが溢れかえった。



「あ、ありえない...」


 彼が言葉を詰まらせて唖然とする様子に、あたしは自慢げに腰に手を当てて高笑いした。


「あっはっは、どうだ見たか!あたしは幸運の女神様に愛されてんのさ!」


 彼はあたしのテーブルに山と積み上げられた高額チップを見やり、自分の残り少ない少額チップと見比べた。


「本当に、加護があるとしか思えない...」

「ふふ、それに比べてお前は賭けに弱いな!もうそんなになっちまったのか」

「貴女の遊び方では参考にならないと言われた意味がわかりました...」


 力無く笑う彼にあたしが気分をよくしてシャンパンを煽ると、遠くからバタバタとこちらに駆け寄る足音がする。


「あーっ!?ステラちょっと!!なんで今日そんな本気出してんの!?」


 薄紫の三つ編みを振り乱し、同じ色の目を見開いたルドラーが大慌てであたしの両肩を掴む。

セリウスはその様子を見るなりバチン!と右手に稲妻を弾けさせた。


「気安く触れるな。消し炭になりたいか」

「すみませんねえ!?あんたの奥方がバカスカうちの売り上げを強奪してってるもんで!!」


 声を裏返して叫び返すルドラーにあたしは吹き出してしまう。


「いや、悪いね。こいつにあたしの運の強さを見せてやろうかと思ったら楽しくなっちまって」

「だからってやりすぎでしょ!!普段はもうちょっと綺麗に遊んでくれるじゃない!一日で潰す気!?」

「まあそう言うな。ケチケチすんなよ、ルード」


 ルードと呼ばれた彼は目を見開くと「うぐ」と赤くなって黙り込み、セリウスは怪訝な顔で眉を顰めた。


「なんですその呼び名は」

「チビの頃にそう呼んでたのを思い出しただけさ」


 そう答えると彼はますます眉根に皺を寄せるので、あたしは冗談っぽく彼の頬をつついた。


「なんだ、お前もあだ名が欲しいのか?そうだな、貴族風に“セリュ”とかどうだ」

「ふん、くだらない」

「お?拗ねてんのか?セーリュ♡」


 わざとらしく彼の腕を引くと、セリウスはかあっと赤くなって目を逸らした。ルドラーはその様子をじっとりと睨みつける。


「なんなわけ?この団長殿。それ可愛いとでも思ってんですか?」

「自己紹介か?人様の妻に鼻の下を伸ばしおって」

「伸びてないし俺は元から可愛げがありますから〜!」

「可愛げ?吐き気の間違いだろう」

「はァ〜!?」


 青筋を立てて睨み合う二人に、あたしはため息を吐くと立ち上がる。


「ま、割と遊んだからそろそろ行くかね。当てた金でぱーっと美味いもん食いに行こうぜ」


 あたしがそう言ってセリウスに微笑み掛けると、彼も立ち上がってあたしの手を取った。


「ええ、参りましょうか」


 わざとらしく余裕の微笑みを浮かべあたしと並び立つセリウスに、ルドラーは下唇を噛んだ。


「んもう!次からはステラだけで遊びに来てね!...おい、お客様のお帰りだ!」


 ずらりと礼をする黒服に見送られ、あたしたちは賭博場を後にした。







 そしていつもの店でちょっと奮発した食事の後、ワインでほろ酔いとなったあたし達は馬車を降りて海辺へと歩き出す。


 港から少し離れた浜辺は下弦の月が見下ろし、砂浜はほんのりとその月光を受けて輝いていた。


 あたしは砂に刺さるヒールを脱ぎ去って裸足で砂を踏む。


「随分夜も暖かくなったな。ほろ酔いの肌にちょうどいい」


 そう言って彼を振り向くと、彼は言葉を返さずあたしを見つめた。


「どうした、飲み過ぎたか?」


 あたしが尋ねると彼は気が付いたように口元に手を当て、微笑んだ。


「いえ...月明かりに薄金色のドレスがよく映えて...お美しい」


 うっとりとそう言う彼にあたしは笑う。


「お前は暗い中に溶け込んで目だけ光ってるな。魔狼とはよく言ったもんだ」

「騎士団の名は俺にちなんだ訳では...」

「あはは、わかってるよ」


 彼の手を取ってあたしは歩き出す。

セリウスは砂を革靴で踏み締めて、優しく指を絡めた。


「...まったく、貴女の賭けの強さには驚かされました」

「ふふん、恐れ入ったか」

「ええ。本当になんらかの加護は受けていないのですか」

「さあ、覚えがないな。母さんも強かったし遺伝だろ」

「運とは遺伝するのですか...」


 興味深そうに呟くセリウスに、あたしは今日の彼の引き運の悪さを思い出して笑う。


 カードもルーレットもサイコロを使ったシックボーも見事に外し、スロットも全く当たらずコインが吸い込まれていくばかり。


 それが面白くないのか仏頂面がますますスンとして、負け続けの悔しさをすかした無表情で隠す彼は見ていて実におかしかった。


「お前はあんまり楽しめなかっただろ。えらく悔しそうだったもんな」

「そんな事は。悔しいなどと、子供でもあるまいに」


 そう言ってまた真顔を取り繕う彼が可愛らしい。


「ふっふふ、そうかそうか」

「...ステラさん」


 彼はあたしの名を呼んで不機嫌に嗜める。


「いや、ふふふ。お前のそのポーカーフェイスは賭け事向きなのに実に惜しいな」

「戦略も無い、運任せのものは困ります。勝ち筋が見えないのになぜそんなものに夢中になるのか」


