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96.真似事3




「例の件、必ずサロメ嬢に伝えるのですよ」

「はいはい」


 セリウスが寝室の姿見の前で身支度をしながらあたしに釘を刺す。


 今日はシュリー嬢のサロンではなく、サロメ嬢に個人的に屋敷に招かれている。他のご令嬢達が側に居ないこの機会は、あたしの姿をそっくり真似る事を嗜めるにはちょうどいいと言うわけだ。


「mi a carre putec tue sovale enxta. savif.(間違いなくお伝えするとお約束しますよ、旦那様)」

「enxis fitte. te pavas saelient .(ならばよろしい。お早めにお戻り下さい)」

「おや、通じたし上手く返したね。苦手と言った割に覚えが早いじゃないか」


 冗談めかしてセルデア語で言ってみた台詞へ、間を開けず返してきたセリウスにあたしは微笑む。

 彼はあたしの微笑みを見ると自慢げに口角を上げた。

 

「先日ベッドで丁寧に教えて頂いたのが効きましたね。あの授業なら何度でもお受けしたい」


 手袋をきゅっと嵌めながら悪戯っぽく笑う彼にあたしは少し顔を赤くする。


「読み上げてやってる途中にお前が引き摺り込んだんだろうが」


 あたしが毒づくと彼はふふ、と笑う。

まったく、こいつと来たら少しも悪びれやしない。

 こちとら真面目に教えてやっていたと言うのに、いきなり抱き上げたかと思えばベッドに組み敷かれ、“どうぞ、そのまま続けて”だなんて可笑しな真似をさせやがって。


「お前がこんなヘンタイだと知ってたら付き合わなかったのに」


 あたしが口を尖らせると彼はにこにこと微笑みながら抱き寄せる。


「それはそれは。結婚までしてしまって困りましたね」

「まったくだ!」


 あたしがフン、と不機嫌に息を吐くと彼は嬉しそうに頭上で笑った。


 前から思っていたが、どうにもセリウスはあたしが困ったり怒ったりするのを喜ぶ節がある。人を困らせていったい何が面白いんだか...。

いや、よく考えればあたしも彼の困り顔や不機嫌な顔は嫌いじゃないんだよな。からかって困らせて、余裕のある姿が崩れるのは愛おしい。


 くそ、結局は似たもの同士というわけか...。

とあたしは彼の顔を見上げる。

 見上げられたセリウスはあたしの腰を持ち上げるように引き寄せ、唇にキスを落とした。


「...そろそろクグロフのラム酒漬けが馴染んだ頃です。今夜出しましょうか」


 あたしは告げられたその言葉に機嫌を良くし、目を輝かせる。


「おっいいね。楽しみにしてたんだ!」

「ふふ、急にいい顔をなさる。」

「お前のつくる菓子は好きだからな」


 あたし達はそう笑い交わしながら屋敷を後にし、彼の手を取って馬へと跨る。例の如く王城で別れ、あたしはサロメ嬢の屋敷へ赴く予定だ。


 サロメ嬢に苦言を呈する形となり、残念がらせるのが見えている今日の外出は正直少し気が重い。しかし、帰ればセリウスの菓子が待っているなら悪くないな。


 新婚当初に彼の作った木苺のパイ菓子をあたしが喜んでからというもの、セリウスは時々暇を見つけて本にある菓子を作るようになった。


 彼によれば曖昧な部分がある料理に比べて、菓子作りはレシピさえきっちり守れば失敗が無い為、実に性分に合っているらしい。実際その味はかなり良く、庶民の為のレシピは貴族の茶会で出される菓子より暖かみがあって好きだ。


 あたしが毎度喜ぶ為か、セリウスは最近では完成まで日を跨ぐような少し凝った物まで手を出している。そんな訳で、休みの前の夜に二人で茶を飲む時間がすっかり楽しみになった。


「じゃあな、セリウス」

「ええ、お気をつけて」


 王城に着き、セリウスと別れてあたしは用意された馬車へと向かう。今回は“礼装でなくいつもの姿で”とサロメ嬢から頼まれている。礼装にはもうすっかり慣れたとはいえ、楽な格好で行けるのは悪くない。


 さて、うまくサロメ嬢を宥めて早めに屋敷に帰ろうじゃないか。





————





「サ...サロメ嬢...!?その格好は...」



 屋敷の家令によって通された客間で、待ち構えていたサロメ嬢にあたしは思わず後退りする。


「うふふ、ようやく完成しましたの!今日はステラ様と二人きりでお揃いがしたくて!」


 微笑む彼女のその姿。

それはまさに、今のあたしと全く同じ姿である。


 羽付きの海賊帽から始まり、真紅に金刺繍のコート、そして革の上下に紅色のスカーフ、編み上げたロングブーツまで...。何もかもが全く同じなのだ。


「そ、そうか...。すごいね、よく揃えたもんだな...」


 あたしは若干顔が引き攣るのを誤魔化しながら微笑む。まさかここまで“お揃い”にしてくるとは...。


 彼女はどちらかというと柔和な面立ちで、身長もあたしの頭一つ以上小さく、手足は少しぽってりとしている。


 そのままだと可愛らしい女の子だというのに、あたしに寄せて吊り目に化粧をし、革の衣服はダボついていて、引きずる派手なコートは正直彼女に不釣り合いだ。


 そんな違和感のある姿で微笑む彼女はご機嫌にあたしの手を取り、思わずぞわりと鳥肌が立つ。


 不快じゃないなんてセリウスに言ったが、さすがにこれは不気味としか言えない...。


「なあ、サロメ嬢。一つ言いたいことがあるんだが...」

「なにかしら?うふふ、まずはお掛けになって。紅茶でもいただきましょう」


 そう言うとサロメ嬢は微笑んで豪華なソファへとあたしを座らせる。あたしは促されるまま紅茶に手をつけた。


「サロメ嬢、お揃いを楽しんでくれてる君には非常に言いづらいんだが、その格好は...」

「ええ、とってもいい気分ですの!まるでステラ様になったみたいじゃありませんこと?」

「そうだね...いや、そうじゃなくてだな」


 元々あまり人の話を聞かない気があるとは思っていたが、今日は輪をかけて聞いてくれない。おそらくその姿でいることに気分が上がりきっているのだろう。


「えっとな、サロメ嬢、あたしの真似をするのは...」

「素敵な事だと思いますわ!これでわたくしにもセリウス様のような美丈夫の殿方がいればいいのに...。そうだわ!セリウス様のお話をもっと聞かせてくださいませんか?」

「いや、あのな...」


 こんなに盛り上がっている彼女を傷つけない言い回しを考えているうちに、もう喋ること喋ること。

 “令嬢はとにかく、かしましくて困る”という苦々しげなセリウスの台詞が思わず脳内によぎる。


 仕方ない。彼女の話が落ち着くまで待つか...。


 流石に一時間もすれば少しは舌も疲れてこちらの話すタイミングも取れるだろう。今はただ頷き、彼女の話を気が済むまで聞いてやるかね...。

 なあに、時間はまだまだたっぷりあるのだから。




 そして一時間後。


「はあ...。こうしてステラ様と二人きりでお茶ができるなんて夢のよう...」


 ソファに寄りかかって相槌を打つ暇もなくひたすらに聞いていれば、狙い通り彼女の話すトーンもだんだんと落ち着いてきたと見える。

 よしよし、これならきっと遮らずにこちらの話をくれるだろう。


 では、そろそろ本題を話そうじゃないか。


とあたしは口を開いた。


「...」


が、なぜか声が出ない。


「っ...?」


「さ、....ろ、め...」


 かろうじて動かした唇からは掠れるような声が出るばかり。身体も気がつけば重く、手足はソファにもたれたまま力が入らない。

なんだ!?これは、何が起きている!?


「そろそろ効いてきたようですわね。ステラ様」


 サロメ嬢は先程の饒舌な様子から、一転してにこりとこちらに笑いかける。


「遅効性の痺れ薬ですわ。シナモンに似た香りで、焼き菓子に入っていてもお気づきにならなかったでしょう」


 彼女は満足げに微笑むと指を鳴らす。

すると速やかにガタイのいい家令達が現れて動けないあたしの腕を取った。


「いいこと?くれぐれも傷つけないで。さあ、参りましょうステラ様。わたくしの秘密の部屋へ」


 痺れ薬...、そして秘密の部屋だと...!?

どう言うことだ、なぜサロメ嬢がこんな事を!?