 セリウスははあ、と呆れたようにため息を吐いた。


「そりゃ運次第で誰でも勝つ可能性があるからだろ。お前はそれが全く無いけど。投資に手を出すのはやめとけよ」


 そう言って笑えば、彼は「では貴女にお任せしますよ」と釣られて笑った。


 砂浜の端まで歩き切ると、セリウスの背ほどもある壁のように反り立った岩場に突き当たる。あたしは勢いをつけて走り込むとその上にひょい、と飛び乗った。


「おいで、足滑らせんなよ」

「貴女こそお気をつけて」


 セリウスも少し後ろから助走をつけると長い足で岩壁を駆け上がり、ぐっと手をかけて乗り上げた。


「ほら、見えるだろ。白い砂浜の道。潮が完全に引かないと現れないんだ」


 あたしがそう言ってぴょんと飛び降りると、彼も後に続く。


 渡りきった先にある入り江は岩場に囲まれて弧を描き、星屑のように青く発光する波が寄せる浅瀬が続いていた。


「これは...」


 セリウスが青い光の波を見て感嘆する。

寄せては返す波はぶつかってまた光り、幻想的に散っていく。


「初めて見たか?綺麗だろ」


 あたしがそう言って微笑むと、彼は見惚れたまま答える。


「ええ、美しい...」


 彼の金の瞳に青い光が反射して煌めく。

あたしはその光の波の中に足を踏み入れると回るように波を蹴ってみせた。

 光は回りながら弾けてつま先から落ちていく。


「これは、魔法か何かですか。魔力は感じませんが...」


 セリウスが馬鹿真面目にそんな事を言うのであたしは笑ってしまう。


「あはは、可愛いなお前。これは海蛍っつーんだ。温かい夜の海でだけ見れる自然の光さ」

「海蛍...」


 つぶやく彼は水を掬い上げて手のひらに光が纏うのを不思議そうに眺める。


「この入り江はさ、まだあたしがガキの頃、港でコンラッドと取っ組み合いの喧嘩して海に落ちてな。たまたま流されたのがここだったんだ」


「浜に繋がってたからたまたま船まで帰れて、まさに幸運に感謝したよ」


 あたしはそう言って笑ってから、波を見つめる。

足元で淡く広がって集まり、また散らばっていくきらめきの数々。


「...辛くて一人になりたい時にここに来るんだ。静かで綺麗で、色んな事を忘れられる」


「誰にも教えていない、あたしだけの入り江」


 あたしがそう言って瞼を細めると、彼は気遣うように声を掛けた。


「そんな場所を、俺に教えてしまって良かったのですか」


 そう言われてあたしは少しだけ驚く。

そういえば、セリウスを賭場に誘うついでにたまたま思いついたものの、ここの事がすんなりと口から出てきたのは不思議だった。



 母さんにも、コンラッドにも教えなかった特別な心の置き所。


 この場所を教える事はあたしにとって、誰にも見せたくない心の弱い部分を見せるようなものだ。




 あたしはセリウスの顔を見上げる。


 月夜に照らされた黒髪の内から、優しげに見つめる金の瞳。あたしの泣き顔も、怒った顔も、見つめてきた金のまなざし。



 ...もうこの瞳には、全てを預けていたんだな。



「...お前には教えてやろうと自然に思えた。見せてやりたくなったんだ」


 そうしてふわりとセリウスに笑いかければ、彼は驚いたように目を見開く。

胸元をぐっと押さえ、「光栄です」と噛み締めるように答えた。


 あたしはそんな彼にふふ、と笑うと光る水を足元から掬い上げ空へと撒いた。


 頭上で弧を描いてきらきらと散る、青い光の粒。


「お前のおかげで辛くてもここに来る必要は無くなった。だけど、これを見る為だけにまた来よう。セリウス、また二人で」


 振り向いて笑いかければ、彼は切れ長の目元を切なく細める。



「貴女の心を託された俺は、幸せ者です」



「...輝く俺の女神」


 彼はそう囁くとあたしを強く抱き寄せる。

指先に残る青い光が彼とあたしの重なった手の中で、淡く輝き、その境界を溶かしていく。







「...ほんとこれ、虫のくせに綺麗だよなあ」


「虫...?」


 きょとんとして聞き返す彼を見上げ、あたしは答える。


「海蛍っつったろ?正確に言うと貝虫っていうんだけど」


「これはな、ぜーんぶ光るミジンコの集まりだ」


 あたしはそう言ってにっこりと微笑んだ。


「なっ...」


目を見開いた彼は青くなって飛び退くと、バババッ!!と両の手のひらを振り払って叫んだ。



「なぜ先に教えて下さらない!!!」



 彼の情けない叫びの反響とあたしの笑い声が、静かな夜の海に大きく響いた。



セリウスとステラの勝負事への強さの違いでした。

めちゃくちゃ長くなったけどこの話は切ったらつまらなくなる気がしてそのままで行かせていただきました。長いのにお読みいただきありがとうございます!


色々考えた結果、読んでくださる方がいるなら書きたいだけ書いちゃおう!と思い直しました。

投稿するたびにリアクションが本当に嬉しくて、いつも救われる思いです。重ね重ねありがとうございます!!

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