 しかも家令までも巻き込んでいるなど、どうかしている。

 あたしは今や王の腹心のような物だ。そんな人間に薬を盛るなど重罪どころでは済まない。こんな事を思いついたとしても周りに知られれば止められないわけが...

 あたしは混乱した頭のまま、脱力した体を持ち上げられる。


 家令達に抱えられて廊下を進んでいくと、熟年の貴婦人がロビーからこちらを一瞥する。おそらく彼女の母親だろう。


 きっとこんな状態を見ればさぞ驚いて止めに入るはず...!あたしは必死に貴婦人へと視線を向けた。

 なあ見ろ!お前の娘さん、とんでもない事をおっ始めようとしてやがるぞ!?

  

 ...しかし、貴婦人はこちらを見てふっと笑みを漏らすなり、くるりと背を向けて行ってしまう。


 なんだ!?娘が犯罪を犯そうというのに何故止めない!?仮にも伯爵家の女主人だろう!


 ...いや、まて、...そうか!!


サロメ嬢、サロメ・セフィエット伯爵令嬢。



———セフィエット伯爵家は元・現王派じゃないか!!



 くそ、完全に油断していた...!


 レオニードが廃位し、ルカーシュに王位が移ったことによってこちら側に鞍替えした現王派は数えきれない。


 セフィエット家は名前こそ現王派であったと記憶していたものの、そもそもレオニードが在位している間ですら令嬢達のおかげで派閥を移動する現王派は多かった。


 ルカーシュの治世となって、未だ残る数組の反対勢力には気を割いていた。しかし鞍替え済みの貴族達はもう済んだものだと思い...、完成にノーマークだったのだ。


 馬鹿かあたしは。見せかけの派閥移動くらいありえる話じゃないか!

 趣味で繋がってきた彼女、そしてあの熱意の高さのおかげも相まって、まったくそんな想像が付かなかった...。




 床下の扉が開かれ、地下貯蔵庫の横を通り抜けた先の扉を潜るとそこは想像を絶する空間だった。



 壁、壁、壁、見渡す限り、あたしとセリウスの姿絵。そしてそれらを模した商品の並び。まるであたし達を祀る祭壇のように組まれた謎の飾り台。


 そんな空間に似合わぬ端の作業台にはおそらく薬品の瓶や薬草のようなもの、大きなすりこぎ、そしてフラスコのような器材たち。


 そして、一番気になるのは部屋の中央。

 祭壇の目の前に置かれ、真っ赤な薔薇の敷き詰められた、...大きなガラスの棺。


 ——まさか、これはもしかして。


 そう嫌な想像をした瞬間、あたしは家令達にまるで羽根でも扱うかのようにゆっくりと棺の中に納められる。


 くそ、やっぱり、あたしの棺だったか...!!


 サロメ嬢はこちらを見下ろすと、薄桃色の目を細めた。


「ああ...素敵。あなたがついにわたくしのモノに...。やはりステラ様には真紅の薔薇がお似合いだと思いましたの」


 彼女はうっとりとあたしの頬を撫でてため息をつく。

ぞわりと鳥肌が立つと言うのに、こちらは指一つ動かせない。


「でもね。あなたを見てあなたの姿を真似るうちに...、わたくし自身がステラ様になりたくなってしまって...」


「だからステラ様。あなたのその身体、どうかわたくしに下さいな」


 サロメ嬢はそう言うとおもむろに小さなナイフを取り出して、あたしの手首をピッと切った。


 小さな痛みと共に流れ出る血の雫。

彼女は細い試験管でそれを受けると、なにやら緑色の液体の入ったフラスコの中にその血を注ぎ込んだ。


「わたくしの家系は、代々薬師で名を成した家系ですの。さまざまな魔法薬を開発した中でこの薬は門外不出、我が家だけが作り方を知る特別な薬...」


 そう呟く彼女はフラスコの口をおもむろに唇に当てる。


 待て、と口を動かそうとするが声が出ない。

そんなものを、あたしの“体液”なんかを口にしたら、お前は...!!


 あたしが慌てるのも気にせず、彼女はこくり、こくり、と血液の混ざった薬を喉に送り込む。

あたしはその後の有り様を想像し、思わず身構える。


 しかし、その結果はあたしの想像とは全く異なるものだった。


「っはあ...」


 薬を飲み終えて息を吐いた彼女のまるくぽってりとした唇が、みるみるうちに口角が作られ三日月のように形が変わっていく。丸み帯びていた顎の形はすうと細くなり、首が伸び、肩の肉が落ちるように変形し、腕が指が伸びていく。


 異様さに息を飲むあたしの前で、彼女の身長がぐんぐんと伸びて、ダボついていた革の服がぴたりと体に沿い、床に引きずられていたコートが持ち上がった。


 そして、一分と経たぬうちにサロメ嬢は


————完全にあたしの姿へと変貌した。



「ああ、地面が遠いわ。それになんて色のあるお声かしら。まあ見て!瞳の色の美しいこと!」


 彼女は手鏡を手に嬉しそうに声を上げる。


 なんだこれは...!?それに何故、彼女はあたしの体液を口にしたと言うのに無事なんだ!?


「同じ女性として、こんな姿になれればとどれだけ憧れた事か...」


 同じ女性...そうか!

 セリウスがあたしに所有の契約術を掛け、弾かれる対象としたのは“セリウス以外の男”


女である彼女は、術の対象外というわけか...!


 そう思い至って必死で頭を整理するあたしに、あたしの姿のサロメ嬢がこちらを見つめて笑いかける。


「ふふ、驚いたでしょう?わたくしは今より、憧れ続けたステラ様になりますわ」


「大丈夫、何度も劇を見てご本人ともお話ししましたもの。口調だって真似出来る。きっとセリウスもあたしが別人だなんてちっとも気付かないさ」


 サロメ嬢の口から発される台詞が途中からあたしの口調へと違和感なく移り変わり、ぞわりと怖気が走る。


「これからあたしはステラとして生きるんだ。あんたのセリウスに愛され、海賊として海を駆け、皆の憧れを一心に受けて...でも本物の“ステラ”は棺の中」


「居なくなったサロメの代わりは、あたしお気に入りのメイドが姿を変えてくれる。あたしは“サロメ”を重用して、セフィエット家は陛下の覚えめでたく安泰となるって寸法だ」


「...なあ、実にいい考えだと思わないか?」


 あたしの姿をしたサロメがこちらに向かってにい、と赤い唇の端を上げる。あたしはその異常さに背筋が凍り絶句するが、表情すらまともに動かせない。


 「あんたを殺したりはしない。この薬は1週間しか持たないから、毎週血を取りに会いに来てやるよ。毎朝痺れ薬を投与して、ちゃんとメイド達に世話をさせるから安心してくれ」


 そこまで言って彼女は何かを思いついたようにきらりと目を輝かせる。


「ああそうだ。きっと暇だろうから、あたしの目を共有しようか!」


「あたしがこの身体でセリウスに愛を囁かれ、キスを受け、その手に抱かれる姿を見せてやる。あたしとあんたは一緒だもの。一心同体でいたいんだ」


 サロメ嬢はそう言うと一つあくびをして涙を掬い、それを棚の瓶から注いだ薬品らしきものに混ぜ込んだ。


「これは一日しか持たないけど、後は想像におまかせするよ」


 そう言うと彼女はその薬をあたしの唇のうちに注ぎ入れる。苦味のある液体がとろりと喉へと落ちていく。喉が微かに動いて、液体を飲み込んでしまう。


 すると自らの視界が奪われて、あたしを見るあたしの視界が広がった。


 まるで精巧な人形のように、薔薇の中に横たわるあたしか見える。

胸の上で重ねられた手、虚空を見つめる瞳。

 いきなり移り変わった視界にわけもわからず混乱していると、視界は背後のドアへと向けられた。


「じゃ、ちょっとばかり早いけど帰るとするかな。可愛いあたしのステラ様。お行儀よく待ってるんだよ」


 視界が揺れてドアの向こうへと歩き出す。

くそ、やめろ!行くんじゃない!!


 あたしの心の内の叫びも虚しく、揺れる視界は地下を出て、あたしが待たせていた馬車へと乗り込んだ。




おかしいな!?後編一つじゃ収まりきらない!!

と言うわけですみません分けます...!!

サロメ嬢、とんでもないお嬢さんでした。ステラ大ピンチです。

いつもお読みいただきありがとうございます!

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